入学編

入学

 春……それは、別れと出会いの季節。雪解けにより現れた草木と、咲き開かれた桜が季節の変わりを示す季節……なのだが、少年の前の世界では、雪があまり降らなくなってしまったので、割と本当に新鮮だったりする。

 さて、そんな季節の定番といえば、入学式。学校での生活が始まるギリギリまで小屋で暮らしていた正臣は、これからいよいよ夏休みまで家を離れて寮で暮らす生活が始まる。


「ちゃんと、杖は持ったな?」

「ああ、持った」

「制服も着込んだな?」

「うん、ネクタイも曲がってない」

「学校生活で気をつけること、頭に入れたな?」

「大丈夫だってば!」

「荷物は寮に届いているな?」

「だから大丈夫! ……だと思う」

「……や、やっぱり私の元で通いにするか?」

「登下校に何時間かかるのそれ!」


 思った以上に過保護になられてしまったわけだが、まぁそれも可愛いし別に良いか、と思うことにして、家を出る事にした。


「じゃあ、またね。ゴールデンウィークには戻ってくるから」

「? なんだそれ?」

「間違えた、夏休み」


 ゴールデンウィークなんてものはない。こっちの世界にも昭和の日、憲法記念日、みどりの日、子どもの日が存在するとは思えないし、当然だ。

 最後にハグをしてから、正臣は母親と別れた。


 ×××


 ウェッジリバーサイド高校とは、文字通り川沿いにあるウェッジ市内の高校である。

 その川もウェッジリバーと市の名前がつけられた大きな川だ。中流でありながら、横幅50メートルはあるほど。

 さて、そんな高校の入学式。正臣は……ビビっていた。


「あ、あわわわっ……ど、同年代の生徒……同級生……」


 生まれたての子鹿よりも肩を震わせて。何せ、前に通っていた学校でも良い思い出はなかった。「オタクくーん」などとか言って声をかけられる事はなく、隣の席のギャルが自分にかけてくるセリフは「そこ昼食べるのに使うからどいて」だった。

 残念ながら「オタクに優しいギャル」などは存在しないのだ。「自分に利がある男子に優しいギャル」ならいるけど。

 だが、それはなにもギャルが悪いのではない。基本的にはやはり、リスクを恐れてもっと前向きに動かなかった自分が悪いのだ。


「よ……よしっ……!」


 そのためにもまずは……女の子がどうとか彼女を作るとかよりも、友達を作る!

 そう決めて、まずは入学式の段取りを確認。事前に手紙が配られている。登校した新入生はまず体育館に移動。

 新入生入場などはなく、そのまま校長の挨拶や教職員紹介が始まり、その後でクラス分けもその場で行われるらしい。

 つまり、入学式中の席は自由席。ならば……ここは隣同士になった人に声をかけてみることにした。

 同じクラスになるとは限らない。だからこそ、他所のクラスのコネにもなるかもしれない。

 そうと決まれば、さっさと入学式の体育館に集めることにした。


「えーっと、体育館……」


 流石に前の世界と同じだよな……? と恐る恐る勘繰る。前に狩猟取締局のトイレを借りた時、男子トイレと女子トイレの表記、形はそのままだけど男性が赤で女性が青で間違えて入って大変なことになった。

