姫君の宿敵09

 ナージャは駆ける。

 未だ被害が出ていない大都市の中を、かつてないほどの速さで進む。今の速さであれば、傍に人間がいれば風圧だけで吹き飛ばし、当たり所によっては大怪我を負わせるだろう。万が一にも触れたなら、伝播してきた衝撃で腕の一本どころか全身が砕けるに違いない。

 されど今、此処に人間の姿はない。

 気配も感じられないため、夜だから寝ているという訳でもない。どうやら何処かに移動しているようだ。人間達が一体何処に行ったのかは、ナージャには分からないし興味もないが……しかし移動せざるを得なかった、原因には心当たりがある。

 遥か彼方から聞こえてくる爆音、巨大な建物が崩れ落ちる音。それらが聞こえる方を見れば、赤々と明滅する炎の輝きや、弾け跳ぶ閃光なども見えた。人外の聴力を用いれば、泣き叫ぶ人間達の声も聞こえてくるだろう。

 そして何より、肌が痛くなるほどに感じる『力』の存在。

 あの先に奴が、怪物少女がいる。それを確信したナージャは一直線に突き進む。無論此処は大都市。直進しようにもビルなどが建ち並び、行く手を遮る事も珍しくない。

 ならば迂回するか?

 否である。惑星最強生物が、何故高々こんな。そんな面倒、してやる義理はない。

 ナージャは一直線に、ビルの中へと突っ込む。扉を、壁を、配管を――――全てを粉砕し、その先へと突き抜ける!

 巨大ビルでさえもナージャの歩みを止める事はおろか、鈍らせる事さえ出来ない。数千万年ぶりに蘇った真の支配者の力を前にして、高々数百数千年の積み重ねしかない人類の叡智など砂上の楼閣に過ぎないのだ。

 だからこそ、同じく超越的な存在に対抗出来る、唯一の存在でもあるのだが。

 ビルを数棟突き破り、ついにナージャは音と光の飛び交う戦場に辿り着く。


「ひ、ひぎゃっ!?」


 着いてすぐに聞こえてきたのは、人間の悲鳴染みた動き。

 ナージャの方へと走っていたその人物は、若い女だった。迷彩服を着ている事から、女性兵士であると(人間であれば)窺い知れる。しかしその女はナージャが見ている前で瞬く間に萎れていき、干からびた死体へと変貌してしまう。

 血を吸われたのだ。『奴等』がそういう食事をすると、ナージャは思い出していた。故にその食事が体毛により行われる事も知っている。

 ナージャの目は、動体視力を除けば人間以上に優れている訳ではない。されど血液という、外気と比べて極めて高い熱量を持ったそれの移動は感じ取る事が出来た。

 加えて犠牲になる人間達は、周りにいくらでもいる。彼等はこの都市を守ろうと戦っていた軍人達であるが、圧倒的な力を持つ存在からすれば餌に過ぎない。撤退するも間に合わず餌食になり、その血の流れがナージャの目指すべき場所を示す。

 ――――もう、そこにビルはない。

 全てが瓦礫に覆われた、平坦な大地。割れたパイプから吹き出す蒸気により、周囲は生物を蒸し焼きにするほどの湿り気と熱を帯びていた。時折爆発が起きているのは、壊れた戦車の砲弾や燃料が引火しているからか。

 人間では長時間いられない、地獄のような環境。しかしその中に一人、少女の姿がある。

 頭から伸びた巨大な髪で歩く、怪物少女だ。

 最初の戦いからまだ数時間程度しか経っていない筈だが、怪物少女の見た目には変化があった。虚弱そうだった下半身の肉付きが、明らかに『改善』していたのである。ガリガリだった体躯は、今では多くの人間が羨むほどの張りや艶がある。顔の血色も良くなり、いよいよ『美少女』と呼べる出で立ちだ。

 その美貌を形作ったのは、ナージャが来るまでの間に犠牲となった人間達の血であろう。ナージャほどではないにしても、怪物少女も長い休眠を経て力が衰えていた筈。果たして全盛期の力を取り戻したかは分からないが、されど初戦よりもまた一段と強くなった事は違いない。

