第14話.三毛猫
男はジェイドに銀を握らせろ、と凪いだ声で言った。
「は? あー……そう言えば、吸血鬼は銀に触れると火傷するんだったか」
「握らせれば分かるでしょ」
「うーん、疑いをかけているって言うようなもんだからなぁ……」
ヒスイは滲む冷や汗に、ぎゅっと手を握りしめてザックの方ばかり見ていた。何故か怖くて男の方を向けなかったのである。
(お願い、断って! ザックさん、お願いよ!!)
「うーむ、まあ、あいつは気にしないだろうが……どうしたもんか」
(っ!!)
腕組みをして悩むザックの言葉にヒスイは焦る。このままでは恐らく「握ってもらって無実を証明しよう」と言い出されてしまう。それはまずい。
「わ、私が行ってくるわ」
「ん? そうか、お前なら……」
「オレも行きます」
「えっ……」
男の言葉にヒスイは眉をぴくりと動かした。何だろうか、この不気味な執念。そして一つだけの目にぎらつく冷たい憎悪の色は。
「そりゃあお前、無理な話だ。事後報告で許してくれや」
「知り合いなら、嘘を言うかもしれない」
その言葉にザックの目が剣呑な光を帯びる。
「……お前、教会戦士と聖女見習いを侮辱するのか。これでもこっちはかなり譲歩してやってんだ。それでも言うか?」
「オレは襲われたんだ。真実を知る権利がある」
「断る。襲われたとは言えお前は教会関係者じゃねぇ、部外者だ」
両者一歩も譲らない言い合いに、ヒスイは息を細くしながら必死に思考を巡らせていた。何とかして銀の試しの前にジェイドと会わなければ。
その時だった。
(……猫?)
ふと視線を向けた先に、三毛猫がぽつんと座っていた。人々は猫を避けながら歩いているため、紛れることなく見ることができる。
三毛猫は、長い尻尾をひゅるりと動かして吸い込まれそうに深い青色の瞳でヒスイを見つめていた。何だかふてぶてしい無表情である。
(……まさか)
三毛猫の正体に思い当たったヒスイが深緑の目を見開くと、三毛猫は「その通り」とでも言うかの様に
直後三毛猫の姿がゆらりと揺らめいて人の姿になる。通行人の誰にも気づいた様子はない。シンプルな足首丈の深緑色の外出着を来た無表情のメイドがコツコツと靴の踵を鳴らしながら歩いてきた。
「ヒスイ様、こんにちは。もしやお取り込み中でしたでしょうか? 姿をお見かけいたしましたので……」
「こんにちは、キャリコさん。ああ、ザックさん、彼女は彼のところの使用人のキャリコさんよ」
紹介されたザックは「ああ」と普通に挨拶を交わしている。ちら、と見た先で男がキャリコを噛み殺さんばかりの目で見ていたのでヒスイはきゅっと下唇を噛んだ。
「失礼ですが、私のご主人様のお話が聞こえたような気がいたします。何かございましたでしょうか?」
「いや、その、な……あんたの主人は今、屋敷にいるか?」
言いにくそうにしてポリポリと頭を掻いたザックはそう訊ねた。問いを受け、キャリコはふるふると首を横に振った。
「残念ながら……ご主人様は現在外出されていらっしゃいます。お戻りになるのは二日後です」
「そうか……なら仕方ねぇな」
ザックは明らかにホッとした様子であった。ヒスイも同じく密かに安堵しながら心の中でキャリコに何度も礼を言った。
「じゃあ二日後にやってくださいよ」
「まだ言うのかお前、いい加減に……」
「ヒスイ様とそこの貴方が来られるのでしたら、ご主人様は何も仰らないと存じますが」
(えっ、キャリコさん?!)
確かにヒスイはジェイドが吸血鬼であると知っている。そんなヒスイが教会代表として男と一緒に赴けば、あとはジェイドの魔法か何かで男の記憶を消したりできるのかもしれない。キャリコが言うのなら、きっとできるのだろう。
「おお、いいんじゃないか?」
「……それなら、オレも納得できる」
「……なら、そうしましょう。二日後に、ローレル伯爵邸の前で」
ヒスイがそう言うと、男は一瞬地面に向けてニヤリと薄暗い笑みを浮かべ、ヒスイにちらと一瞥を投げて歩き去っていった。
途端ドッと安堵が押し寄せて、ヒスイは大きく息を吐く。
「大丈夫か、ヒスイ。怖かったな」
「いいえ。これで納得してもらえるなら頑張ります」
「申し訳ありませんヒスイ様。勝手を申しました」
ぺこりと頭を下げたキャリコに、ヒスイは苦笑した。思ってもみない助太刀で、解決は彼女のお陰である。
「いいの。キャリコさんが来てくれなかったらきっと夜まで問答だったわ」
そう言ってから、はたとあることを思い出したヒスイはザックに向き直った。
「そう言えば忘れ物って何ですか?」
「これだよこれ」
そう言ってザックが差し出したのは小振りの紙袋。受け取って、ヒスイはようやく思い出した。
「あっ、そうだっ。すっかり忘れていました!」
「だろうと思ったぜ」
紙袋の中身は昨日の昼間、ヒスイが教会の厨房で考え事をしながら作ったクッキーである。甘さ控えめの生地に素焼きのナッツ類を練り込み、サクッと軽い食感に焼き上げたものだ。
聖女に「悩んでいる時はお菓子を作るといいわよ」と言われ、半信半疑で生地をこね始めたら本当に思考が整理され、少し落ち着いたのであった。
そして今日、ジェイドの屋敷へ行くことになったので甘さ控えめのこれならば、と思って持っていこうと考えていたのに忘れていたのである。
「ああ、でも、ジェイドは今出掛けているのよね……」
「はい」
キャリコの返事にヒスイは手に持った紙袋を眺めた。そして一つ頷くと「じゃあって言うのもあれだけれど……」と言ってそれをキャリコに差し出す。
「キャリコさん、これ、受け取ってもらえない?」
「私、ですか?」
深い青色の目が紙袋とヒスイの顔を行き来した。そして、彼女の無表情に微かな笑みが浮かぶ。
「ありがたく頂戴致します」
「ありがとう」
ヒスイは美しい翠眼を細めて笑った。
「よし、忘れ物は解決だな。じゃあ俺は教会の連中にあいつの話をしてくる。ヒスイは休みなんだから少しはゆっくりしろよ!」
「あっ、はい! ザックさん、ありがとうございました!」
いいってことよ、と言いながらザックは走って教会の方へ戻っていった。それを見送り、ヒスイは笑みをゆるゆると引っ込めてキャリコに向き直る。
「キャリコさん、あの人、何かありそうだと思うんだけれど……」
「ええ、その通りです。まずは場所を変えましょう」
場所を変えようと言われて移動した先のこじんまりとしたカフェで――キャリコの行きつけだと言う――席に座り、店員に二人分のお茶を頼むなりキャリコは言った。
「あの男は人ではありません」
月下に荒野を駆ける毒牙の猛獣――人狼です、と。
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