 ……いや、周りに女だと思われていたみたいで、大して大変なことにはならなかったが。

 でも、学校では制服も着るしそうもいかないだろう。

 さて、体育館……と言うよりも、他の生徒が向かっている先や動く看板などを見て自分も移動した。

 一応、新入生は別の入り口から入るようになっており、それに従ってその入り口から入ると……入場口の脇に、赤く薄い布が束になって置かれているのが目に入った。

 なんだこれ? と、思ったのも束の間、そのハンカチは浮かび上がり、自動的に手折られ、薔薇のような花の形を形成した後、新入生の胸にくっ付いた。


「おお……魔法っぽい……」


 こういうのだ、自分が望んでいたのは。まだこの高校の中を見たわけではないが、見た目はちょっと古い普通の学校感があったから、不安だった。

 まぁ、でも校舎や体育館の奥は見えていないし、もしかしたら魔法的な施設があるのかもしれない。

 そう思いながら、とりあえず中に目を向ける。

 中は、体育館というより闘技場のようだった。観覧席はズラリと中央の舞台を取り囲むように椅子が並んでいる。


「ここで体育とかやりたくないなぁ……」


 呟きながら、観覧席に上がる。新入生が座るべき席に腰を下ろす。

 隣に座って来る人……なるべく男の人が良い。女の人は声をかけづらいから。


「……」


 誰か来い、誰か来い、誰か来い……と願いながら待機。今のうちに、誰かが来た時のシミュレーションをしておく事にした。

 こっちから話しかけないといけない。そのためにもまずは……やはり、挨拶。こんにちは……いや、おはようか? その後で、よく前の世界で聞いたのは元どこの中学か……いや、ダメだ。自分は中学を出ていない。

 他に話しかける方法……あ、あれ、何も浮かばない。ていうか、そもそも話し掛けるとかどうやったら良いのか……え、どうしよう。

 なんて頭の中がぐるぐる回ってきた時だ。ふと、気配。顔を向けると、先生方と思わしき人達が中央に降り立った。全部で、10人。ザッと見るに、校長、教頭、他はクラスの担任の先生だろう。


「全員、静粛に!」


 その大きな声は、おそらく魔法によって拡大されている。校長先生と思われる、口元を短いヒゲで覆った男の人が声を張り上げていた。

 ……なんか、思っていたより若いけど、60歳は超えていそうな空気だ。


「これより、ウェッジリバーサイド高等学校入学式を始める!」

「えっ」


 も、もう? まだ両隣に誰も座ってない……と、思って周囲を見回すと、割と先は余っているようで、チラホラと空いていた。

 ……いや、でも基本的に誰かの隣に誰かがいたりしている……。


「……」


 もしかして、自分くさいのかな、たしかに野生的な暮らしはしていたけど、ユニコーンの湖で清潔にしたつもりなんだけど……と、少し涙目になりながら、先生の話に耳を傾ける。


「私は、スコット・バールシェム。ウェッジリバーサイド高校の校長だ。まずは、新入生の諸君。入学おめでとう」


 今更になって思い出したが、入学試験の時にいた人だ。わざわざ校長先生が見に来ていたんだ、と少し驚く。そんなに新入生が気になったりしたのだろうか?


「本日から、諸君らにはこれから魔法を四年間に渡り、学んでもらうが……今、在学している生徒でさえ勘違いしている者も多くいるから、ここで忠告しておくよ」


 忠告? と、眉間に皺を寄せる。


「学校とは、魔法のさまざまな用途、使い方を教える所ではあるが、それが使えるようになるか否かは君達次第であり、君達次第で四年間が五年、六年になることもある」


 留年……ということだろうか? あまり日本の高校では先生方が、補習やら何やらとあらゆる手を使って面倒な留年は避けさせようとしてきていたが、こちらの世界では割とよくあることなのかもしれない。


「私が君たちに望むのは、単位を取るため、進級するために魔法を学ぶのではなく、魔法を身につけた結果、単位の取得や進級に繋がったとなる事。そして、もし周囲に君達が得意とする魔法を不得意とする者がいたら、助けてあげて欲しい。まずは自己研鑽、頼れる自分を魔法によって作った上で、周囲の人間にも気を配れる人間になる事。……諸君らの、成長に期待する」


