井の中の蛙、大海へ飛び出す。

「マサオミ!」


 決着がつくまで見ることしか出来なかったクインは、慌てて飛行魔法で池の上に移動し、そのまま飛び込んだ。

 この池は花粉による緑色で水中は見にくいのだが、それでもなんとか周囲を見渡し……ようやく見つけたので、慌てて引き上げる。

 水面から顔を出し、お姫様抱っこのような形になってしまったが、気にしている場合ではない。

 あの爆発を受けた身体は表面が焦げているし、内臓もどうなっているのか分かったものじゃない。この程度で済んでいるのは、池に落ちたこともさることながら、おそらく無意識に自身の身体の周りにも浮遊魔法をかけて出血などを防いでいたのだろう。

 だが……今はもう、それも解かれている。倒して、本当に安心してしまったようだ。


「お、おい、マサオミ! 起きろ! おい!」

「……んっ」


 吐息が漏れたことで、ほっと胸を撫で下ろす。気絶しているだけみたいだ。

 ……改めて見ると、痛々しい生傷を直視してしまい、罪悪感が胸を満たす。焦げ目、切り傷、火傷跡、そして力強く握られた右腕などなど……こんなに細い身体に、無理をさせてしまったものだ。

 その正臣が、薄らと目を開く。


「……オーキスさん……?」

「そ、そうだ。大丈夫か?」

「へくしっ! ……あいつは?」

「池の底だ」

「……」


 言うと、正臣は真顔になった後、無言でクインを見つめる……が、やがて、涙腺が緩み始めた。

 さっきまで亜人種と杖も使わずに魔法を使う太古の人間の技術を使って戦っていたとはとても思えないほど、大口を開けて涙を流し始めた。


「こっ、こっ……怖かったああぁぁぁぁ……」

「……」


 流石に「なんでだよ」は出なかったし、思わなかった。それはそうだ。命のやり取りをしていたのだから。それも、あの破壊力を見させられた後で、だ。何せ、クインは早々に生きるのを諦めていたまであって。

 何より、だ。その安心し切って泣いてしまった少年を前に、その安堵はクインにも伝染してしまって。


「っ、ぼ、僕もっ……怖かった……!」

「うっ、うっ……」

「「ゔあああああああああ!!」」


 二人揃って、大口を開けて号泣し始めた直後だった。その真下から大きな水飛沫が舞い上がり、同時に目に矢が刺さったままのドワーフが姿を現した。


「ガキどもオオオオオオオオ!!!!」

「「きゃあああああああああ!?!?」」


 まだ生きてたあああああっっ! と、二人してお互いにハグをしながら絶叫を上げた直後だった。そのカバシの身体が一気に凍り付く。

 近くにいる二人にまで冷気を感じさせるほどの温度魔法。た、助かった……? と、二人して顔を見合わせつつも、魔法の主を探すと……そのカバシの後ろで、背中に手を当てている女性が目に入った。


「……息の根を止めるまで油断はするな、と教えたはずだぞ。マサオミ」


 そう言いながら姿を現したのは……黄緑色の髪をした女性。かなりの美人さんだ。


「っ、か、母さん!?」

「母さん?」

「旧友から手紙をもらって念のため来てみたが、正解だったようだな」


 そう告げてから、その女性はスーッと移動し、目の前で止まる。……よく見たら、女性の後ろにはカバシと一緒にいた密猟者の人間が二人、浮いている。もちろん気絶している。


「初めまして。マサオミの母の、セレナ・シルアです」

「あ……は、初めまして。友達のクイン・オーキスです」

「友達……マサオミに?」

「は、はい……」


 やっぱりそういう反応なんだ……と、思っている間に、セレナはマサオミをクインの腕から預かる。火傷の痕を見た後、小さく舌打ちをする。


「……馬鹿者め」

「ご、ごめんなさい……言いつけ、破っちゃって……」

「そんなことはどうでも良い。無茶はするなと言っただろう。私が偶然、通り掛からなかったらどうするつもりだったんだ」

「え、ぐ、偶然?」

「っ、ひ、人の揚げ足を取るな!」

「今取ったかなぁ!?」


 そう言いながら、鞄の中からセレナは薬が入っていそうな鞄を取り出すと、マサオミの胸に塗り始めた。


「このまましばらく安静にしていろ。数日で治る」

「っ、あ、ありがとう……」


 絶対に偶然じゃないな、と容易の良さから呆れていると、遠くから箒に乗って飛んでくる教員達の姿が見える。

 それを見るなり、セレナは小さくつぶやいた。


「悪いが、長居はできないようだ」

「……うん」


 先生方にバレるとまずいのだろうか? と、思ったけど、まぁ確かにここは校外学習中は立ち入り禁止のはずし、まずいのも分からなくはない。……保護者なら、見逃してくれそうな気がしないでもないが。

