姫君の宿敵12

 しばしの間、怪物少女は唖然としていた。

 髪はまだ揺れ動く。細い手足も動かし、何よりナージャを最後まで敵意に満ちた眼で睨んできた。身体が左右に分かれても、有り余る生命力で絶望も屈服もしない。

 残虐で暴虐的ではあっても、彼女もまた勇猛果敢な生命体だった。

 されど、そのまま生き続ける事は出来ず。

 身体の左右がそれぞれ地面に落ちたところで、怪物少女の瞳から覇気が失せる。断面から内臓と体液が飛び出し、びちゃびちゃと周りを汚した。体液は地面に吸われ、外に出た内臓は重力に逆らえず形を崩す。

 それでもしばらくはジタバタと手足を動かしていたが、刻々と勢いは弱まっていき……やがて完全に止まる。髪も地面の上に広がり、血の気が失せるように萎びていく。


「グゥルルルル……」


 ナージャは唸り声をぶつけてみる。怪物少女は動き出す気配もない。

 眼で熱エネルギーの変化を見る。エネルギーの殆どが霧散し、自分達はおろか普通の生物ほどの力も残していない。

 安心するのはまだ早い。自分達が一般的な生物と比べ、どれだけ異様な力を持ち合わせているかナージャは自覚しているのだ。身体が左右に分かれたという『常識的』な致命傷でもまだ生きているかも知れない。

 念のため、ナージャは怪物少女の顔面を踏み潰す。頭が原型を失ったら次は胴体も踏み付けておく。形が変わるまで、何度も何度も何度も何度も。

 最早肉塊。そう言える状態になった怪物少女を目の当たりにし、ようやく本能的にも確信に至る。

 これだけの傷を与えれば、流石に生きてはいられない。


「……ギウゥゥ」


 緊張の糸が切れた途端、ナージャはその場で膝を付いた。

 激しい戦いだった。それこそ、死を覚悟するほどに。今回勝てたのは、反撃を警戒した相手が素早く止めを刺すため、首絞めをやろうとしたお陰だ。もしもナージャの逆襲を恐れず甚振ったなら、却ってチャンスはなかったかも知れない。

 完全勝利とは言い難い。幸運に恵まれたと言えばその通り。しかし勝利には違いなく、何よりこれで証明された。

 ナージャこそが、この地上で最強の生物であると。


「……………グ、ウゥ」


 勝利の咆哮を上げたくなる。だが身体の傷があまりに深く、吼えようと力を込めると痛みで怯んでしまう。そもそも止めの一撃により喉が焼け爛れていて、痛みを無視したところで大した雄叫びにはならない。

 儘ならない身体に苛立つも、そんな余裕もすぐになくなった。疲労が酷過ぎて、立っている事すら辛い。

 勝利の咆哮なんてどうでも良くなり、ナージャはうつ伏せになるように倒れた。

 冷静に身体の調子を確認すれば、思っていた以上に酷い。ナージャ自身、あと少しのところで共倒れになっていたと思うほどだ。負った傷も酷く、再生には長い時間と大量のエネルギーが必要となるだろう。

 細胞が生み出したエネルギーを可能な限り多く修復に回したい。その最も効果的な方法は可能な限り身体も脳も働いていない状態……睡眠だ。何億年と生きてきた身体は最適解をよく理解しており、ナージャの意識に働きかける。

 つまるところナージャは強烈な眠気を覚え始めた。

 理性があればこんな野外で、等という考えも過るかも知れない。獣であっても、建物一つ残っていない『平野』で眠るのは危険だと、本能的な忌避感を覚えるだろう。しかしナージャに理性はなく、敵を恐れねばならない獣ほど弱くはない。衝動に逆らう理由は存在せず、ナージャは眠りに就こうとする。

 だが、すぐにその意識は覚醒に戻された。

 ナージャは感じ取る。自分の周りに無数の気配が集まってきた事に。気配はどれも小さな、大して力のないもの。手負いの今であっても『虫けら』程度の存在だが、些か数が多い。加えて動きも統率されていて、迷いなくナージャを包囲してくる。かなり知能の高い生物だと窺える。

