姫君の宿敵13

 全身を、激しく突き上げるような衝撃を受ける。

 事実、ナージャの身体は急上昇していた。今までマグマの中で眠っていたナージャにとっては不意打ちの状況であり、寝起きの頭では素早く情報を分析する事は出来ず。

 何が起きている? 疑問に思った時には『答え』がナージャの目の前に広がる。

 それは、緑に覆われた大地だった。

 ただし鬱蒼と茂る大地を地上から見た光景ではない。地平線の彼方まで続く景色を、遥か上空から見下ろしたもの。

 つまり、ナージャは今大空に浮かんでいた。

 ナージャに空を飛べるような能力も器官もない。どうして自分はこんな場所にいるのだろう? 本能的疑問に従って辺りを見回すと……周りには自分と同じく空に浮かぶ、黒い岩石とマグマがあった。黒煙も朦々と舞い上がり、何より地響きと爆音が響いている。

 ナージャは理解した。

 これは火山噴火だ。どうやら眠っている間にマグマが山へと流れ、噴火によって外へと放り出されたらしい。そこそこ大規模な噴火であり、周囲に生息する数多の生物を根絶やしにするには十分な破壊を振りまいている。尤も、ナージャの身体にとってはちょっと刺激的な目覚ましでしかない。


「ガウッ!」


 スッキリ目が覚めたナージャは空中で身を翻し、足を地面に向ける。そのまま重力に身を任せ……何千メートルもの高さを落下。

 人間ならば文字通り全身がバラバラになるような衝撃も、ナージャにとっては階段を一つ飛び越したようなもの。易々と着地し、難なく地上へと帰還した。

 噴火している火山から数十キロは飛んだようで、黒煙を上げる山は遥か彼方。周りには大きな木々が並んでいて、山の姿は見えない。地上からでは噴火の音が聞こえるぐらいだ。

 身体で感じた衝撃から判断するに、結構な被害が生じるだろう。しかしナージャにとってそんな事はどうでも良い。噴石が頭に激突しようが、火砕流に飲み込まれようが、ナージャは大したダメージも受けないのだから。何より数十キロと離れれば、いくら大規模噴火といっても早々被害も及ばない筈だ。


「……ガゥー」


 なので、ナージャはこれから何をしようか、此処でのんびり考える。

 ……考える事三十分。ナージャはもう、色々面倒になった。

 マグマの中でどれだけ寝ていたのか、ナージャは全く覚えていない。おまけに自分がどれだけの距離を移動したかも、寝ている間はマグマの流れに身を任せていたので分からない有り様だ。

 よってナージャは、『今』が何時で、『此処』が何処なのか分からない。これでは休眠する前に使っていた寝床が何処にあるのか、そもそもまだ残っているかも分からない状況だ。空を見ればもう日が暮れようとしていて、そろそろ夜が訪れようとしている。夜目が利かない訳ではないが、見辛い環境には違いない。

 ……加えて獣に襲われれば美味しく頂かれてしまう人間と違い、ナージャは獣に噛まれても怪我など負わない。むしろ逆に襲い、食べてしまうぐらいだ。そこらで寝る事の欠点は、寝心地が悪い以外特にない。急いで安全な場所を探す必要もない。


「クファァァ……ンニャ、ニュゥ……」


 大きな欠伸をした後、ナージャは地面に横たわる。「なんかもう明日考えれば良いや」と決断を先送りにしたのだ。

 だが、ふと気付く。

 何かの気配が自分の周りを包囲していると。その包囲網が徐々に狭まってきている事も。

 そして感じられる気配の大きさからして、包囲しているのは恐らくは人間だろう。


「……フンッ」


 眠ろうとしていたナージャだったが、目を開き、身体を起こす。

 体調は悪くない。恐らく以前の戦いで負った傷は、ほぼ完璧に治っているだろう。人間が百人千人押し掛けてこようと、負けるとは到底思えない。

 とはいえ人間達の文明の進歩は、ナージャの想像を大きく超えるものであるのも事実。眠っている間にまた大きく進歩して、いよいよ自分達の力に匹敵する技術を手に入れているかも知れない。

 果たしてそれほど強くなったのか。それとも……ナージャは少しワクワクしながら、人間達の接近を待つ。

 予想通り、周りの木陰から姿を現したのは人間だった。しかしナージャが驚くぐらい、その技術力は退

 まず、服装。ナージャでも感嘆するほど優れていた不思議な素材で出来たものではなく、明らかに麻などの植物質で作られた原始的なものだった。更にその手に握っているのは蒸気銃ではなく、金属で出来た斧や槍という有り様。

 またその身体は微妙に小汚い。ナージャからすれば十分綺麗な身形ではあるが、休眠前に見た人間達はもっと小綺麗にしていた。少なくとも土汚れなんて、誰も付けていなかったと記憶している。

 『前々回』と比べれば幾らか文明的な雰囲気はあるが、『前回』の覚醒時と比べるとあまりにも原始的だ。人間達の文明に何か、問題があったのだろうか?

