第7話 奇跡
橘さんは慌てて鞄からスマホを取り出した。涙を拭って、一度深呼吸。
「何、お母さん」
静まりかえったセーフハウスの中だ。電話口の向こうの声までわずかに届く。朝木は怒鳴り合ったせいで傷がうずいたらしく、再びソファに寝転んだ。
『何じゃないでしょ。あんた今どこにいるの?』
「ええと……」
『あんたの通学路にあるファミレスで怪異事件があったってニュースになってるの。昨日もそうだったでしょ、ほら、神社の』
「うん、そうだね」
『なんだか物騒だから、早く帰ってきなさい。今どこにいるの?』
「大丈夫だから、心配しないで。すぐに帰るよ」
『そう? それならいいけど……』
瞬間、
「大丈夫じゃねぇんだし心配してもらえよ、馬鹿!」
絶対に電話の向こうに届く大声で朝木が叫んだ。
馬鹿はお前だよ馬鹿、と新保が朝木の額を叩く。けれど彼は口を閉ざさない。慌てて電話口を押さえた橘さんの手を貫くほどの大声。
「お前がそうやって大丈夫だって言い張るからだれも心配できねぇんだろ! 状況的にも全然大丈夫じゃねぇんだ、ところ構わず優等生ぶるな!」
俺はちょっとだけ感動して、再沸騰しかけていた血を静めた。どんなに気の合わない奴とでも意見が一致するときってあるんだな。なんだか奇跡(いや、どちらかというと詐欺の手口)を目の当たりにした気分。
ちょっと誰、誰と一緒にいるの、と動揺しきった甲高い声がスピーカーから聞こえてくる。
「電話、借りてもいいかな」
橘さんはおずおずとスマホを差し出した。
「もしもし。突然申し訳ありません。わたくし宮ヶ崎交番の月里と申します」
『え、警察? うちの子に何か?』
「はい。昨日から発生している怪異事件に巻き込まれてしまったようでして、現在は安全確保のために魔法局の――」
セーフハウス、と言おうとして、それじゃ伝わらない可能性があるしなんとなく響きも悪いなと思い、言い直す。
「――支局にいてもらっています。安全が確保できるまで、もうしばらく我慢していただかなくてはいけないので、帰りは少々遅くなるかと」
受話器の向こう側の空気が濁った。
『……大丈夫なんですよね?』
「確実なことは言えません。もちろん最善は尽くしますが、万が一、ということはあり得ます」
『そんなっ……。どういうことなのかきちんと説明してください!』
「分かりました。専門家に代わります」
「――えっ、僕?!」
朝木よりはまだまともに対応できそうな新保にスマホを押しつける。しどろもどろになりながら懸命に説明を始めた彼を横目に、俺は朝木を見やった。
「どうにかできるのか」
「手がないわけじゃない」
「俺に何か出来ることはあるか」
「なんだってそんなに肩入れするんだよ」
「市民を助けるのは警察の務めだろ」
朝木は怪訝そうな目で俺を見上げる。俺は別に嘘をついたわけじゃないからやましくもなんともない。黙っている部分はあるけれど。
だって言ったところで罵倒されこそすれ共感されないことは確実だからな。
子どもを見捨てたくない、なんて。
「やれることがないならいい」
「……ある」
朝木はむすっとした顔で呟くように言った。
「っつーか、むしろお前がいねぇとどうしようもない」
どういうことだ、と聞き返そうとしたとき、新保が駆け寄ってきてスマホを押しつけ返してきた。恨みがましい目で見られたけれど、他にどうしろって言うんだよ。俺じゃあ呪いの話とか出来ないし。
スマホはそのまま橘さんへ。彼女は恐る恐る、といった感じで電話に出た。
「……あの、お母さん」
少し離れたせいで、母親の声は聞こえなかった。けれど表情と応答で大体のことは分かる。
「うん……うん。ごめんなさい……ごめんなさい……うん、分かってる。じゃあ……切るね」
目にいっぱいの涙をためて、彼女はスマホを切った。
それから俺たちのほうを真っ直ぐに見て、
「あの……すみませんでした……!」
思い切り頭を振り下ろす。
「……お願いします、助けてください」
振り絞られた言葉に、朝木が即答した。
「おう、任せろ」
別人のような声音。てっきり罵倒が飛び出すものと思っていた俺は、反射的に朝木のほうを見てしまう。
彼はじっとソファに座り、真摯な目つきで橘さんのことを見ていた。さっきまで散々けなしまくっていた奴と同一人物とは思えない。
「絶対に助けてやるよ。だからいつまでも泣いてんな、馬鹿」
こいつはきっと、罵倒をしなければ話せない呪いにかかっているのだろう。難儀な奴。
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