第2話 ウチが手ぇ繋いどいたろか

 それにしても汚い格好やなあ、泥だらけやん。

 一体どんだけ迷ってたらそんなんなるんよ。え、昼過ぎから? 

 そら災難やなあ……。

 そんな暑い時間から山ん中で迷子なっとったんや。そんなんやったら野犬に襲われへんかった事なんかより、地元の猟師さんに熊と間違われて鉄砲で撃たれへんかった事の方がよっぽど凄いわ。

 ああ、熊?

 出るで。ほんまたまにやけどな。それにしてもそんな長い事うろうろしとって、よう危ない動物に遭えへんかったな。

 でも鳥居よりこっち側には野犬も熊もおれへんで。何でかって訊(き)かれても、そうゆう仕組みなってんねん。

 それよりアンタ、こんな山奥で何しとったん?

 ……。

 遠足の下見。

 へえ、アンタ小学校の先生やってんや。

 二年生の担任なんや、ふうん。泥だらけのけったいな格好しとったから全然そんなふうには見えへんかったわ。

 夏休み明けの九月の遠足でこの山に来るって事で、色々と見て回ってたら一人だけ迷子なってもうたって訳やな。

 そやけど何でまたこんな山なん?

 キャンプ場でもないし、綺麗な沢も美味しい食べ物も何もあれへん。こんなとこ子供が観ておもろいもんなんか何もないやん。

 あ、子供に自然の中で生きていくって事を学んでもらうんか。なるほどなあ、そうかそうか。

 最近の小学生は家の中でばっかり遊んでるから虫もろくに触った事ないんやて、そんな子らにちょっとでも自然にふれてもらうんやな。

 子供らも喜んでくれたらええな。

 アンタ子供好きなん?

 いやいや、子供の話してる時アンタ初めて笑ってたから。

 ふうん、アンタも子供おんねや、何才? 三才か。ちっちゃい子おんねんなあ。名前は何て言うん?

 みゆ。

 美しいに優しいって書いて美優みゆちゃんって言うんや。へえ、可愛らしい名前やなあ。目ぇ入れても痛くないって、美優ちゃんも愛されてんねんなあ。ところでその美優ちゃんは今何してんの。

 あれ、どうしたん。急にいそぎ出して。

 ああ、保育園か。

 って事は保育園でアンタが来るん、ずっと待ってやんねやろ。そらはよ迎えに行ったらなあかんな。

 ウチ?

 ウチは一人っ子やで、きょうだいはおらんねん。ウチも美優ちゃんみたいなちっちゃくて可愛い妹欲しいわ。ええお姉ちゃんになれるかな、ウチ。

 それよりアンタ、嬉しそうな顔してるな。

 美優ちゃんの話始めてからさっきよりずっとにこにこしてるやん。ほらまた笑った。ほんまに好きやねんな、美優ちゃんの事。

 ま、そらそうやわな。


 あ、ほら。

 ちょっと奥の方見てみ。

 前から誰か歩いて来たやろ……。

 せやけどあの人に話し掛けたり、目ぇ合わしたりせん方がええで。ましてや顔見てびっくりして大声上げたりなんか絶対せんといてや。ほんまに絶対やからな。

 ほら、来るで。

 顔伏せときや。

 ……。

 …………。

 ……見た?

 アンタより汚い格好したおっさんやったなあ。向こうもウチらの事、気付いとったんやろうけど気にしてへんかったみたい。

 びっくりしたやろ。

 頭割れて血ぃもだらだら出てたやろ。しかもぼおっとして、ふらふら歩きながらそのままどっか行ったわ。

 あんな……

 今すれ違ったおっさんな……

 ……死んでる人やねん。

 嘘ちゃうで。

 信じられへんかもしれへんけど、それでもほんまやもん。あのおっさんは死んでる人やねん。

 さっき鳥居くぐったやんか。

 あそこからやねん。せやからゆうてこの道はまだ天国でも地獄でもないで、まあ現世うつしよでもないねんけどな。

 別にアンタが死んでもうたって事とちゃうから心配要らんで、安心しいや。

 ここは丁度その真ん中、現世うつしよ幽世かくりよの境目の道やねん。だからアンタみたいな生きてる人も通れるし、さっきの血塗ちまみれのおっさんみたいな死んでる人も通れる。誰でも通れる裏道みたいなもんやねん。

 え?

 ウチは生きてるか死んでるかって?

 それは。

 あ、そんな事よりウチはアンタをあの世に引き摺り込もうとしてんのとちゃうで。それはほんまやから誤解せんといてや。

 ほんまにふもとまでの近道やねんで。

 でもな、ここ、道間違えたら危ないねんで。ほんまに死んでまうねん。せやからウチが案内してんの。

 最後まで一本道やねんけどな、迷うかもしれへん。そうなったら自分でも気付かん内に地獄に迷い込んでまうかもしれへん。

 一本道で迷う筈あれへんって?

 ……。

 ……ほんまに?

 じゃあ訊くけど、今は坂道上ってる? それとも下ってる?

 ウチは鳥居くぐる前、坂道になってる、としか言ってなかったけど……アンタは今どうなん?

 へえ。

 ああ、そうなん、下ってるんや。

 ふふふ……。

 ほんまに下ってんねんな、ここは下り坂で間違いないんやな?

