第18話 咲かぬ桜と雛の誓い 真昼時(二)

 ばたばたと駆けてきた足音が、月葉神社に勢いよく飛びこんできた。

 いきなりの騒ぎに何事かと顔を見せた葛は、そこに丙と庚が立っていたのを見て顔をこわばらせ、二人の後から樂が息を切らせながら現れたのを見て目を丸くした。

「何事です?」

「公園、公園の、」

「桜の木に、センが」

 すっかり興奮した丙と庚がほとんど同時に口を開く。

 葛は困り顔で樂を見たものの、樂は肩で息をするばかりだった。こちらはどう見ても話せるような状態ではない。

「どうかしたかな」

 騒ぎに気付いた月葉が顔を見せる。

 またしても同時に話しだそうとした双子を止め、月葉は三人を本殿の一室へと招じ入れた。

「それでは、私はこれで――」

「あ、待って、葛」

 部屋を出ていこうとした葛を、庚が呼び止める。

 怪訝な顔でふりかえった葛へ、

「この前は、ごめん!」

 庚が深く頭を下げた。

 葛は目をぱちくりさせて、ちょっと言葉が出ない様子で立ちつくしていたが、やがてこっくりとうなずいた。

 月葉に手招かれ、彼の隣へ座を占めた葛は、もの問いたげに樂に目を向けたが、樂のほうではまだ話せるほど息が整っていないらしい。丙と庚はそれを見て、ばつが悪そうに目を見合わせている。

「どこから走ってきたんです」

「公園」

 二人の答えを聞いて、葛は同情するような目を樂に向けた。

 狐の神使だからか、この双子は足が速い。樂も足は決して遅いほうではないのだが、さすがにこの二人ほどではない。ここまで二人を見失わずについてこられただけでも相当なものだ。

「公園、ってあの公園だよね? 何かあったのかな」

 丙と庚が交互に話し始める。

 公園でセンと名乗る“少女”に会ったと聞き、腕を組んだ月葉が小さく唸る。

「これは……卯月の推測が当たっているかな」

 口の中で呟いた月葉が、樂に目を向ける。

 ようやく息が落ち着いてきたらしい樂は、話を聞きながらも、何か考えるように、眉間にしわを寄せていた。

「樂」

 呼びかけると、彼は弾かれたように月葉を見た。

「はい」

「何か気になることでもあったかい」

「……自分が卯月神社の神使だと言ったら――」


「あの人喰いのカミサマの神使?」

 少女は顔をしかめ、明らかに警戒するような目つきで樂を見た。

「誰がそんなことを……?」

 むっとした樂が問うと、少女はきっと彼を見返した。

「屋敷じゃ皆そう言ってた。お山のお宮のカミサマは人喰いだって。だから生贄が要るんだって。私のご先祖にも、生贄になった人がいるもの」

「そんなこと言ったらバチが当たるぞ」

 丙と庚にそう言われ、少女はすっと姿を消した。


「山?」

 話を聞いて、月葉が首を捻る。

「僕の知るかぎり、卯月が人を喰ってたなんてことはないし、社も――いや、元々は山の中の祠に祀られてたって聞いたことはあったっけ。荒神山には池があるだろう? 昔はあの池のほとりに祀られていたのが、いつだったか、今の場所に社が建てられてそこに移った、って聞いた覚えはあるよ。最も、そのあたりは本人に聞いたほうが早いだろうけどねえ」

「……そうですね」

「でも、人を喰ってたなんてことはないはずだよ。その女の子については、何かわかったことはある?」

「何か、っても……あ、その子、昔、センが会ってた女の子だった」

「うん、それは間違いない」

「女の子と会ってた? センが? 葛、それ知ってた?」

「いいえ、今知りました。あ、でも……」

「でも?」

「あのとき、セン様は、『あの子に何かあってからでは遅い』と、そう言って出ていかれたんです。誰のことだか、そのときはわからなかったんですけれど、もしかしたら『あの子』って、その女の子なんじゃ……根拠も何もないですけど」

「可能性はあるかもね。やっぱりどうにかして、その子に会ってみるか」

 そう言いおいて、月葉は座を立った。



 そろそろ黄昏時というころ、樂が卯月神社に戻ってきた。

「失礼します」

 卯月の部屋に来た樂は、心なしかその表情を固くしている。

 樂が神社に帰ってきたら、部屋に来るように伝えて欲しいと、卯月は神使に頼んでいたのである。その言伝を聞いたのだろう。

「おかえりなさい」

「あの、自分が何か……?」

「いえ、別に何か不手際があったとか、そうした話ではないのですよ。ちょっと確かめたいことがありましてね。……六也りくやを、覚えていますか?」

 六也と聞いて、一瞬、樂は眉のあたりをひきつらせた。

「はい」

「六也が葛のことで何か言っていたのを、聞いたことはありませんか」

「いえ……自分はできるだけ、彼と関わらないようにしていたので」

「何か、言われていましたか」

「言われる、というか……昔、神使になる前のことを、何度も根掘り葉掘り聞こうとしてきて……」

「話したんですか?」

「いいえ、正直に言って、六也とはあまり関わりたくなかったですし、そもそも昔のことは、よく覚えていないので」

「そうでしたか。そういえば、また公園に行っていたのでしょう? 何かありましたか?」

 小首をかしげて卯月が訊ねると、樂は先よりもためらいがちに、公園で少女に会ったことと少女の言葉を口にした。

「あら、そんな話になっていたのですか。別に人間を食べた覚えはありませんが。贄は……捧げられたものを受けとっていただけですよ」

 卯月はさらりとそう言った。

「昔は確かに、ここではなくて山の中に社……というよりは祠があったのですよ。人の間で色々とあって、こちらに移ったのですけれど。だいぶ昔の話ですけれどね」

 卯月の目に、懐かしむような色が浮かぶ。

「そうそう、ここに移ったときに、今の社になったのでしたっけ。人身御供の習慣は、もっと後まで残っていましたけれど。私の神使も、もとは人身御供として捧げられたのを神使にしましたから。私が継いでからは、人の側でも人身御供を出す風習も変わったようですけれど。人にとってはカタチはどうあれ、何かを捧げる奉仕こそが大事なのですよ。それは人が私を忘れていないということですから。人が神を忘れるということは、つながりが切れるということですから、それはどちらにとってもよくないのですよ」

――誰かを神様にお仕えさせないと、祟りが起こるんだ。

――村のために、神様にお仕えしておくれ。

――ああ、お前、お仕えしてくれるか、これで村も安泰だ。

 不意に、脳裏に声がよみがえる。

「卯月様?」

 黙りこんだ卯月へ、樂が怪訝そうに声をかける。

「……あら、ずいぶん話が横道にそれてしまいましたね。特に私が動く必要があるとも思えませんけれど、一度、そのセンを見ておくことにしましょうか?」

 くすくすと、卯月は小さく笑った。

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