 セレナは、去り際にマサオミの方へ顔を向けると、頭の上に手を置いた。


「友達を守ったか」

「っ……う、うん……」

「ドワーフに勝つとは、大金星だな。よく頑張った。……でも、無茶はするなよ」

「……うん」


 それだけ言った後、手を離したセレナはクインの方を見た。


「未熟な息子だが、よろしくお願いします」

「っ……あ、は、はい……」

「では、失礼」


 それだけ話すと、セレナは空中を移動し始めた。どうでも良いけど……そっちの方角、先生達が飛んできている方なのに良いの? と思った時だ。


「貴様らァッ! 貴様ら教職員の怠慢だぞこれは!? うちの一人息子が大怪我しただろうがァッ!」

「ひぃっ!? な、なんですかあなた……」

「あの華奢で可愛い体に火傷痕が残ったらどうするつもりだァッ! 私は責任取らせるからなァッ!」


 長居は出来ないって、文句言うって意味かよ、と思ったけど、とりあえずスルーした。手紙に書いてあった通りの母親だな……と、思っていると、マサオミから力が抜け、コテンとクインの肩に頭をおいて

 目を閉ざした。

 まぁ……夜中にこれだけ暴れれば、それは疲れて二度寝もするだろう。

 そういえば、まだお礼を言えていなかった。


「……ありがとう、マサオミ」


 それだけ言うと、先生達のもとに合流しに行った。


 ×××


 肝試しは中止になり、マサオミとクインの両名は校外学習の施設内にある保健室で眠ることになった。

 ……で、翌朝。


「へぶっし!」

「風邪ですねー。体温は38.5度」

「……」


 いや、裸で池の中にダイブしながら戦っていたのだから、当然と言えば当然だが……と、クインは小さくため息。なんか最後がカッコよくない奴だ。


「とりあえず……今日は飛んで帰るの無理だし、一泊して行ったらー?」

「げほっ、えほっ……そ、そうします……」


 えっ、とクインは困ったように冷や汗を浮かべる。まだ昨日のことについて何も話せていない。何せ、言わないで欲しいことがあるとかだったが……あまりにもそれに該当する事例が多すぎる。


「僕も残ります」

「えっ、なんでー? オーキスくんは怪我とかしてないでしょー?」

「でも、僕を守ってこうなってしまったんです。看病くらいさせていただきたい」

「……うーん。そう言われても、そもそも私担任じゃないしー……」


 付き添っているアイザックは、顎に手を当てて少し悩む。

 そんな中、扉が開く音と同時に声が投げかけられた。


「良いんじゃねーの。どうせ明日は学校休みだし」


 声の主は、担任のアルバだ。眠そうにあくびをしながら、頭にゲンコツを六つくらい作って立っている。


「ど、どうしたんですかその頭……」

「昨日、そいつの母ちゃんにしこたま殴られた。……一応、俺も密猟者捕まえてたんだけどな……今にして思えば、あいつらは囮だったか」


 そう言うアルバにアイザックが声を掛ける。


「良いんですかー? 帰宅が遅れた理由とかの、保護者への説明責任取ってくださいよー」

「そいつ寮だから大丈夫だろ。そんくれーの責任は取るけどよ」

「分かりましたー。じゃあ、後お願いしますねー」


 それだけ話してアイザックは立ち去り、代わりにアルバが椅子に座る。

 そして何をし始めると思ったら……頭を下げた。


「まずは、悪かったな。お前の母ちゃんの言うとおり、警備が甘かった」

「えっ……ね、熱あるんですか?」

「それお前だろ。てかどういう意味だよ」

「先生が謝るなんて……」

「バッカお前、俺は真摯さで言ったら学校一だぞコラ」


 ラフプレーさせようとしてたくせに……と、呆れながらもスルー。その二人に、アルバは続けて質問する。


「で、昨日何があった?」

「えっ……お、オーキスくんから、聞いているのでは……?」

「聞いてねーよ。明日にさせてくれっつーから」


 一応、言いたくないことがありそうだったので延期した。特に、昨日のうちに聴取だと先生三人がかりになりそうだったから。

 正臣はその問いに対し、すぐに答えた。


「……み、密猟者のドワーフと遭遇して……殺されそうだったので返り討ちにしました……」

「……あの氷漬けのドワーフか」


 もう通報して、密猟者はまとめて刑務所に送ってあるらしい。そりゃそうだろう。


「……一人で倒したのか?」

「っ……あ、あの……えっと……」


 聞かれて、正臣の目はグルグルと回り始める。言い訳を必死に探しているのだろう。何を隠したいのか分からないクインには助言出来ないが、流石にクインと組んだって言い訳しても嘘だとバレる。学校で見せている実力では確実に勝てないからだ。

