第1章ー1 地獄は満員怨霊!

 結論から言うと、現代の地獄(日本支部)は限界を迎えつつある。


 そんな話を地獄の王の一尊ひとりである閻魔大王えんまだいおうに聞かされたのが、つい三日前のことであった。そう、ここは地獄だ。そしてオレは、罪を犯して地獄に落ちた「亡者もうじゃ」でありながら、地獄の働き手となってしまった。他人事なのも仕方がない。罪を犯してしまった罰なのか、全く記憶がないのだから。


 まだ日のあがっていない時間から、オレたち「亡手課もうしゅか」の一日は始まる。地獄に定休日はないので、年中無休で早朝から深夜まで勤務しなくてはならない。

 朝の支度の終わりに肩まである長い赤毛を結い上げていると、ふすま越しに間延びした声が聞こえてきた。相変わらず、気の抜ける声である。


「コウセツ~準備できた~?」


 ああ、と短く返事をしてふすまを開け放つと、目に隈をこしらえた栗毛の青年が立っていた。とくにおかしくもないのに、隻眼の赤い瞳をゆがめてにやにやと笑っている同僚の様子は四日目にもなると見慣れてきた。たぶん、こいつの癖なのだろう。悪意はあまり感じられない。


「待たせたな、モドキ。今日一番の仕事はなんだ?」

「新しく来た亡者に、罰輪ばつりん咎札とがふだを配るお仕事だってさ~。場所は地獄門じごくもんだって~。」


 罰輪ばつりん咎札とがふだは亡者のあかしだ。亡者が亡者の証を配るというのは、何度聞いてもなれない。

 モドキは自身の頭に着けられている黄色い輪――罰輪ばつりんと、それに括り付けられている一枚の咎札とがふだを長く垂れた袖で触っていた。顔の前に張り付いている咎札とがふだはかなり邪魔にみえる。こいつの罰輪ばつりんはしっかりと頭にはまっているが、オレは咎札とがふだの数が多いせいか、頭上に浮いている。モドキ曰く、「天使の輪みたい」だそうだ。天使ってなんだ? 時々よくわからないことを言う男だ。


「じゃあ、行くか」


 建付けの悪い扉をこじ開けると、ふと頭上に影が落ちてきた。気づいたときにはもうその物体と衝突し、後ろにひっくり返ってしりもちをついていた。


「いてっ!」


 起き上がってみると、オレの上に乗っているのは亡者の男であった。仰向けにしてみると血を吐いて白目をむいていた。モドキが大丈夫~? と後ろから声をかけている。


 ――ああ、またか。


 視線のすぐ先には血だらけの亡者の山ができている。おそらくあの山頂から落下してきたのだろう。亡者を足でどかしてから、山頂にむけて放り投げる。この亡者山もうじゃやまは、ここ最近の地獄ではよく見かける光景らしい。

 これが、まさしく地獄の問題の一つである。なんとかしなくてはこちらの身がもたない。思わずため息を吐いた。


「職場が地獄内にあるのがまだ慣れねえ……」


「そう?等活地獄とうかつじごくにあるだけマシだよ~。まあ、『頭上に注意!亡者が落下します』って注意書きは今度つけとこう~」


 等活地獄とうかつじごく八大地獄はちだいじごくの一番目なので、他の地獄に比べると環境の良い場所ではある。ただ、閻魔大王えんまだいおうがいる閻魔庁えんまちょうみたいに、八大地獄内ではない明るい街道に職場をかまえたいものだ。まあ、地獄の亡者の職場が地獄内部にあるというのは、理にかなっているわけだが。

 気に留めていない様子のモドキは、古びた廃屋にぶら下がっている木板をひっくり返していた。ボロボロの板には墨で「亡手課もうしゅか」とだけ書かれていた。それは亡手課もうしゅかとしての仕事のはじまりを意味している。オレとモドキはこの「亡手課もうしゅか」の職場である廃屋のような小屋を背に、地獄門へと向かった。


 ***


 長い坂を駆け下りていくと、大きな門の前に到着した。この大きな門が、地獄の入り口にあたる地獄門である。亡者に恐怖と後悔を思い起こすようにおぞましく作られているらしく、立派な鬼や妖怪たちが精巧に彫られているのが見える。見物してる間もなく、すぐに獄卒ごくそつが近づいてきて大きな箱を手渡された。


「ようやく来たな、亡手課もうしゅかの『札付ふだつき』共。この罰輪ばつりん咎札とがふだを亡者たちに着けてこい」


咎札とがふだの数も決まっていないのに配るのか?」


 通常、咎札とがふだは罪の数に応じて一枚から十六枚までつけられる。まだこの亡者たちは裁判を受けていないので罪の数は決まっていないはずだ。


「どうせ、皆なにかしら罪はあるんだ。罪が重たければ後から追加すればいいんだよ。大体はこの一枚の咎札とがふだを着ければ事足りるさ。お前のような十六枚も咎札とがふだを持っているやつがゴロゴロいてたまるか」


 獄卒はそういってオレを睨むと、すぐに踵を返していった。少し離れたところで他の獄卒たちもオレたちを見て囁いている。


 ――ほら、閻魔様が無間むけんから引きあげたっていう咎人とがびとだよ。

 ――いくら働き手不足といってもあいつはね……。


 もう慣れたことなので、気に留めずに箱を確認する。俺が咎札とがふだということはモドキが持っている箱は罰輪ばつりんのはいった箱だろう。顔をあげると、モドキが心配そうに下からのぞき込んでくる。


「コウセツ、大丈夫~?」


「ああ。オレは何も覚えてねえからなあ、気にしようがねえよ。」


 オレの記憶はさかのぼっても三日前からしかない。それよりも前のことなど、気にするだけ無駄だろう。

 箱を持って地獄門の外にでると、すでに大勢の亡者が詰めかけており、列の終わりが見えないほどだった。遠くのほうでは、今朝見たのと同じように、整列できなかった亡者達を山のように積み重ねているのが見えていた。


「うわ、何人いるんだこれ……」


「今の日本の人口は一億人を超えていて、一日に出る亡者の数は三千五百人以上って獄卒が言ってたよ~。」


「一日にそんなにくるのかよ! そりゃあ、あの亡者の山が解消されないわけだ……」


 うんざりと肩を落とす。この数の亡者の一人一人に咎札とがふだを配るとは、気の長い話である。


 これが亡者のあふれかえった、現代の地獄(日本支部)の姿そのものである。急激に現世の人口が増えたことで起きた、地獄の人口爆発に対応できる獄卒ひとでが圧倒的に不足していた。


 ――それはもう、亡者の手も借りたいぐらいに。


 亡者が飽和状態になりつつあるこの地獄の苦肉の策できたのが、閻魔庁えんまちょう傘下の亡手課もうしゅかだ。この課は地獄内部に存在する唯一無二の、「亡者が運営する地獄の部署」である。


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