姫君の宿敵08

 深い眠りの中で、ナージャは再び『かつて』の夢を見た。

 それは遺伝子に刻まれた古の記憶ではない。もう殆ど忘れてしまった、けれども脳の片隅に残っていた自分自身の記憶……自分がこの世に生まれた時のもの。

 産声を上げた場所は、鬱蒼と茂る密林地帯。視界を埋め尽くすほどに巨木が立ち並び、自分達の何十倍も大きな、鱗を持つ生き物が栄えていた。当時この星は気温が高く、植物は止め処なく育つ。鱗を持つ巨大な生き物は、有り余るほどに増えた植物を餌として繁殖し、星の至るところに版図を広げていた。

 自分達の一族は、その鱗を持つ生き物を獲物にして栄えた。

 一族がどれだけの数いたかは、把握していない。星の至るところに勢力を誇ったナージャ達の種族であるが、文明を持たず我が身一つで生きていた。「人口を把握する」という文明の基礎すら必要としなかったので、誰もやらなかった。おまけに群れる事すらしない。大自然の脅威全てを生身で乗り越えられる故に群れを必要とせず、むしろ餌や住処の競合を避けるため拡散する『生態』の方が有利だったからである。

 ナージャも生まれたばかりの頃は母に育てられたが、自分の足で立てるようになった時には独り立ちした。生き方を教えてくれる『成体』はおらず、一族の総数は想像も出来ない。しかし獲物を求めて歩き回れば数日か数十日に一度の頻度で仲間と出会ったので、かなりの数がいたのだろう。

 当時の星はあまりに気温が高く、海が無酸素化していたり、洪水を引き起こすほどの大雨が頻発したりと、お世辞にも棲みやすい環境ではなかったが……ナージャ達の種族からすれば、その程度の気候変動など脅威たり得ない。彼女達は繁栄を謳歌していた。

 ――――数千万年前の、あの時までは。

 『それ』は、恐らくは自分達の種族から生まれた突然変異体。頭部の体毛が更に長く伸び、筋繊維のように自由に動かす事が出来る。種族の能力である熱変換を操り、より獰猛で、残虐な気質を持ち合わせていた。

 そして『それ』は、ナージャ達に戦いを挑んできた。

 当時星を支配していたナージャ達の種族を打ち倒し、支配下にあった資源を自らの手中に収めようとしてきたのだ。とはいえ統率された群れや社会ではなく、種族としての本能による戦いであったため、争いは散発的かつ長期間の、生存競争という形で行われた。

 ナージャの種族と『それ』の力関係は互角だった。戦いに勝つ事もあれば、負ける事もある。そして勝てば生き残り、負ければ死ぬ戦いだ。荒れ果てた乾燥地では体毛を自由に動かせる『それ』が有利で、鬱蒼と茂る密林では障害物を利用して縦横無尽に動けるナージャの種族が有利に戦えた。

 しかしそのまま土地によって棲み分ける事もなく、ナージャ達の種族は衰退した。

 何故なら『それ』はナージャ達よりも繁殖力に優れていたからだ。積極的に虐殺を行い、土地の生き物を根絶やしにするまで喰らう『それ』は、その分だけ多量の栄養を得てよく繁殖した。対してナージャ達の種族は、好戦的ではあっても積極的な殺戮はしない。殺す生き物が少なければ得られる栄養も少なく、結果として繁殖力も低くなる。

 おまけに『それ』はナージャの種族を殺した後は、血を吸い取り栄養にして繁殖していた。死んだ個体の共食いも厭わない。ではナージャ達はと言えば、大して美味くもない『それ』を食べようとはしなかった。『最強』であればより美味な、より高栄養価の食べ物を選り好みするのは適応的なのだが、ライバルがいる状況ではただのワガママに成り下がってしまう。これもまた繁殖力の差に結び付く。

 ……血を吸われた後のナージャ達の亡骸は、そのまま腐る事もなく土石流などで地下深くに埋もれた。熱変換能力を極限まで使った状態の身体は、膨大な熱エネルギーを蓄えた、例えるならば爆発寸前の火薬庫。迂闊に噛み付けば、溜め込んだ熱量で身体が焼かれてしまう。『それ』は血しか飲まないため肉は放置されたが、危険なナージャ達の亡骸を分解出来る生物はいない。