 そこで挨拶は終わった。個人的には、とても刺さる言葉だった。単位を取るために学ぶのではなく、学んだ結果に単位がくる……か、と。

 その方が確かに物事は身につくかもしれない。手段と目的の入れ替わりがないから。

 てっきり学歴社会に近いのかと思ったが、少なくともこの高校の教育方針は違うらしい。

 ……もっとも、周囲の人間を助ける、というのは中々勇気がいる気もするが。

 生徒からの拍手が起こった後、司会進行役なのか、教頭が新入生代表挨拶など次のプログラムに入る中、正臣は小さくため息を漏らす。

 しかし……と、あたりを見回す。周囲の一年生、基本みんな背が高い。日本人は小柄だとよく聞いたが、どうやら異世界人と比較してもその通りのようだ。

 その上、どいつもこいつも美男美女揃い……自分も不細工ではないのかもしれないが、女と間違われる程、ナヨナヨしたツラと身長である。


「……はぁ」


 ため息が漏れるしかなかった。まぁ、イジメが始まっても問題ないだろう。

 セレナが教えてくれた。三ヶ月とはいえ、エルフに朝から晩まで仕事をしながら教わった魔法は、生まれた頃から何となく魔法を使える魔法を使ってきた奴らよりは上だ、と。

 つまり、身を守ろうとすれば余裕で守れる。そう思う事にして、そのまましばらくぼんやりしているときだった。


「では、最後にクラス分けを発表します」


 そう言ったのは教頭のおばさん。杖を持つと、ヒュッと振るった。その直後、生徒達全員の胸の花が離れ、そして目の前で布が開かれた。そこには数字が書かれている。

 正臣の数字は「2」だった。


「今、表示されている数字が、各生徒のクラスになります。それでは、1番の数字を持つ生徒から順番に退場して下さい」


 ……すごくワクワクしてきた。なんだか魔法的だが、人間が使える五つの魔法、随分と応用が効きそうだ。

 よく見れば布にはスペル魔法で文字が刻んである。おそらく、条件は周囲に人間が立ち寄った時。自動で浮遊魔法と変形魔法が掛けられ、形を薔薇に変えると生徒の胸につけられる。

 その上で、次の条件は壇上で教頭先生が杖を上げて魔法を放った時、遠距離から変形魔法が解除されると同時に浮遊魔法が一瞬だけ掛けられ、生徒達に数字を見せてから落下する……そんな所か。


「すごいな……」


 正直、あまりスペル魔法は使ったことがないので、興味が尽きない。ここまで細かく物を操れるとは思わなかったから。

 1組の生徒の退場が終わったのか、先生が杖を振るった。


「それでは2組の生徒、退場して下さい」


 とのことで、正臣は席を立った。会場中の2番の布を持った生徒が立ち上がった。

 あれ? と、そこでハッとする。これ……よくよく考えれば、同じクラスの生徒がみんな立っていることになる。

 つまり……友達になるチャンス……! そうと決まれば、近くにいる男子に声を掛けるしかない。

 そう決めて、とりあえず観覧席から通路に降りると、同じように観覧席の階段から通路に降りてくるイケメンが目に入った。

 身長、170センチ台後半だろうか? 黒く綺麗なショートヘアのイケメンは、見られていることに気がついたのか、自分に顔を向けてくる。

 目と目があった……普段の自分なら目を逸らしてしまうところだが、チャンスでしかない。

 友達になってもらう方法……考えてみたが、自分みたいな陰キャラがそれを覆すには、土下座しかない!

 ……それは流石に目立つか? いや馬鹿野郎、とすぐに首を横に振るう。コミュ障も陰キャラも、基本的に周りの目を気にするから友達が出来ないのだ。

 目立つからなんだ、友達ができればそんなのも気にならなくなる。


「あ、あのっ!」

「? 何?」


 思ったより声が高いが、たまに高校生まで声変わりがハッキリしない人もいるし、身体の特徴で誰かをいじる趣味はない。自分は成長期もハッキリしていないし。

 そして……一思いに介錯を求めるように実行した。


「お願いします! 僕と友達になって下さい!」

「……え、何その卑屈を体現したようなポーズ……」


 この世界に土下座の文化はなかった! と、頭を抱える。

 まさか、土下座でしくじることがあるとは、と涙目になる中、周囲から「え、何あいつ……」「あれ何? ダンゴムシの真似?」「俺にはアンモナイトごっこに見える」とヒソヒソ声が聞こえる。

