第5話 呪いのクーリングオフ

 どんな願いも叶えてもらえる。抜群に胡散臭い話だ。そう思ったのを気取られないように、俺は先を促した。


「それで、そこに行ったんだね」

「はい」


 しっかりした頷き。落ち着いて話し始めてみれば、ちゃんと話ができる子だ。見た目通り、何の心配もいらない優等生。


「何日前の話?」

「ええと、一週間前くらいだと思います。文化祭の二日後だったので……そう、九月の二十日です」


 ちょうど今日で一週間になる、といったところだった。


「場所は?」

西埜にしのビルっていう古いビルです。浅畑遊水池の北側にある、小さな、たぶんもう使ってないところなんですけど」


 頭の中で地図を広げる。かなり人気のない辺りだ。


「そこの二階で、運がよければ魔法使いに会える。会えたら願いを叶えてもらえる、って」

「ハッ、馬鹿馬鹿しい」


 朝木が鼻で笑った。小さく縛った駄菓子の袋をゴミ箱に放り込む。


「どこにてめぇらみたいな馬鹿なガキのしょうもない願いを叶えてやる魔法使いがいるってんだよ。そういうこと言ってガキどもを集める輩はたいがいガキの体か魂を材料になんかやらかそうってクズなんだ。だいたい“うまい話には裏がある”って言うだろ、知らねぇのか」

「朝くん、ちょっと黙ってたほうがいいんじゃない? 言ってることはごもっともだけどさぁ」


 ソファの肘おきに座った新保が、たしなめるようなふりをして朝木の肩を持った。橘さんが表情を凍り付かせてうつむく。

 本当に事情聴取の邪魔しかしないなあいつら。俺は意識的に笑顔を作った。


「気にしなくていいよ。それで、魔法使いに会えたんだね」


 小さな頷き。


「どんな人だったか、覚えてる?」

「普通の男の人でした。……大学生っぽい感じの、でも本当に普通の人で」


 朝木が口を挟みそうな気配を出したので、俺は素早く先を促した。


「その人とどんな話を?」


 橘さんはあからさまに口ごもった。唇が口の中にしまわれる。言いたくない、と顔に書いてあった。俺は促さずに待つ。

 やがて、ちらりと上目遣いにこちらを見てから、彼女は口を開いた。


「私は何も言ってないんです。何も言ってないのに、向こうが、ただ、勝手に……」


 また唇が口の中に隠れた。視線が左右に揺れて、左手が右の手首を隠すように握る。


「……このブレスレットをくれたんです。それで、代わりに、鞄に付けてたキーホルダーが欲しいって言うから、それを渡して――」

「何を願った」


 再度差し込まれた声はまさしく真剣だった。さっきまでの手厳しさがペーパーナイフだとしたら、今は日本刀だ。

 朝木はソファの上で身を起こしている。


「何を願ったかって聞いてんだよ」

「内容より時間でしょ」


 新保まで身を乗り出していた。しゃべり方も間延びしていない。


「それ、九月二十日の何時の話?」

「え、と……」


 完全に萎縮しきった様子の橘さんが、か細い声で懸命に言った。


「七時頃、だったと思います。夜の」


 二人は同時に腕時計を見た。


「あと一時間ちょいってところか」

「ギリギリだね」

「その場所ここから遠いか?」

「車で十分ってところだな」


 と俺。


「どうしてそんなに急ぐ?」


 朝木は俺を睨みつけるように見た。


「ものの引き換えが行われたということは、これは契約式の呪いだ。契約式の呪いは七日で定着する。定着したら、まぁ絶対に解けないってことはないが、九十パー無理になる」


 クーリングオフみたいなものか、と思ったけれど雰囲気に負けて口には出せなかった。


「大したことのない呪いだったら、まぁ、放置しても……」


 と言いかけてやめて、朝木は橘さんに同じ質問を繰り返した。


「何を願った?」


 橘さんは力なく首を振る。


「何も」

「そんなわけあるか!」

「大声を出すなよ、落ち着け」


 舌打ち。時間がないのは理解したが、短気は損気だ。

 膝の上で拳を固めてうつむいている橘さんを、刺激しないようそっと語りかける。


「その人と、何か話したくないことを話したんだね」


 わずかに肩が震えた。


「それも、君が話したくて話したわけじゃない。向こうが勝手に読み取ってしまった」


 橘さんがパッと顔を上げる。


「どうして……」

「さっき自分で言ってたよ。“向こうが勝手に”って」


 ここまでは簡単。でもここからはさすがに無理だ。ヒントどころか問題文すら無いクイズのようなもの。解けるわけがない。


「どんなことを言われたんだ?」


 彼女はしばらく黙り込んだが、やがてぽつりと言った。


「……君は心配されたいんだね、って」


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