 やがて地殻変動などで亡骸は地下深くへと沈み、大地の圧力で鉱石化。これが『現代』でスチームコアと呼ばれる燃料鉱石になっていたのだが――――流石に、それはナージャも知り得ない事である。

 閑話休題。

 戦いがあれば、どちらかが死ぬ。互いに同じ数だけ死んでも、たくさん生まれる分『それ』の方が種族としての損失は小さい。やがて個体数で上回るようになる。敵の数が多くなれば、戦いが終わったばかりのタイミングでまた戦わなければならない可能性も高くなり、消耗した状態ではいくら有利な環境でもほぼ負ける。『それ』の数がほんの少し上回った時点で、ナージャ達の種族の敗北は決定的となった。

 ナージャは幼いながらもその戦いの中で生き延びていた、数少ない個体の一つ。種の存続が危機的である事はなんとなく理解していたが……しかしナージャ達の種族は、自らの存続にあまり興味がなかった。群れる事もなく強さの頂点にいたがために、『一族』という概念すら曖昧だったのである。精々本能的に『それ』に対し敵意を抱き、遊び相手ではなく敵として葬ろうとする性質の持ち主が生き残った程度。適応的な形質だったが、滅びに抗えるほど優位なものではない。

 衰退を重ねていずれ滅びる……その事に危機感もなく、暢気にナージャの一族は暮らしていた。ナージャが覚えている限り、数日から数十日に一度は見付けていた同種が、末期には数百年姿を見掛けない状態だった。星全体で、果たして百体生き延びていたかどうかだろう。

 そんな彼女達にとって、それはある意味で『天の恵み』だった。

 巨大隕石の衝突が起きたのである。火山噴火さえも難なく耐え抜くナージャ達の一族すら、跡形もなく吹き飛ばす宇宙の厄災……衝突時に舞い上がった粉塵により空は覆い隠され、気温が急速に低下。惑星環境は激変した。

 ナージャ達の一族や『それ』にとって、気候変動自体は大した問題ではなかったが、しかし他の生物にとっては違う。急変する環境に付いていけず、次々と絶滅していった。生き残ったのは小さな虫やネズミ、苔や背丈の低い草ばかり。

 ナージャの一族も『それ』も、熱変換能力のお陰で食べ物がなくとも生きていくのに支障はない。しかし生き物がいなくなれば、繁殖のための資源も得られない。不用意に歩き回ってエネルギーを使うよりも、再び生命が栄える時まで眠っていた方が良い……本能的にそれを理解していた彼女達は、本能のまま休眠へと移行。二種はより安定した環境――――地中深くや海底などで、長い眠りへと就いた。

 これにより種の存続を賭けた生存競争は、一旦は中断となった。ナージャ達の種族は敗北したが、絶滅は免れたのだ。今も何処か……巨大な山脈の下や、海底深くに少数の同族が眠っているだろう。火山噴火や巨大地震などで、外に放り出されるタイミングをじっと待ちながら。

 そして全ての個体が眠った訳ではない。起き続けた個体もいれば、地下深くに潜るのを面倒臭がって地表付近で眠る個体もいた。

 ナージャは面倒臭がった個体だ。地上の浅いところで休眠していたため、洪水程度の災害でも直撃した。その度に目覚めては新たな世界を遊び回り、飽きたらまた適当な場所で眠る……これを幾度となく繰り返す。

 そうした個体はナージャだけではないが、何千万年と年月が流れれば火山や地震に巻き込まれ、地下深くに落ちて地上からいなくなる個体は少なくない。数千万年で尽きた寿命、寒冷地で寝過ごしたがために餓死したもの、同じタイミングで目覚めた『それ』と相打ちになったもの……様々な理由で死ぬ者もいた。

 ナージャが生き延びた最後の一体とは限らないが……いたとしても、地上にはもう殆ど同種はいないだろう。

 そして自分を打ち倒した『それ』は今、たくさんの獲物を食べて繁殖の準備をしている筈だ。もしも数が二体に増えれば、もう勝ち目はない。或いは、その繁殖のために自分を狙っているかも知れない。