 しまった、これじゃあただ目立つだけだ。


「ていうか、目立ってるからやめて……いやホントなにしてんの?」

「す、スミマセっ……!」


 すぐに意味ないならやめないと、顔を上げた。そんな中、ふと上を見上げると違和感。なーんか……見慣れているような感じが……と、眉間に皺が寄る。

 ……と、思っていると、目の前のイケメンは自分に杖を向けた。


「とりあえず、起きてくれる?」


 魔法が掛けられた。浮遊魔法で身体を強引に起こされる。


「っ、ご、ごめんなさい……!」


 慌てて立ち上がった時だ。周囲のザワつきが別の種類に変わった。


「ねぇ、ていうかあの人って……」

「ね。もしかして……」


 ? なんだろう、有名な人だろうか? 聞いてみたいが……その前に、イケメンさんが自分の横を通り過ぎた。


「チッ……目立たせてくれたな……」

「あ、あのっ……友達に……」

「お断りだ」

「ーっ!」


 ……死にたくなってきた。新入生、新しいクラス、新しい環境……何もかもが最新にも関わらず、友達作りに失敗……。


「………母さん、森に帰りたい……」


 何が行けなかったんだ……と、頭を抱えてしばらく項垂れた。


 ×××


 教室での教員やクラスメートとの顔合わせを終え、寮組は寮へ移動。到着した生徒から部屋に案内され、正臣は頭を抱えていた。

 一体、何を間違えたと言うのだろう? なんて、よくよく考えればよくよく考えるまでもなかった。流石にない、土下座はない。ちょっと迂闊な真似をした。

 友達になるために頼み込むとしても、もっと他に方法はあった。課題を見せてあげるとか、お昼をご馳走するとか。あれ? それって友達? と、少しずつ分からなくなってきていた。

