第2話 月見の宴 卯月という神(三)

 大きく横にはらった薙刀が、妖の身体を裂く。

 全身にまとわりつく瘴気を意に介さず、卯月は得物をふるう。

 あかい髪紐が爆ぜて散る。

 まとめられていた黒髪が、はらりと広がった。

 卯月の口から哄笑があがる。

 ふつふつと、身の内から湧いてくるものがある。

 何もかも壊してしまいたいという、暗い衝動。

 妖が腕を大きく横にふるう。

 ふわりと宙に飛びあがってそれを避けた卯月は、そのまま上段から薙刀をふりおろした。

 妖が両腕をあげてその一撃を防ぐ。

 地面におりた卯月は、ひと息に妖との距離を詰めた。

 その口からは知らず知らず笑い声がこぼれ落ち、妖の、呻き声とも思われる声と混じって周囲に響く。

 妖の爪が卯月を袈裟懸けに裂き、一閃された薙刀が妖の頭を落とす。

 一陣の風が吹く。

 崩れていく妖の身体が風に吹きさらわれ、卯月に絡む瘴気も散らしていく。

 ふらりとかしいだ身体が、後ろからしっかりと支えられる。

「大丈夫かい?」

「ええ……。流石に自分を操るのは疲れますね」

 ぺたりとその場に座りこむ。

 卯月には、瘴気をまとわせたものを操る力がある。ゆえに神の身には脅威となる瘴気も、卯月にとっては他の神ほどの脅威ではない。

 しかしいくら卯月でも、自分を操って戦うのは、かなり神経を削られるわざだった。

「自分だけで何でもできると思っているのではないでしょうね、貴方は」

 千草のけわしい声が飛ぶ。

「そう思ったことはない、つもりですが――」

 弱々しい苦笑を浮かべた卯月が言葉を止める。

 顔を向けた、その視線の先に、小さな骸があった。

「ああ、思ったとおり、ここでしたか」

 体を丸めて横たわる、子供の骸。

「この山で迷うと、生死はともかく、ここで見つかることが多いのですよね」

「この子供が、あの妖だったのですか?」

「というより、妖にも成りきらないモノたちが引き寄せられてああなったのではないかと思います。山には色々と棲んでいますから」

「この子はどうするつもりだい?」

「誰か、人に伝えておきますよ。私は少し休んでから戻りますから、お二方はどうか先に戻っていてください」

「独りでいて、大丈夫かい?」

「ええ、ここは庭のようなものですから」

 月葉と千草の気配が遠ざかる。

 それを見計らって、卯月は木陰に顔を向けた。

「出ていらっしゃい」

 おずおずと、小さな影が出てくる。

 季節に似合わない半袖のシャツと半ズボン。骸となった子供と同じ姿の少年だった。

「ごめんなさい……」

「さあ、いいから行きなさい。向こうで呼んでいる者がいますよ」

――悠樹。

 優しげな声が届く。

「ばあちゃん!」

 ぱっと顔を輝かせた少年が、穏やかに微笑む老女に向かって駆けていく。

 それを見届けて、卯月は小さく息を吐いた。ゆるりとこうべを巡らせ、じっと木の間を見る。

「……もっと早くに顔を見せてもよかったのですよ」

「申し訳ありません」

 出てきた女が頭を下げる。

 黒髪を結い上げてあかい花飾りを挿し、藤色の小袖をまとった女である。

波津はつ、久しいですね。変わりはありませんか?」

 波津と呼ばれた女は赤い目を伏せ、再び深々と頭を下げた。

「卯月様、ご無沙汰をしております。幸い、こちらに変わりはございません。あの、樂はお役に立っておりますか?」

「ええ、よくやってくれていますよ。会っていきませんか?」

「滅相もございません。月見の宴の間だけ、こうして垣間見させていただくことさえ、本来は許されないことと心得ておりますのに」

「でも貴方の行動は、樂を思ってのことでしょう? それなら誰も責めませんよ」

「いいえ。それでも……それでも実の子を親がうなど、許されるべきではありません。それに、私と樂に繋がりがあると知れれば、またあの子に危険が及ぶかもしれません。ですから、会うわけにはまいりません」

「そうですか。そこまで言うなら強くは勧めません。ですが、いずれ会えなくなるときが来ます。そのときに、後悔しないようになさい」

「ご忠告、ありがとうございます」

 やがて挨拶をして去る波津を見送って、卯月はゆっくりと立ちあがった。

 途端によろめき、たたらを踏む。

 妖から受けた傷はたいしたことはない。かすり傷と言える程度のものだ。

 しかし多量に浴びた瘴気は、まだ影響を残している。脅威にはならないといっても、影響を受けないわけではないのだ。

「全く、どこが大丈夫なのですか」

 呆れかえった声が後ろから聞こえた。

 肩を支えられる。

「戻られたのではなかったのですか?」

「いや、放って戻るのも何だか不安心だったからね」

 卯月の肩を支えている月葉が、穏やかに答える。

「別に、このくらいは大丈夫です」

 言った瞬間に、千草の声がしたほうから冷ややかな気配を感じた。

「そういう台詞は瘴気を抜いて、しゃんと立ってから言いなさい」

 肩にもうひとつ、華奢な手が乗る。

 ふたつの手から、熱が身のうちに移動する。

 間もなく熱が抜けると同時に、足にもしっかりと力が入った。

「もう大丈夫かい?」

「ええ、ご迷惑をおかけしました」

 ふりかえって頭をさげる。

「着物を直しておきなさい。神使をいたずらに動揺させるつもりですか」

「あ、はい」

 着物の裂けた部分を軽く手で撫でる。

 あっという間に傷は治り、着物の裂け目も元に戻る。

 ついでに懐から出した朱い髪紐で髪をまとめる。

「そろそろ戻ろうか」

 月葉に促され、山をおりる。

 欠けのない月が、三つの影を追っていた。



 卯月神社の社。

 月葉や千草と別れてから、卯月は本殿の大屋根の上にいた。

 今回の一件は、ともかくも無事に終わった。

 親とはぐれた子供は、死んだことにさえ気付かず、親を呼び続け、それがよくないモノを呼び寄せた。

 それが今回の原因だったのだろう。

 親について、思うことがないわけでもなかったが、今はまだ、自分が手を出す時ではない。

 見おろせば、境内では神使たちが月見の宴を楽しんでいる。動物も妖も、種族を問わず。

 その光景に、密かに安堵する。


――なんでまた、妖も受け入れるのさ?

――受け皿に。あるいはくさびとも、かすがいとも、好きに受け取ればよろしい。


 昔、五宮神社の祭神の一柱・朱華はねずに問われたとき、自分卯月はそう答えた記憶がある。

 危険は承知の上。

 実際、妖が神使を装って入りこみ、自分を襲ってきたことも何度かある。

 その全てを、卯月は退けてきた。

 周囲からなんと言われても、五宮神社の祭神で妖嫌いの常磐ときわ木蘭もくらんに後ろ指をさされても。

 その思いだけは、変わらない。

 ゆえに、卯月は密かに月に想う。

 何でもない、ただの日常がこの先も続くように、と。

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