姫君の宿敵10
恐るべき速さだった。
これまで繰り広げてきた戦いも、ナージャ達以外から見れば超高速の激戦。傍から見れば相変わらず怪物少女の動きは素早く、故にそのスピードがどれほど上がったかは分からない。しかしナージャには分かる。
今まで怪物少女の動きは十分追えた。体勢が崩れていると対応が間に合わないぐらいには速いが、構えを取れていれば早々喰らわない程度には見えている。だが今の怪物少女の動きは、ここまでの戦いを嘲笑うかのような速さだった。
怪物少女の身体からは今も大量の湯気が噴出しており、さながら蒸気機関が如く様相。されど繰り出すパワーは、蒸気も電気も超えている。自分の吐いた炎がこれだけの力を与えたと思うと、ナージャの中には誇りにも似た感覚が込み上がるが――――喜んでいる場合ではない。
怪物少女が繰り出してきた髪の一撃は、ナージャには殆ど見えなかったのだから。
「キャアアアアアッ!」
「ガッ!?」
悲鳴とも歓声とも笑い声とも付かない、甲高い声を上げながら怪物少女はナージャを打つ! 髪の纏まりはナージャの頬を殴り、踏ん張ろうとしたその身体を難なく浮かび上がらせる。
更に追撃として放たれたもう一本の髪の束は、この攻撃を予測していたナージャにより掴まれたが……怪物少女はお構いなし。鞭のようにしならせ、踏ん張ろうとしたナージャを押し出し大地に叩き付けた。
打撃の威力は凄まじく、ナージャが打ち付けられた地面には巨大なクレーターが出来上がる。ナージャの口からは血反吐が出て、全盛期の変換能力でも運動エネルギーを相殺しきれなかった事を物語る。
だが、ナージャの闘志を奪うにはまだ足りない。未だ怪物少女の髪は掴んだまま。
「ガグ、ウ、ウガアァッ!」
髪の集まりがもたげられ、再び叩き付けようとした瞬間、ナージャは体勢を変えて足から着地。
そして渾身の力を込め、怪物少女の髪を巴投げの要領で持ち上げる。
怪物少女にとってこの投技は生まれて初めてのものだったのか、一瞬だけ戸惑いが顔に現れていた。しかしすぐに髪を大地に打ち込み、楔のようにして身体を固定。ナージャの投げを無力化してしまう。
こうなると今度はナージャが不利だ。投げるために怪物少女に背を向けている。
ナージャは尾を振るい、怪物少女を牽制。力に満ち溢れている怪物少女としても尾の一撃をもらいたくないようで、身体の方は大きく後退させていく。だが髪の方は、むしろナージャ目掛けて伸ばした。
そして纏まっていた髪を、バラバラと解れさせていく。
何十何百と分散させた髪により、ナージャを縛り上げるつもりなのだ。尻尾を振り回して威嚇しても、縦横無尽に動き回る髪の全てを打ち落とす事は出来ない。伸びた髪はナージャの四肢に纏わり付き、縛り上げてくる。
このまま動きを封じるつもりか。されど初戦の時と違い、今のナージャに大人しく拘束されるつもりはない。
「グゥ……ゥッガアアアアッ!」
対抗策は、全身が震えるほどの大咆哮。
身体中の筋肉を用いて発した声量は、衝撃波となって辺りに広がる。人間相手ならば何十メートルと離れていても耳や鼻から出血が起きそうなほど大きなエネルギーだが、ナージャ達からすればあくまで大声。肉体的なダメージはない。
「ウギ、ギャ、ギィ……!?」
ところが怪物少女は大きく怯んだ。顔を顰め、ぶるぶると身体を震わせる。
理由は、あまりにも五月蝿いから。
怪物少女にとって髪は武器であるのと同時に、獲物の位置を探る鋭敏な感覚器の一つでもある。感じ取る刺激には上限がある(特殊なタンパク質により刺激が通る量を制限しているのだ)ため、普通に相手を殴ったところで痛みも何もないのだが……此度のナージャの咆哮は、普通のものではない。全身全霊の大咆哮であり、怪物少女の毛に備わったタンパク質の守りを貫通する。人間で例えれば鼓膜が破れるほどの大声量を浴びたようなもので、怪物少女が怯むのも至極当然と言えよう。