 ……いや、だが大丈夫。寮にはルームメイトがつくのだ。クラスでは失敗したが、寮でなら友達が出来るはず。

 とりあえず、今くらいは失敗を忘れて、ルームメイトを待とう。

 そう決めて、しばらく待機している時だった。


「失礼する。ルームメイトの……む?」

「え」


 入って来たのは、さっきのイケメンさんだった。


「っ、お、お前はッ……!」

「い、イケメンさん!?」

「か、勝手な名前をつけるな! 僕はクイン・オーキスだ!」

「あ……す……スミマセン……」


 ま、マズイ……さっきの失敗がフラッシュバック……あの冷たい目つき、周りのヒソヒソ話、そして視線が頭の中に思い返す。

 だ、ダメだ……会話なんて出来ない……。恥ずかしいとかじゃない、なんか……怖い。


「スミマセン、じゃない。自己紹介くらいしてくれないかな?」

「っ、あ、はいっ……えと、あのっ……じこ、しょうかい……?」

「っ、おい冗談でしょ……名前だよ、自分の」

「あ、は、はい! た、田中正臣です!」

「タナカマサ……なに?」

「あ、ち、違った……えっと、マサオミ・シルアです!」

「それでも変な名前だけど」


 そう呟きながら、イケメンさん……クインはため息をつく。


「まぁ良い……悪いけど、ルームメイトになったとはいえ、お前と馴れ合うつもりはないから。だから、お前も僕に馴れ合おうとするのはやめてもらいたい」

「えっ……あ、は、はい……」


 なんか、取りつく島も無いという感じだ。ほんと、何故あんな真似をしたのか、と自分でも死にたくなる。


「分かったら、さっさと荷解きをしてて。僕は少し外に出ている」

「え……あ、その……クイ……オーキスさんは、荷解き……」

「君にプライベートな荷物を見られたくない」


 そこまで嫌わないでも……と、少し泣きそうになる。イケメンは本当に性格がキツい。いや、自業自得ではあるのだが。

 部屋をクインが出ていったのを眺めて、傷心気味にため息が漏れる。人付き合いって難しいな……と、遠い目をしながら、言われた通り荷解きを始めた。

 部屋の中は前まで住んでいた小屋より二畳ほど広いほど。左右に机とベッドが設置されていて、壁にはクローゼットがあり、机には衣服をしまう為のタンスが備えついている。

 部屋から出る為の出入り口の近くにはトイレとバスルームが一つずつある……などと、シンプルな部屋だ。

 まずは教科書類を机の上に並べて、その後で衣服を箪笥にしまい、ついでに制服から寝巻きに着替え、制服はクローゼットに下げた。

 後は……使い方を知らない杖を二本。いや、知ってはいるけど、あまり使ったことが無いものが二本、と言うべきか。

 学園生活で気をつけることの一つ「魔法を使う時は杖を使うべし」。当たり前かもしれないが、目立たない為だ。どんな原因から親がエルフであることがバレるかも分からないので、なるべく魔法の実力で他人に興味を持たれるのは控えたいのだ。


「これも……机の上で良いか」


 適当に放って、荷解きを終える。鞄もクローゼットの中に入れた。

 さて……これから四年間、この学校で魔法を学ぶ。それは良いけど……やはりスタートダッシュしくじった感じがとても困る。

 これから、また他に友達を作らないといけないが……どうしたら良いんだろう、なんて少し思いながら、ベッドの上に寝転がった。


「わ……」


 フカフカだ……セレナの小屋では、ベッドは硬かったし……こんなのは久しぶりだ。

 自分だけこんな柔らかいところで寝て良いのかな、と思わないでもなかったけど、でもだからって遠慮するのはもっと失礼である事はもう学習済みだ。

 にしても……すぐ寝ちゃいそう……と、思いながら寝返りを打つと、同じルームメイトの荷物が目に入った。

 そう言えば、自分のカバン一つの荷物と違ってだいぶ多い。なんかやたらと長い荷物もあるし。


「……」


 気になるけど……今はいいや、と思い、ちょっと寮内を探検してみることにした。このままだと寝る。

 そう決めて部屋を出ると……廊下で、わざわざクインが待っているのが見えた。


「あ……あれ、探検してたんじゃ……」

「そんな子供みたいな真似、誰がするんだよ……君が終わるのを待っていた」

「そ……そう、なんだ……」


 一々、ドモってしまうのは、本当にどうしようもないけど……探検って子供のやることなのか、とため息が漏れる。


「今度は僕が荷解きする。部屋に入る時はノックをして、僕が良いと言うまで入ってくるな」

「……す、スミマセン……」


 どんだけ自分のことを信用していないのか……いや、信用はされなくて当たり前かもしれないけど、信用が0じゃなくてマイナスに振り切っているような対応だ。

 もう少し落ち着いて友達になることをお願いすればよかったなぁ……と、自分の迂闊さを呪いながら出掛けた。


 ×××


 荷解きを終えて、少しガイダンスがあった。寮でのルールなどを説明されたが、大体は元の世界と一緒。門限、食事、監督生徒の紹介、備品を壊した際の対応など、様々だ。

 プリントの配布もあったので、今すぐ覚える必要もない。

 最後にみんなで夕食を終えて、また部屋に戻ってきた。

 ちなみに、夕食の席でアンモナイトの噂は秒で広まっており、全員にドン引きされていて誰からも話しかけられなかったし、誰かの隣に座っても席を離されるし、そのまま隣に誰かが来ることもなかった。