 それが人間の動きである事を、ナージャは察した。何故自分を包囲するのか? 目的はさっぱり分からない。

 仮に、敵対的な行動をしてきたとしても、短期的には問題はない。確かに今のナージャは大きく疲弊し、ハッキリ言ってかなり危うい状態だ。格下相手でも戦えば敗北の可能性がある。だが人間がどれだけ死にかけだろうと十数匹の羽虫に殺される事はない。それと同じように、ナージャが生身の人間に殺される可能性はほぼあり得ない事だ。爆撃機やクレアのような、強力な兵器が一緒だと話は違うが……感じ取れた気配からして、全員がほぼ生身。恐らく銃(散々撃たれたり目にしたりしたのでナージャも存在は覚えた)などは装備しているだろうが、あれぐらいなら今でもなんとか出来る。

 とはいえ疲弊状態故に、長期戦になれば話は違う。体力を大きく消耗した今、何時までも能力が使えるとは限らない。ナージャが無敵の力を発揮出来るのは、運動・熱エネルギーの変換を自由に行えるため。この能力がなければ、ナージャはちょっと丈夫で喧嘩好きの獣でしかない。銃で撃たれたら普通に致命傷を負う。

 そしてこの時代の人間は数が多い。絶え間なく攻撃され続ければ、人間でも勝機はあるだろう。つまりナージャにも負ける可能性はある。それも決して低くない可能性だ。

 よって逃げる方が合理的なのは間違いない。また、獣と同質の考えを持つナージャは逃げる事が恥だとは思わない。

 だが、逃げるつもりはない。

 文字通り命を賭した戦いが終わったばかりで、ナージャは気が立っていた。要するに冷静ではない。敵対者全てを潰してやるつもりでいる。


「ナージャ!」


 闘争心を露わにしながら立ち上がったナージャは、その大きな声が聞こえた方を見遣る。

 そこにいたのは、見慣れた人間……ジョシュアの姿だった。

 いたのはジョシュアだけではない。エルメスの姿もあり、そしてエルメスの背後には何百人もの人間達がいた。いずれも軍服すら着ていない身であるが、その手には骨董品の蒸気銃を持ち、戦う意志を露わにしている。

 集まった人間達がどんな集まりなのか、ナージャには知る由もない。彼等はエルメスの呼び掛けによって集まった人々……反政府組織の者もいれば一般人もいる……であり、ナージャとは必ずしも面識はないのだ。

 勿論、エルメス達反政府組織のメンバーを除けば、一般人にとってもナージャは初対面の相手。破壊され尽くした街の跡地で、ただ一人生きている『人外』という外見的な情報しか持っていない。


「アイツが俺達の町を襲った奴か! そのドタマ撃ち抜いて……」


「待て! アイツは敵じゃない!」


 エルメスが止めなければ、彼等はその手に持っていた銃でナージャを攻撃していただろう。そして撃たれたなら、ナージャは彼等を肉片に変えていただろう。

 しかしエルメスが止めたため銃撃は起こらず、ナージャもそこにいるのが見知った顔だと分かった。エルメスやジョシュアが敵でない事は既に分かっている。昂っていた気持ちも落ち着きを取り戻し、ナージャはすっかり戦意喪失。立っているのも面倒になり、ぱたりと地面に倒れ込む。


「わ、わ! ナージャ! す、凄い傷だよ!? ど、どうしたら……」


「落ち着け。冷静に観察しろ……呼吸は安定しているようだ。身体の傷からしてかなり衰弱しているが、死にそうな感じではないな。恐らく疲れていて、眠ろうとしているんだろう」


 倒れたナージャを見て慌てふためくジョシュアだったが、エルメスに窘められて冷静さを取り戻す。

 エルメスが言うように、ナージャは再び寝ようとしていた。人間達に敵意はなさそうであるし、感じた気配の量からして脅威でもない。やや攻撃的な雰囲気こそ感じ取ったが、あくまでも雰囲気。実際に攻撃してこないのなら、こちらから戦いをけしかけるのは面倒でしかない。

 だからナージャとしては無視していたのだが……どうしてだろうか。エルメスやジョシュアなど、一部を除いた人間達がぞろぞろとナージャの周りを囲う。こちらを観察している様子だったが、見られているだけならあれこれ思うほどナージャは繊細ではない。どうでも良いと考え、彼等の存在を無視する。


