咲かぬ桜と雛の誓い
第15話 咲かぬ桜と雛の誓い 逢魔時
ひらり。
垂れた枝から離れた薄紅色の花弁が、風に吹かれて空に舞い散る。
白い指が花弁を追う。桜の花弁はするりと指からすり抜ける。
少女の後ろから伸びてきた手が、一枚の花弁をつまみとった。
少女はふりかえり、後ろに立つ青年を見つけて相好を崩す。
肩を越す長い黒髪をなびかせ、青年も微笑みをかえした。
桜花の幕の下、二人は様々な話をした。
家のこと。仕事のこと。最近楽しかったこと。仕事で失敗したこと。
「ああ、いけない。そろそろ戻らなくては」
名残惜しそうに、青年が立ちあがる。
「もう帰られるのですか?」
「ええ、そろそろ戻らなくては、叱られてしまうので。また今度……そうですね、七日後に、またゆっくり話をしましょう。そうだ、それまでは僕の
細長いものが入った袋を渡され、渋々、といった様子で少女がうなずく。
まばたきを一度、その直後。
青年の姿は、少女の前から消えていた。
夕闇が濃くなりはじめた時間帯、月葉神社の神使・葛は得物の矛を手に、町を見回っていた。
何事もないことにほっとしつつ、公園の前まで来て、葛はふと足を止めた。
枝垂れ桜の前に立つ、着流し姿の、黒い長髪の青年。
こちらに背を向けて、青年はじっと桜の樹を見ているようだった。
(え……)
その姿を認めて、葛は頭を思いきり殴られたような衝撃を受けた。
「あ、あの……」
「え?」
声をかけられ、青年がふりかえる。
赤い目が、驚いたように葛を見た。
「お、おどかさないでくださいよ!」
「わ、悪い――って、俺が悪いのか?」
青年――卯月神社の神使、
「……すみません。取り乱しました。ところでそんな格好でどうしたんですか? それに、怪我はもういいんですか?」
普段は神社の装束を着ていることが多い樂である。そのうえ昨年に起きた〔百鬼夜行〕で重傷を負った彼は、しばらくは動くのに杖を必要とする状態だった。
「足慣らしだよ。しばらく神社から出てなかったし」
「足慣らしにしては、ずいぶん遠くまで来たんですね」
「ん、まあ……。それよりここの桜、今年はずいぶん遅くないか?」
「言われてみれば……いつもならもう満開になってるころですよね」
首をかしげ、桜を見る。蕾は見られるが、開く様子はない。
「別に寒いわけでもないし、むしろ暖かいくらいなのに……変ですね」
「寿命かとも思ったんだけどな。この樹、俺が神使になったときにはもうあったし。でも、蕾はついてるから……別の理由か?」
「確かに……月葉神社で代替わりがあったころに屋敷が建って、そのときに植えられたものですから、もう四百年を超えていますね。だいぶ老木ではあるのでしょうけど……」
妙な気もしますね、と葛が腕を組む。
四百年もの長きにわたり――第二次世界大戦の際、屋敷が空襲で焼けてしまっても――人々の目を楽しませてきた桜の異変に、葛はきゅっと眉を寄せた。
「それに――」
「樂ー! この辺見てきたけど、やっぱり妖怪はここ以外にはいなかったぞ」
「そうか」
まさか、と眉をひそめた樂を気にしつつ、葛は葛でやってきた五宮神社の千草の神使、丙と庚を見て怪訝な顔をした。それを見た庚が渋い顔になる。
「なんでいるんだよ」
「見回りですよ。そっちこそ何ですか、こんなところまで。またさぼってるんですか?」
「すーぐそうやって決めつける。俺たちだって用があるからいるんだよ」
「一体何の用なんです?」
ひょいと葛が眉を上げる。
「ああ、それは――」
「言わなくていいって! どうせ言ったところで無駄だし」
口を開きかけた樂を、庚がいつになく刺々しい口調で制止する。
「何ですって?」
「だってそうだろ。口うるさいばっかりでなんにもしないじゃないか」
「私だって自分の仕事はちゃんとやっています、あなたと違って!」
「へん、どうせシャーシャーうるさく言うくらいだろ! そんなことばっかりやってるから月葉様だってしょっちゅう抜け出すんだ」
葛の顔がさっと青ざめる。
「おい、庚?」
「庚、庚、言いすぎ」
