第1章ー2 移葬は二度失敗する

 地獄門じごくもん咎札とがふだをなんとか配り終えたオレたちは、休憩する間もなく閻魔大王えんまだいおうの元へ走っていた。始まったばかりの亡者もうじゃが運営する部署なぞ、信頼は地に振り切っているのでいちいち直属の上司の元へ向かわなくてはいけない。


 地獄門から続く長い坂を駆け上り、閻魔庁えんまちょうの扉をくぐる。そのまま廊下を進んでいくと、奥に巨大な扉が立ちはだかっていた。金装飾に彩られた黒い扉は、厳かな雰囲気を醸し出している。扉の横にはこれまた大きな木板に「閻魔王室えんまおうしつ」と墨で書かれていた。閻魔大王が亡者を裁くときに使われている裁判所兼執務室である。扉の前には門番が二人立っていて、オレたちの姿をみるとすぐさま開扉かいひがはじまった。その先に閻魔大王の姿が垣間見える。


「おーい。きたぞー。」

札付ふだつき、口を慎め! 王の御前であるぞ。」

「へーへー。そりゃあ悪うございました。」


 目をつりあげた門番がさらに食って掛かろうとしたが、モドキが前に飛び出てきてなだめている。ふんと鼻をならして扉の奥に歩みを進め、執務机の前にたった。そこに座す閻魔大王は相変わらずの仏頂面でこちらを見ていて、感情がよめない。モドキも慌ててこちらに来ると、閻魔大王はようやく口をひらいた。


咎札とがふだ配りも無事に終わったようだな、ご苦労だった。」

「口先だけの労いはいらねえよ。本題をはやく言え。」


 記憶はないが、どうもこの地獄と閻魔大王に対する反骨精神が体にこびりついているようで、この王の前だと腹にうずまいた苛立ちがいつも抑えられない。おかしなことだ、罪を犯したことを咎められるのは当たり前のことなのに。

 執務机の横に控えていた青髪の秘書がこちらを睨んでいるが、閻魔大王はそうかとただ短く答えただけだった。


「本日、等活地獄とうかつじごくに移送するはずの亡者が一匹脱走した。今回はそいつを捕まえて地獄に移送してもらいたい。」


 そう言いながら閻魔大王は一枚の紙きれを寄越した。受けとってみると、紙には薄桃色の丸い毛玉のような絵と「ねこ」と記されていた。なんだこのへったくそな絵は。絵の才能はないが、字はかなりの達筆のようだ。この字、どこかで見覚えがあったような気がする。

 モドキが背伸びをしながら紙を覗き込むと、首を傾げた。


「ピンクの猫ちゃんのぬいぐるみ~?」

「見た目はそれだが、立派な亡者だ。」


 亡者となれば、何か罪を犯している。等活地獄とうかつじごくは地獄の中では比較的かるい罪を犯した者が収容される地獄だ。大体は殺生せっしょうの罪のみを犯すとその地獄に落ちる。どうみても弱そうな見た目の毛玉でも、警戒しておくに越したことはない。


「つまり、この絵の猫を探せばいいんだな。はいはい、承知した。」


 本来、亡者を地獄へ移送するのは獄卒ごくそつが行う仕事の一つだ。亡者が逃走したとなればつまり、獄卒の失態を意味する。獄卒の尻ぬぐいを亡者であるオレたちがするとは、なんとも滑稽なことだ。

 紙を乱雑に懐に入れようとすると、秘書が慌ててとめてきた。


「閻魔大王様が直々に描かれた書類ですので、乱雑に扱わないでください!」


 ――閻魔大王がこれを描いたのかよ。どうりで見たことある字だったわけだ。

 オレは溜息をつきながら丁寧に紙を四つ折りにすると、モドキと共に閻魔王室をでた。平静をよそおったが、内心はあぶねえ、口が滑ってへたくそとか言わなくて良かったという思いでいっぱいだ。さて、急がないといけない。この後もやるべき雑用がきっと山積みだ。モドキに行くぞと合図をすると、俺たちは廊下を駆けていった。


 ***


 閻魔庁の外にでると遠くに地獄門が見えている。先ほど咎札とがふだを亡者に配っていた場所だ。目の前では、忙しそうに獄卒たちが石畳の道を行き交っている。


「こんなに獄卒がいるところでよく見つからないな。いや、忙しすぎて誰も気にしてないというのもあり得るか……」


 獄卒たちは手元の資料に目をとおしたり、書き込みながら移動していく。獄卒は亡者よりも強いので、万が一襲われたとしてもたいしたことにはならないからだろう。


「手分けして探すぞ。見つけたら合図をだしてくれ、合流する。」

「は~い。モドキも賛成だよ~」


 モドキは顔の高さまで手をあげると、元気に長い袖を左右に振った。

 俺は東側でモドキは西側に、互いに背中をむけて走り出した。人の波をぬって、街道を走っていく。隠れられそうなところは裏道等の薄暗いところだろう。辻道つじみちをいくつか曲がって細い裏路地に入る。ここは建物の裏側が主であるので、ときたま枯れそうな柳がぽつりぽつりと生えているばかりで寂しいところだ。ふと離れた柳の下を見ると、小さな薄桃色の毛玉がかすかに動いていた。


 ――――見つけた!