「なぁ……今なら、倒せるんじゃないか」


 人間達が自分達を倒すための相談を始めた事など、露知らずに。

 ナージャの討伐を申し出たのは、エルメスの呼び掛けに応じて集った住民の一人。救世主であるナージャに仇を為そうという発言に、ジョシュアは目を見開くほどに驚く。尤も、彼のような反応を示す者は少数派だったが。


「た、倒すって、どういう事だよ!?」


「だってコイツ、町をこんなにした化け物さえも倒した奴なんだろ……? だったらコイツが暴れたら、また町がこうなるかも知れないじゃないか!」


「そ、そうだ! 今なら倒せるかも知れないけど、元気になったら止められないぞ!」


「大体そいつは俺達の味方じゃないだろ!? クレアの時の事を忘れたのか!」


 次々と出てくる敵対的な意見。それはナージャの事をよく知らない都市住人達だけでなく、エルメスと共にやってきた反政府組織レヴォルトの構成員も一部が声を上げていた。

 彼等の意見は、一概に恩知らずと言えるものではない。

 彼等が言うように、ナージャの戦闘能力は極めて強大だ。こんな時でもなければ、もう二度と倒すチャンスは訪れないほどに。それでいてナージャは人間に対し友好的という訳でもない。積極的に攻撃しないのは人間が羽虫をわざわざ殺して回る事をしないのと同じであり、攻撃に巻き込む事などなんら躊躇しない。今し方繰り広げていた怪物少女との戦いでも、瓦礫の下にいた生存者の何割かはナージャの攻撃によって止めを刺されただろう。そして機嫌を損ねたなら、容赦なく滅ぼす。

 何時自分達の命を脅かすか分かったものではない。なら、今のうちに倒しておくべきだ、というのは一つの考え方だろう。

 しかし、彼女の力により人間が助かったのもまた否定出来ない事実。


「で、でも、オイラ達が生きていられるのもナージャのお陰だろう!? もしもナージャがやられたら、オイラ達、みんなアイツに喰われていたかも知れないんだ!」


「ああ、俺達じゃあの化け物は倒せなかった。恩人を撃つなんて真似は出来ない」


「そもそもあの化け物が一体とは限らないし……またアレが出た時のためにも、ナージャは倒さない方が良いんじゃ……」


 ジョシュアを筆頭に、反対する意見が次々と出てくる。助けられた恩義という『感情的』な意見もあれば、未来の脅威に対する心配という論理的な意見も出た。


「あんな怪物が早々現れるもんか! それより今此処にある脅威をどうにかすべきだ!」


「そんなの分からないだろ! 実際、ナージャ以外の化け物が現れたんだ!」


「そもそもナージャは、これまで積極的に人間を襲っていない。振り撒いた破壊はあくまで戦いの余波なんだ。接し方を間違えなければ、敵対する可能性は低い」


「それこそ非現実的だ! 人間じゃない相手の逆鱗が何処にあるかなんて、俺達人間に分かる訳ない!」


 人間達の口論が交わされる。

 人間からすれば、ナージャの生き死にが自分達の命運に関わるのだ。その議論が白熱したものとなるのは必然である。

 しかし当のナージャからすれば、人間達がギャーギャー騒いでいるだけ。

 別段普段であれば雑音として無視するところだが、今はそうも言っていられない。体力の回復が必要であり、集中した睡眠を取らねばならないというのに。こうもわーわー五月蝿いと、流石のナージャでも眠りに入れない。

 落ち着きのある場所に行きたい。

 あの場所ならば落ち着けるか? そう思ってパッと考え付いたのは、人間達が使っていた地下施設の奥深く。だがあそこは駄目だ。喧しい人間から離れたいのに、わざわざ人間達の住処に行っては意味がない。追い出せば良いかも知れないが、それも面倒である。

 ならば数千年間の休眠で使っていたあの洞窟はどうか。新たな候補を考えてみたが、これも駄目だと思う。居場所は良いのだが、些か遠い。そこまで行く体力はあるものの、とぼとぼ歩いていくのは面倒臭い。疲れている今となっては特に。

 静かで落ち着ける場所はないものか。出来ればエネルギー源となる熱もそれなりに欲しい。

 考えたナージャは、一つの場所を閃く。

 ――――そうだ、


「……………グルルル」


 唸りながら、ナージャは重たい身体を起こす。人間達は一斉に身を強張らせ、中には銃口を向けてくる者もいた。しかしナージャは人間など気にも留めず、地面をじっと見つめる。

 次いで、大きく息を吸い込んだ。

 喉の再生はまだ終わっていない。ここで炎を繰り出せば、更なる痛手を負うのはナージャも分かっている。しかし致命傷には至らず、安全安心な場所へと向けるのだ。『擦り傷』ぐらい我慢すれば良い。


「シュゴオオオオオオオオオオオオッ」


 やや気怠げながらも、ナージャは口から炎を吐き出した!

