第5話.誘拐

 暗い路地に白い炎が翻る。鮮烈な白光が揺らめいて、飛び交う複数の影を民家の壁に投じていた。


「ヒスイッ、行ったぞ!!」

「っはい!!」


 今夜の敵は赤黒い小鬼の群であった。かさこそと動き回る彼等はすばしっこく、そして狡猾だ。

 キヒヒ、と笑う声が路地を飛び交っている。ヒスイは突っ込んできた小鬼の鋭い爪を身を捻ってかわした。

 しかし、完全にはかわせず、二の腕に鋭く赤い線が引かれる。


「っ!」


 宙に舞った赤。まるで薔薇が散ったみたい、とどこか他人事の様に思いながら、ヒスイは自分の横を通りすぎた小鬼へ向けて炎を放った。


「数が多いなっ!」

「でも戦うしかありませんよ!」

「分かって、らぁっ!!」


 ヒスイの隣へ跳んできたザックが言いながら大剣で小鬼を数匹薙いだ。宙を舞う不気味なそれらへ向けて、ヒスイは白炎を投げる。


(おかしいっ、普段なら群れても十数匹が精々なのに……嫌な予感がする!)


 戦士たちの表情に疲労の色が窺える。かく言うヒスイもまた、決して少なくないはずの魔力が底を突き始めていることを感じていた。


(この調子じゃあ、持ちこたえられなくなっちゃう!)


 小鬼が投げた石を避け、この群を率いている個体を見つけようと辺りに視線を巡らせる。


(どこ、どこにいるの?!)


 焦りが視線を滑らせて、更なる焦りを生んでいく。ヒスイは短く息を吐いてギリッと拳を握り締めた。





――――その時だった。


「変わった魔力だねぇ。この大陸の血じゃないなぁ」

「!!」


 場違いな声がヒスイの真後ろから聞こえた。のんびりと、呑気とすら言っても差し支えない様な声音。同時にヒスイの首に回る冷たい細い指。

 そして、身体の芯まで凍ってしまいそうなほどの膨大で強力、そして残忍で冷酷な魔力の気配。


 その後に気づく。

 ザック以外の戦士が全員倒れていた。そして小鬼たちは姿を消している。


(まさか?!)


 背後の気配の冷たさにゾッとしてヒスイは青褪めた。


「ヒス……っだ、誰だお前?!」


 変化した空気、倒された部下たちに気づいたザックが振り返り、目を丸くしてすぐ警戒を強める様に大剣の柄を握り直した。


「ザ、ザックさん……」

「くふふっ、可愛いねぇ。震えちゃって、ボクが怖い?」


 声変わりを迎える前の少年らしい軽やかなアルトボイス。その明るさでは誤魔化せない残虐さの気配と攻撃的な魔力は、ヒスイの魔力を意図も容易く押さえつけ、抵抗のすべを封じていた。


「ヒスイを、放してもらおうか、ボウズ」


 じり、と一歩足を進めるザック。ヒスイは鮮やかな緑の目に助けを求める色をのせて彼を見ている。


「やーだよ、オジサン。この子にはボクと一緒に来てもらうんだから」

「私が、行くわけ……っ!」

「口答えしないでね。あんまり煩いと殺しちゃうかも」


 くふふ、と笑う少年の言葉にヒスイは言葉に詰まった。喉に触れる冷たい手は、とても柔くて小さいのに、簡単にヒスイの喉を裂くことが可能だと感じていたからだ。


「……、っ!!」


 直後ザックが踏み込んだ。魔物の丸太の様に太い首ですら一刀両断する大剣の一閃が、大雑把そうな様子に反して正確に少年の腕を狙って放たれる。

 迫る大剣の刃に、ヒスイはザックを信じながらも身をすくませてぎゅっと目を閉じた。




「……よっわーい。だからただの人間・・・・・の相手はになっちゃうんだよねぇ」

「なん、だと……」


 いつまで待っても大剣の刃が肉を裂く音や、少年が回避する気配を感じられず、代わりに降ってきたそんな声にヒスイは目を開いた。


「っ、ザックさん!」

「くふふっ。驚いた? ボク、結構力持ちなんだよー?」


 目の前に広がっていた光景にヒスイは思わず叫んだ。


 ヒスイの隣からすらりと伸びた少年の白い手が、大剣の刃先をまるで水菓子でも摘まむ様な軽やかさで押さえていた。

 大剣の柄を握っていたザックの足は地面から浮いており、唯一の武器であるそれを手放すことを躊躇しているのか、力を抜くことができない彼は血の上った赤い顔をして震えている。