 別段、死ぬ事は怖くない。

 一族を絶滅寸前まで追いやった事にも恨みはない。生き物を殺戮する性質にも思うところなどない。ナージャの一族は、のだ。

 しかし『それ』に対する敵意はある。最大級の敵意を持ち、身体能力を極限まで引き上げた個体こそが苛烈な生存競争を生き延びた。ナージャも例外ではない。

 そう、自分はかつて、奴等と戦った。数千万年前、隕石が落ちてくるあの闘争の時代を生き延びたのだ。逃げも隠れもせず、堂々と戦いを勝ち抜く形で。

 ならば何故今回負けたのか? それは長い眠りの中で身体が鈍り、本来の力を出せなかったからだ。奴等は休眠してもあまり力が落ちない性質なのか、それとも前日に大量の人間を食べて十分なエネルギー補給をしたのか。いずれにせよアイツは殆ど力を落とさず、ナージャよりも全盛期に近い戦闘能力を保っている。

 勝つためには、全盛期の力を取り戻さなければならない。

 思い出す。自分がどうやって戦っていたのかを。

 思い出す。自分が今までどんな敵と戦ってきたのかを。

 何千万年も昔の記憶だ。自分の生まれ故郷どころか殺し合った相手の存在すら、すっかり忘れてしまうぐらい古い記憶。適当に辿ろうとしても、思い返す事など出来ない。だが古からの『宿敵』と再会し、思い出すための切っ掛けとやる気を得れば、どうにか記憶を呼び起こせる。

 そうすればナージャは、かつての力を取り戻す。

 思い出すだけで元の力を戻せるものか? ナージャに関して言えば、その通りだ。彼女達の肉体は衰えない。数千万年の月日を生きる事が出来る肉体は、未だ全盛期とほぼ変わりない構造を保っている。だから使い方さえ思い出せば、あの頃へと戻れる。

 ――――ただ、ほんの数時間で力を取り戻せたのは、これまでの経験が活きた結果だ。いや、オリジナル・クレアとの戦い、大男との戦い……あの二つで全盛期の力の一部を戻していなければ、きっと先の戦いで殺されていたに違いない。

 再度挑めるのは、幸運によるもの。

 次の戦いこそが、正真正銘の真剣勝負。これで勝てなければ、いよいよ死ぬ事になるだろう。しかしそんな事はどうでも良い。

 アイツにだけは負けたくない。

 命を賭す戦いに挑む理由など、それだけで十分だ!


「――――ッ!」


「ウガゥ!?」


 バチリと目を見開き、ナージャは覚醒した。

 傍には大男がいた。ナージャが目覚めた事に驚いたようだが、ナージャ自身は気にも留めず。素早く起き上がり、二本足で立つ。

 目覚めた場所は、お気に入りの寝床である反政府組織レヴォルトの秘密基地。大男はずっと傍にいて、眠っていたナージャを見守っていたらしい。


「ママァ……」


 或いは心細くて、母の傍にいたかったのだろうか。

 しかしどちらにしても、ナージャは大男の気持ちなど汲まない。

 今、自分がやりたいのは宿敵との決着。『人間』が


「……スゥ」


 軽く息を吸い込み、見上げるは天井。その小さな『予備動作』では何をするか分からなかったのだろう、大男が首を傾げる。

 それが以前、自分の生命を脅かした一撃だとは思いもせずに。


「シュゴオオオオオオオオオオオッ!」


 ナージャがその口から吐き出されたのは、得意技の火炎放射だった。

 しかしその威力は今までのものとは段違いだ。軽く息を吸い込んだだけなのに、吐き出した炎の熱量と威力は、傍にいた大男を転ばせるほど。

 そして天井であるコンクリートは一瞬で蒸発し、液化する事すら許さない。

 瞬く間に天井、その向こう側のコンクリートを貫いて大穴を開けた。赤々と赤熱するコンクリートに囲われた夜空が見える。

 その夜空に向けて、ナージャは跳ぶ。

 一人尻餅を撞いたままの大男を置いて、自分の本能のままに夜の大都市、そこにいる宿敵にリベンジを行うために……

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