 ナージャはかつての力を取り戻したが、やはり未だ強敵のようだ。


「……キャハッ! キャキャキャキャ!」


 怪物少女もまたナージャの姿に気付くと、嬉しそうに笑う。今までにないぐらい大きく、喜びに満ち満ちた声で。

 喜びの理由を、ナージャは本能的に察した。あれから人間達を延々と食べていたが、エネルギーが全く足りず、繁殖が出来そうになかったのだと。そして自分を喰らい、繁殖するつもりである事も。

 怪物少女がその数を増やせば、いよいよ人類文明は終わるだろう。

 しかしナージャにとって、そんなのは瑣末事だ。重要なのは、そこに宿敵がいるという事実。本能に刻み込まれた敵対心が、彼女の行動を決定付ける。

 今度こそは負けない。殺すか、殺されるか――――それだけだ!


「ガアアアアッ!」


 咆哮を上げながら、ナージャは怪物少女へと突撃する!

 ただ全力で走っただけだが、しかし怪物少女は驚いたように目を見開く。ナージャの速さが想像以上だったのだろう。

 ナージャが一歩地面を踏む度、爆発したように大地が弾ける。飛び散った土塊は小指ほどの大きさもないが、その速さは蒸気銃が撃つ弾丸以上。もしも人間に当たれば、ただの土塊ながら命を奪うほどの威力を宿す。

 ただ走るだけで、人間には近寄れないパワーを撒き散らす。これが全盛期の、本来のナージャが持つ力だ。無論、数千万年来の宿敵に対しの攻撃で済ませるつもりはない。

 最大速度に達するや、ナージャは跳んだ。即座に足を曲げ、怪物少女の顔面目掛けて放つ!

 挨拶代わりの蹴りだ。怪物少女は髪を構えてこれを受ける、が、威力を緩和しきれず。蹴られた衝撃で大きく後退。それでも完全には勢いを殺せず、怪物少女の体勢がぐらりと傾く。


「ガゥ!」


 そこを見逃さず、ナージャは尻尾を振るった。

 ただし今度の狙いは顔や身体ではなく、大地を踏み締めている髪の毛だ。ここを叩いても、怪物少女のダメージとはならない。だが身体を支える力がなくなれば、如何に強大な存在といえども転倒する。

 怪物少女はナージャの思惑通り、バランスを保てず転んだ。仰向けの体勢となった怪物少女に対し、ナージャは飛び掛かるように向かう。

 だが怪物少女も大人しく組み付かせてはくれない。

 倒れた怪物少女は髪を動かし、さながら地面を蠢く虫のようにその場から素早く離脱した。髪には骨も何もないため、体勢などほぼ関係なく動く事が出来る。飛び掛かりながら拳を振り上げていたナージャは即座に殴りかかるも、怪物少女の動きの方が速い。

 空振りしたナージャの拳は大地を打つ。ビルの瓦礫で出来た地面がぶくりと膨れ上がり、内側から弾け飛ぶ! 半径十メートル近いクレーターが出来上がり、更には衝撃波が何十メートルと広がっていく。近くに転がっていた人間の亡骸も、バラバラに砕けながら落ち葉のように吹き飛ばされた。

 これはナージャの拳により与えられた運動エネルギーが、奥深くへと伝わる過程で熱エネルギーへと変化。加熱された空気やコンクリートが急速に膨張し、圧力変化によって周りの瓦礫を吹き飛ばしたのだ。原理的には金槌で叩いた釘が熱くなるのと同じだが、ちょっと強い力で殴ったところでこんな物理現象は生じない。巨大で強力な爆弾に匹敵する、大量破壊兵器級の一撃が必要である。

 されど全盛期のナージャにとって、こんなのは『咄嗟』に出てくる程度のものでしかない。そして更に力を増した怪物少女にとっても、直撃ならば兎も角、拡散した余波程度では怯みもしない。


