・何処にも存在しない少女マリー 1/2

 町が真っ暗闇に包まれて、肌寒い冷気が辺りを包み込んだ頃、ようやくマリーが店に帰ってきた。


 けれどもその足取りは重くひどく緩慢で、俺たちが帰宅を迎え入れてもあの明るい彼女の姿はどこにもなく、少女はただうつむいて玄関口に立ち尽くすばかりだった。


「マリー……?」

「おかしい……のです……。こんなの、変、なのです……。なんで、こんな、わからない、のです……」


「落ち着いて。ほら、暖炉に当たろう、身体がこんなに冷たくなっている」

「お兄ちゃん……マリーは……マリーは……誰、なのですか……」


 暖炉の前の安楽椅子に彼女を座らせようとすると、彼女は首を左右に振ってそれを断った。


 マリーは火の前にへたり込んで、赤々とした炎だけを茫然自失の状態で見つめ続けた。

 きっとコスモスちゃんはこうなることを知っていたのだろう。


 俺が視線を向けると、痛ましそうにマリーを見つめるのを止めて、空も見えないというのに天井を見上げだした。


「マリー、そろそろ落ち着いた? 外で何があったの?」

「見つからない……のです……」


「それは何が?」

「お爺ちゃん……いくら探しても、見つからないのです……。町のみんな、誰も、お爺ちゃん、知らないって……」


「え、それは変だな……」

「それに、お店が……大事な、お爺ちゃんの、お店が……」


 マリーはコスモスちゃんみたいに天井を見上げて、なんでもないその光景に震えて目線を暖炉に戻した。


 何かにショックを受けている。

 けれど俺にはそれがわからない。


 答えを知っているのは、このイエロードラゴンの旧友であるカオスドラゴンだけだった。


「我らとの接触がきっかけで、記憶が蘇りかけているのだろう」

「これ、俺たちのせいなのか……?」


「ああ。イエローは我に任せろ、我が主は厨房を頼む」

「わかった。でももし、君の傲慢でこの子を苦しめるなら、俺は君に――」


「違う。世界は滅ぼしても、友人は裏切らん」

「じゃあ信じる。ちょっと待っててね、マリー」

「ダメ、行かないで……お兄ちゃん……」


「大丈夫、コスモスちゃんが一緒にいてくれる。それに、きっとすぐに全部どうでもよくなるよ」


 コスモスちゃんにマリーを任せて厨房に入った。

 幸い、今のコスモスちゃんは暖炉の火のおかげでポカポカだ。


 スープを温め直し、蒸した野菜にも少し熱を入れて準備をしてから、湯でラーメンもどきを茹でた。


 完成だ。

 貧乏な食材につき、やけにさっぱりした味付けになっているけれど、一応これもラーメンだ。


 俺はラーメン一食分をスープ用の皿に盛り付けて、空腹だったけれどまっすぐにマリーの前に戻った。


「でかした、ニコラス。恩に着るぞ……」

「最初からこうなると言ってくれたらよかったのに。マリー、君のためにラーメンを作ったんだ」

「え……、でも、お腹、空いてないのですよ……」


 テーブルに配膳しようとすると、コスモスちゃんが慌てた様子でトレイごとラーメンを引ったくった。


 それをコスモスちゃんがテーブルの別の場所に乗せて、わざわざ別のイスをテーブルに運んで、マリーをそこに座らせた。


「嘘を吐け。この香り、たまらなかろう」

「はい……変なのです……。お腹、空いてないのに、お腹が鳴るのですよ……」


「食え。食えば悪夢は終わる」


 マリーは輝く銀のフォークを手に取ると、震える手で麺を口に運んだ。


「あ……っ!? お、美味しいのです……っ。それに、温かくて……ぁ、ぁぁ……っっ」


 しばらくの間、俺たちはマリーが料理にがっつくのを見守った。


 ああ、お腹空いた……。

 それにこの子、ずいぶんと美味しそうに食べるな……。


「……え?」


 ところがその時、目前の世界が突然に歪んだ。

 それが正常な状態に戻るまで4、5秒といったところだったろうか。


 やがて歪みが元に戻ると、世界は驚くべき姿に様変わりしていた。


「これが真実だ」

「な、何が起きて……だって、さっきまでここ、ここに立派な店が……っ、ええっ!?」


 マリーのお爺ちゃんの店が廃墟に変わっていた。

 マリーとコスモスちゃんがそうしたように天井を見上げれば、冷たい夜空だけがそこにあった。


 俺たちはぼろぼろに朽ちたテーブルとイスの前で、ひび割れた皿と黒く曇ったフォークが刺さったラーメンを囲んでいた。


 暖炉の炎だけが本物で、変わらずに俺たちをやさしく温めてくれていた。


「カオスちゃん……」

「夢から覚めたようだな、イエロードラゴン」


「はい、なのです……」

「ど、どひゃぁぁーっっ?!!」


 遅れてもう1つの幻想が終わりを告げた。

 いたいけな小さな幼女だと俺が思い込んでいた者は、ふわふわの黄金の毛皮で覆われた竜へと変わっていた。


「お、おっきくて、ごめんなさいなのです……」

「い、いや……でも、なんかふかふかしてて、コスモスちゃんよりずっといいよ……?」

「おい、我だって最初からドラゴンゾンビだったわけじゃないぞ……」


 長い尻尾抜きで体長4、5mほどの黄金の竜は、側に寄って触れてみると期待以上のふわふわ感だった。


 とはいえところどころ毛がからまっていて、早急なブラッシングが必要そうだ。


「はうわっ?! ど、どこ触ってるのですか、お兄ちゃんっ?!」

「どこって……ここ足?」


「はうぅぅっ?!」

「我もこういう毛皮の付いた竜に産まれたかったな……」


 コスモスちゃんと一緒に目の前のもふもふを撫で回すと、大きくなったマリーは身をよじって暴れた。


 しかしここは町だ。

 廃墟の中に突然黄金に輝くドラゴンが現れて、町が騒然となるのも必然だった。


「いたっ……な、何するですかー、兵隊さんっ!?」

「なっ、あのドラゴン、喋るのかっ!?」


 どこからともなく矢が飛んできて、それが厚い毛皮に阻まれて俺たちの足下に落ちた。

 

「わ、私です! マリーなのですよっ、こんなの、止めて下さいよーっ! キャァーッ?!」

「おのれ化け物っ、マリーの家を壊したな!」


「ち、違うのですーっ、私がマリーなのですっ! 止めて、止めて、止めてよぉ、みんなぁ……っ?!」

「マリーをどこにやったの!?」

「返せっ、あの子を返せこの化け物!!」


 ……え?

 マリーの精神的にも肉体的にもヘビーなピンチに、お前はのんきにそこで何をしているかって?


 そんなの決まってるじゃん……。


「離せニコラスッ、やつら無粋なことをしおって! あのような外道どもっ、町ごと我が吹っ飛ばしてくれるわーっ!!」


 暴れまくるコスモスちゃんを羽交い締めにしてたに……。


 町の人は悪くない。

 ドラゴンがいきなり現れたらこうなるに決まってる!


 だというのにこの分からず屋は――いたたたっ?!

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