からかうときとは違い、明らかに攻撃的な庚に、樂が戸惑いつつ声をかける。丙も横でどうにか止めようと口を挟んだ。
が、庚の勢いは止まらなかった。
「そうだ、うるさく言うばっかりで自分じゃなんにもしなかったんだろ、あのときだって! だからセンは死んだんだ!」
セン、と聞いて、葛の顔は青をとおりこして蒼白になった。そのまま葛は、庚を突き飛ばすようにして公園を出て行く。
「あれは言いすぎだって、庚。そもそもセンは関係ないじゃんか」
呆れた様子で諫める丙に対し、庚はぷいとそっぽを向いた。
「ごめん、こいつちょっと機嫌が悪いんだ。帰って頭冷やしてくる」
「あ、ああ」
帰るぞ、と丙が庚を引っぱっていく。その様子に首をかしげながら、樂も卯月神社へ戻った。
「戻りました」
「お帰りなさい。……何かありましたか?」
「実は、月葉神社の近くの公園に、妖怪が集まっていまして……。弱いものばかりだったのですが、気になって、丙や庚と調べていたのですが――」
樂が経緯を語る。
「公園に妖怪、ですか」
「はい。桜の時期にはあの公園によく集まっているのは知っていますが、いつもより多い気がして……百鬼夜行の、残党でしょうか」
「その可能性は低いと思いますが……桜の樹に何かあるのかもしれませんね。とはいえあのあたりは月葉神社の持ち場ですから、気に留めておくのはいいですけれど、深く関わるつもりなら、月葉様へ筋を通しておきなさいね」
「はい」
失礼します、と自室に引き取り、樂は難しい顔でじっと考えこんでいた。
桜のこと。妖怪のこと。葛と庚のこと。
丙以上に葛を茶化すことが多い庚だが、あのように葛に食ってかかる姿は見たことがない。
(セン、と言ってたっけか)
知らない名前だった。とはいえ今から卯月に聞くこともためらわれ、結局樂は、一旦疑問を置いておいて、神社での仕事にとりかかることにした。
物憂げな様子で月葉神社に帰ってきた葛は、いつもの彼女に似合わず、人目を避けるようにして本殿へ向かっていた。
その途中で、
「月葉様は優しいからいいけれど、葛様はもう少し、融通をきかせてくれてもいいのにねえ」
「そうそう、ちょっとうるさすぎるよね。月葉様も、あれじゃ抜け出したくなるよね」
神使の誰かの話し声が、耳に入る。
普段なら気にもとめない言葉が、今日はなぜか胸に刺さった。
わざと足音を立てて歩きかけると、話し声がぴたりと止む。
「失礼します」
居室の前で声をかけ、中にいた月葉に見回りの報告をする。
桜のことを話すと、月葉も首をかしげた。
「公園の枝垂れ桜だよね? 先週僕も見たけれど、確かにまだ咲かないのは何だか変だね。いつもの年ならとっくに開いているのに……」
「先週?」
おっと、と、月葉が口を押さえる。実はその日、彼は例によってこっそりと神社を抜け出し、お忍びで町中を散歩していたのである。
しかし葛はいつものように怒るでもなく、そうですか、とだけ言って立ち上がろうとした。
「葛、何かあった?」
「……いいえ。失礼します」
葛はしょんぼりと肩を落とし、一礼して部屋を出ていった。
「それはお前が悪いのではないですか」
丙と庚から報告を聞いて、冷ややかに庚を見やった千草はぴしゃりと言い切った。
顔を伏せた丙とは逆に、口を尖らせた庚は目をそらした。丙に小突かれても知らんぷりである。
これが他の神使ならば雷も落とすだろうが、祭神となる前からの付き合いである丙と庚に対しては、千草も――一喝しない程度には――甘い。
「日ごろ遊んでばかりだから、葛にもそんなことを言われるのです。朝から失敗続きでむしゃくしゃしていたからといって、葛に八つ当たりしていいと思いますか。頭を冷やして、謝っていらっしゃい」
ぷんとふくれたまま、千草の言葉を待たずに庚が部屋を出ていく。
「丙」
「はい」
「庚を頼みますよ。ああなったら仕様がないんですから」
「はい」
ぺこりと頭を下げて、丙も千草の前を去った。
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