第9話 迷宮に潜る準備を整えていると、薬師から見送りの言葉をかけられてちょっと嬉しくなり、それはそうと迷宮探索をいつものように空中床で強引に突破するなど

 二週間が経過した。

 迷宮探索に繰り出す準備は十分に整った。


 手足を保護する、鎖編みの靴下ショース脛当グリーブと籠手。

 胴体を保護する鎖帷子チェインメイルと胸当て。

 全て騎士団時代から愛用してきた自分の相棒である。


 騎士団の支給品は、特に皮の素材がいい。魔物の皮革は、加工次第で堅くも柔らかくもできる。にかわで煮込んできちんと硬化処理した皮は、軽量であるのに打撃吸収や切削抵抗にも優れるため、我が騎士団でも見習いペイジ連中がよく身に着けていた。


 そこに追加で、探索用の道具――杖代わりの棍棒、麻のマント、大きい背嚢、毛布、長い縄、油壷、水筒、薬草、食器類などが加わる。

 特にマントは重要だ。野営するときに毛布代わりに包まることもできるし、荷物が増えた時にもそれを風呂敷のように包んで持って帰ることができる。


「……あら、随分と大荷物なのね」


「ん? ああ、アルルーナか。お前もくるか? 今からちょっくら危険な洞窟を探索しようと思ってね」


 日光にしばらく当てて干していた荷物を順々に回収しているところで、アルラウネの薬師アルルーナに見つかった。今週分の魔物の素材を買い取りに来てくれたのだろう。

 いつもは川辺で取引を行っているのだが、今日は俺が川辺に向かうのが遅れた。そのまま周囲を見渡して、俺がここにいることに気付いてやってきたのだと思われた。


 冗談半分で誘いの声をかけてみたのだが、存外真剣に悩んでいる。もしや本当に探索に来ようとしているのだろうか。そんなに真面目に受け取られるとは思っていなかったのだが。

 ついてこられても困るなあ、と思ったので「へへ、冗談さ」と先に軽く流しておいた。


「……先に言っておくけどこの洞窟、ムカデがたくさん出てくるわよ」


「そりゃ大丈夫さ。俺が毎週のようにムカデをたくさん売り卸しているのは知ってるだろ? 実は俺、この洞窟に住んでるのさ」


「嘘でしょ?」


「賭けてみるかい?」


 よほど驚いたのか、彼女は信じられないものを見るような目つきになっていた。感心しているのか呆れ果てているのか、よく分からないが言葉を失っている。


 そりゃまあ驚くかもしれない。あの村の住人たちは、どうも過去に痛い目に遭わされたのか、ムカデを異様に怖がっている気がする。そんなムカデを毎週たった一人で何十匹も狩ってくる奴がいるのだから、まあ怪しいと言えば怪しい。

 挙句の果てに、ムカデの根城の洞窟で暮らしてます、なんて言うものだから半信半疑になるのも無理はない。


「……いつも素材交換を川辺に指定しているものだから、気付かなかったわ。まさかそんな生活をしているなんて」


「お、今週も色々と便利な薬草を渡してくれるじゃないか! 助かるよ! ありがとよ!」


「話をすり替えたわね? ……まあいいわ」


 止血用のヨモギ草、火傷用のレンゲ草を筆頭に、干した薬草やらキノコやらがたくさんある。いずれも重宝するものばかりだ。説明を一通り受けつつ、粉末薬の調合レシピも軽く指導を受けて、今回の取引はおしまい。

 薬師アルルーナとは、薬草現物だけではなく、こうやって薬理効果や調合方法まで含めて、少しずつ教えてもらう契約になっている。その代わり俺は格安で素材を提供することになっている。


 お互いに利の大きい取り決めであるはずだ。俺は薬草の知識が広がる。彼女は安く素材を手に入れられる。


「……探索、気を付けてね」


「おうよ、また珍しい魔物の素材でも集めてくるから待ってろ」


 彼女が下山するのを見送りながら、俺は全然関係ないことを考えていた。

 心配してくれる人がいるのって、少しだけ嬉しいよなあと。






 ◇◇◇






「がはは、笑いが止まらんな!」


 迷宮の奥にて、勝手に空中床に激突して地面にぽてぽて落ちるコウモリを見て、俺は思わず破顔した。


 これが洞窟の悪魔と言われる、あのコウモリか。

 怪音波を操ってこちらの精神異常を誘発するほか、暗闇の中でも音を頼りに一方的にこちらの場所を補足してしつこく攻撃してくるという、あの。

 噛み傷からの感染症により、バタバタと数多の冒険者たちを死に至らしめてきたという、あの。

 帝国で一番、新米冒険者たちを殺してきた魔物だと言われている、あの。


 そんなコウモリが、なんと空中床を認知することができずに真正面から激突して落下している。凄く頭悪そうだ。こう言っちゃ悪いが、空飛ぶ魔物が障害物にぶつかって落ちるのって、ハエ叩きでぴしゃりと叩かれた虫みたいな、間抜けな哀愁があるよな、と思う。


《空中床》その7、音波で障害物を知覚する魔物について、空中床は何故か知覚されない。


「え、これもう無視でいいよな? ムカデと違ってコウモリって、空飛ぶから体軽いし」


 ぼてぼて落ちるコウモリを、そのまま空中床で奥に奥に押しやって進む。


 こう見えてコウモリたちは、壁に激突した衝撃程度で普通に骨折する。酷いときはもう飛べなくなるし、そうじゃなくても何度も空中床に激突して地面に落下したら、やがてはそうなる。


 で、たくさんコウモリが地面に溜まってきたな、という頃合いを見計らって、また天井の空中床伝いに川の水をどばばばっと流し込む。終わり。


「うーん、ムカデにコウモリ、きっとこの洞窟迷宮は、非常に手ごわい迷宮だったんだろうな! 知らんけど!」


 やはり笑いが止まらんな。

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