 怪物少女に向けて放ったものと比べれば、遥かに威力で劣るもの。しかし人間にとっては、地獄の業火を彷彿とさせる熱さだ。囲んでいたとはいえ十メートルは離れていた人間達だが、あまりの熱さに驚きひっくり返ってしまう。

 ましてやこの炎の直撃を受けた地面はただでは済まない。

 積み上がったコンクリートは呆気なく溶解。更にその奥にある地面も一瞬で溶け出す。

 足下が溶ければどうなるか? 当然ナージャの体重は支えられず、地面の下に落ちていく。地面が溶けたものとは、即ち溶岩。ナージャは赤熱した液体に身を浸す事になったが、彼女の肉体からすればこんなのはぬるま湯だ。むしろ心地いい。

 そして落ちながらも炎を吐き続ければ、穴はどんどん深くなっていく。


「あっ!? 待て――――」


 エルメスがナージャの思惑に気付いたようだが、生憎ナージャは彼の事など羽虫程度にしか思っていない。呼び止めた飛び回ったところで意識すらせず。

 ナージャは自らの力で開けた大穴に沈む形で、地中深くへと落ちていく。

 別れの言葉も交わす事なく、ただ『五月蝿い』という理由だけで、ナージャは人間達の前から姿を消すのだった。















 数百秒と炎を吐き続けたナージャは、やがて足下だけでなく周り全てが溶岩に満たされた領域に辿り着いた。

 それは灼熱の液体。

 惑星の圧力と摩擦、更に原子の自然崩壊の熱により岩石が溶けて出来た、星で最も深く広大な海……マグマだ。星に存在する大概の物質は溶かしてしまう高温であり、星が持つ無尽蔵のエネルギーであるが、ナージャにとっては心地良い熱源である。

 ナージャは能力により熱エネルギーを吸収し、自らの活力へと変えていく。

 潤沢なエネルギーを得た細胞は活発に分裂し、身体の傷を瞬く間に修復していく。怪物少女との戦いでボロボロになった尻尾も再生し、元のぷりっとした肉付きが戻る。

 ものの数分で身体の傷は癒え、体力は回復した。とはいえ先の戦いで負ったダメージは完全な回復には至らない。内臓の損傷や筋肉の破断、血液や体脂肪などの不足……これらは熱エネルギーだけでなく、タンパク質の補給も必要だ。

 地殻にタンパク質などあるのか? 少なくとも人間には、摂取出来ないだろう。だがナージャは違う。彼女達の一族は熱エネルギーを用い、原子レベルで物質を組み立てられる。タンパク質は窒素と炭素と酸素と水素、リンと硫黄で出来ているもの。これらは地殻に流れるマグマ中に存在する元素であり、長らく漂っていれば皮膚から自然と吸収出来る。

 とはいえこの方法にも欠点はある。それは時間が掛かる事。怪我の程度にもよるが……下半身を失うような大怪我であれば、数百年は掛かるだろう。ナージャはそこまでの大怪我はしていないが、体内のダメージは深刻だ。完全回復には二十年以上の歳月が必要である。

 二十年という歳月は、人間にとって決して短いものではない。「十年一昔」等という言葉がある通り、時代が移り変わるには十分な期間だ。中には死んでいる人間だって、それなりにいるかも知れない。ジョシュアやエルメスのような若者も、例外ではない。

 されどナージャにとって、人間との出会いは刹那の些事に過ぎない。彼等と二度と会えなくても、そこに悲しみも惜しさも感じない。同族相手にすら興味がないのだから、異種族相手ならば尚更だ。

 だから眠る前に願う事があるとすれば、ただ一つ……次の目覚めの時、また楽しい時代になっている事だけ。強敵がいて、命懸けの闘争があって、今まで見た事もないようなものばかりあるような世界が広がっていてほしい。

 人間のような言葉を持たず、純粋な『気持ち』だけで願いながらナージャは目を閉じる。

 そして時は流れ――――

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