「キィヤァッ!」


 甲高い叫びと共に、怪物少女は四つある髪の束のうち一つをナージャへと振るった。

 攻撃態勢にあったナージャはこれを躱せず、髪の一撃がナージャの頭部に当たる。人間達が大軍勢で挑んだ時には片鱗さえも見せなかった、単純かつ強力な打撃。当たれば戦車さえも粉々に粉砕するであろう威力を有す。

 ナージャも初戦闘時にこの一撃をもらっていたなら、しばし目眩がするほどのダメージを受けていただろう。

 だが今は違う。頭の位置は微動だにせず、瞳をギョロリと動かして正確に怪物少女を睨み付ける。

 次いでナージャは自分を殴り付けた髪の束を掴んだ。それも細くしなやかなそれが手から抜けないよう、くるんと手首を回して巻き取る。

 固定したら力強く引き寄せて、


「ガァッ!」


 渾身の力で殴り飛ばす!


「キャブッ!?」


 これは怪物少女も躱せず、顔面から拳を受けた。加えて殴ると言っても爪による引っ掻きというのが正しい。

 初戦闘時は髪で防がれたが、今回は間に合わず。ナージャの爪が怪物少女の頬を切り裂くように殴り抜けた!

 打撃によるダメージに加え、爪で頬を切り裂かれた怪物少女は大きく仰け反る。頬には深々とした切り傷が五つ出来、ぱっくりと裂けた肉から血が流れ出す。傷は深く、顔だけでなく首や肩も血で塗れてしまう。

 人間であれば少なからず動揺する深手であるが、怪物少女は動じない。それどころかニヤリと、獲物を見付けた捕食者が如く獰猛な笑みを浮かべる。


「キャアアァーッ!」


 その笑みをナージャが認識した直後、怪物少女も自らの拳でナージャに殴り掛かる! 今まで髪を用いて攻撃してきた中、突然肉体的な行動に出たためナージャは僅かに反応が遅れてしまう。

 守りも回避も出来ず、ナージャは怪物少女の拳を胸に受ける。今まで使わなかった攻撃だけに威力は大きくないが、それでも身体が強張るぐらいの威力はある。

 更に身動きが取れなくなったナージャの背後から、自由に動く髪の束を一つ振るう。

 これこそが怪物少女達の得意技。束ねた髪の毛と四肢、合計八本という手数の多さで相手を圧倒するのだ。四肢は(ナージャから見れば)非力とはいえ、決して無視出来るような打撃ではない。強大な四本の髪による攻撃を防いでも、細くとも着実にダメージを与えてくる四肢でじりじりと追い込んでくる。そしてチャンスがあれば、四肢の攻撃で気を引いて、より大きな一撃である髪の打撃を食らわせるのだ。

 ナージャも、このままでは無視出来ないダメージを受ける。だが腹への一撃で硬直した身体は、背後へと振り向く動きが取れない。

 ではこのまま大人しく受けるしかないのか?

 否だ。そもそもナージャはかつての記憶を思い出している。怪物少女達がこのような攻撃を得意としている事は、最初から把握していた。

 背後からの攻撃は問題ない。


「ゥウッ、ガアァッ!」


 ナージャには第三の腕とも言える、尻尾があるのだから。

 背後から迫った髪の塊に尻尾をぶつけ、これを押し返す。大きな力を込めていただけに、返されれば反動が大きい。怪物少女はギョロッと目を開きつつも、髪の動きのコントロールに意識を割いているのか。身体を大きく仰け反らせ、動きが鈍る。


「スゥ――――」


 その僅かな『隙』にナージャは一呼吸。

 怪物少女は顔を顰める。ナージャの意図を読み切れていないようだ。何しろ折角のチャンスにたった一呼吸しただけ。これで何が出来るというのか。

 怪物少女の判断は、普通ならば、そしてこれまで通りならば正しい。されど今のナージャはこれまでとは一味違う。

 この一呼吸で、今まで以上の大火力火炎放射が吐けるのだから。


「シュゴオオオオオオオオオオオオッ!」


「キャアッ!?」


 ナージャが吐き出した炎が、怪物少女の顔面に直撃する!

