姫君の宿敵07

 ナージャが反政府組織レヴォルトの元秘密基地に辿り着き、眠りに入ってしばらく経った頃――――真夜中のオルテガシティの一角に、怪物少女はいた。


「キャキャキャキャ! キャーッキャッキャッキャァーッ!」


 上機嫌な笑い声を上げながら、怪物少女はゆらゆらと身体を揺らす。足のように突き立てられた四つの髪の束で、振り子のように身体を揺らしながら前に進んでいた。

 そんな彼女が立つのは、瓦礫の上。

 怪物少女自らが破壊し、崩れ落ちたビルの残骸により出来たものだ。一通り笑った後、怪物少女は踊るような軽やかな足取りで瓦礫の上を練り歩く。数十メートルと歩いたところでふと立ち止まり、元々笑みを浮かべていた顔を更に獰猛に歪める。

 その後、怪物少女はなんの動きも見せない。少なくとも人間の目には。しかしナージャのように優れた感覚を持ち合わせていれば、怪物少女の頭部から一本の細い髪が伸び、地面に突き刺さった事を観察出来るだろう。

 伸ばした髪の太さは〇・〇二ミリ。人間の髪よりもかなり細いが、その構造は複雑だ。表面は特殊化したケラチン質で覆われ、コンクリートなどの人工物より遥かに頑強である。また内部には生きた細胞が存在し、体液の圧力変化で動く事は勿論、伸縮までも自在に出来た。

 伸ばした髪の毛はコンクリートを貫き、鉄筋をも粉砕して奥へと進む。人間程度なら貫通も容易い、強力な武器だ。

 尚且つ、この髪はセンサーの役割も持つ。虫一匹の動きも逃さないほど鋭敏な感覚器であり、微かな振動も正確に捉える。

 今回は瓦礫の中で動けなくなっている、人間の存在を補足した。筋肉の微かな振動、呼吸の大きさ、四肢の位置……それらも髪一本で手に取るように分かり、生き埋めになっているのがうら若き乙女である事も知る。


「キャキャキャーッ!」


 怪物少女は喜んだ。生きた人間に会えたから、ではない。

 怪物少女は。『この生物』は若いほど血液に不純物がなく、さらさらしていて美味である事を。


「誰か、助けて……」


 生き埋めにされて助けを求める乙女の声も怪物少女の髪は拾い上げたが、そんなものに興味はない。

 勢いよく伸ばした髪は乙女の首に刺さる。とはいえ太さ僅か〇・〇二ミリの毛だ。これは蚊の口吻と同じ太さであり、蚊ほど『無痛』に特化した構造はしていないが、痛覚を刺激する範囲が極めて狭いため痛みをほぼ感じさせない。感じたとしても、それこそ虫刺され程度だ。生き埋めという危機的状況でこんな些末な痛みを感じる精神的余裕など、今まで平穏に生きてきたうら若き乙女にある訳もない。

 それが命を奪う『攻撃』だというのに。

 怪物少女の毛の中心にある細胞達は生きている。伸縮を繰り返す事でポンプのように液体を搬出する事が出来、これによりただ吸引するよりも高速で液体を吸い上げる事が出来た。

 その吸引速度は、毛一本辺り十ミリリットル毎秒。

 数値として見れば、大したものではないかも知れない。だが吸引に用いる毛は一本だけではないのだ。

 『獲物』を確認したら、怪物少女は一気に百本近い髪の毛を差し向ける。

 僅か十ミリリットルの吸引量でも、百本もあれば一千ミリリットル……即ち一リットルとなる。人間の血液は体重一キロ辺り八十ミリリットルと言われており、乙女の体重が五十キロだとしても血はたったの四リットルしかない。

 百本の毛を突き刺せば、たった四秒で乙女は全身の血を抜き取られてしまう。肌は一瞬でくすみ、乙女は自分の身に何が起きたかも分からないまま干からびた。

 更にこの時、血液と同時に『熱』も奪い取っていた。

 髪の表面を形成する細胞は、熱伝導率が極めて高い。触れた瞬間に、接した物体とほぼ同じ温度になるほどだ。そして怪物少女の毛根部分には『熱変換』を行う器官がある。これは熱エネルギーを元にATP……多くの生命活動で用いられる物質の合成を行うもの。作られたATPは筋収縮や酵素の合成など、生きていくのに必要な様々な事象で消費される。

 当然、ATP合成に使われた分だけ熱は減少する。即ち毛根の温度が低下し、そこから生えている髪の温度も低下するという事。冷えれば髪はまた接する物体から熱を奪い、その熱はまた変換され……この繰り返しが極めて早く繰り返されていく。

 結果として、接触している物体の温度は急速に低下。最終的に氷点下を下回り凍結を引き起こすのだ。


「ンンンンーッ……ゲフゥー」


 四リットルもの血液と人間一人分の体温を吸い尽くし、怪物少女は大きなゲップを吐き出す。

 体毛から取り込まれた血液は、表皮下にある脂肪の層へと運ばれる。ここで濾過の要領で水分と栄養分を分離。水は必要分だけ取り込まれ、余りは足にある放出用の体毛へと運ばれていく。この放出用体毛は無数の穴が空いており、中の細胞がポンプのように動く事で体毛全体から水を放出する。霧状に噴霧されるため、足がびしょ濡れになる事はない。

 脂肪の層で濾し取られた栄養分となるもの(赤血球や脂肪分など)は、身体の中心にある消化器官へと運ばれる。胃は極めて細長く、力も弱い。胃酸も弱く、こればかりは人間以下の機能だ。このため固形物を消化する事は出来ない。尤も、血しか飲まない彼女達からすれば、デメリットでもなんでもないのだが。

