第16話 咲かぬ桜と雛の誓い 丑三時

 朝の人気の少ない時間に、樂は再び公園を訪れていた。

 数日暖かい日が続いてから、また冷えこんできたのと、不用意に人目を引かないようにという理由で、今の樂はパーカーにジーンズという洋装である。

 先尖りの耳を隠すために、フードをかぶっている樂は難しい顔をしていた。

 相変わらず、公園内には妖怪の姿がある。とはいえ樂が現れると、妖怪はすぐに身を隠すか、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。

――人への被害は聞いていません。

 公園に来る前に立ち寄った月葉神社で、応対した葛が言っていたことを思い出し、樂は一人首をひねった。

 人間への被害がないのなら、前に卯月が言っていたとおり、〔百鬼夜行〕の残党ではないのだろうか。

(被害がないのなら、特に首をつっこむ必要はないのかもしれないが……)

 しかし、神社の境内でもあれば別として、一ヶ所に多くの妖怪が集まるというのは――それが弱い妖怪であったとしても――神使としては看過できるものではない。あまり多くの妖怪が集まる場所には、瘴気が溜まりやすくなるからだ。特に〔百鬼夜行〕の後である。なおのこと瘴気が溜まりやすくなっていても、不思議ではない。

(それにしては……ここ、空気が淀んでいないんだよな)

 動けば逃げられるとはいえ、こうしてじっと立っているときには、しばしば視界の端に妖怪の姿をとらえられる。これほど妖怪が多い場所なら、とっくに瘴気が見られてもいいはずだというのに。

 樂が首をひねる原因は、もうひとつあった。

 葛である。

 月葉神社を訪ねたときの葛は、人間に被害はないかという樂の問いに短く答えたあと、何か言いたげな顔をしたものの、結局何も言わずにさっさと仕事に戻ってしまった。

 普段の葛らしくない態度である。いつもなら彼女は無理をするなとか、怪我には気を付けろとか、そういった一言を付け加えるはずなのだ。

「なんじゃい、誰がおるんかと思たら、卯月のお宮さんとこの坊主かい。お前、神さんほったらかしてこんなとこで油売っとってええんかい」

「え?」

 不意にそんな声をかけられ、樂は思わず声を立ててその方を向いた。

 すたすたとこちらに歩いてきたのは、しゃんと背筋を伸ばした、かくしゃくとした老人だった。

「衣笠さん」

 老人は卯月神社の近所に住む、衣笠郡司という男である。昔からしばしば参詣に来たり、境内や社務所の掃除に来たりしている老爺で、樂も見知った顔だった。

「いくら卯月のお宮さんにようけ人手があるっちゅうたかって、外におってええのんか」

 卯月神社は――神使の誰かが姿を見せているのでもなければ――基本的に無人の神社と認識されているはずである。

 ぽかんとした樂を見、郡司がけらけらと笑う。

「そんな驚かんでええわ。卯月のお宮さん、いつ行ってもちょっと変わったもんがおるやろ。それにお前、わしが小さいときからおんなじ顔でお宮さんにおるやないか。人やないっちゅうことくらいわかるわ。ほんでも卯月のお宮さんにおるんやったら、別に悪いもんやないんやろ。悪いもんはあのお宮さんには入れんわ」

「その、つもりです」

「そういえばな、知っとるか坊主。この桜にはな、神さんがおるんやぞ」

「神様、ですか?」

 はじめて聞いた話に、樂は思わず郡司に問いかえした。

「普段は眠って、桜の時期だけ起きる神さんやって、わしの婆さんが言うとったわ。神さん、今年はまだ寝とるんやな」

 郡司からもっと詳しい話を聞こうとした樂だったが、郡司はそれ以上は知らないようだった。それでも樂がこの話に興味を示したことに、郡司はひどく嬉しそうな様子を見せた。

「まったく最近の若いもんは……こんな話でも迷信やなんやと言いおって。わしが若いころには、厄年になったら厄除けに卯月のお宮さんに参ったんや。卯月のお宮さんの厄除けはよう効いてな、厄年でもいっぺんも悪いことはおこらなんだ。せやのに息子は、そんなもんは迷信や、時間の無駄やとかいいくさって、まったく罰当たりな……」