 そうなんや……。


 さっきの人は幽霊なんかって?

 さあ、幽霊って言い方が正しいかどうかは分からへんけど、まあそんな感じなんちゃうかな。とにかく死んだ人や。

 あ、そや。

 幽霊って何やと思う?

 そうそう、死んだ筈の人がひゅうどろどろってな具合に柳の木の下から化けて出てくるやつやんな。

 いつから幽霊なんか出てきたか知ってる?

 これウチのお祖母ばあちゃんが言ってた話やねんけどな、大昔は幽霊なんて言葉なかってんて。大昔言うたかて平安時代とかの話やで。アンタも学校の先生やったら社会の歴史とかもウチよりは詳しいやろ。

 平安時代とかは幽霊がおらへんかわりに何がおったと思う? 

 そう……

 ……鬼や。

 でも鬼って幽霊とは全然ちゃうよな。幽霊はふわふわして弱そうな感じやけど、鬼ってごつごつしてて強そうやもんな。

 昔は鬼って意味がめっちゃ広かってん。例えば台風とか雷とか、正体の分からへん恐いもの全部の事を鬼って呼んでてんて。

 その鬼ってどこに住んでると思う? そうそう、地獄やんな。地獄って言うたら悪い事した人が落ちる場所やな。人殺したり、物盗んだり、嘘吐いたりした人が落ちて鬼らに虐められんねん。

 実際そんなん信じてる?

 見た事ないからよう分からへんよなあ。

 でも、昔の人って地獄はほんまにあるんやって信じとってん。今みたいに科学とかも発達してへんし、みんな信心深かったからなあ。何かあったら南無阿弥陀仏ゆうて念仏唱えとったんやて。

 せやからみんな、悪い事はしたらあかん、誰も見てへんでもお天道様と閻魔様はちゃんと見てるんやって思って悪い事はせんかってん。

 地獄落ちんのは恐いしな、やっぱり。

 でもみんな地獄なんか信じへんようなってん。

 戦国時代なったらな、国中荒れて毎日生きるか死ぬかの生活になってん。戦争ばっかりやから人なんか殺して当り前やろ、食べ物もないから人から盗るしかないやろ、生きてくために嘘も吐かなあかんようなる。

 それからみんな地獄なんか恐くなくなってん、今生きてる現世うつしよも地獄みたいなもんやったから。

 みんな悪い事しても平気やった。

 欲しいものがあったら殺して奪う、そんな世の中やってんて。

 それから戦国時代が終わって平和な世の中になった。勿論、人殺したらあかんとか物盗んだらあかんってゆうような法度きまりごとも厳しなって、そら悪い事したら捕まるようになってるで。御用じゃ御用じゃ、ゆうてな。

 でも、地獄なんかみんな信じてない。誰も見てへん所で隠れて悪い事するけったいなやつもおったんやて。

 浮かれた世の中って書いて、浮世。人間って暇んなると色んなこと考え付くもんやねんな。

 例えば人殺しする、そしたら自分が死んでから地獄で鬼に虐められる。違う。自分が生きてる内に仕返しされんねん、それも自分が殺した本人に。

 そう……。

 ……幽霊の登場や。

 死んだ筈の人が、恨めしやぁ、言いながら化けて出て来んねん。しかも自分に仕返ししにやで。

 めっちゃ怖いやろ。

 播州皿屋敷って知ってるやろ?

 手違いで皿割ってもうた奉公人の女を斬り殺したら、毎晩屋敷の井戸の方からすすり泣く声が聞こえる。こっそり覗いてみたら死んだ筈のその女が皿を数えてた。それからその家は斬り殺された女の祟(たた)りで色んな悪い事が起こって、滅びてしもた……。知ってるやんな、この話。

 そうそう、お菊さん。

 こんな怪談もあって江戸時代からその幽霊ってのが地獄の代わりに広まってんな。人殺したら化けて出て来られる……せやから人殺しはやったあかん、って感じかな。


 話戻るで、幽霊って何やろって話。

 つまり幽霊ってのは現世うつしよに仕返しする為だけの存在って事、だから存在そのものが全部怨念で出来てるんとちゃうかなあ……ってお祖母ちゃん言うてた。

 あ、それからな……。

 今言うた皿屋敷のお菊さんも四谷怪談のお岩さんも女やけど、特に女の恨みは怖いねんで。

 般若はんにゃって分かる? そう、あの鬼のお面。

 あれ、女の人やねん。

 簡単に言うたら今ウチが着けてる小姫のお面が恨みで般若になるって事やな。女の怨念は鬼になるねん。オニって言葉はオンナがなまって出来たって話もあるらしいしな、ほんまかどうか知らんけどな。

 念でになるらしいで。

 怖いなあ。

 どうしたん、顔色も悪いし変な汗かいてるやん。ウチの話が怖かったって訳とちゃうやろ。

 ちょっと疲れた?

 なんかふらふらやし木の根っこにつまづいて転んでまいそうやん、危なっかしいなあ。ウチが手ぇ繋いどいたろか。

 ふふふ、冗談やって。

 そや。

 すぐそこにお茶屋さんあるから、ちょっとだけ休憩していこや。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る