 飛びかかろうとすると、毛玉もこちらに気が付いたようで逃げ始めた。まりのように跳ねて動いているようだが、案外はやい。そのままの勢いで大きく跳ねて建物の屋根に飛び移っていく。こちらも軒下の雨樋あまどいを掴んで屋根によじ登って走り出した。瓦屋根かわらやねを走るとガラガラと音がたち、街道を歩く獄卒たちがこちらを見上げている。目立つついで、モドキにも合図を送っておこう。罰輪ばつりんについている咎札とがふだを引きちぎろうとすると途端に雷のような光が激しくほとばしった。普段は咎札とがふだを外そうとする亡者にたいする罰だが、今回は合図としてモドキにも見えただろう。左手は少々焼けたがまあ、良い。


 毛玉は屋根を飛び跳ねながら、近くの背の高い木に飛び移り器用によじ登っていく。木は枝が細くオレの体躯たいくで登れば折れてしまいそうだ。舌打ちを一つして立ち止まると、ちょうどモドキが屋根を登って合流してくる。モドキは俺よりも細いのでいけるかもしれない。


「モドキ、この木の上に行ってくれ!」

「わかった~」


 よし、同意はとった。

 木によじ登ろうとするモドキの首根っこを掴むと、そのまま担ぎ上げて、木の上の毛玉をめがけて放り投げた。なんとも言えない悲鳴をあげたモドキだったが、なんとか毛玉を掴んで屋根に落下してきた。もうもうと立ち込める砂煙をはらうと、尻もちをついているのが見えた。モドキの扱いがひどいよ~と嘆いている。

 瓦屋根は数枚割れて下に落ちていったが被害は最小限だ。モドキが抱えていた毛玉を片手でつまみ上げて自分の顔の前までもってくる。手触りがとてもやわらかくてややおどろいた。桃色の毛玉は震えており、耳についた咎札とがふだが揺れている。


「なんで逃げたんだよ、お前。咎札とがふだを付けられた奴は遅かれ早かれ、地獄行きだ。もう諦めろ。」

「だ、だって……同じ咎人とがびとさんが追いかけてくるから怖かったんだにゃ……」


 ――――確かに咎札とがふだを何枚もぶらさげた大きな男に追い掛け回されのは、獄卒に会うよりも怖かったのかもしれない。亡手課もうしゅかは三日前にできたばかりなので知らないのも仕方がない。毛玉はさらに震えて、瞳にたくさんの涙をため始めた。少々気まずいのでモドキの手の平に毛玉をころりとおいた。


「地獄から逃げようなんて思ってなかったにゃ……坂道で転んで、そのまま転げ落ちて戻れなかったにゃ……」

「つまり迷子になっちゃったんだね~?」


 にゃん、とモドキの問いかけに毛玉はうなずく。本日、俺たちが往復したあの長い坂で転べばたしかにこの毛玉は転がりおちてしまうかもしれない。モドキに頭を撫でられながら、すんすんと鼻をならして泣くこの毛玉が、とてもとがを背負うような者には見えなかった。


「お前、一体何の罪を犯したんだ?」

「嘘をついてしまったみゃ……」

「嘘をついて……そいつを殺したのか?」

「たしかにその子は死んじゃったみゃ。みーにゃは、病気は必ず治るってその子に嘘をついちゃったみゃ……」


 ふむ、と一つうなずいてみたが、毛玉……みーにゃと名乗った猫は黙ってしまった。話はそれだけらしい。いや、待てまて、何かがおかしい。


「そんなことで地獄に落とされるのか?」


 単純な疑問である。そうだ、地獄とはだ。地獄とは、罪を犯した者のみが落とされるはずだ。たかがその程度の嘘ならば、人間ならば誰でもつくのではないだろうか。

 ――まあ今回は猫だが。それでも、それは地獄に落ちるような罪なのか?

 モドキはさも当たり前のことのようにいった。


「今や地獄は、みんな平等に落ちるものだよ~。昔ある神様が言ったんだって、『生まれ落ちた時点で全ての者に罪がある』って。だから~。」


 モドキはおどけた様子で、舌をだしながら手で首を切る動作をした。


 ――――――そんな、バカな。

 そして、ようやく地獄とあの閻魔大王に感じていた反骨精神の答えを得た気がした。ああ、そうか。そういうことだったのか。


「コウセツって知識が古いよね~。ねえ、一体いつの時代に地獄に落ちたの~?」

「さあな、覚えてねえよ。こんな馬鹿みたいに亡者はいなかったのは確かだろうけどな。」


 罪があるものしか落ちない地獄は、当たり前に亡者は少なかったはずだ。こんなにも亡者が地獄に爆発的に増えてしまった理由がわかった。死者を全て地獄に落としているならば、それは飽和もするだろう。おまけに地獄の刑期はとてつもなく長いのだから。


 風が吹いて、咎札とがふだが揺れる。頭に八枚、両耳に二枚、手枷に六枚。計十六枚の罪の証、無間におちた大罪人だ。それに比べて、みーにゃは一枚、モドキは三枚だ。

 そうだ、オレのような者こそが、地獄に落ちるべきなんだ。


 ――よし、決めた


「この移送、もう一度失敗させるぞ!」


 にやりと笑ったオレにたいして、一人と一匹は顔を見合わせて不思議そうな顔をしていた。

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