 しばらく郡司の愚痴を聞いて、樂は老人を家まで送り、その足で卯月神社へ戻った。

 卯月は本殿でのんびりと好物の桜餅を食べながら、春の日を楽しんでいるようだった。

「おかえりなさい。何かありましたか?」

「いえ、特に異常はありませんでした。ああ、あと――」

 郡司のことを話すと、卯月はおかしそうに、小さな、鈴が転がるような笑い声を立てた。

「確かに、昔はよく厄除け祈願がありましたね。最近ではそうしたことをする方も、以前より減ったようですけれど。そうそう、あなたにお客様ですよ」

「自分にですか?」

 首をかしげつつ、さらりと障子を開けて。

「やあ、おかえり」

 笑顔の月葉を見て、樂はたっぷり十秒、その場で固まった。

「つ、月葉様!?」

「うん、ちょっといいかな?」

 否も応もない。

 向かいに座った樂へ、にこにこと近況を訊ねてから、月葉はようやく本題を口にした。

「ところで、葛に何があったか知らないかな。最近、様子がおかしくてね」

「……実は、この前――」

 樂から話を聞いた月葉は、納得した様子で、やっぱりセン絡みか、と呟いた。

「……あの子があそこまで落ちこむとなると、十中八九、それじゃないかと思ってたけどね」

「セン、というと、昔月葉神社にいた狐の神使でしたよね。先代のころから仕えていたと覚えていますが、確か……もう亡くなっているのでは?」

「うーん……だと、思うんだけどねえ」

 煮え切らない月葉に、卯月が小首をかしげる。

「祭神なら、自分の神使の生死は把握できるはずでは?」

「そうなんだけど、センについてはわからないとしか言えなくてね。状況的には死んでいるのじゃないかと思うけれど」

 正面で怪訝な顔をしている樂を見て、月葉は言葉を続けた。

「さっき卯月も言っていたように、センは元々月葉神社うちの先代の神使でね、僕が祭神を継いだときに引き続いて仕えてくれることになったんだ。ちょっと悪戯好きなところはあったけど、自分より他人のことを考える性格で、面倒見もよくてね。葛もかなり慕っていたし、五宮の丙や庚とも親しかったみたいだよ。確か……君のところの神使とも仲が良かったんじゃないかな、卯月?」

「そうですね。そう覚えています」

「それで、ちょうど今くらいの時期だったかな。厄介な妖怪が暴れていて、僕が退治に出かけたときに、別の場所にも妖怪が現れたらしくてね、センは一人で退治に行ったんだ。葛が、せめて僕が戻るまでは待てって散々止めたそうなんだけど、どうやらふりきって出ていったみたいでね」

 月葉は一旦口を閉じ、卯月がいれた茶を一口飲んだ。

「それから……何があったのかはわからないけれど、とにかく僕が神社に戻ったときには、葛が血塗れの片袖を抱いて泣いていたよ」

「おそらく……そのときの妖怪に喰われたか、殺されたあとで隠されたのでしょうね」

「おや、知ってたのかい?」

「いいえ。ただ……あのとき月葉神社に片袖を届けたのは、私の神使、なのですよ。その場に駆けつけたときにはもう、片袖しか残っていませんでしたが……覚えのあるものでしたので」

「そうだったのか。……そういえば、葛が今みたいな性格になったのは、そのときからだね。昔は穏やかな性格だったんだけど」

 穏やかな葛、の想像はつかない樂ではあったが、葛が厳しくなった理由は想像がついた。

「くりかえしたくないんじゃないですか。俺が怪我をしたときだって、たいしたことがなくても相当心配されましたし、百鬼夜行のときだって……」

「そうだろうね」

「……わかっていらっしゃるなら、いいかげん神社を抜け出される癖をあらためられてはいかがです」

 卯月に痛いところを突かれ、月葉はばつが悪そうに頭を掻いた。

 そろそろ帰るよ、と月葉が立ちあがったところで、ふと郡司から聞いた〔桜の神〕について思い出した樂は、卯月と月葉に訊ねてみた。

 この話は、どうやらどちらの祭神にとっても初耳だったらしい。

「土地神? あの公園に? 卯月、何か知ってるかい?」

「いいえ、特に心当たりはありません。五宮の方々なら――いえ、たとえ常磐様でもご存知ないでしょうね」

「卯月が知らないんだからなあ。誰も知らないと思うよ。ふむ……君に頼むのもどうかと思うんだけど、手が空いているときにでも、もう少しその土地神について詳しいことを調べてくれないかな?」

 頼まれた樂が、ちらりと卯月に目で問う。卯月がうなずいてみせると、樂はわかりました、と月葉に答えた。

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