「もう放したら? そしたらオジサンは丸腰で流石に諦めがつくでしょ? そしたらボクはこの子を連れて帰るからさー」


 そう言いながら、少年は大剣の刃先を掴まえた手を左右に動かす。その先には大の男がぶら下がっていると言うのに、彼はまるで羽根を戯れに揺らす様に簡単にそれを行っている。


「ぐぐ、ふぬぬっ……」


 それでもザックは堪えている。滝の様な汗が流れ落ちて、とても苦しそうだ。ヒスイは「もういい」と泣きそうになりながら言ったが、彼は苦しそうな表情に強気な笑みを浮かべて首を横に振った。


「待ってろよ、ヒスイ……大丈夫だからな」

「ザックさんっ、だって……」

「お前はまだ子供なんだから、もっと、大人を頼れ、よな」


 そう言ったザックは、直後ふらふらしていた身体に力を込め、大剣の刃に合わせた横広の鍔の真ん中の青玉に握り拳を振り下ろした。


「『目覚めろ、フォルトゥーナ』」


 大剣から突如溢れ出した鮮烈な青の光にヒスイは目を見開いた。まったく魔力を有していなかったはずの大剣が、徐々に神聖な蒼穹の気配を纏っていく。


(ザックさんの大剣は、聖剣だったの?)


 聖剣……神の祝福を受けた特別な滅魔の剣である。ヒスイやザックが所属するハルザーレの光神教会は聖剣を持っていないと思っていたのに。


「もう。面倒なことしてくれるなぁ」


 刃が薄青の輝きを宿してその鋭さを増していくのを目の当たりにしても、少年の態度は変わらなかった。


「行くぞっ!!」


 青玉から溢れ出した風がザックの動きを補助して、彼は腕力にものを言わせながら大剣を捻る。少年はパッと手を放し、盛大に溜め息を吐いた。


「はぁ、まったく、困ったなぁ……」


 青の燐光を乗せて舞い踊る神風、目を蒼穹の色に煌めかせて聖剣を振るうザックの姿に、ヒスイは場違いながら感動する。


(これが聖剣の力。すごい、とても強くて神聖な気配がするわ)


 これなら自分を捕らえている少年も流石に退くのでは、とヒスイは青く鮮やかな希望の光を見た。


「本当に困る……」

「おらぁぁぁっ!!」


 神風を乗せた上段からの振り下ろし。青く鮮烈な蒼穹の刃が少年に迫る――――






「――――そんなのでボクに勝てると思うとか、本当に困るよね」


 ふわり、とヒスイの視界の端に深紅の燐光が舞った。






「は……?」

「え……?」


 ザックとヒスイの困惑の声が重なる。


 蒼穹の色を纏っていた大剣の三分の二が消えていた。一瞬前までは確かにそこに存在していたはずなのに。


「うっわ、まずーい。だから聖剣は嫌いなんだよねぇ」


 風を失い、ザックは石畳の地面に倒れ伏した。聖剣を使うと肉体への反動が凄まじいと言うから、恐らく彼はもう動けないだろう。

 ザックは信じられないものを見る目で少年を見上げていた。月を背後に、深紅の目を細めた魔物のような何かを。


「なにを、しやがった……?」

「くふふ。なにってそりゃあ簡単だよ」


 ぺろり、となまかしく赤い舌が唇を舐める。


「食べちゃった」

「は……」

「じゃあね、オジサン。流石にもう動けないでしょ? ただの人間にしては頑張ったけど、ボクに敵うわけないもんね」

「待っ……」

「行くよー、ヒスイ」

「っ!!」


 そして少年は跳躍した。


 周囲の景色が一瞬で変わり、ヒスイは恐怖と共に混乱している。

 軽やかなステップの様な一蹴りで、どうして少年は自分を抱えたまま軽々と屋根を飛び越えられたのだろう。自分はどうしてこの少年に捕まったのだろう。どうして、ばかりが脳内を巡る。


 そしてその混乱の中に一つの名前が浮かんできた。


(……助けて、ジェイド)


 故郷からひどく遠いこの地で、ヒスイが最後に頼ることができる美しい青年の名を祈るように想って、ヒスイは意識を失った。

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