「……帰りたい……」

「先にお風呂もらうよ。沸かしておく」

「あ、あの……えと、スミマセン……」

「……一々、謝らないでもらえる? 謝られる理由がない」


 相変わらずまともなレスポンスも出来ず、会話するだけで苛立ちを感じる。

 シャワーを浴びに行くクインに目を向ける余裕もなく、そのまま部屋の中でフワフワと浮きながら悩む。

 よく学校は「失敗しても次がある」と言うが、それはあくまでも仕事や勉強の話である。

 確かに、仕事や勉強であれば失敗した際、次に活かすこともできるだろう。勿論、規模によるが、少なくとも最近まで狩猟補佐という仕事をしていた自分としてはそれをしみじみと感じる。

 何より、失敗しても助けてくれる信頼出来る上司兼親がいたのが大きい。

 だが、人間関係はそうもいかない。失敗すれば目を付けられ、噂が一人歩きし、自分も一人で歩かされる。

 いや、どの道、四年で終わるのかもしれないが、逆に言えば次の機会に活かせるのも四年後だ。


「……はぁ」


 ため息が漏れた。だが、入学させてくれたセレナの気持ちもある。とりあえず、四年間ボッチを覚悟させてもらおうかな……と、そのまましばらく浮き続けた。

 それから、40分くらい経過しただろうか? お風呂からクインが出て来た。それに合わせ、杖も使わずに浮遊していた事を即座に思い出し、解除してベッドの上に落ちる。


「ふぅ……すまない、待たせたね」

「い、いえ……」


 湯上り姿は例えイケメンでも色っぽく見せるもののようで、そのクインは綺麗に見えた。……って、男が綺麗に見えてどうする。自分はゲイか、と頭を殴りたくなった。


「で、では……その、失礼します……」

「……」


 すごすごと洗面所に入る。そう言えば、まだ中に入ったことなかった。

 洗濯機、鏡と流しが設置されているが……ん? 洗濯機? と、顔を向ける。


「……あ、魔道具か」


 すぐに理解した。おそらくエルフが作ったものだ。スペル魔法でエルフの魔法がかけられているものだろう。

 気になるのは……ボタンがない事だ。これ、どうやって使うのだろうか?

