第2話

 リディオは領主の館へフロレンツィアを連れてきた。執務室で領主であるアントネッロと挨拶を交わす。

「遠路はるばるご苦労様でしたな。どうぞゆっくりしていってください。と言っても小さな町なので大したもてなしはできませんがね」

 ラムサーニャ領主アントネッロ。双頭の龍が描かれた街章を背に、恰幅の良い体で出迎えた。体型については、本人曰く「貿易都市の領主として、自他国の特産物をPRするためには全てを自分で確かめる義務がある」という信念から来るもの。というのは建前で、本当は生粋の食いしん坊である。

「こちらこそ道中をそちらの通訳の方に助けて頂いて、ありがとうございました」

「それは何より。ハノリア語、お上手ですな、通訳の必要は無さそうだ」

 ハノリアとはラムサーニャが属する国のことで、ガハトの東に位置する。機械文明が発達したガハトとは対照的に、自然や鉱物資源に恵まれている国だ。

「はい、ハノリアならびにラムサーニャとは今後とも末永く有効的な関係を築きたいと考えております。この度は親善大使としての役目を父より仰せつかり、こうしてはせ参じました」

「お一人でとはまたご立派なですな」

「いえ、王家の者としてこれくらいできなくては、人の上に立ち、民を導くことはできません。お父様もそこを深く理解してくださっているからこそ、こうして許可してくださったのだと思います。これからもどうぞ末永くよろしくお願い致します」

 深く頭を下げる謙虚なフロレンツィアの姿勢は、まさに聖女そのもの。リディオの胸にもあたたかいものが灯る。


 繁華街へと繰り出したリディオとフロレンツィア。レンガ造りの街並みに軒を連ねる出店。飛び交う呼び込みと香ばしい香り。異国情緒あふれる街の雰囲気にフロレンツィアは大はしゃぎだ。

「すごい!本では知っていたけどやっぱり実物は違うわね!見たことない物ばかりだわ!あ、あれおいしそう!」

「ここは国内の流通の要なので、いろんなものが集まって来るんですよ」

 リディオが言い終えるより早く、フロレンツィアの両手と口は屋台料理とスイーツで埋まっていた。

「え、いははにか(今何か)?」

「……いえ。お気に召してもらえたようで何よりです」

 人混みの中でもフロレンツィアの麗しさはよく映えた。すれ違う待ち人たちが皆振り返るほど。だがそんな事に気を止めることも無く、フロレンツィアは屋台料理を次々に制覇していく。

 またリディオも周囲の人達から何度も声を掛けられた。

「ようリディオ、かわいい子連れてるじゃねぇか」

〈ああ通訳さん。この間はどうもありがとうね〉

〔新メニューができたの。今夜あたり寄ってってよ、そこの彼女と〕

 いくつもの言語で話しかけられるリディオに、フロレンツィアは感心していた。

「あなた人気者なのね」

「いえいえ、皆の声を届けるのが僕の仕事ですから」

「多言語国家とは聞いてたけど、全部分かるの?」

「さすがに全部は。400くらい、ですかね。魔物を含めるなら500かな」

「ご、500!? え、ちょ……はぁ!?十分多いじゃない!」

 予想をはるかに上回る数にフロレンツィアは目を丸くするばかりだった。

『それにしたってあなた……。どうしてそこまで……』

 思わず母国語に戻るフロレンツィアだった。

「うーん、まあ、恩返し、ですかね」

「恩返し?」

「僕は身寄りが無くって、この街の人たちに育てられました。だからこの街の人達の力になろうと思って。でもみんな言葉がバラバラだから、その“声”というか、想いをちゃんと届けられたら、なんて」

「へえ、すごいのね。あ、これくださいな」

 フロレンツィアは感心しつつも新たな屋台料理に手を出していた。

 だが突然、目の前の屋台が爆音と共に消え去った。その店だけではない、周囲の店が次々に吹き飛ばされていく。フロレンツィアも悲鳴と共に吹き飛ばされ、リディオが支えた。そこにいる誰もが何が起きたのか分からなかった。

 崩れ落ちる建物、がれきの下敷きになる人々、泣き叫ぶ子供達。火の手も上がり始める。街は一瞬にして姿を変えてしまった。

 混乱が街を襲う中、蒸気機関の戦車と銃で武装した兵士達が次々と侵入してきていた。

『大人しくしていれば危害は加えん。だが抵抗する者には容赦はしない!』

 戦車の上からボブヘアの若い女性が声を張り上げている。ヘアスタイルこそ違うものの、その面影はどことなくフロレンツィアを彷彿とさせた。

 女性指揮官の顔を見るなりすぐ、フロレンツィアが戦車の前に立ちふさがった。

『イルゼ姉さん!これは一体どういうこと!?』

『フロレンツィア。どうしてこんなところに。またお気楽な諸国漫遊か?』

『今は関係ないでしょ!いきなりどうして!?』

 イルゼは面倒くさそうな顔と声で、

『どうもこうも無い。全て条約に基づくものだ』

『条約ですって!?』

 フロレンツィアを見下すイルゼの視線は、およそ姉妹へ向けられたものではないほど威圧的なものだった。

『それは僕も伺いたいですね!イルゼ大佐』

『貴殿は確か……』

 強気の語気で迫るリディオがいた。

『ラムサーニャ渉外庁特別外交官見習い兼、領主世話役、リディオ・チェステ』

 イルゼは会話に応じることなく、リディオに1枚の書面を放ってよこした。


『ラムサーニャとガハトを友好都市として結び、互いに産業、文化、資産の面で互いに協力し合うことをここに誓う――』


 ハノリア語で記された書面をリディオは何度も確認し、そう記してあることを確認した。

『友好都市としての関係を破棄するつもりですか!?』

『よく見たまえ。友好都市とは書いてはいないぞ』

 リディオは理解できなかったが、フロレンツィアはハッとして書面をよく見直した。

『もしかして……。古ガハト語……!?』

『古ガハト語って』

『今じゃもう使われなくなった言語よ。ハノリアと共通するスペルの単語も多い。でも意味はまったく変わるの。だからここには多分、土地を明け渡すことを許可する内容になっている。そうなんでしょ!?』

 実姉をにらみつけ、最大の抵抗をはかるフロレンツィア。

『察しが良いな我が妹よ。分かったならそこをどいてくれ。お前まで巻き込みたくない』

『これがお父様のやり方なの!?ハノリアと共にありたいと仰っていたのはウソだったの!?』

『お前も王家の娘ならばもう少し学んだ方がいい。進軍しろ。そこのじゃじゃ馬娘も拘束だ』

 イルゼが右手を前に差し出すと、全部隊が街への進軍を再開し始めた。

 フロレンツィアの周囲にも兵がにじり寄る。その間に割って入るリディオ。

『こんなの……、こんなの許されるわけない!』


【今すぐ撤退しろ!】


 リディオはイルゼに向かって、人とは思えない特殊な声色で叫んだ。するとイルゼは正気を失ったような表情で急に動きを止めた。

『うっ……!……全軍、てった……』

 だがイルゼは言い終える前に正気を取り戻した。

『リディオ!』

 フロレンツィアの悲鳴だった。リディオが視界の外から兵士に殴られ吹っ飛ばされたためだ。よろめきながら起き上がろうとしたところで腹を蹴られ、足と地べたに頭を挟まれる。その後は暴力の嵐。

 駆け寄ろうとしたフロレンツィアも数人の兵士が拘束。もがいても叫んでも腕と肩に兵士の手が食い込み、轟音と街の悲鳴がその声をかき消していく。

『戦争を始める理由など、結局は何でもいいのだよ』

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