・黒霧の者
・黒霧の者
「あの、黒霧の者って具体的に、どんな方なんです……?」
「見た者はいない。見たら死ぬと言われているからな」
「でもたかだか怪物でしょう……? 生け贄なんて止めて、やっつければいいんじゃ……」
「だから見た者がいないと言っただろう。極悪人を生け贄に捧げるだけで鎮まるなら、町側も損はない」
絞首刑や火炙りよりはまだ生存の機会がある。
俺はポジティブシンキングで権力の犬の言葉を噛み砕いた。
人生が突然にハードモードに戻ったからって泣き叫んではならない。
心が折れたらそこで終わりだ。
今は機会を待つしかない。
けれども脱走のチャンスは訪れず、やってきてしまった生け贄の間では既に鶏ガラスープの手配が済んでいた。
そこは入り口しかない石の玄室で、中央にはスープで満たされた釜が置かれていた。
隣にあるでっかい壷に入っているのは、半個体のラードだった。
「さあ、服を脱いで入れ。お前の好きなラーメン風呂だぞ、ニコラス」
「アンタらアホでしょ……」
「黙れ、ラーメンだけが黒霧の者を鎮められるのだ」
「麺もチャーシューも野菜も入ってないこれの、どこがラーメンなんだよ……」
「お前が麺でチャーシューだ。それに黒霧の者は野菜を食べない、必ずお残しになられる」
「野菜嫌いのお子様かなんかかな、それ……」
俺が服を脱いでラーメン風呂に落ち着くと儀式が始まった。
憲兵たちは祈りを捧げて、てんこ盛りのラードを次々と風呂にぶち込むと、最後は生ニンニクを樽ごと風呂にぶちまけた。
「えっ、ニンニク!? デリケートゾーンにニンニク水溶液はいくらなんでもキツいでござる! あっ!?」
憲兵たちがいなくなった隙を突いて逃げようと思っていたのに、ラーメン風呂の頭上にふたがされて、ゴンゴンゴンと重石が乗せられていった。
やば! で ら れ な い !
「さらばだ、ニコラス! ラーメンの具となって己の所行を後悔しながら死ぬがよい!」
「うるせーっ、たかがラーメン作っただけだろがっ! 美味いもん作って何が悪い!」
「ははははっ、お前は死ぬのだ!」
「ちくしょーっ、全員呪ってやるからなぁっ、この権力の犬どもがっ!!」
憲兵たちが去り、ラーメン風呂を温める焚き火の音だけが残った。
し、しみる……。
デリケートゾーンにニンニクが本格的にしみて、きた……うぐぁっ?!
ふたを押し退けようと力を込めても数mmしか持ち上がらない。
あいつらわざと絶妙な重さにしていったんじゃないかと、悪意を感じるもどかしい重さだった。
「うわぉっ?!」
それでも諦めずにふたを持ち上げようとしていると、全身を上から押さえつける抵抗が突然に消えた。
勢い余った俺は古くより伝わる東方の型、バンザイスタイルでラーメン風呂から飛び上がって、ラーメンに背中から沈むことになった……。
「あ……」
ふたを開けたのは黒霧の者と呼ばれる者だった。
そのおぞましい姿は俺の心臓を凍り付かせ、たった1人の具として巨大ラーメンに浮かびながらヤツを見上げることになった。
肉食を連想させる鋭い牙、3つもある頭、あまりに巨大な翼は翼膜が腐り果てていて、濃紫の全身はところどころの肉が溶けて、骨がむき出しになっていた。
この姿、図鑑で見たことがある……。
コイツはドラゴン系の中でも最強最悪の存在、ドラゴンゾンビだ……。
「……えーっと」
俺たちは静かに見つめ合った。
心なしかドラゴンゾンビの合計6つの瞳が俺の股間に向けられていて、プルプルと震えているような気もしないでもない。
が、あいにくこちらにはドラゴンでゾンビである相手とのラッキースケベに喜べるほどに、こじらせた性癖は持ち合わせてはいない。
ドラゴンゾンビは動かなかった。
ずっと固まっていた。
こちらとしては喰われたら困るので、速やかにしてフレンドリーなファーストコンタクトに至りたかったが……。
果たして、全裸でラーメン風呂に浸かる変態男の言葉を、どこの誰が肯定的に受け止めるだろうか。
キャーッイヤーンッエッチーッと、3つの頭からポイズンブレスを吐かれてもおかしくともなんともなかった。
いやごめん、やっぱ全部おかしいわ。
「やあ……ラーメン、好きかい……?」
「ギャァァーッッ?!! ラーメンもどきに変態が入っているぅぅーっっ?!!」
「あっあっ、違うんですドラゴンさんっ、俺は変態じゃないんですっ! ただ色々あってこのラーメンと呼ぶには色々と冒涜的な何かの具にされただけでっ、俺は被害者なんです、ドラゴンさんっ!」
「喋る具がどこにおるかっ、気色悪いっ!」
あれっ……?