こんな荒業が出来たのも、髪が身体に巻き付いてきたからだ。声は距離の二乗に比例して、エネルギーが拡散してしまう。これは相手との距離が一メートルの時と比べ、二メートル離れている時は四分の一しか伝わらないという事。しかし言い換えれば五十センチもの至近距離であれば、一メートルの時よりも四倍の威力で伝わる。
巻き付き、ほぼゼロ距離の状態となれば声が持つ全てのエネルギーを怪物少女の髪に叩き込める。以前までのナージャではこれでも力不足だっただろうが、今ならば問題ない。
「ギ……キィイイヤァ!」
ついに怪物少女は我慢ならないとばかりに、折角拘束したナージャを自ら手放す。
無論自由になったところでナージャは怪物少女を許さない。自由になった瞬間、大きく手を振り上げ、怪物少女に叩き付ける! 肩を叩かれる形となった怪物少女は大きくよろめき、ナージャはそこに体当たりを仕掛けた。
突き飛ばされる形となった怪物少女は、しかしこれで距離を取る事はしない。倒れそうになる身体を四つの髪の束で支えると、その髪を伸ばす事で前へと飛び出す。体当たりしてきたナージャに、体当たりを返してきたのだ。ナージャは両手を前に突き出し受け止めようとする、が、未だその身に火炎放射のエネルギーが残っている怪物少女の力はナージャよりも上。
止める事は出来ず、怪物少女の体当たりがナージャの胸部を打つ。強力な打撃でナージャが大きく後退するや、怪物少女は髪を伸ばしてナージャの足を掴んだ。
「キャキャーッ!」
そしてナージャが何かを仕掛ける前に、髪で持ち上げたナージャを地面に叩き付ける!
大地は陥没し、伝播した衝撃により地下の圧力が変化したのか。ナージャ達から数百メートルは離れた位置で、間欠泉のように空気が吹き出す。数キロ離れた場所には辛うじて無事なビルが残っていたが、この衝撃で止めを刺されたように崩落するものが幾つか出た。
しかしこれで怪物少女の攻勢は終わらない。
即座にまた持ち上げ、さながら巴投げのような動きで怪物少女はナージャを大地に叩き付けた。二度目の衝撃はついに都市の地下構造を破壊したらしく、遠く離れた『安全地帯』のあちこちが陥没・崩落を始める。無数の噴煙が上がる中、怪物少女は三度目の叩き付けは行わずにナージャを投げ捨てた。
捨てた理由は、ナージャが反撃の準備をしていたから。
「グゥ!」
投げられた直後、ナージャは自分を叩き付けていた髪を握り締める。手繰り寄せ、強引にでも肉弾戦に持ち込むためだ。
されど怪物少女の髪はその拳の隙間からするすると抜けていく。両手で捕まえようとするも、全力の逃げに移った髪は呆気なくナージャの手から離れる。
そして怪物少女自身もナージャから離れた。
怪物少女は肉弾戦などする気がない。彼女は三メートルもある髪を用いた中距離こそが最も力を発揮する。しかし髪に頼りきりな肉体は、ナージャと比べれば脆弱なもの。戦えなくはないが、肉弾戦などすれば明らかに不利なのは言うまでもない。ナージャの身体が鈍っている時なら兎も角、全盛期の力相手に嘗めた真似はしない。
中距離であればナージャの火炎が最も効果を発揮する距離だが(近過ぎれば自分も焼いてしまい、遠ければ躱されやすい)、怪物少女の肉体にただ火炎放射を吹き付けてもパワーアップするだけなのは、今の戦いからも明らか。止めを刺すには火炎しかないとしても、そこまでにある程度弱らせておく必要があるだろう。ナージャもそれを理解しているからこそ、相手との距離を詰めて得意な肉弾戦に持ち込みたい。
