第18話 咲かぬ桜と雛の誓い 真昼時(一)

 棚からころげおちた手毬が、畳の上でてん、とはねた。

「あら」

 部屋を片付けていた卯月は手を止め、くすりと笑ってそれを拾いあげた。

「まだ残っていたんですね」

 古びた手毬は元の色がわからないほど色あせ、あちこち糸が飛び出している。

 懐かしそうに、卯月はそっと手毬をなでた。

 その昔、何かの折に手に入れたものだ。よく一人で、この社の境内で歌いながら毬をついて遊んでいた覚えがある。

「さて、あれはどんな歌でしたか……そうそう」


 うちの裏のちしゃの木に

 雀が三羽とまって

 一羽の雀の言うことにゃ

 お山のお宮の神さんは

 黒い御髪おぐしの神さんは

 一人法師の神さんじゃ

 黒い御髪の神さんは

 夜ごとお里に下りてきて

 お子を誘ってお山に隠す

 隠したお子は帰されぬ 帰されぬ


 二番目の雀の言うことにゃ

 お山のお宮の神さんは

 お子を隠した神さんは

 一人法師の神さんじゃ

 お子を隠した神さんは

 隠したお子をひきつれて

 お山を歩いて回られる

 隠したお子は帰されぬ 帰されぬ


 三番目の雀の言うことにゃ

 お山のお宮の神さんは

 赤いおべべの神さんは

 一人法師の神さんじゃ

 赤いおべべの神さんは

 衣を赤く染められて

 お子は誰もいなくなった

 隠したお子は帰されぬ 帰されぬ


 ちょっと一貫貸しました


 はねあがった手毬を両手で受けとめ、卯月はまたくすくすと小さな笑い声を立てた。

「案外、覚えているものですね。こんなこと、すっかり忘れてしまっていると思っていましたのに」

 手毬はどこにあったのかと棚をのぞく。奥のほうに、何か置いてあるのが見えた。

(何でしょうね?)

 手を伸ばし、それをひっぱりだす。

 その拍子に埃が舞い、卯月は二、三度くしゃみをした。

 ぼろぼろの風呂敷に包まれた木箱。

「あら、これは――」

 中に入っていたのは、子供が着ていたと思しい、小さな着物と帯。

 色は、すべて白だった。

 ふ、と、卯月の口元に、ほのかな苦笑が浮かぶ。

「さて、これはどうしましょうね」

 今の自分には、もう必要のないものだ。

 しかし、これは過去とのよすがでもある。ただの着物であるのだし、持っておいても別に害はない。

 ほとんどぼろ布と変わらない風呂敷だけは処分することにして、棚板の埃を拭い、箱と手毬を棚に戻す。

 だいぶ部屋が片付いたこともあり、ひと息いれようと茶を入れ、大福をのせた小皿を手に縁へ出る。

 大福を食べつつ、濃いめにいれた茶を飲む。

 参詣者のいない境内では小さな神使が楽しそうに駆けまわり、掃除をしていた別の神使が手を止め、その様子を微笑ましそうに眺めている。

 普段と変わらない、のどかな光景。

(あと何度、私はこうしてすごせるでしょうね)

 先々代は百五十年近く、先代は八十年続いたが、それだけ同じ“卯月”が卯月として続くことは珍しく、実のところ多くは五十年程度。数ヶ月で代が変わったことも何度かある。

 そして三百年も続いている“卯月”は、自分の他にいない。

 先々代が決めたように、神使を一人と定めず、多く受け入れることで作ったつながりがそれを可能にしているのは間違いない。

(とはいえ、もうあまり時間はないのですよね)

 少しめくった袖の下。白い肌の上に――かなり薄くなっているが――からみつくようにあらわれている黒い痣。

 〔百鬼夜行〕の際、織部をとりこんだむくいである。

 穢れは落としているし、身体に影響はでていないが、この痣――瘴痕――が消えるのが、以前より遅くなっている。

 瘴痕は穢れたものをとりこんだ場合に、卯月にあらわれるものだ。だが、これが消えるのが遅くなっているということは、すなわち、今の“卯月”に残された時間が少なくなっているということ。

