第11話.キャリコ

 夕方、今日の討伐は教会の皆のにまにました表情と共に告げられた「今夜はゆっくりしておいで」という言葉で免除されていたので、ヒスイはジェイドの屋敷にいた。


 今は、夕食までの空き時間で、ジェイドは何やら秘密の仕度があるからと姿を消しており、ヒスイは与えられた部屋で大人しく座っている。

 彼女は時折耳元に手をやって、そこに揺れる粒の感触に「うふふ」と笑っては、ハッとして真っ赤な顔になり、ふるふると首を振っていた。


 しばらくそうしていた時、不意に部屋の扉がトントン、と軽くノックされた。


「ジェイド?」

『夕食のためのお仕度に参りました』

「へっ?!」


 失礼致します、という言葉と共に扉を開けて入ってきたのは、不思議な髪色をした年の分かりにくい女性だった。


 黒と赤茶が混じった髪は綺麗なおかっぱに整えられて、その上にちょこんと白いヘッドドレスを載せている。吊り気味な大きな目は鮮やかな青色で、長いまつ毛に縁取られていた。

 足首丈の淑やかなメイド服を小柄な身体に纏い、何やら大きな箱を胸の前で平らに持っている。


「我が主ジェイド様に、ヒスイ様のお世話をするよう仰せつかりました、キャリコでございます」

「キャ、キャリコ、さん……」

「私に敬称は必要ございません」

「は、はぁ……」


 持ってきた箱を机の上で開封するキャリコに背を向けて、ヒスイは混乱する頭を宥め始める。


(このお屋敷にはジェイドだけだと思っていたけれど、そ、それはそうよね? だって、こんなに大きなお屋敷だもの……当たり前よ)


 しかし、容姿の整ったキャリコの様な女性がいると思うと、少しもやもやしてしまった。そんな思いを首を振ることで追い払い、ヒスイはこっそり溜め息を吐く。


「ヒスイ様」

「っひゃい!」


 そこへ急にキャリコが声をかけるものだから、返事をしようとしたヒスイはピョンッと飛び上がりながら盛大に舌を噛んでしまった。

 羞恥心で顔を赤くしながら、ギギギと錆び付いた様に振り返ったヒスイに、キャリコは動かぬ表情で「こちらへ」と言う。


(恥ずかしい……笑ってくれた方がまだマシだったわ……)


 そう思いながら、ふらふらとキャリコの方へ移動した。


「ジェイド様が、夕食の席で、良ければこちらをお召しになっていただきたいと」

「ジェイドが……?」


 そう言って彼女が広げて見せたのは、淡い青色のドレスであった。あちこちにあしらわれた繊細な白のレースが可憐な印象を与える。


「可愛い……」


 ヒスイが微笑んで呟いた言葉に、キャリコは無表情のまま頷いた。


「では、ヒスイ様のお仕度を手伝わせていただきます」

「え、あ……よ、よろしくお願いします」


 他人に着替えを手伝われるということには慣れていなかったが、生まれて初めて見るこの繊細なドレスの着方が分からない。恥ずかしいが、致し方なかった。






「キャ、キャリコさん、へ、変じゃないかしら?」

「ええ、とてもよくお似合いです」

「ほ、本当?」

「ええ、嘘は申しません」

「うう、緊張するわ。転んでしまったらどうしよう……」


 ドレスに合わせた華奢な印象の銀色の靴を履いた慣れない足を見下ろして、軽く持ち上げていた裾を放して整える。


「では私は下がらせていただきます」

「あっ、ありがとうございました!」


 くるりと身を翻したキャリコを、下ばかり見ていたヒスイは慌てて見た。


「えっ?!」


 メイド服の、白いエプロンの控え目なリボン型の結び目が愛らしい後ろ姿に、ひゅるりと何やら三色のものが揺れているではないか。

 ヒスイは目を丸くして、口許を押さえながらそれを凝視した。


 艶やかな毛は白地に黒と赤茶の混じる三色。曖昧にゆらゆらと揺れる仕草には見覚えがある。


「し、しっぽ、ね、猫っ、キャ、キャリコさん?!」


 動揺しまくったヒスイの言葉に、キャリコが変わらぬ無表情のままで振り返った。それから自分の背中の方に目をやり、ゆらりと揺れる尻尾に気づく。


「失礼」


 その言葉のあとに、尻尾はふわりと空気に溶ける様にして姿を消した。あまりにも忽然と消えたので、最初から幻だったのでは、とヒスイは首を傾げる。

 キャリコはどう足掻いても表情の変わらない整った顔で、ヒスイに向き直り「つい出てしまいました、以後気を付けます」と頭を下げて、今度こそ部屋を出ていった。


 完璧に夕食の席へ出るための仕度を整えてもらってあるヒスイは、呆然と座り込むことも出来ず、ただ立ち竦んで「ねこ、しっぽ、キャリコさん……?」と頭を駆け回る疑問符に首を傾げ続けた。

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