第2話 月見の宴 卯月という神(一)




――どうして?



 声なき声があたりに響く。

 ざわざわと、それに答えるように木々が鳴る。

 しらじらと照り輝く月の下、何かがそこに集まりつつあった。




 ふと、物陰から視線を感じて、がくは足を止めてふりかえった。

 視界に入るのは、商店街を行き交う人々。見るかぎり、自分に注意を向けている者はいないように思える。

 首をかしげる。

 今日、樂が商店街に来たのは、卯月神社で行われる月見の宴で提供する軽食の買い出しのためで、服装もそれに合わせ、普段の和装ではなく洋服を着ている。

 周りからじろじろと見られるほど、浮いているような格好はしていないのだが。

「どうしたー?」

 先を歩いていた五宮神社の神使・かのえが樂に声をかける。

 ちょうど庚とその兄・ひのえも買い出しに出ていたらしく、安売りをしている店を教えてもらったのである。

「いや、誰かに見られていたような気がしたんだけど……」

「んー?」

 ひょい、と庚が樂の肩ごしに向こうを見る。

「別に変わったところはないけど? 気のせいじゃないの」

「おーい、何やってんの。おいてくぞ」

 丙に呼ばれ、二人は慌てて足を早めた。

「そういえばあの子供、まだ見つからないんだって?」

 歩きながら丙がそう言うのへ、樂もうなずいて答える。

 二日前、宮杜町みやもりちょうの北から北東にかけて広がる荒神山で、子供が一人行方不明になった。

 山は登山道が整備され、休日にはハイキングに来る人間も少なくはないが、人が入れるのはごく一部。万一道を外れれば、大人でも迷う可能性は充分ある。子供なら尚更だ。

 無論、この二日間、捜索が続けられているが、荒神山は広く深い。加えてこの山は神隠しに遭うという言い伝えもあって、町の住民、特に年配の住民の間では、発見の見込みは薄いのではないかと囁かれていた。

「あの山じゃなあ……。卯月様は何か言ってた?」

「特に何も。ただ……」

「ただ?」

「あの子供の母親、前に卯月神社うちに来たんだよ」

 卯月神社は厄除けや縁切りの神社と言われている。それゆえ参詣者もそれなりにある。

 それでも樂が覚えていたのは、その母親に違和感があったからだった。

「子供の厄除けとかじゃないの? そんな深刻な顔することないって。なあ、兄ちゃん」

「そうそう。人間のことは人間に任せて、俺らは俺らの仕事があるんだから」

 人間のことは人間に。

 これは二人の主、五宮神社の祭神の一柱・千草ちぐさの口癖でもある。


 ごう、と風が吹いた。


 生温い、奇妙な風。この時期に感じる、涼やかな秋風とはまるで違う。

「何だ、今の?」

 いくぶん、顔を強張らせて丙が呟く。庚と樂も、不安げに目を見交わした。

 結局、樂は母親に感じた違和感の理由を二人に言えずじまいだった。

――この子に手がかからなくなりますように。

 その母親が願っていたのは、つれていた子供との縁切りとも取れる内容であったこと。そして何より、そう願う母親の口元が、歪んだ孤を描いていたことを。

 やがて二人と別れ、樂は卯月神社へ戻った。

「戻りました」

 荷物を置いて、卯月に声をかける。

「お帰りなさい」

 文机に寄りかかって、何やら考えこんでいた卯月だったが、それでも樂のほうへふりかえって応えた。

「今日の夜は出かけますから」

「わかりました。どちらに行かれるのですか?」

「ええ、山に」

「それじゃ、あの子供を探すんですか?」

「ええ。どうやら、人の手に余る状態になってきたようですから」

「なら、自分も行きます」

「いいえ」

 卯月が首を横にふる。金の目はいつになく、鋭かった。

「神使は誰も来てはなりません」

 きっぱりと言い切る。

 不在の間は任せますね、と、卯月は少し表情を和らげて付け加えた。

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