 やがて、正臣は観念したようにため息をついた。そして、近くにある椅子に手を伸ばす。


「……あの、誰にも言わないでくださいね。先生が信頼している人でも」

「へいへい」


 それを聞いた後で、魔力を出した。やはり、杖はないにも関わらず白い魔力が飛び出し、一瞬で椅子を掴んで持ち上げた。


「こ、これで……」

「ほんとに、杖も使わずに……」


 改めて見たクインは「すごい……」と驚いてしまう。警備隊でもこんな真似できる人間は見たことなかった為、驚愕するばかりだ。

 すると、アルバも驚いたように口笛を吹きながら手を翳した。


「お仲間だな」

「え?」


 手をかざす先には、別のベッドの枕。それを浮かせて見せると、今度は正臣が目を丸くする番だった。


「せ、先生も出来るんですか!?」

「前職の都合でな。目立つから普段はやらんけど」

「も、もしかして他の先生も……」

「うちの学校じゃ、これ出来るのは俺と校長だけだよ。大人にだって簡単に出来ることじゃない」


 話しながら、枕を落とす。もはや超能力の域なのでは? とクインは思わないでもなかったが……いくつか疑問が浮かぶ。


「あの、水を差すようですが……これ、杖を使わないのと質が違ったりするんですか?」

「質は一緒だ。けど、出力が違う。早い話が、肌面積全部から出せる」

「……!」


 そう言えば、正臣は上半身を裸にしていた。それはつまり……背中から魔力を出すためだったのだろうか?


「当然、太さや量も違うから、一々物体を魔力で包もうとしなくても当たれば浮かせられる。自分を包めば浮かせられるだけでなく、ある程度の攻撃なら全方位もカバーできる。杖を向けないから敵に攻撃対象を悟らせないようにすることも可能。肌から自分の魔力なら戻すことも出来る。……ま、はっきり言っちまえば、杖ありと杖なしじゃ魔力の総量なんか簡単に覆せる」


 聞いているだけでも恐ろしく思う。確かにとんでもない。単純計算で、昨日の阿修羅モードとか言っていた正臣と渡り合うには、杖アリの生徒が六人必要ということになる。……いや、実際は甘く見積もってもその倍は必要なのかもしれない。


「そ、そんなに……」

「上手くやりゃ、こいつみたいに亜人も倒せる。……とはいえ、基本スペックはやっぱ劣るけどなを本当にうまく戦わないとまず無理だ」


 つまり、昨日の正臣は相当上手く戦っていたのだろう。確かに今にして思えば、ドワーフの特性を知っているかのような立ち回りだった。


「……ま、事情は分かったわ。なら、後は聞かねェ」

「えっ、も、もういいんですか?」

「ああ。話はシンプルだしな。ほんとは逃げろって言いてェところだが、戦いなら逃げられねェ場面もある。……飯用意してくるわ」

「あ、ありがとうございます……あの、俺お粥が苦手なのでうどんとか……」

「いや昨日の残りのバーベキュー」

「風邪ひいてるのに!?」


 それだけ話して先生は部屋から出て行った。

 今の話を聞いて……クインは自身があまりにも滑稽に映ってしまった。

 普段、杖がある状態の正臣にさえ勝てていない。……そして、それに勝ったとしても、それは本気の正臣ではない。

 そんなのに闘志を燃やして、次は勝つだの負けたままではいられないだの……そもそも、同じステージにさえ、立てていないのに。


「……オーキスくん……?」


 俯いていたからか、病人に気を遣われてしまった。いや、拾ってもらった命でこんなこと言うのは申し訳ないが……もう、警備隊支部長とかどうでも良い。


「……滑稽だと思っていたんだろう?」

「えっ……な、何が?」

「僕だ。……杖がないと魔法も使えない奴が勝とうとするなんて、身の程を知れ、と思っていたんだろう?」

「いや……そんなこと……」

「気を使うな。事実だ」

「……」


 それは決して間違いではない。火起こし対決で、人間がエルフに挑むようなものだ。こんなの、ほとんどピエロである。


「……もう、警備隊支部長を目指すのはやめるよ」

「えっ……」

「親には怒られるかもしれないが、僕なんかの実力しゃなってもみんなを守れない。……何せ、杖がなくて魔法を使える人間には勝てないんだから」

「……」


 どうせなら、好きなことをしたい。警備隊になるのが嫌だったわけではないが、正臣に揶揄われた通り、オシャレなどにも興味はある。

 男のフリもやめて、女子高生らしく生きよう……なんて思っていた時だった。


「あっ、あのっ……!」

「……何?」

「良かったら、俺が教えるよ。杖がなくても、魔法を使う方法!」

「………えっ?」


 ハッとして顔をあげる。その案は正直、なかったが……そんな誰にでも出来るものなのだろうか?