 ……優れた知性があれば、そんな疑問も抱いただろう。されどナージャには、知性はあれども本能重視。細かな疑問は頭の片隅に寄せてしまう。

 それよりも人間達は武器をこちらに向けている。眼差しと気配は敵意に塗れ、隙を見て攻撃するつもりなのだと感じ取れた。未だ隠れている人数も含めれば、ざっと五十人ぐらいこの場にいるだろうか。

 どちらにしてもこの程度ならナージャの敵ではない。眠っている間にどれだけ身体が鈍ったか、それを確かめる良い機会だ――――そんな理由から、ナージャは集まる人間達を皆殺しにしようかと思う。人間ではないが故に、ナージャは人間を殺す事になんの躊躇いもなかった。


「ま、待ってくれ! その子は敵じゃない!」


 もしもこの声がなければ、ナージャは周りの人間達が攻撃を始めたのと同時に、瞬く間に彼等を殺し尽くしていただろう。

 突然声を掛けられて、ナージャから毒気が抜ける。次いで、その声が聞こえてきた方へと振り向く。

 するとそこにいたのは……見知らぬ中年男性だった。

 本当に、ナージャにとってなんら見覚えのない人物である。痩せ型で、髭を生やして、なんだか気弱そう。誰だこいつ? と思いながらじぃっと見つめても、なんにも記憶に引っ掛からない。

 ならばと臭いも嗅いでみる。

 ……これでもやはり思い出すものはない。しかしそれも仕方ないだろう。人間の体臭は食べ物や生活環境などで大きく変わるものなのだから。彼が以前出会った事がある人間だとしても、時が経てば記憶にある体臭と一致するとは限らない。

 ナージャには彼が誰かは分からない。だが、男の方はナージャを知っていた。故に笑顔で彼女の下に駆け寄り、そして馴れ馴れしく手を掴んでくる。


「僕だよ! ジョシュアだよ! また会えたね!」


 そしてナージャが人間の言葉を理解していない事を知っていながら、かつてのように元気よく話し掛けてくるのだった。

 ……………

 ………

 …

 ナージャが怪物少女を打ち倒し、地下深くへと跳び降りてからが経っていた。

 その三十年の間に、人間の世界には様々な問題が起き――――結果破滅を迎えた。

 発端は、スチームコアの採掘。

 怪物少女が倒され、ナージャが去った後、スチームコアの採掘について世界的な議論が起こった。何しろ世界最大の都市にして、最強の軍事都市であるオルテガシティを、怪物少女は単身で壊滅させたのだ。しかも怪物少女を打ち倒したのは、同等の力を有した別の少女ナージャであり、人類の力は全く効かなかったといっても過言ではない。怪物少女の死は、途方もない『幸運』に恵まれた結果に過ぎない。

 そして生き残ったオルテガシティの兵士の証言から、怪物少女はスチームコアの採掘により掘り起こされた事が判明した。

 ならばこのままスチームコアの採掘を進めれば、怪物少女の同族とまた遭遇する可能性がある。ナージャがいれば、新たな怪物少女も倒してくれると期待も出来たが……そのナージャは地下深くに去ってしまった。このため怪物少女との遭遇が、そのまま人間文明の滅びに直結してしまったのだ。

 人間達の間で議論が巻き起こった。スチームコアの採掘を止めるか、否か。

 破滅を引き起こす採掘だ。今すぐ止めるべきだ、という意見はそこそこ出てきた。だが現実問題として、出来る訳もない。人類文明は今や蒸気の力なしでは成り立たず、蒸気の力を得るにはスチームコアが欠かせないのだから。電気エネルギー技術へと移り変える、またはガスなどを蒸気の熱源にするなど案は出たが、それらとの競争に勝ったからスチームコアが主力の動力源となったのだ。今から電気やガスに変えれば、数百年は文明が後退する。そもそも切り替えるにしても、電線やパイプラインなどのインフラを一から作らねばならない。全く現実味のない意見だった。

 結局、人間が出した結論は「百年後を目途に少しずつ切り替えていく」というもの。電気工学を発展させつつ、ガスなどに出来る部分は置き換える……現実的だが危機感に欠ける案だった。しかもそれすら予算や技術的問題で、予定よりも進みが遅い有り様だ。無理な切り替えで住民の反対運動が広がったり、経済発展優先で都市政府(と住民)が目標を無視したりするなどの問題も起きる始末。