自己弁護に必死で気付かなかったけど、なんかこのドラゴンゾンビ……声だけ、甘ったるくてかわいい……?
「一応俺、具として提供された立場なんだけど……?」
「アホか人間はっ?!」
「だよね? ……よかった。俺、ドラゴンゾンビさんにこのまま喰われるかと……」
「ドラゴンゾンビ……?」
「え、違うの? 黒霧の者って、俺を生け贄にしたやつらは呼んでたけど……?」
声だけかわいい異形の竜に指を指して、もういいそうなのでラーメン風呂から上がった。
全身ギトギトのニンニク風味だ……。
俺は学生服に袖を通していった。
うーん、今日の俺は出汁が利いている。
ドラゴンは俺の尻を忌々しそうに見ると、風呂釜を持ち上げた。
そしてそれを3つの頭それぞれに分けて飲み干した。
あんまり美味しそうには見えなかった。
「……うっ?!」
「それ不味いでしょ」
「う、美味いっっ!! な、なんなのだこの味わいは……っ!? もっと、もっとこれが飲みたい! 貴様、どうやってこのスープを作った!?」
「え。ドラゴンちゃん、味覚音痴……?」
「答えねば喰い殺すぞ! どうやって作ったとこの我が聞いている!」
「どうもこうもあいつら、雑に鶏ガラとラードとニンニクを混ぜ合わせて、そこに俺をぶち込んだだけだったと思うけど……」
いや、待てよ。
この状況、利用できないか?
今は非常事態だ。
嘘でもなんでも吐いて生き延びるべきだ。
よーぉし!
「そんなわけなかろう! そんな雑な料理でこんなスープが生まれるかっ!!」
「ふっ、気付いたか……。実は隠し味が入っているんだ」
「やはりか! 何が入っている!?」
「わからないのか? それは……」
「焦らすな、さっさと教えよっ!」
「それは――俺だ!! 世界最高のラーメン屋である俺こそが、最高の職人であり究極の出汁そのものなのだ!!」
自分で言っておいて俺は思った。
さすがにこの嘘はねーだろ……。
こんなのどこのバカが信じるんだよ……。
「な、なんだとぉぉーっっ?!!」
しかしドラゴンちゃんは意外と純粋にも信じた。
俺が世界最高のラーメン屋で、最高の出汁でもあるとアホにも信じ込んだ。
やっぱり身体が腐っているから、頭の方もちょっと足りないのかもしれないなと、俺は勝手に脳内補完をした。
「うわはははっ、ドラゴンよっ、世界最高のラーメンを作って欲しくば俺に従え! 我はドラゴンテイマー! お前の服従と引き替えに、我はお前の専属ラーメン屋となってやろう!!」
いや、ねーだろ。
こんな条件に乗るバカがいるわけがない。
「フッ、よかろう……。我が破滅の力を貴様に貸そう、ラーメン屋よ! 引き替えに、ラーメンを、ラーメンをもっと! もっと我に捧げよ!!」
あ、いた……。
やっぱりドラゴンゾンビちゃんは、頭がとろけているのかもしれない……。
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