「か、母さんが言うにはね……少し前は、人間も杖がなくても魔法を使えて当たり前だったらしいんだよ」

「……それは知ってる」

「でも、その分、魔法を使える人間と使えない人間がいて……身体から魔力を出すのが、どうしても難しかったんだって。習得しないで諦める人も多かったとか。……で、誰でも魔法を使えるようになる為に開発されたのが、杖らしいんだ」


 それも知っている……が、そこでハッとする。それはもしかして……誰にでも、杖が無くても魔法を使えるようになるかもしれない、ということだろうか?


「じゃあ、つまり……」

「うん……それに、オーキスくんは俺より体格も良いし、マスターすれば俺なんかよりずっと強くなると思う。何より……それをマスターすれば圧倒的に強くなるから、女の子のままでも実力で支部長になれると思うよ?」

「……」


 確かに……最適解だ。実力があって、真摯に仕事もすれば、如何に女であってもナメられないだろうし、むしろそれでナメてくるような奴は警備隊に相応しくない。辞めさせてやれば良い。


「……良いのか?」

「え?」

「お前より、強くなってしまうんだぞ。今まで下だった奴が」

「え、いや別に俺人類最強を目指しているわけではないので……」


 どんな例えなのか。そんなつもりで聞いたわけではないのだが……。


「こ、校長先生も言ってたじゃん。出来る人は、出来ない人を助けてあげてって……あ、出来ないっていうか出来ることを知らなかっただけで決してオーキスさんを雑魚と言っているわけじゃなくて……」

「いやそんなフォローは良いから」


 もう完全に下であることは認めているし、怒ったりはしない。

 ……いや、それどころか、だ。その方法は今、自分が目指すべき最善の道とも言える。

 この学校でも扱える人は教員を含めて三人だけ。つまり、難易度はとてもハードだろうが……でも、その分面白い。


「もちろん、オーキスさんさえ良ければ、だけど……」

「……」


 ……なんで、そんなに親切にしてくれるのだろうか? 自分は普段、マサオミが嫌がるようなことばかりしてしまっているのに。

 少し気になったので、聞いてみることにした。


「って……お、俺みたいなクソチビ生意気ゲボカス野郎に物を教わりたくなんてないよね! ごめんね!」

「……マサオミ」

「は、はいっ……」

「一つだけ聞かせて」

「え……な、何?」

「なんで、そこまでしてくれるの?」

「なんでって……や、だから校長先生が……」

「本当にそれだけ?」


 聞くと、正臣は少し黙り込む。ということは、それだけではないのだろう。

 何となく続きを話してくれるまで待機していると、正臣は目を逸らしながら呟くように答えた。


「まぁ、その……失礼な言い方かもしれないけど……オーキスさんが、ちょっとだけ可哀想だったから……」

「……可哀想?」

「警備隊支部長になりたいのはそうかもだけど……可愛いものに興味があるのに男装させられて、男として男と相部屋にさせられて、自分のやりたい事とか何もさせてもらえなかったのかなって……」


 それはその通りだ。服もアクセサリーも、女性向けのものは買ってもらえなかった。ブラジャーだってもらえず、胸にはサラシを巻いている始末でさえある。


「だけど……強くなれば、自分のやりたいことが出来るようになるんじゃないかなって……特に、警備隊を目指してるなら尚更。基本的に、魔法の腕が全てな世界な気がしてるから……。何よりね……その、俺に最初に出来た友達だから……」

「……」


 ……そっか、とクインも理解する。こいつは不器用でアホなだけで、基本的には優しくて自分の苦労など顧みず他人のために動ける奴なんだな、と今更になって分かった。

 ならば……もう甘えるしかない。前に言っていた、部屋でだけ女の子らしい格好をするとか、そういうのも全部やらせてもらおう。


「……ありがとう、マサオミ。……いや、師匠」

「え?」

「今日から、ご指導ご鞭撻……よろしくお願いします」

「あ、いや今は風邪っぽいから無理……」


 こうして、クインは新たな目標を見つけた。全ては警備隊支部長に女の身で入るため。

 その為に、正臣の胸を借りることにしよう。そう強く握りしめ、とりあえずその日は休むことにした。


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エルフの母と魔法学校。 @banaharo

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