 もしかしたら、内側に仕掛けがあるのかも、と思い、蓋を開けて首を突っ込んで中を覗き込んだ時だ。魔法が作動した。


「えっ……ぶべっ!?」


 水が流れ込んできた。しかも、ただの水じゃない。何かしらの洗浄液紙のもので、飲んだだけでお腹を下しそうな味がする。

 ヤバっ、と思って自分に浮遊魔法をかけて後ろに引っ込んだ。背中を壁に強打する前に、空中で停止させる。

 その後で、喉を伝って喉元を過ぎる前に、口の中から洗浄液を浮かせて排出し、洗濯機の中に放り込んだ。


「ゲホッ、ケホッ……ォエッ……!」


 咳き込んでいる時だ。洗面所の扉が勢いよく開く音がして、慌てて魔法を切った。杖なしで魔法を使っているところが見られてしまう。

 ……が、そんな事をすれば、浮かせていた自身の水気も落としてしまうわけであって。


「すごい音したけどどうし……何してる?」

「っ、ご、ごめんなさい!」


 何せ、まだ服も脱いでいないのに全身が濡れている正臣と、ぐしょ濡れになっている周囲の床や壁、気にしない理由がない。

 怒られる、と思い両手で頭を庇うように下がってしまった。

 流石に怯え過ぎたのか、半眼になったクインが一周回って落ち着いた様子で聞いてきた。


「何があったの?」

「あっ……い、いえっ……あのっ……」

「落ち着いて。別に取って食うわけじゃないから。普通に説明して」

「せ、セツメイ……? あ、せ、セツメイか……は、はい……」


 だ、大丈夫……落ち着け、と深呼吸。そう言ってくれているのなら、話すしかない。

 まずは文をまとめないと。何が起こったのか? 洗濯機らしきものに頭を突っ込んだら、魔法が発動してしまい、溺れかけた。

 何故そんなことになったか? 自分が洗濯機の使い方を知らなかったからだ。

 ……いや、その前に、これの名称は洗濯機で良いのだろうか? 一応、その名前を使うのは伏せておこう。

 もう一度、深呼吸してから、改めて文を作った。


「あ、あのっ……こ、この……機か……木の、四角い奴、何かなって思って……中、覗いたら……水が出てきて……溺れそうになって……」

「何子供みたいな事してんの? 洗濯機の中に顔突っ込むな、って親に習わなかった?」


 洗濯機で良かったんだ……いやそこじゃなくて。

 言い方的に、結構ある事故のようだ。おそらく、子供が飲み込まないように、乾燥剤に「食べられません」と書いてあるのと同じレベル。

 だが、知らなかったのだ。まさかフルオートで洗ってくれるとは。

 大丈夫、落ち着け。ちゃんと事情を説明すれば分かってくれるはずだ。


「す、スミマセン……俺、その……森で暮らしていたので……」

「は? 森?」

「か……母さんと、二人で……洗濯とか、川でしてて……」


 湖というワードは避けた。あそこの森を守るためにも、どこの森か、どんな生き物がいるか、などは避けないといけない。


「どんな原始人だよ……よくそれでこんなとこに入学して来たな」

「す、スミマセン……!」

「いや謝らなくて良いからだから……それ、洗濯物を入れれば勝手に洗ってくれるようになってるから」

「は、はい……ありがとうございます……!」


 今更になって、色々と問題がある気がしてきた。洗濯機以外にも、それこそシャワーや蛇口の使い方も分からない。


「とにかく、床とか拭いといてよ」

「あ……そ、そうですね、はい……」


 洗面所から出ていったクインを眺めつつ、自分もまずは床を拭くことにした。

 持ってきたバスタオルで床を拭きながら、さらに自分の印象が悪くなった気がしてため息が漏れる。

 ……しかも、これからシャワーの使い方を教わらないといけない。自分で試そうか? いや、これでまた汚したりなんてしたら、もっと悪印象だし……やはり、習う他ない。

 洗面所から出て、ひょこっと顔を出す。クインはベッドの上で本を読んでいた。


「あ、あの……」

「何」

「シャワーの使い方……分からないんですけど……お、教えていただけませんか……?」

「……はぁ」


 やはりため息をつかれた。


「なんで僕の相部屋がこいつなんだ……」

「す、スミマセンやっぱりいいです!」

「バカ、好きに入らせてもっと大惨事になる方が困る」


 そう言うとクインは本を置いて立ち上がり、洗面所に来てくれた。

 これから同じ部屋で暮らすのに、初日から面倒な苦労を何度も背負い込ませてしまっている……と、肩を落とす。


「す……スミマセン」

「次、必要ないことで謝ったらぶっ飛ばすよ」

「え、いやでも……面倒を……」

「生まれ育った環境に関しては、お前の所為じゃない。さっきのアンモナイトとは訳が違う」

「うっ……そ、そうですか……」


 意外とその辺の理解はあるんだ……と、思う反面、さっきの件はマジでキレていることを理解した。

 そういえば、まだ自分はその件について謝っていない。悪い事したら、ちゃんと頭を下げなければ。


「あの……先程の件なのですが……」

「謝られても、お前と仲良くする気はないよ」

「あ……い、いえ……それはもういいので……その、謝罪だけ……オーキスさんも目立ってしまうかも、なんて考えてなかったです……」

「……いいのか?」

「え? は、はい……」


 何故か、目を丸くされてしまっていた。いいって……仲良くなるとかの話のことだろうか?