 残り時間が少ないということは、“次”を考えなければならないということ。

 しかし、“卯月”を継がせるということは、自分が持つ全てを継がせるということだ。経験も、立場も、重責も――汚名も。

(できれば、このままでいたいのですけれどね)

 それが難しいことは、百も承知している。

 それに多くのつながりを作ることも、時間を延ばすだけで根本的な解決にはならない。数人の神使を抱えていた先々代の卯月は――人からの信仰が薄れたためもあるが――大禍津に堕ち、そのときに抱えていた自身の神使を――ただ一人を除いて――殺害した。

 “卯月”は一人残ったその神使が継いだが、経緯が経緯ゆえ、先代は複数の神使を抱えようとは思っていなかった様子で、神使を一人と定め、それ以上を抱えなかった。

 それを知りつつ、卯月は再び、多くを神使として抱えることにした。動物ばかりでなく、妖も。以前、竜胆に言われたように、自分を祀る人とのつながりに加えて、神使と結んだつながりをかすがいとして、自分をつなぎとめておくために。

 しばらく物思いにふけっていた卯月の目の端で、ちらりと何かが動いた。

 こうべをめぐらせてそのほうを見る。

「千草様」

 街にでも出かけていたのか、千草は普段の絵巻物のような装束ではなく、街で売っている雑誌にのっているような洋装をしている。清楚なその装いは、千草によく合っていた。

 千草にも茶をいれ、菓子をすすめつつ、話題は自然と〔桜の神〕や神使たちのことになった。

「葛は相当おちこんでいるようですね。昨日、月葉の遣いで五宮うちに来ましたけれど、やっぱりいつもと様子が違っていましたし。庚には謝るように言いましたが、どうなることか」

「月葉様もでしょうけれど、センが死んで、一番辛いのは葛でしょうね。センをかなり慕っていましたし、そのうえ妙な噂まで立てられて」

「ああ、ずいぶんひどいことを言うとは思っていましたが、誰が広めていたか、知っていますか?」

 千草が意味ありげに卯月を見やる。

「さて、心当たりはありませんけれど、なにかご存知なのですか?」

「……昔、ここの神使で葛と仲が悪かった者がいたでしょう」

「私の神使が、ですか? 特に仲違いした覚えはありませんけれど……」

「いえ、そちらではなく……昔、神使にしてすぐに貴方が手にかけた者がいたでしょう」

「――ああ、六也りくやですか。確かに六也は、葛と馬が合わなかったようですけれど、噂の出処が六也だと?」

「おそらく、ですが。何度か六也が五宮の神使や街の動物に、葛の妙な噂をふきこんでいたのを見たのです。その度に滅多なことを言うものではないとたしなめたのですが」

「……それは、初耳ですね」

「まだ六也があなたの神使になる前のことでしたし、神使になったときには葛の噂も全く聞かなくなっていましたから、つい言いそびれてしまって。でもやはり、あなたの耳には入れておくべきでしたね。すみません」

「いえ、千草様が謝られることではありません。私の神使は噂を聞いていましたけれど、特定の相手から聞いていたわけではなく、あくまで街の巷説として小耳に挟んだだけでしたし、私自身はそうした噂は聞かなかったのですよ。六也は、私の前では大人しかったですし、おそらく自分の良くない行動が、私の耳には入らないようにふるまっていたのでしょうね。内弁慶、とは違いますけれど、あちこちで色々な顔を使っていたようでしたから」

 何か思い当たるところがあるのか、千草が小さくうなずいた。

「そのようでしたね。神使となる前は、あちこちで、名をあれこれと変えていたようでしたし」

「それはそれで、六也なりの生きていく方法だったのでしょうね」

 それからしばらくは他愛もない話に興じて、千草は帰っていった。

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