百鬼夜行

第6話 百鬼夜行 夜道の禍

 帰りが遅くなったことを気にしながら、柊数美は自宅への道を急いでいた。

 今日は散々な一日だった。

 想定外のミスが相次ぎ、元々予定していた仕事が大幅に遅れてしまった。

 しかもそのミスは自分でなく、同僚のしでかしたミスなのである。

 しかしそのミスのとばっちりで、数美まで上司にひどく叱られた。

 これで同僚が申しわけなさそうなそぶりを少しでも見せるならまだしも、彼女は悪びれるでもなくさっさと定時で帰っていった。

 その尻拭いや、元々の担当業務を片付けて、数美が会社を出るころには、二十三時を回っていた。

 ぶつぶつと、口の中で文句を言いながら、夜道を早足で進む。


 ざ、と風が吹いた。


 生温い風に、薄気味悪さを感じる。

 前方の闇の中から、近付いてくる足音が聞こえた。

(こんな時間に?)

 訝しみながら目を上げ――ひ、と小さな声を立てる。

 女物の、黒いスーツを着た人影が眼前に立っていた。

 服装も、きちんとまとめた黒い髪も、まるで自分を鏡に映したような姿。

 しかしその顔に目鼻はなく、赤く塗った唇が、にったりと弧を描いている。

 耳まで裂けたその口が、ばくりと開いた。

「ひっ――」

 よろめいて、二、三歩後ずさる。

 かち、かち。

 かち、かち。

 目の前の異形が歯を打ち合わせる。

 喉に何かが詰まったようで、声が出ない。

 逃げなければ、と思うものの、足は震えるばかりで動かない。

 頭の中では、断片的な考えばかりがぐるぐると回っている。

 歯を鳴らす音が早くなる。

 じわじわと異形との距離が近くなる。

「あ……」

 倒れかかったとき、背を誰かに支えられた。

 同時に、数美の横から少年が飛び出した。

 きらりと何か、光るものが一閃された、と思った途端、異形は砂山が崩れるように消えていった。

「お姉さん、大丈夫?」

 濃い金の髪を少しはねさせた、栗色の丸い目の少年が、数美をのぞきこんでいた。

「立てる?」

 後ろからも、よく似た声がかかる。

 こくこくとうなずき、道端の塀に手をついて身体を支える。

「お姉さん、家どこ? 俺送ってくよ。兄ちゃん、千草様に報告よろしく」

「気を付けろよ」

 言い置いて、兄らしい少年――といっても数美には見分けがつかなかったが――が駆けていく。

 あらためて、少年に目を向ける。

 たすきをかけた白い着物に、紺の軽衫かるさんふうの袴。

 見たことのない少年だ。

「そうだ、お姉さん。しりとりやろうよ」

「しりとり?」

 面食らって目を白黒させる数美を余所に、「『り』からね」と、少年がにこにこと言葉を続ける。

「お姉さんからだよ」

「え?」

「だから、しりとり。『り』からだよ」

「え、ええと……りんご?」

「碁石!」

「し、し……試合」

「い……えーっと……市子」

「こ……子供!」

「紅葉」

「じ!? えっと、あ、神社!」

 わけがわからないながらも、しりとりを続けているうちに、いつしか数美は自宅の前に来ていた。

「あ、お姉さん家、ここなの? それじゃお休み。そうだ、もうあんまり遅くなんないようにね」

 手をふって、扉が閉まるのを見届けた少年――五宮神社の神使・かのえは、くるりとふりかえって短刀を抜いた。

「気付いてないと思った?」

 つっと、庚の口の端が上がる。

 ぽんぽんと跳ねてきた男の生首――首だけとは言え、庚とたけがそう変わらない――が、くわっと大口を開ける。

「千草様に教わって、しりとりで結界張ってたからな。何か仕掛けたくてもできなかっただろ」

 小柄な身体が、軽々と宙に飛び上がる。

 生首の頭上を踊り越え、その背後を取る。

 首がふりかえるより早く、銀の刃を、深々と後頭部に突き立てる。

 怒りと苦痛に満ちた声をあげ、首がふりかえる。

 ぽーん、と飛び上がった首の下を、庚はさっとくぐり抜け、再び背後をとってざっくりと切りつける。

 生首が叫ぶ。

「うるさいぞ」

 庚が冷たく吐き捨てる。

 短刀がひらめいた次の瞬間、悲鳴とともに生首は崩れて消えていった。

 ふうっと息を吐いて、庚は短刀を白鞘におさめた。

 そこから千草が待つ五宮神社までの道のりには何事もなく、庚は神社へと帰りついた。

「戻りました」

「お帰りなさい。話はひのえから聞いていますが、お前からも話を聞かせてください」

 はい、と庚は簡潔に、自分が見たものを千草に伝える。

「わかりました。疲れたでしょうから、もうお休みなさい」

 お疲れ様です、と走っていく庚を見送り、千草は難しい顔で考えこんだ。

「どうだった?」

 声を聞いてふりかえると、背の高い、和装の女が立っていた。

 腰まで届く黒髪をひとつにまとめ、赤を基調とした振袖を着たこの女は祭神・朱華はねずである。

「やはり、妖が人を襲っているようです」

「月見の宴の後から、急に増えたねえ。常磐様が、明日全員を集めてここで会合をするってさ。さっき卯月と月葉にも連絡したみたいだよ。しかし卯月は来るかねえ。先々代はともかく、先代は一度だって来たことなかったものね」

「今の卯月なら、来ると思いますよ」

「来ればいいけれど。ああ、でも来たら来たで明日は荒れないか心配になるね」

 言いながら、朱華が部屋に引き上げる。

 千草もその後に続いて、自分の部屋に戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る