 尤も、仮に予定通りに対応が進んだとしても――――オルテガシティの事件からたった八年後に二体目の怪物少女が現れた以上、無駄な足掻きに過ぎなかっただろうが。

 予想通り採掘現場から現れた二体目の怪物少女は、暴虐の限りを尽くした。多くの都市が協力して抵抗するも、怪物少女には敵わず。世界中の都市が壊滅していき……そして都市の生産力に頼っていた文明も大きく後退した。

 人類文明の壊滅である。


「あの時の混乱は酷かったよ。僕はなんとか生き延びたけど、エルメス達や大男くんとは逸れてしまったし……あの二人なら元気で生きてそうな気もするけど」


 そんな『思い出話』を、ジョシュアはナージャに話してくれた。

 尤も、現代の人間の言葉を知らないナージャには、彼が何を言っていたのかさっぱり分からないが。しかし分からなくても不快ではない。むしろ「なんかこんな人間が昔いた気がするなー。アイツの子孫かな?」と懐かしく思っていた。

 なのでナージャは森の中、ジョシュアの前でごろんと寝転がっていた。周りには先程武器を向けてきた者達もいるが、もうナージャは気にも止めていない。驚異でない事は最初から明白であり、ジョシュアの掛け声で敵意がなくなった今、わざわざ殺す必要があるとは思わないのだから。


「あ、ちなみに此処の人達は逸れた後、色んな町の跡地で出会って、協力して暮らしているんだ。今回君と出会えたのも、噴火を観測していた仲間から『人影』が出てきたって報告されてね。またあの怪物少女かもって確認するためなんだ。みんな頼りになるよ……まぁ、僕は昔から変わらず役立たずだけど」


「そんな! ジョシュアさんが色々仲介してくれたから、俺達は今纏まっているんです。もっと自信を持ってください!」


「そうですよ! 俺達ジョシュアさんの事そこそこ尊敬してますから!」


 ジョシュアの謙遜に、周りの者達は(冗談を交えながら)反論する。ジョシュアは照れたように笑い、此処にいる者達との関係の良さを物語る。

 別段人間関係など興味もないが、喧しい殺伐としているよりは和やかな方がナージャとしては眠りやすい。彼等の語り合いをナージャは邪魔しない。

 ……多くの人間は、例え彼等の間に入ってでも尋ねるべき疑問を抱くだろうが。

 二体目の怪物少女は、今、どうなっているのか。


「……まぁ、僕達人間が力を合わせたところで、どうなるものじゃなかった。集落を作って生活すれば、腹ペコの怪物少女がやってきて村人を皆殺しにしていく。戦うどころか逃げる事も出来やしない」


 ナージャはそもそも今の話の内容を理解していないので尋ねないが、ジョシュアは自然と続きを語る。

 都市文明が健在だった頃ですら、手に負えない存在だった怪物少女。その都市を失った今の人類に、少女を止める力などない。出来る事など繰り広げられる暴虐に対し、自分の下には来ないでくれと祈るぐらいだ。

 このまま人類が滅ぶか、怪物少女が飽きて去っていくか。そのどちらかになるまで終わりは来ない……誰もがそう思っていた。

 しかし終わりは、今から五年前に突如として訪れた。


「イリステア。彼等は自身をそう名乗った」


 五年前の事を思い出すように、ジョシュアは目を閉じ、深くため息を吐く。


「彼等は……海の底から現れた。巨大な、空飛ぶ船に乗ってね。なんでも古代に地上から海に住処を移した一族とかなんとかで、正当な地上の支配者らしい」


「ジョシュアさん、連中の言い分を真に受けるのは……」


「いやー、なんでも疑うもんじゃないと思うよ? それに、彼等が何処から来たとか、支配者として正当かどうかなんてそこまで重要じゃない事だろう?」


 苦言を呈しようとした一人の若者に、ジョシュアはそのように問う。若者は口を噤み、その通りだと納得したようだ。

 話は戻され、ジョシュアは過去について語る。

 五年前突如として現れた存在・イリステア。彼等は人間に対し『統治』を行うと告げた。つまるところ、人間の社会を支配するつもりだという事を述べたのだ。

 都市が残っていた頃なら強気で突っぱねていただろう宣告。しかし当時の人類は、既にまともに戦う力など残っていなかった。それどころか原始生活に耐えられなくなった者達が、自ら進んで平伏する始末。

