第10話.揃いの翠

 三日後、ヒスイはジェイドに手を引かれて、魔物討伐以外では足を踏み入れたことがなかったハルザーレの貴族邸宅街にやって来ていた。


「……すごいわ」

「そうでしょうか?」

「あなた、何者なの……?」

「……ふふ、秘密です」


 ヒスイは目の前に堂々と佇む大きな屋敷を見上げて目を見開いていた。呟くような声に穏やかに微笑んで答えるのはジェイドである。彼はヒスイが来てくれたことがとても嬉しくて堪らないようだ。


 彼が扉を開いてヒスイを中へ通す。ヒスイは緊張から、お気に入りの白いワンピースの裾をぎゅっと握り締めてしまう。

 その手をやんわりと解いて、自分の大きな手の中におさめたジェイドは「さあ、こちらです」と正面の大階段をゆっくりと上がり始めた。


 二階にやって来ると、ジェイドは一つの部屋の前で立ち止まり、懐から一本の鍵を取り出してその部屋の扉を開けた。


「素敵……」


 そこは白と藍色、そして少しの金色で統一された調度品の並ぶ部屋で、あまりの品の良さに、ヒスイは言葉を失って部屋を見渡した。


(ジェイドの部屋かしら……けれど、女性的で、大きな鏡台があるわ……)

「ここは、この屋敷に来ている間の君の部屋になります。ですから、好きに使ってください」

「えっ?!」


 背後からかけられた声にヒスイは目を丸くして振り返った。ジェイドはそこで上機嫌ににこにこして、驚くべきことなどないと言うふうな態度をしている。


「そ、そうなの……?」

「ええ」

「はぁ……」


 田舎村の出身であるヒスイにとって、この様な部屋を与えられるのは途轍もない衝撃であり、そして様子からしてこれを片手間に用意したのであろう彼にとても驚いてしまう。


(本当に、何者なのかしら)


 悩んでも答えは出ない。なのでヒスイはふるふると頭を振って考えるのをやめた。


「ああ、それから……」


 そう言ってヒスイの隣を抜け、部屋の中に踏み込んだジェイドは部屋の中央の小さなテーブルに置いてある小箱を手に取る。

 近づいていってジェイドの隣に並び、彼の手元を覗き込んだヒスイに、ジェイドは微笑んでその小箱の中身を見せた。


「!!」

「君と私の、名前の石です」


 小箱の中身は、最上の翡翠――琅玕インペリアルジェイドのピアスであった。

 完全に透き通った深いみどり色は、ヒスイの瞳と同じ色をしていて、まろく艶やかに磨かれた涙の形をしている。それは、ジェイドの耳元に揺れるものと同じだった。


「綺麗……」

「君に、似合うと思って」

「で、でもこれ、とても高価でしょう? そんな、受け取れないわ……」


 溜め息が出るほどに美しい翡翠の粒からジェイドに視線を移したヒスイは、困り顔でそう言ってふるふると首を横に振った。

 すると途端にジェイドは眉をハの字にして、路頭で震える子猫の様な顔をするではないか。


「絶対に君に似合うと思うんです……」

「っ……」

「君の瞳と、そっくり同じ色なんです……」

「ジェイド……」

「そして私と、お揃い、なんです……」

「~~っ!!」


 なんて切ない声で言うのだろう。銀月の瞳が揺れる悲しそうな顔。乞うようにヒスイの頬を撫でる彼の手は、ひやりと冷たいのに触れ合ったところがほわりと暖かく感じる。

 込み上げる罪悪感を耐えられなくなったヒスイは「分かった!」と首を振って言った。

 それから見上げたジェイドの表情に、ヒスイは「やられたっ……」と唇をぎざぎざに引き結ぶ。


 ジェイドは、それはそれは嬉しそうに微笑んでいた。銀月の瞳は蕩けそうに細められ、唇は柔らかく弧を描いている。

 そんなにお揃いが良かったのか、と嬉しい半分、慣れない高価すぎる贈り物を断れなかった複雑な心持ちに、ヒスイはただ彼の美しい笑みを眺めるしかなかった。


 そんな彼女を余所に、ジェイドはいそいそと小箱からピアスを取り出して、優美な指先で留め金を外している。

 ヒスイはそれを見て、自分の耳にそっと触れた。そこには母と祖母から貰った瑪瑙と琥珀の小さなピアスがある。


(こうなったら仕方無いわ。ジェイドに負けた私がいけないんだもの……あのお願いを断れる日は来るのかしら……)


 そう考えながら、ヒスイは自分のピアスを手早く外した。そこへ、翡翠のピアスを構えたジェイドが近づいてくる。


「待って、私、自分で着けられるわ」

「私にやらせてください」

「っ……」


 ジェイドは、ヒスイのさらりとした金の髪を優しく耳に掛け、露になった少し赤くなっている耳朶じだに、とろりとした光を反射する翡翠の涙を着けた。

 小さな声で「もう片方も」と言うと、彼女は赤くなって目を伏せたまま素直に顔を反対側に傾ける。そちらの耳にも同じようにピアスを着けて、ジェイドは揺れる翠の粒に満足して頷いた。


「やはり、とても似合います」

「あ、ありがとう……」


 ヒスイはふるりと上目遣いでジェイドを見た。彼はとても満足げで、無意識の動作か分からないが、自分の黒藍の長髪を耳に掛けて、艶々とまろい光を放つ翡翠の粒を露にしている。


(並んで歩いていたら、恋人だって丸分かりね……)


 それが嬉しくて、ヒスイは少し俯いて笑みの形になる口元を手で押さえた。


「ヒスイ、どうかしましたか?」

「ううん、ただ、嬉しくて」


 顔を上げて、赤く染まった頬のまま、ヒスイはそう答えてふわりと笑った。

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