第12話 百鬼夜行 禍津神 後(二)

 公園では、迫る妖の猛攻を、月葉と千草が必死となって退けていた。

 決して妖に遅れをとる二柱ではないが、いかんせん、数が多い。

 卯月は卯月で、月葉や千草に絡みつこうとする触手を、絶えず切り捨て続けていた。

(……長くは、もたぬか)

 とにかく、妖の数が多すぎる。これほどの数を手駒にしていたとは、卯月も想定していなかった。

 さっと周囲に目を走らせる。

 ぎらりと卯月の目が光る。

 瞬間、周囲の妖が残らず見えない刃に切り刻まれ、四散する。

 ぱっと織部に向き直った千草は、密かに手挟んでいた懐剣を抜きはらうや、退魔の力をこめたその刃を、後ろから、織部の心臓めがけて突き刺した。


 絶叫。


 どろり、と織部が溶ける。

「千草!」

 それに呑まれるかと思われたとき、月葉が思い切り千草を引き寄せた。

 悲鳴とも哄笑ともつかない声を響かせながら、死に際の足掻きか、織部は一番近くにいたもの――卯月を呑みこんだ。

「卯月!」

「駄目だ、近寄っちゃいけない、取りこまれるぞ!」

 その身が覆い尽くされる寸前、卯月はちらりと目をあげて、唇の片端を吊りあげた。

 

 一寸先も見えない暗闇。

――これで、五分だ。

 織部の声が聞こえる。

「なぜ、それほど力が欲しいのか」

――力があれば畏れられる。敬われる。お前などにはわかるまい。何も持たぬ者の思いなど。

「我とて力が在るために祀られておるわけではないが。畏れられるがゆえに祀られた。されどその畏れは力があるゆえではないのだが」

 それに、と卯月が続ける。

「五分ではない」

――何?

 織部の声に、訝しげな調子が混ざる。

――何が言いたい? 何を……するつもりだ?

 闇が動き、卯月に絡みつく。

 触れた闇は、細かい粒子となって、そのまま卯月のうちへ吸いこまれていく。

「かつて神であったとはいえ、妖に堕ちたものが、神として在るものに並ぶわけがなかろうに」

――やれると思うなら、やってみるといい。

 憎々しげに言い放ったそれが、織部の最期の言葉だった。


 どっと感情が流れこんできた。


 怨嗟。

 羨望。

 猜疑。

 負の感情が、自分の中に満ちていく。

 自分卯月が食い潰されていく。

(これを狙ったか)

 堕ちた自分を取りこんだ卯月が、禍津神から禍そのもの――否、成り得るなかで最も性質たちが悪い、大禍津となることを。

 大禍津と成り果てたなら、自分は破壊のかぎりをつくすだろう。誰かに討たれるまで。

 悪酒に酔ったような感覚。

 馴染みの、とは言いがたいが、確かに記憶にはあるもの。

 すでに身体の感覚はほとんどない。

 こうなっては、抵抗は無意味だ。


 ぎゅ、と。

 ひきとめるものが、あった。


 それまで、感情を欠片もあらわさなかった卯月は、はじめてそのおもてに困惑の色をのぼらせてふりかえった。

 多くの手が、卯月をひきとめていた。

 手から伝わる熱が、卯月に自分を思い出させる。

 少しずつ、身体の感覚が戻ってきた。

 両手を組みあわせ、瞑目する。

 蛍火のような淡い光が卯月を縁取り、周囲へと広がっていく。

 闇が失せる寸前、かすかに詫びる声が聞こえた気がした。



「卯月!」

 千草の声が耳に届き、卯月はぎこちなく顔をあげた。

 しばらく焦点があわなかった卯月の目が、ようやく千草を捉える。

「向こうで少し休もうか」

 月葉がベンチを示す。

 木製のベンチに腰かけ、ひと息いれたとき、夜空を見あげた千草が、あ、と声を立てる。

 無数の青白い光が、夜天を横切っていく。

「この様子なら、人間も大丈夫かな」

「そうですね。二、三日もすれば、目を覚ますでしょう」

 月葉に答える卯月の声には、感情が戻ってきていた。

「あなたはどうなのです?」

「まあ……大丈夫のようですよ」

 軽く手を握ったり開いたりしながら、今回は、と胸のうちでつけくわえる。

 特に、身体に影響が出ている様子はない。

 懐から髪紐を出し、髪を結い直す。

 不思議とそのときには、身の丈ほどもあった髪は元の長さに戻っていた。

 しばらくして、卯月が充分落ち着いたと見てとって、そろそろ戻ろうか、と月葉が立ちあがる。

「月葉様」

「うん?」

「あまり、気に病まれませんように」

「……そうだね」

「卯月」

「はい?」

 固い声で呼んだ千草を、卯月が怪訝そうな目で見かえす。

「あなたも、あまり無理はしないようになさい」

「ええ、そうですね」

 千草はまだ何か、言おうか言うまいかと悩んでいたらしかったが、彼女は結局何も言わなかった。



 その後、月葉や千草と別れた卯月は、独り、神社への道を辿っていた。

 歩きながら、危ないところだった、と胸の中でつぶやく。

 禍津神。

 禍――すなわち、禍事をつかさどり、災いや凶事を引き起こす神。

 卯月の場合、祀られてさえいれば、禍津神として凶事をもたらすことはない。

 しかし、万一何かのきっかけで、そのたがが外れてしまったなら。


 顕われるのは、禍そのもの、とも言える神。


 善悪の区別などしない。

 種族の区別もしない。

 老若男女、何者であろうとも、道行きを阻むのならば禍を与える。

 本来の卯月は、そういった神なのだ。

 厄を除く、縁を切る、祟りをなす。

 それらは全て、卯月という神の一側面にすぎない。

 そして、一度禍津神に立ちかえったならば、再び“卯月”を取り戻すのは容易なことではない。

 今回も、止められなければ危うかった。

(皆には礼をしなければなりませんね。もうすぐ年末ですから……良い酒と肴と、ああ、菓子と、酒でない飲み物も手配しておきましょうか)

 血の気が戻った双頬に小さなえくぼを刻んで、石段を登った卯月は神社の朱鳥居をくぐった。

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