 そしてイリステアは、自らの統治の邪魔になるとして怪物少女の『駆除』を行った。

 ジョシュアはその光景を直には見ていない。だが伝え聞くところによれば、激しく壮絶な戦いだったらしい。巻き込まれた人間も大勢いたようだ。イリステアにも少なくない被害が生じたとの事である。

 されど結論を述べれば、イリステアが勝った。

 人類では手も足も出なかった存在を、見事討ち滅ぼした超文明。生き延びた人類の殆どがその支配下となるのに、長い時間は掛からなかった。


「とはいえ連中は、人間を助けたかった訳じゃない。傘下に入った人間は労働力として奴隷扱いを受けているらしいからね」


「俺達はそんな生活はごめんだから、こうして奴等から離れた場所で暮らしているんだ」


 ジョシュアと若者はそう言って話を締め括る。

 ナージャはと言えば、大きな欠伸を返すだけ。

 何分、彼等が何を言っているかも理解していないのだ。イリステアなる存在が現れた事すら分かっていない。そもそも人間の現状自体どうでも良い。

 欠伸をしたら身体を丸め、ナージャは寝息を立てる。明らかに話を聞いていない素振りに若者達は唖然としていたが、ジョシュアは懐かしむように笑った。


「いやー、変わらないなぁ。昔から彼女はこんな感じに無関心でねー。というか姿も三十年前から変わってないし、やっぱ人外だなぁ」


「あ、あの……大丈夫、なんですか? その、襲われたり……」


「怒らせるような真似をしなければ平気だよ。僕でも世話係が出来たぐらいだし。勝手にどっか行って暴れてくる事が一回あったけどね。あの時は確か、工場一つ吹っ飛んだんじゃなかったかなー。あとあの怪物少女も倒したんだよー」


 けらけらと笑うジョシュアだったが、ナージャが与えた被害や戦果を聞いて若者達は顔を引き攣らせる。工場を破壊するなんて、言い訳出来ないほどに危ない怪物ではないかと言わんばかりに。

 その顔が『怒らせる真似』になるのではないかと思ったのか、若者達は誤魔化すようにナージャから顔を背ける。勿論ナージャはそんな事など気にもせず、このまま惰眠を貪ろうとした。

 だが、すぐに目を開く。


「……………グゥウゥゥ」


「あ、あの、なんか唸ってません……?」


「唸ってるね。どうしたんだろう?」


 ナージャの口から出た唸り声に、若者達は後退り。ナージャが人間など気にもしない事を知っているジョシュアは、不思議そうにナージャの様子を窺う。

 そして当のナージャは、遠くを見つめた。

 それが『何』であるかはナージャにも分からない。だが、とても大きな気配があるのを感じ取る。

 攻撃的な気配ではない。また怪物少女のような嫌な感じもしない、というより知らない気配だ。しかしここまで存在感を発するのは……自分や怪物少女の一族ぐらいである。

 果たしてコイツはなんなのか。

 傷を癒すためとはいえ三十年間眠っていた事もあって、このまま眠るよりもその存在への興味が勝った。ナージャはパチリと目を見開くや、ゆっくりと立ち上がる。


「……ガゥルルルル」


 沸き立つ好奇心のまま、ナージャは感じ取った気配の下へと向かう。

 尤も、気配の方からもやってきたのだが。


「なっ!? あ、あれは……イリステアの船……!?」


 ジョシュアが驚きの声を上げる。

 何故空を見るのか? 答えは、そこにイリステアの船があるから。

 イリステアの船は奇妙な形をしていた。正八面体の立体構造をしており、装甲は青く輝いている。直径は三百メートル程度だろうか。音は聞こえず、何かを噴射している様子もない。それでいて浮遊は安定していて、落ちてくる気配もなかった。

 何億年と生きてきたナージャであるが、これこそ正に見た事のない代物。流石のナージャもこれには驚き、目を大きく見開く。

 そうして見ている前で、船の下側から光が発せられた。

 光は地上に到達すると、まるで浮かび上がるように人の形を作る。現れたのは、トレンチコートのような服を着た人物。頭髪がない事を除けば、若い男のようだ。

 ナージャは知らない。それがイリステアという種族である事を。


「やぁ、人間達。まさかこんな辺鄙なところに隠れ住んでいるとはね」


「……何をしに来た? 僕達は君達の傘下に下らないよ」


 話し掛けてきたイリステアに、ジョシュアは敵対的な視線と共に尋ねる。

 しかしイリステアは余裕を崩さない。それどころかジョシュアをろくに見ていない。

 彼の視線は、ナージャに向いていた。


「それは残念だ。まぁ、君達をわざわざ回収しなければならないほど我々も人手不足ではないからね……そこにいる怪物だ」


「? どういう……」


「全く。吸血種が生き延びていたから警戒していたが、やはり炎熱種も生きていたか。エネルギーを観測していて、本当に良かったよ」


 イリステアはジョシュアの問いに答えているようで、実際には大きな独り言を呟く。

 ――――ジョシュア達は知らない。

 イリステアが本当に、かつてこの地上で栄えていた種族であると。人類よりも先に文明を築き、電子工学の力により発展して地上を支配してきた。高度なテクノロジーは自然を制御するのに十分なものであり、彼等の繁栄は永遠に続くように思われた。

