第8話 百鬼夜行 深夜の見回り

 五時を知らせるサイレンが聞こえてきた。

 流れる唱歌『冬景色』の、どこか物悲しい、寂しげな旋律に耳を傾けていた月葉の目の前では、境内で遊んでいた子供たちが、それぞれ帰途につきかける。

「マコちゃん、バイバイ! また明日ね!」

「うん、また明日ね!」

 月葉神社の神主・榊大弐さかきだいにの愛娘、七歳になる眞子まこが、友人に大きく手をふる。

 それを見ながら、月葉は手の空いている神使に子供たちの護衛を頼んだ。

 最近、妖に人間が襲われることが増えている。警戒して損はない。

 足元にじゃれつく子犬や子猫をかまいつつ、境内の様子を見て歩く。

(変わったところはない、かな)

 最も、祭神が居る神社の境内で、何か荒事を起こそうとする妖などいるまい。

 さくさくと土を踏んで、敷地内にある大弐の家のほうへ向かう。

 屋内からは、かすかに楽しげな談笑が聞こえてくる。

 目を細め、ぱたぱたと小さく尻尾をふって、月葉はしばらくそこに佇んでいた。

 やがてその場を離れ、ゆっくりと境内を一巡する。

 本殿へ戻ってから、

「葛」

 呼ぶと間もなく、はい、と神使・葛が顔を出した。

「見回りに行くよ」

「はい」

 朱色の袴に矛を持った葛と、薄青い、神職が着るような狩衣姿で刀を負った月葉は、並んで神社を出た。

 月葉神社の近隣には、住宅街と学校がある。

 部活帰りの学生や、帰りが遅くなった会社員などが、ここ数日、妖に襲われていた。

 中学校から住宅街への道をたどる。

 部活が終わって帰る途中らしい中学生が、月葉と葛の横を通り過ぎていく。他愛のない雑談をかわしながら。

「それにしても、これくらいの時間のほうが、人が襲われそうですけど……。ちょうど、逢魔が時ですし」

「逆に騒ぎになって、僕らがすぐに動くとでも思ったのかもね。実際、こうして動いているわけだし。そういえば、妖は奪った魂をどこかに運んでいるんだって?」

「そのようです。昨日、このあたりで妖と戦った者が、妖がそんなことを話していたのを聞いたとか」

「それなら上手く後をつけられれば、黒幕もわかるかもしれないね。そしたらそいつを叩けば解決すると思うんだけど」

「そう上手くいくでしょうか」

「難しいかな。僕が今一番心配なのはね、黒幕が運ばれた魂を食っていた、なんてことになりはしないか、ってことなんだよね」

 葛が思わず顔をしかめる。

「縁起でもないことを言わないでください」

 魂を奪われて昏倒しても、身体が死を迎える前に、魂を身体に戻すことができれば問題はない。

 しかし、妖に食われでもして、魂が失われてしまえば――正確には、身体と魂をつなぐ糸が絶ち切られてしまえば――身体はもう、緩やかに死ぬしかない。

 しかしこのときの見回りは、主従にとってははずれだった。人が襲われていない、という意味では良かったが、妖怪退治はできていない。

「まあ、仕方がないか。こんな日もあるよ」

 こともなげに言いつつ、月葉はわずかに唇を尖らせていた。

 神社に戻ってから、ゆっくり休みなよ、と葛に声をかけ、月葉も本殿の自室へ引っこんだ。



 しばらくして、

「月葉様」

 廊下からの声に、文机に向かっていた月葉は顔を上げた。

「葛、何だい?」

「お茶でも、いかがですか?」

「そうだね。もらおうかな」

 いれたばかりの茶を乗せた盆を持って、葛が入ってくる。

 どうぞ、と差し出された湯呑を受け取り、熱い茶を口に含む。

「そうだ、ちょっと」

 手招かれ、葛は文机に近寄った。

 机上には、何か書かれた紙が広げられている。

 どうやら、紙は神社周辺の地図らしい。いくつかの場所には印がつけられている。

「人が襲われた場所を書き出してたんだけど、この他にあったかな」

「ええと、そうですね……。あ、ここと、このあたりでも被害があったはずです」

 葛が示した場所へ印を書きこみ、月葉が眉を寄せて考えこむ。

「月葉様?」

「うん、なにか規則性でもあればと思ったんだけど……そんなことはなさそうだね」

「そうですね……やはり、人の多い場所で被害が多いということはわかりますけど」

 葛も首を傾げたところへ。

「月葉様!」

 焦った調子で、別の神使が駆けてくる。

「どうしたのかな?」

 落ち着いて訊ねる月葉に、その神使もいくらか平静を取り戻したらしい。

「け、境内に、変なやつが……!」

「変なやつ? 特に何も感じなかったけど……うん、ちょっと見てみようか」

 外に出ると、雨が降り出していた。

「あれです」

 神使が指差す先を見る。


 石畳の上に、影が立っていた。


 影法師がそのまま実体化したような――向こうがぼんやり見える程度には薄いが――それは、どうやら月葉のほうに顔を向けているようだった。

(妖……じゃないな)

