幕間3 雨夜の白刃

 雨が降りしきる中、若い男が一人、夜道を急いでいた。

 風体からして、このあたりの百姓だろう。

 すっ、と、男の横を何かがとおりすぎた。

 瞬間、男の首筋から血がしぶいた。

 何が起きたかわからないという顔で泥の中に倒れた男の傍に、白髪の青年が現れる。

 顔にはねた返り血を拭い、青年は嘲笑するように顔を歪めた。

 見下すように死体を一瞥し、青年の姿は暗闇に紛れて消え去った。



 翌朝、村には不穏な空気が漂っていた。

 人が殺されるなど、そうそうあることではない。

 卯月神社に参詣に来る人々も、顔を曇らせてひそひそと話をしている。

「人殺し、ですか……」

 話を聞いて、また物騒な、と、卯月が眉をひそめる。

「全くですね。いったい誰がそんなことを……」

「さて。そういえば、昨夜の見回りは貴方でしたね、六也りくや。何か異常はありませんでしたか」

「いえ、何もありませんでした」

 即座に、断じるように答えた六也を、卯月は少しの間、じっと見つめていた。

 何かを見透かすような、金の目。

 六也は目をそらしかけ――どうにか踏みとどまった。

「……そうですか。わかりました、お下がりなさい」

「は、失礼します」

 卯月の部屋を出ると、ちょうど部屋の前を樂が通りかかるところだった。

 六也に気付き、樂が嫌な顔をする。

 なにか言ってやろうと口を開きかけた六也は、すぐ近くに卯月がいることに思いいたり、大股に樂に近付くと、その背を軽く叩いた。

 途端に。

 樂は小さな悲鳴をあげ、真っ青になってその場で凍りついた。

 それをなかば蹴飛ばすように押しのけ、六也はすたすたと廊下を進んでいった。

 一方、部屋にいた卯月は外での物音を聞きとがめ、何かあったのかと廊下に出てきた。

「樂、何かありましたか?」

 声をかけたが、樂は身動きさえしない。

 聞こえないほどの距離でもないのにと首をかしげつつ、さらに二、三度呼びかけてみたが、やはり反応はない。

 近寄って顔をのぞきこむと、樂の顔は恐怖に歪んでいた。

 ぱん、と顔の前で手を打つと、樂は悲鳴をあげて飛び上がった。虚ろだった目の焦点がようやく合う。

 いらっしゃい、と部屋にいれる。

「大丈夫、ここには貴方の怖いものはいませんよ」

 樂を落ち着かせるのに、しばらく時間がかかった。

 饅頭と茶を出し、何かあったのかと訊ねてみたものの、樂は、

「転びました」

 の、一点張りだった。

 しばらく樂の様子を見て、これなら大丈夫だと見きわめてから、卯月は樂を部屋に帰した。

 その後、卯月は部屋で一人首をひねっていた。

 ただ転んだだけなら、樂はああはならない。

 樂がああなるのは、背に触れられたとき、だ。

(まさか……?)

 六也の足音が遠ざかる方向と、樂が呆けていた場所は重なる。

 それだけで決めつけるわけにもいかないが、六也の態度もひっかかっていた。

 卯月の前では大人しい神使。だが、卯月の目がないところでは、他の神使にずいぶん尊大な態度をとっているらしいと、最近小耳に挟んでいる。

(本人が望んだゆえ、神使にしましたが……早計、でしたかね)

 とはいえ、六也がいて助かっているのも事実だ。

 どうしたものか、と思いつつ、卯月は見回りの予定を組んでいた。



 それから数日後。

 再び、人が殺された。

 今度も若い男で、先日殺された男とは仲がよかったらしい。

 二度の凶行に村人は怯え、血気盛んな若衆などは、必ず下手人を捕らえてくれると息巻いているという。

 そうですか、と、六也の報告に、卯月はうなずいた。

「確か、あのあたりの見回りは、昨日貴方がしていたと思いましたが、何も異変はありませんでしたか」

「ありませんでした」

 やはり以前と同様に、即答する六也。

 卯月は黙って、じっと六也を見つめていた。

 白い面に、感情は浮かばない。

「本当に、そうですか?」

「お言葉ですが、見回る前に殺されていたなら気付いたでしょうが、俺が見回ったあとに殺されていたのだとしたら、俺だって気付くのは無理というものです」

「それはわかっています。……わかりました、お下がりなさい」

 卯月の瞳に、ちらりと影が見えたような気がした。



 それから三日がすぎた。この日は昼間こそ晴れ間もみられたが、夕近くになるにつれて空は曇り、夜には車軸を流すような大雨となった。

 そんな天気でも見回りはあるわけで、六也はこの夜も、得物の短刀を懐に神社を出ていった。

 その後少ししてから、卯月もまた、そっと神社を出た。

 傘をさし、六也は慣れた道を歩く。

 その目は興奮のあまり、きらきらと輝いていた。

 いつもの見回りの道筋を不意に外れた六也は、小走りで村の集会所へと向かった。

 集会所の前に、大柄な若者が人待ち顔で立っている。

 村の若衆の一人で、このところの凶行に最も憤っていた青年である。

 顕形符を使って姿を現した六也を見、若者が目をむいた。

「誰だ」

「そう睨むなよ。お前をここに呼んだのは俺だよ」

「お前が?」

 じろじろと、無遠慮に若者は六也を見る。

「村の人間じゃないな」

「だったら何だって言うんだ? 下手人が知りたいんだろう?」

 すっと六也が若者に近寄る。

 その手にきらりと光る白刃を見て、若者は声を立てかけた。

 瞬間、六也が手にしていた短刀が、若者の喉笛をはね切った。

 返り血を浴びたことさえ気にかけず、六也が哄笑をあげる。


 ぱちん。


 何かが爆ぜるような音が、聞こえた気がした。

 同時に、六也の哄笑が止まる。

 笑った顔のまま、彼はその場に凍りついていた。

「卯月、様」

「誰がそれを許しましたか」

 六也の前に立つ卯月は、普段髪紐でまとめている髪を解き、冷えきった目で六也を見ていた。

「いや、俺は――」

「誰がそれを許しましたか」

 卯月の顔に感情はない。

「こいつ――こいつらは昔、俺を散々いじめてきたんです! これは天罰なんですよ!」

「そんなことは聞いていません。誰がそれを許したのかと聞いています」

「あなたが――あなただって、人を殺すじゃないですか」

「貴方に人を罰する権限はありません。私情で人の命を奪う愚か者は、私には要りません」

 すう、と、卯月の眼が細められる。

「あ……あなたに、俺が殺せますか? 神使が必要だというのは、知っているんですよ」

「もう答えました」

 とどろき落ちた稲光が、あたりを一瞬、真昼のように照らしだす。

 薙刀が、さっとひるがえった。


 雨に濡れながら、卯月は神社への帰途についていた。

 三日前、報告に来た六也が普段から付けている若葉色の耳飾りに、赤黒い染みがついているのを卯月は見咎めた。

 それでいて、見回るときには何事もなかったという。

 そのときから、卯月の中で疑念が膨らんでいた。

 それが思いすごしであればいい、と、どこかで思ってはいたが、そうはならなかった。

 歩く卯月の顔に感情はなく、顔に跳ねかかった鮮血は、雨滴が洗い流していった。

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