第18話 咲かぬ桜と雛の誓い 真昼時(四)
数日後、公園に卯月と樂、月葉と葛、それに丙、庚が顔を揃えた。
「うん、確かに気配があるね」
枝垂れ桜の老木をしばらくじっと見て、月葉がつぶやく。
「セン、いるかい」
静かに声を投げる。
ざ、と一陣の風が吹く。
と、桜の木の前に少女が姿を見せた。
桜を描いた袷、腕に抱いた黒狐。以前と同じ姿だった。
少女は卯月を見て顔を強ばらせ、狐をしっかりと抱きかかえ、一歩近付いた月葉から離れるように後ずさった。
「怖がらないで。君をどうにかしたいわけじゃないんだ。君の名前は、何と言うのかな?」
「……セン」
ふむ、と月葉がじっと少女を見る。
「それは君の名じゃないね?」
と、少女が抱いていた狐が、するりとその腕から抜け出した。
あ、と少女が声を立て、狐に手を伸ばす。
地面に降りた狐の姿がのびあがり、黒髪の青年の姿になる。
「セン、様」
葛が小さくつぶやく。
「セン様!」
少女がはじめて顔色を変え、悲鳴のような声をあげる。センはちらりと少女を見、寂しげに微笑した。
「久しぶり、セン。顔を見られて嬉しいよ」
月葉の声は優しく、これが以前、玄斗を一刀のもとに切り捨てた祭神と同じ神とは思えない。
月葉を認め、センが深く頭を下げる。
――月葉様。どうか彼女を責めないでください。全て、僕の独断です。
「うん、別に怒ったりはしないよ。でも……無事、ってわけでもないのかな、その様子だと」
センが面目なさそうにうつむく。その身体は足元にかけて、向こうが見えるほど透けていた。すでに彼に身体はなく、魂だけの存在だと、その場の誰もが悟った。
――はい、あのときの妖怪は退治しましたが……不覚を取りました。
「そうか。それを責めようとも思わないよ。お疲れ様、セン」
――葛。
呼びかけられ、びくりと葛が肩を震わせる。
――ごめんね、忠告も聞かずに出て行って、いつも……最後まで、心配ばかりさせて。
葛が何度も首を横にふる。
――丙、庚。葛のこと、よろしくね。
「大丈夫」
「任せとけって! 樂もいるしな!」
胸をはる双子と、二人に指さされた樂が、きょとんとしつつもうなずく。
センはその様子を見て穏やかな笑みを浮かべ、頭を下げた。
ふわりと、その身体が蛍火のような光に変わる。
光はそっと少女をなで、天へと昇っていく。
少女が、その場で泣き崩れた。
「私は、ひなといいます。昔、ここにあった屋敷に住んでいました」
しばらくして、泣き止んだ少女が、ぽつぽつと語りはじめた。
「私が住んでいたころ、庭に怪我をした狐が迷いこんできたことがあったのです。それが、セン様でした。怪我が治ってからも、セン様は度々屋敷を訪ねてきてくださいました。でも……あるとき、セン様は酷い怪我で屋敷に来て、そのまま――」
少女――ひなは再びせぐりあげる。
「そのときに、セン様に約束したんです。あの方は、人もこの村も本当に好きだと、そう言っておられたのです。……私には、あの方ほど多くは守れません。それはわかっていましたけれど、せめて屋敷があった、このあたりだけは、セン様のかわりに、セン様のように、守ろうと思ったのです」
「なるほどね。でもそればかりじゃない、かな? 何か、センからもらっていないかい?」
「これを……」
懐から、少女が袋を取り出す。
手触りから、何か細長いものが入っているのだろうと察せられた。
中にあったのは、人型に削られた木――形代。黒ずんだ字で、センの名が書いてあった。
「形代ですね」
それまで黙っていた卯月が、それを見て口を開く。
「それがあって、あなたがセンの名を使ったことで一種の依代になっていたなら、月葉様がわからなかったのも無理もないことでしょうね。〔桜の神〕も、屋敷にいたものの口から広まったのでしょうか」
「妖怪が集まっているのは……?」
樂が口を挟む。
「私がここで桜の守りをするようになってから、集まるようになりました。今年は、特に多くて」
「今年だけかい? 何か、心当たりは?」
「……去年、急に妖怪が増えた時期があって。それで怪我をしたり、住処を追われた妖怪がとどまるようになって」
織部ですか、と卯月が独りごちる。
どうやら昨年の〔百鬼夜行〕の影響が、ここにもあったらしい。
「妖怪が増えると、よくないモノが増えることは聞いていたし……それを防ぐには、桜が溜めていた精気を使うしかなくて……これまでは、そんなことしなくてもよかったんですけれど。それで花も、蕾はつけても開かなくて」
ふむ、と月葉が木の幹に手を触れる。
「ああ、もともと老木だったのもあるんだろうけど、確かにずいぶん弱っているね。このままだと……あと一度、咲いたら終わりかな」
ひなが唇を噛んでうつむく。
「なんとか……できませんか」
どうする、と言うように、月葉が卯月へ視線を送る。
「寿命は――たとえ神でも――どうこうするものではないですよ」
卯月は冷ややかにそれに答える。
「卯月様――」
「――ただ、私の不手際もありますから。寿命は延ばせませんが、減った精気を補うことはしましょうか。月葉様は、彼女をどうするか決められたほうがいいでしょう。センの依代でない以上、今の彼女はただの霊にすぎませんから」
月葉と入れ替わるように卯月が幹に手をあて、目を閉じる。
ふわりと、一度優しい風が吹いたように思われた、その一瞬。
固く閉じられていた蕾がほころび、次々と花が開いていく。
「さて、君はどうしたい? センと同じように、うちに受け入れることもできるし、行くべき場所へ送ることもできる。どちらにせよ、このままでいるのはよくないからね」
しばらく桜に見惚れていた月葉が、ひなに向き直って問いかける。
「どうか、セン様と同じように、神使にしてください」
微笑んだ月葉が、ひなの手を取った。
数日後、例のごとくこっそりと抜け出していた月葉は、いくぶん周りを気にしつつ鳥居をくぐった。
「月葉様!」
ここしばらく聞いていなかった、葛の声が飛んでくる。
「どこまで行ってらしたんですか、もう。書き置きでもなんでもいいですから、行き先くらい教えておいてください」
口を尖らせてはいるものの、葛の言葉には以前ほどの棘はなかった。
「う、ごめん」
ぺたりと耳を寝かせた月葉に、溜息をついた葛が肩をすくめる。
「ひなはどうかな、馴染めてそう?」
「そうですね。少しは、慣れてきたみたいです」
葛が一箇所を示す。
他の神使とともに、何か話をしながら手を動かしている黒髪の少女。
何か言いかけられ、ひなも笑って何か返している。
「ああ、あの様子なら、特に問題はなさそうだ」
ひらり、と、どこからともなく、遅咲きの桜の花弁が、風に乗って舞ってきた。
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