第17話 咲かぬ桜と雛の誓い 青豆時 後
卯月神社から帰ってきた月葉は、何か桜屋敷についての記述はないかと、自室で覚書をひっぱりだして読み返していた。
しかし三百年も昔となると、部屋に置いている帳面には記述がない。
書庫のどこかに過去の覚書をしまっただろうかと立ち上がりかけたとき、失礼します、と葛の声がした。
午前中に見回りに出ていた神使からの報告を取りまとめ、報告に来たのである。
町は平穏。昨年の〔百鬼夜行〕から、目立って不審なことは――桜の木の一件を除けば――起きていない。
「ありがとう。どうかな、葛。ちょっと休んでいかないかい?」
「……いえ、他の仕事がありますので、失礼します」
いくぶん、伏し目がちにそう言って、葛は月葉の部屋を出た。取りつく島もない。
本殿の廊下を歩く葛には、普段の凛とした様子はない。
――口うるさいばっかりでなんにもしないじゃないか!
庚の言葉が、ずっと刺さっている。
「……私だって、止めましたよ」
あのとき、葛は何度もセンを止めた。月葉を待つか、それができないなら自分も行くとさえ言ったのだ。
そのどちらも、センは許さなかった。
そして止めるのも聞かずに、センは出て行った。
葛が変わったのは、それからだ。
戦うための腕を磨き、月葉や他の神使への態度もがらりと変えた。
月葉ですら、その厳しさに閉口しているのは気付いている。自分が他の神使からどう思われているのかも、知っている。
それでも、また誰かが死ぬよりは、ずっとましだ。自分が恨まれて、恨む誰かが生きるなら、そのほうがましだ。
(それでも――)
庚に指摘されてから、揺らいでいる。――いや、それよりも前、〔百鬼夜行〕で、玄斗と逢ったときから。
動物の神使が多量の瘴気を浴びて妖怪と化した場合、その性格は凶暴化する。
玄斗はあのとき、かつての彼なら怯え恐れていた妖である樂に対して敵意と悪意を向けた。そして、同じ悪意は葛にも向いた。なぜなら――神使であったとき、彼は葛を恐れていたから。
実際葛は、他の神使と同じように、玄斗にも厳しい態度を崩さなかった。玄斗が恐れるのも、無理はなかったろう。
もし自分が、もっと優しくしていたら、玄斗が去ることはなかったのだろうか。
しょんぼりと歩く葛は、普段よりも小さく見えた。
数日後の昼下がり、公園に樂と丙、庚の姿があった。ベンチに座る樂は、左手に包帯を巻いている。
やはり桜は咲く様子はなく、妖怪にいたっては、以前よりも増えたようだ。
「そういえば、昨日庚と話してて思い出したんだけどさ」
「何を?」
「ここに屋敷建ってたろ、セン、よくそこに通ってたんだよ」
「通ってた、って、何しに?」
それがさ、と庚が言葉を引き取る。
「女の子と会ってた」
「女の子と?」
「そうそう。いや、別にそれが悪いことだとか、そういうんじゃないんだけどさ、センって誰とでも仲が良かったんだけど、こう、特別仲のいい相手っていないと思ってたんだよ」
「でもその女の子とはすごく仲が良さそうでさ、こっそり後をつけてって、二人で仲良くしてるの見たときびっくりしたよな」
そういえば、葛とはどうなったのかとそれとなく聞いてみると、庚はたちまちふくれっ面になった。
「だってあいつ、センだけを一人で行かせて、自分は何にもしなかったんだぜ」
「一人で行かせるどころか、葛はそのセンって神使を散々止めたって、月葉様から聞いたけど」
「え?」
「そもそも、あの葛だぞ。一人で妖怪退治に行くなんて言ったら、何もしないどころか止めるに決まってるだろ」
「月葉様の次に心配かけてるもんな、樂は」
「まぜっかえすなよ」
「でも、言われてみればそうだよな、葛だもんな」
「葛だしなあ」
双子が目を見合わせる。
「庚、やっぱり嘘だったんだって、あの噂」
「噂?」
樂が首をかしげる。
丙と庚いわく、センの死後、急に葛の性格が変わったことで、妙な噂が立ったのだという。
葛は実はセンを疎んでいたのではないか、だとか、月葉に気に入られているセンを、神社から理由をつけて追い出すために、あえてセンを一人で妖怪退治に行かせたのではないか、だとか。
それを聞いて、樂が顔をしかめる。
「いや、ない。絶対ないだろ。俺はお前たちよりは、葛を知ってる時間は短いけど、それでもそれくらいはわかるぞ。誰だそんなことを言った節穴は」
樂が怒気をあらわにする。他の神使に注意をするとき以外で、彼が怒りを見せるのは珍しい。
「噂だよ、噂。ってか、結構怒ってる?」
「……ああ」
「あのさ、」
不意に、庚が口を開く。
「あとで、月葉神社に行くから……ついてきてくれない?」
「あ、やっと行く気になったんだ」
「うるさいな」
ちらりと庚が樂をうかがう。
「……わかったよ。じゃ、ちょっと用を済ませたら行こう」
きらりと樂の目が光る。
同時に。
その足元から伸びた血の縄が、近付いてきていた妖怪を一匹捕まえた。
きーきーと叫んでいる妖怪をひょいとつまみあげる。
「落ち着け。何も取って食おうっていうわけじゃない。どうしてここに集まっているのか知りたいだけだ」
「……セン様がいるからです」
センの名を聞き、丙と庚が目を見開く。
そのとき。
――無礼者!
飛んできた石塊が、樂の手を打った。
思わず樂が手をゆるめると、妖怪は脱兎のごとく逃げ去った。
「誰だ」
石の飛んできたほうへと顔を向ける。
桜の老木の前。
それまで誰もいなかったはずの場所に、少女が、目を怒らせて立っていた。
黒髪を丁寧に結い上げた、色の白い少女である。桜を描いた袷をまとい、その腕には、黒い狐を抱いていた。
「誰だ!」
今度は丙と庚が、声を揃えて誰何する。
ゆっくりと首を動かした少女が、眉をひそめる。
「セン」
少女の言葉に、三人は揃って絶句した。
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