第11話 百鬼夜行 禍津神 前(二)

 五宮神社の朱い鳥居の傍に、立ち尽くしている影があった。

「織部様」

 その人影を認め、千草が小走りで近寄る。

 織部はその姿を見て一瞬眉根を寄せたものの、すぐに顔をほころばせた。

「立派になったな、千草。さ、もっと近くへ……顔をよく見せてくれ」

 更に二、三歩、千草が織部に近付く。

 織部がたまりかねた様子でつと手を伸ばし、千草の腕をつかんでぐいと引き寄せた。

 どろり、と、織部のかたちが崩れる。

 周囲から悲鳴があがる。

 同時に、織部もまた苦痛の声をあげて千草から離れた。

 人に戻ったその顔の、右目があった場所にはぽっかりと穴が穿たれ、どす黒い液体がそこからこぼれ落ちる。

 どうやら、勢いよく目に指を突きこまれたらしい。

「貴、様……千草でないな! 何者だ!」

 くすりと笑って、千草が顔をあげる。

 そして見えた瞳は、赤ではなく、金だった。

 まばたきひとつ。その、直後。

 卯月が、そこに立っていた。

 その姿は、普段とまるで違っていた。

 垂髪のように後ろでひとつにまとめた、身の丈を越すほどの緑の黒髪。淡黄の浄衣にも似た上衣と、足先で括られた朱い袴。

 双頬に血の気はなく、何よりもその瞳には、感情を示すものが何も伺えなかった。

「貴様、謀ったな!」

「謀るも何も、神気の違いすら気付かぬほど、ぬしが堕ちたというだけの話よ。我と千草とでは、神気がまるで違うておるのに」

 卯月の、平坦な調子の言葉に続いて。

「織部様」

 手水舎の陰で、息を詰めて様子を伺っていた千草が歩み出る。

「私を、襲うつもりだというのは、本当ですか」

 声の震えを押し隠し、千草が織部をきっと射すくめる。


――織部様はおそらく、まっさきにここへ来られるでしょう。狙いは――千草様、あなたです。


 織部の身体から、黒い触手が千草へ伸びる。

 とっさに鉄扇をかまえた千草の前に、卯月がすいと立つ。

 卯月に触れたとたん、触手は崩れるように消えていった。

 ひひ、と織部が嗤う。

「そうとも。お前を喰らえば、そこの禍津神をくだすことも容易かろうしな。もとよりそのつもりで、お前を懐かせていたのよ。……しかし、二対一ではいささか分が悪い。今は退くとしよう」

 もう一度、嘲るような笑い声を響かせて、織部はその場から消え去った。

 卯月がつかのま目を細め、どこかへ向かって歩き出した。

 織部が去るやいなや、神社の外、四方八方から妖気が立ちのぼる。

 異変を察し、長弓を手にした朱華と、太刀を引っさげた竜胆が飛び出してきた。

 今しも境内に入ろうとした妖が一匹、朱華が放った矢に射抜かれる。

「千草」

 花の香をまとわりつかせた妖を切り捨てながら、竜胆が声をあげる。

「卯月を追え。今のあれは、禍津だ。放っておけば、織部より危ない」

 卯月の姿は、かなり遠くなっている。もうほとんど見えないくらいに。

「急げ!」

 滅多にない竜胆の大声に、千草は弾かれたように駆け出した。

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