そして今であれば、肉弾戦の効果は一際大きい筈。
「フゥゥゥー……! キュゥゥゥゥ……!」
怪物少女の口から漏れ出す、甲高い吐息。吐かれた息の姿が、揺らめく空気という形で現れている。
予熱の放出をしているのだ。怪物少女は本来過剰な熱は髪から放出し、それ以外の部分からの放熱はしない。機能的に髪からの放熱が最も効率的で、また髪だけで十分だからだ。
なのに、今は吐息でも熱を排出している。
恐らく、ナージャの火炎から受けた熱量があまりに多く、迅速に排出しないと危険な状態なのだろう。戦闘でそれなりに消費はしても、まだ使い切れていないのだ。
それでいて肉体を限界以上に行使したからか、動きも急速に鈍り始めた。未だ完全に捕捉するのは難しいが、時間の問題だろう。
ここで組み付ければ、かなり優位に戦いを進められる筈。
そうは思うが、怪物少女の方も簡単には近付かせてはくれない。ナージャが迫れば全力で離れようとするからだ。だからと言って強引に接近を試みれば、その隙を突かれる形で攻撃してくるだろう。あくまでも優位な立ち回りのための接近であり、無理に近付いて反撃をもらっては意味がない。
加えて、ナージャは感じていた。
今は確かに肉弾戦をする好機であるが……迂闊に近付かない方が良い、と。
「キュ、キ、キィ……!」
とはいえ何度か接近を試みるナージャに、怪物少女は苛立ちを露わにする。歯と敵愾心を剥き出しにし、髪だけでなく全身の体毛をざわざわと揺れ動かす。
その時、ほんの一瞬だが怪物少女の足が止まった。これは好機か、それとも誘いか。勇猛果敢なナージャは、まずは接近してから考える。
結論から言えば、残念ながら誘いだった。
「ガァアッ!」
肉薄したナージャが腕を振るい、怪物少女の胸を爪で切り裂く。
深々と爪は食い込み、肉を抉る。ところがどうした事か、その動きはほんの数センチ進んだところで止まってしまった。
違和感を覚えたナージャは手を引こうとするが、力を込めても動かない。指先の感覚から、どうやら見えないぐらい細い体毛が指や爪に巻き付いていると気付く。
動きを固定された。ナージャがその事に気付くも、振り解く前に怪物少女が動き出す。包容するようにナージャを長く伸びた二つの髪の束で抱き締めたのだ。
「キャアアアアァァァ……!」
そして唸り声を上げながら、ナージャを締め上げる。じりじりと強くなる力により、ナージャの身体の奥がみしみしと鳴り始めた。
このまま締め潰すつもりか。ナージャは怪物少女の作戦をそう判断するが、違和感を覚える。
その違和感が数千万年前の記憶にあった、怪物少女達の『大技』だと思い出した時にはもう遅く。
「キャアッ!」
怪物少女の猛り声と共に、大技が発動した。
この技は体内の熱を運動エネルギーに変換し、体毛を震わせるというもの。特筆すべきは振動の速さで、秒間数万回にもなる。
超高周波の振動を浴びせる事で物体は加熱される。だがこの技の本質は物を温める事ではない。本当の目的は分子そのものを直接揺さぶり、分子レベルの結合に干渉――――破壊する事が出来るのだ。
「ガッ!? グギッ……!?」
ナージャの身体であろうとも例外ではない。髪から伝わる振動を感じ取った時、ナージャは全身のあちこちの皮膚が弾け、出血を起こす。
溢れ出した血が地面に落ちる事はない。巻き付いた髪が、溢れ出た血の全てを吸い上げているからだ。血は怪物少女にとって活力の源であり、吸えば吸うほど体力を漲らせていく。秒間数万回の振動という途方もないエネルギーの消費も、エネルギーに満ち満ちたナージャの血を吸えばむしろ儲けが出るほどだ。