 影に駆け寄って誰何すいかしようとした葛を止め、月葉は影に向かって足を踏み出した。

「月葉様!」

「大丈夫、大丈夫。二人とも、そこにいるんだよ」

 にこにこ笑って葛に答え、影に近付く。

「誰かな」

 笑みを作って問いかける。

 影は小さく、ゆらゆらと揺らいだ。

 何か言いたげに見えるが、何も聞こえてこない。

 むせかえるような、花のような甘い香りが鼻を刺激する。

 視界が一変する。

 白黒の風景。

 水に囲まれた建物。

 その庭を埋め尽くすほど、花が植えられている。

 その中に一株、際立って大きなものがあった。

(これは……)

 不意に、ぽつりと、視界に黒点が浮く。

 その黒は、あっという間に視界一面に広がった。

「月葉様!」

 悲鳴のような葛の叫び声に、月葉ははたと我に返った。

 気付けば影は消え、代わりに葛が、必死の形相で立っていた。

「どうかしたかな」

「どうかしたかな、じゃありません! さっきからずっと呼んでいたのに返事をされなくて、どれだけ心配したと思ってるんですか!」

「……ああ、うん、ごめん」

「御祭神に何かあったら、ここがどうなるとお思いなんですか!」

 毛を逆立てて怒る葛に謝り、ようやく葛も怒りをおさめる。

「葛、もう一回、見回りに行こうか」

「……わかりました。でも月葉様――」

「わかってる。無茶はしないよ」

 疑わしげな目を向けたものの、葛はひとつうなずいた。

 雨の中、神社を出る。

 雨は強まっていたが、どちらもそれを気にする様子はない。

「妖怪退治には、ちょうどいいかもしれないね。雨や曇りのときには、妖怪が出やすいとも言うし」

「そうですね」

 先の見回りの道筋を、今度は逆にたどる。

 夜も遅くなり、人通りもだいぶ減っている。

 ときおり、会社帰りらしい人間をちらほら見かけるくらいだ。

 二度目の見回りも何もなく、神社の近くまで戻ってきたときだった。


 不意に、悲鳴が聞こえた。


 一瞬顔を見合わせ、まず月葉が、続いて葛が夜道を駆け出した。

 細い路地の奥、薄暗がりに複数の影がある。

 人型の影がひとつ。それを囲んで、子鬼や獣の影が複数、それに子供のような影。

「退きなさい!」

 月葉の前に走り出た葛が、手にした矛で子鬼と獣を一匹薙ぎはらう。

「あ……」

 人影――若い女が顔を上げる。

 すがるように葛を見る、その視線に、月葉はどこか違和感を覚えた。

(確か、葛は――)

 顕形符げんぎょうふ(人間が神使の姿を見えるようにする符)を、葛は今持っていないはずだ。

 さっと、月葉の背筋に冷たいものが走る。

「葛! 下がれ!」

 月葉が叫んだのと、大きく飛び退すさった葛がよろめいたのは同時だった。

「葛っ!」

「だ、大丈夫です」

 葛の胸元は浅く裂け、肌の上には点々と、紅い雫が浮いていた。

「葛、神社に戻って。早く」

 有無を言わせぬ月葉に、葛が黙って踵を返す。

 その足音が遠ざかるのを聞きながら、月葉は背に負った刀をすらりと引き抜いた。

 鼻にしわを寄せ、月葉はそこに居並ぶ妖怪を順に睨みつける。

 その顔に、いつもの柔和な笑みはない。

「この先には行かせないよ」

 ふわりと、ごくかすかに、甘い、花のような香りが鼻孔を刺激する。

 短く息を吐いて、一歩踏みこむと同時、月葉は玉散る刃を大きく横にはらった。

 女型の妖怪――腕が刀に変じ、ぽつりと血がついていた――が、胴をほとんど両断されて崩れ消える。

 背後から飛びかかった子鬼二匹が、その爪の一撃を月葉に届かせることもできず、数歩走ってふりかえった月葉に切り捨てられる。

 間髪を入れず、うなりながら襲いかかった獣をひらりとかわす。

 その獣の陰から、細い、尖ったものが突き出される。

 少年の姿をした妖怪が、手から生み出したものだった。

 しかし、その得物はあっさりと叩き落され――というよりも、半ばでへし折られ――獣も地に足を付けるやいなや、月葉に両断される。

 返す刀で少年の妖もばっさりと袈裟斬りに切り下ろし、他に妖怪がいないことを確かめて、月葉は刀を鞘に収めた。



「ただいま」

 のんびりとした調子で、月葉が鳥居をくぐる。

「月葉様!」

 葛が駆け寄る。

「月葉様、お怪我は……?」

「うん、大丈夫。葛は?」

「大丈夫です」

 どうやら葛は、傷を神通力で癒したらしい。

 大丈夫だと言いつつ、葛は面目なげに面を伏せていた。

 その頭を優しく撫でる。

「気にしないで。怪我も大したことがなくて良かったよ」

 にこにこと神使をねぎらう月葉は、いつもどおりの穏やかな祭神だった。

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