 吐き出された超高温の炎はその余波だけでコンクリートの瓦礫を溶かし、膨張した空気が衝撃波として広がっていく。吹き荒れる暴風は戦車の残骸さえも小石のように吹き飛ばし、あらゆる命を刈り取っていった。

 無論、炎の直撃を受ける怪物少女が一番大きな熱量を浴びている。

 岩さえも溶かす熱量……これには怪物少女も苦悶の表情を浮かべた。しかし怪物少女の皮膚には、傷はおろか焦げ跡一つない。何しろ彼女達の身体にも、ナージャと同じく熱と運動を支配する能力が備わっているのだ。金属をも一瞬で溶解させる熱も、怪物少女は自らの能力で無効化する事が出来た。

 そして変換した熱は、運動エネルギーとして全身の細胞に蓄積されている。


「キ、ギギ……キャアアアアアアアアッ!」


 繰り出した反撃は、髪の集まりを振るう事。

 これまでとは比にならない速さだ。その大振りかつ力強い一撃は、決して狙いは正確でなく、予備動作も大きい。もしもこれが自分を狙ったものなら、ナージャは問題なく回避出来ただろう。

 しかし髪が狙ったのは、ナージャが吐いている炎の方だった。

 強烈な『圧』を受け、ナージャの炎が押し返される! これにはナージャも驚き、反射的に炎を止めて大きく仰け反った。そのため自分の吐いた炎が直撃するという『最悪』は避けたが……自ら崩した体勢の所為で次の動きが取れない。そこを狙ったように怪物少女が動く。

 怪物少女は二つの髪の束を足のように用いて跳躍し、本当の足でナージャの顔面を蹴り飛ばす。所謂ドロップキックと呼ばれる類のものだ。顔に強烈な一撃を受け、ナージャは大きく飛ばされながら転がる。

 蹴り飛ばされたナージャは瓦礫の山に激突。その衝撃により爆発染みた白煙が舞い上がり、ナージャの姿を覆い隠す。尤も、そんなのは瞬きほどの一瞬だけ。


「グガァアアアッ!」


 ナージャが力強く立ち上がれば、それだけで粉塵など霧散してしまうのだから。

 未だ闘志は衰えず。身体の傷も深くない。

 とはいえここまでの攻防で、体力はそれなりに消耗した。疲労困憊という訳ではないが、この状態で積極的な攻勢を仕掛けても有利は取れそうにない。様子を探る意味でも休息を挟んだ方が得策だろう……戦略的思考の末、一呼吸入れるためナージャは敢えて動かない事を選ぶ。

 怪物少女の方も、ナージャをじっと見つめていた。すぐに襲いかかってこないという事は、向こうも同じ状態なのだろう。先程吐き付けた炎による傷はやはり見られないが、しかし体表面が赤くなり、しゅうしゅうと音を鳴らして湯気が漂っている。

 熱変換能力にも限界があり、火炎放射の熱量はそれを上回っていたのだ。予熱が体内に溜まり、今は放出中といったところ。

 ナージャ自身がそうであるように、怪物少女も熱に対して無敵という訳ではない。ただ通常の生物よりも遥かに耐性が強いだけだ。使い所を見誤らなければ、火炎放射は必殺の技となり得る。ここまでの殴り合いからして、打撃で致命傷を与えるのは困難。止めは火炎放射でしか成し得ないだろう。

 しかし両刃の剣でもある。

 赤く、放出せねばならないほどの熱エネルギー……それが今、怪物少女の体内に蓄積している。つまり火炎を耐え抜いた怪物少女は、ナージャの力を取り込んだようなもの。エネルギーもパワーも、今までの比ではない。

 そこから繰り出される戦闘能力が如何ほどかは、これから怪物少女自身が証明してくれる。

 動き出した怪物少女は、ナージャでも見るのがやっとという速さで肉薄してくるのだった。

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