この状態が続けば、ナージャの体力は減り、怪物少女は回復してしまう。いや、それどころか全身をぐちゃぐちゃに壊されてしまうだろう。能力により対抗を試みているが、その変換を担う分子を直接破壊するこの攻撃は、ナージャにとって相性が良くない。
離れなければ、このままだと
「ッ、ガアァッ!」
拘束から抜け出すため、ナージャもまた奥の手を使う。
尻尾に力を込めていく。熱エネルギーを凝縮し、尻尾自体が赤々と輝きを放つ。莫大なエネルギーを蓄積したそれを見て、怪物少女は髪の拘束を弛める。
その判断は適切だ。
もしも髪を解かず、執拗にナージャを縛り続けていたなら――――ナージャが振った尾が纏う、強力な『熱波』に焼き切られていただろう。
ナージャはこの技に名を付けていない。名を与えられる人間も、生きた者はこの場にいない。
もしも名付ける者がいたなら、『ヒートウィップ』だろうか。血液循環により体組織中から熱を集め、尻尾を極限まで加熱。超高温に達した尻尾は周りに電離化した大気……プラズマを纏う。プラズマは極めて高エネルギーの粒子であり、触れた物質を原子構造から破壊する。
当たれば物体の強度など関係なく切り裂く、究極の刃だ。怪物少女が持つ熱変換能力も、ヒートウィップの威力の前では無意味も同然。逃げ遅れた髪が焼き溶け、四本あった髪の束のうち一つが落ちた。
とはいえ途中で切れただけで、髪自体はまだ一メートル以上の長さを有す。これだけの長さがあれば、それなりには色々な事が出来るだろう。
そしてこの技は、ナージャの負担も小さくない。
「……グゥウウウルルル……」
獣染みた呻きを上げつつ、ナージャはその視線を自分の尾に向ける。
これまで最大の物理攻撃を放ってきた、ナージャ自慢の尻尾。それは今、表面の皮が剥がれた、まるで腐敗した亡骸のようにボロボロとなっていた。中身の肉が露出していて、煮えた血も滴り落ちる。
ヒートウィップはナージャが扱う技の中で、最大級の威力を持つ一撃だ。しかしそれはナージャでさえもコントロール出来ない、ある種暴走した力でもある。尻尾はいずれ再生するため取り返しの付かないダメージではないが……一度の戦いで使えるのは、一回が限度。切り落とすつもりでやればもう一度出来なくもないが、尻尾は通常の攻撃でも頼りたい部位だ。迂闊に捨てればこちらが追い込まれる。何より、いくら捨て身でもこうもボロボロでは大した威力など出せない。
直撃させれば怪物少女だろうと両断出来たが、躱されてしまった。とはいえ使わなければ怪物少女の大技で身体が砕かれ、後がなかっただろう。どんな強力な技も、使わなければ意味がないのだ。勿体ない、等と考える事自体が愚行である。
「キキキャキャキャ……」
それに髪を切られ、大技も出した怪物少女はかなり疲労が大きくなったようだ。少し身体が揺れ動き、目付きにも力が失われつつある。ナージャが火炎放射で与えた力も尽き、過剰な力で身体も疲弊している筈だ。
……ここまでの戦いの余波により、大地は地平の彼方まで平坦となった。瓦礫の下で懸命に足掻いていた人間も、全てその生命活動を停止している。
破壊の限りを尽くした。身体もかなりボロボロだ。だが、ナージャも怪物少女も戦いを止めるつもりは一切ない。
むしろ闘志を滾らせ、両者共に笑みを浮かべる。
身体がボロボロ? 体力が少ない? 彼女達にとってそんなのは些末な話だ。重要なのは胸のうちから湧き出す、どんな業火よりも熱く激しい闘争心が何を求めているのか。
答えは簡単だ。目の前の『宿敵』をぶちのめす。
本能に突き動かされるがまま、ナージャと怪物少女は再び動き出す。
ここからが本番だ――――ボロボロになった二体の怪物は、今まで以上の激しさでぶつかり合った。
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