 いや、まぁ正直、こうなっちゃったら無理に仲良くするよりお互いに無関心となり、別の友達を作った方が良い気がするから。


「……お前、僕の親のことを知ってて友達になろうとしたんじゃないのか?」

「? 親? 有名な方、なんですか……?」

「……」

「あ、いや嘘です知らなくてごめんなさい!」

「全然、嘘じゃない謝罪でしょそれ……」


 今にして思えば、まだ自分はこの世界について何も知らない。ある意味では、ちゃんと学ばないといけないことも多くあるのかもしれない。


「まぁ、知らないなら良い。それより、シャワーの使い方を知りたいんでしょ」

「あ……は、はい」

「ほら、早く来て」


 との事で、ようやくの思いでシャワーを浴びることが出来た。

 使い方は単純だが、面倒なことにビジネスホテルのように水温を二カ所で調節する。

 まずは人が入ってくるなり自動で出て来るようだ。


「ふぅ……」


 身体を洗い終えて、ゆっくりとお湯に浸かる。結局、初日からやらかしてしまったが……まぁ、もう仕方ない。

 さっきはかなり卑屈になってしまったが、まだまだやり直すチャンスはあると信じよう。

 来月、校外学習があるらしい。その時に、少しでも友達を増やす。

 そう決めて、少しのんびりすることにした。


 ×××


 翌朝、ついいつもの狩りに行く時間に目を覚ましてしまった。

 つまり……早朝5時。まぁ、早起きして悪いことはないだろうし、今のうちに着替えを済ませてしまおう。

 基本的に前の世界のブレザー式の制服と変わらないが、やたらと裾が長いのが面倒だが。邪魔だし。

 良い機会だし、いつものように魔法の基礎練をする事にした。

 杖は一応持って、フワフワと浮きながら窓から出て川に向かった。

 この時間なので、とりあえず杖は無しでトレーニング。魔法もそろそろ使い慣れる時期かもしれないが、慣れてはいるけど使っている自分に慣れていない。

 単純に言って「俺すげーことしてる」という感覚がとんでもない。


「ファンネル!」


 好きなアニメを思い浮かべて石を浮かせて遊びながら魔法の練習を続ける。それから、温度魔法だ。手で触れたものの熱を上げるか下げるか、その後は変形。触れた石をゴムボールみたいに柔らかくしたり。

 ……そういえば、あの薔薇の造形をしたハンカチ……あれはどうやるのだろうか?

 一つ、石を手元に寄せると、素手で加工していく……というか、なるほど、と理解した。手で形を触りながら一部ずつ変形させることで、ああいった細かい造形を作ることも可能にするのか、と理解。

 自分も、薔薇とまでは行かないけど、花っぽい形には出来た。


「……ただ」


 色は変えられない。だからこそ、色んな色の石を組み合わせれば、前の世界にあったアニメのロボットやモビルスーツが作れそうだ。

 それは、まぁ今後にとっておくことにする。

 さて、そのまましばらく遊んだ後、そろそろ戻ることにした。そういえば、あの校長先生は良いことを言っていた。

 要するに、まずは頼れる自分を作り、その後で他人に気を配れる人間になれ、か……と、一息。

 そういう意味じゃ、昨日のは本当に他人への気配りができていなかったんだな、と反省する。

 さて、今後はどうやって友達になってくれる人を探すか……と、フワフワしながら戻り、窓から部屋の中に入った時だ。


「は?」

「あ」


 視界に入ったのは、サラシを巻いている途中のイケメンくん……いや、クイン。顔は驚いてはいるもののやはりイケメンのままだ。……が、問題は身体。

 なんか前にもこんな光景を見た。サラシで巻かれている旨は、明らかに谷間がある。


「……」

「……」


 状況がちょっと飲み込めなかった。色々と理解するまで待ってもらいたかったが、どうもそうは問屋が卸さないそうだ。真っ赤な顔のまま杖を握られた。

 殺される、と思ったので慌てて言い訳をした。


「なっ、何も見てない! 柔らかそうな大胸筋ですね!」

「死ねッ!!」


 後方に大きく弾き出された。


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