 されどある時、二体の怪物が目覚めた。

 髪を自在に操る怪物と、高熱を放つ怪物だ。二種は支配者であるイリステアの事など興味もなく、双方が激しく争う。その争いに巻き込まれる形でイリステアの文明も被害を受けた。文明は高度だが個体数の少なかったイリステアはこれで壊滅。それでも戦いは続いていて、彼等は安全な海の底へと逃げたのである。

 長い年月を掛けて力を取り戻し、ようやく地上を奪還したイリステア。彼等からすればかの怪物の片割れ……ナージャの存在を感じ取ったなら、始末しない訳にはいかない。二度と自分達の繁栄を脅かさないよう、芽を摘むのが最適解。

 故にナージャを敵視しているのだ。

 ……ちなみにナージャは、本当にイリステアなんて知らない。何しろイリステア文明を滅ぼしたのはなのだから。要するに全くの他人であり、逆恨みである。尤も、ナージャにとってその敵意が的外れかどうかなど些末な問題だ。重要なのはこの『生物』が自分に敵意を向けている事。

 そしてその敵が、どうやらかなり手強い事だ。


「……グルルルル」


 ナージャが見つめるのはイリステア、ではなく頭上に浮かぶ船。

 ナージャは気付いている。そこにいるイリステアは姿だけで質量を持たない……立体映像であると。つまり戦うべき敵は巨大船の方だ。

 『体格差』は圧倒的。だが感じ取れる力量エネルギーは互角である。空を飛んでいるので立ち回りでは向こうが有利かも知れない。しかし怯んで逃げ出すほどではないだろう。

 何より、ワクワクする。

 新しい時代に現れた、新しい敵。それは新しい刺激であり、幾千万年の歳月を生きてきたナージャに興奮と歓喜を呼び起こす。果たしてコイツはどれだけ強いのか。どんな戦い方をするのか……考えるだけで、ナージャは胸が踊る。


「グゴアアアアアアアアアアアッ!」


 それを伝えるための大咆哮。

 イリステアはナージャの咆哮を聞き、眉を顰める。下等で野蛮な獣を見下すような眼差しだ。

 実際、ナージャは上品な生命体ではない。寝床がどれだけ汚れていても気にならないし、食べ方にマナーも何もありはしない。戦いを好む性質は野蛮の極みである。理性を軽視し、本能を重視する姿勢は、いくら知能が高くとも『知的生命体』とは言い難い。

 しかし下品であるから弱いとはならない。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 更なる大咆哮。示すものは知性ではなく力。高度な文明を、巻き添えだけで粉砕する圧倒的暴力の片鱗を見せる。

 二度目の咆哮を受けると、イリステアの表情が歪んだ。彼は知らない。若い世代であるがために、祖先達が巻き込まれた戦いがどんなものなのか、ナージャがどれだけの強さを持っているのかデータでしか分からないのだ。『本物』を前にして不安が過るのは、自然な反応である。

 ナージャは相手が無知である事を責めない。されど汲まない。敵対した以上気の向くままに叩き潰し、気が済んだところで生きていたら、見逃してやらない事もないだけ。

 何より、ナージャにとっては初めて経験するタイプの強敵だ。一体どんな戦い方をするのか、どれだけの強さがあるのか。好奇心が疼く。

 イリステアに『敗因』があるとすればただ一つ。不用意にナージャの気を惹いてしまった事だ。


「ガアアアアアアアアアアッ!」


 地上の支配者たる姫君の雄叫びが、世界に轟く。幾億年先の未来までも、この星の『姫』は自分であると告げるかのように。

 そしてそれを分からせるのは、己の力。

 口の中で煌々と輝く紅蓮が巨船へと放たれたのを切っ掛けに、この星最大の戦いが幕を開ける。

 後に人類は、そしてイリステアまでもが後世に語る。

 世界の支配者である紅髪の姫君が、如何にして頂点に君臨したのかを――――

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紅髪の姫君 彼岸花 @Star_SIX_778

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