 こうして一人の人間を食した怪物少女であるが、腹は全く満たされていない。動く体毛や強靭な肉体は、極めて多くのエネルギーを必要とするのだ。高々数リットルの血と数十度程度の熱量を飲んだぐらいでは、満腹どころか間食にもならない。

 そして干からびた肉に興味はない。血液の摂取に特化した怪物少女の身体は、大きくて硬い肉を消化するだけの力を持たないからだ。加えて熱を活力とする生態上、冷えているものを口にするのも本能的に嫌いだ。

 怪物少女が求めるのは、新鮮で温かな血液のみ。

 本来ならば、これを探すのは中々に大変な事である。どれだけ豊かな大自然でも、怪物少女が『食べ応え』を感じるぐらい大きな動物は早々いないのだから。

 しかし此処、世界有数の大都市オルテガシティであれば、獲物はいくらでもいる。いや、それどころか自らやってくるのだ。

 軍隊という形で。


「キャキャキャ!」


 軽く腹ごしらえをした後、怪物少女は笑う。地面に付けている髪から、大きな振動を感じ取ったがために。

 怪物少女の目は然程良くない。しかし髪で振動を感じ取る事で、遠くの、それこそ見えない位置の情報も把握出来る。故に今、自分の下に迫る存在の『光景』も見えていた。

 何十もの数の金属の塊……戦車が走り、その近くを何千という人数の人間兵士が追随している。

 更に、人間と良く似ていた形だが重さの違うもの……怪物少女は知らない。それが『クレア』と呼ばれる人造人間であると……が何十と同行している。頭上を飛んでいく機械こと戦闘機もやってきた。戦車以外にも自走砲や装甲車も多数来ている。

 機械兵器が排出する蒸気により、辺りは熱い霧に包まれていた。過酷な訓練により身体を鍛え上げた兵士達でなければ、それらの兵器と共に歩く事は出来ないだろう。

 怪物少女はナージャと戦う前に軍とは戦った。だが、これほどの大軍ではない。単純な戦力差だけでも十倍は軽く超えているであろうし、何より航空戦力や人造人間クレアなどいなかった。

 多種多様な兵力を組み合わせる事で、互いに弱点を補いより強固な戦闘部隊として運用する……所謂諸兵科連合という構成だ。

 どうやら先程返り討ちに遭った事から、本格的な戦闘を挑みに来たらしい。

 圧倒的な大軍。他の都市国家から見れば、極めて絶望的な光景だ。世界最大の都市は世界最大の軍を持ち、故にあらゆる都市を蹂躙する事が出来る。また兵器の性能自体も最先端をいく。この大軍を目にした数多の都市が無条件降伏を選び、抵抗を決意した都市でも良くて相打ちだと自らの運命を覚悟するだろう。


「……ッキャアアーッ!」


 対して怪物少女は、歓喜の声を上げる。

 獲物が自ら寄ってきた。そう思えば、どうして『不快』に思うというのか。まだまだ食べ足りない時であれば尚更だ。

 加えて、怪物少女は現代兵器を恐れない。

 遭遇戦の形で戦った人間の軍隊……あの時に感じた強さから計算すれば、の戦力など脅威にならないと分かるのだから。

 何より、怪物少女は戦いを好む。

 特に身の程を知らない種族を徹底的に嬲り、一匹残らず殺戮し、圧倒的な格差を分からせた上で滅ぼす……そこに無上の喜びを覚えるのだ。

 それは同じ資源を巡るライバル競争相手となり得る存在を滅ぼし、自分達の種族をより繁栄させるための本能。怪物少女は大きな脳に見合った優れた知性を持ち、自分が抱いている好戦的衝動が本能によるものだと理解している。

 理解した上で、殺戮を楽しむ。

 楽しんで数多の種族を殺し尽くし、その種族が使っていた資源を奪ってきた個体が繁栄してきたのだから。本能を抑えよう、理性的に振る舞おう……そんな『人道的』な個体群は、彼女の祖先が皆殺しにしてきたのだ。

 逃げず、退かず、怪物少女は軍が迫るのを待つ。


「撃てぇ!」


 余裕で佇む怪物少女に、やってきた軍隊は一切容赦なく攻撃を始めた。

 先手を打ったのは、歩兵が持つ銃。ただし普通の銃ではない。有効射程三キロを誇る、長射程蒸気狙撃銃だ。

 武器の射程を伸ばす方法は単純明快。より『高速』で撃ち出せばいい。空気抵抗だの弾の形状だのというのは速度を落とさないための工夫であり、極論十分な速さがあり、空気抵抗などで壊れないなら形なんてなんでも良いのだ。狙撃銃も同じであり、長射程を誇るこの銃は極めて弾速が速い。

 そして速ければ速いほど、物体が持つ運動エネルギーは大きくなる。

 狙撃銃の威力は凄まじく、人間の頭ぐらいなら簡単に砕くほど。欠点としてこれだけの威力を生むため多量の蒸気が必要で、二メートル近い長さと十キロ以上の重さ、そして子供ぐらいなら宙に浮かぶほどの反動がある。常人どころか、普通の兵士でもそう簡単には扱えない。

 しかし此度この銃を撃つのは、オルテガシティが誇る狙撃部隊。銃の重さも反動も、彼等にとっては慣れ親しんだものだ。

 狙撃部隊が放った弾は、殆どが少女の頭部に命中した。何十という数の弾丸を浴びれば、普通の人間ならばミンチよりも凄惨な状態となるだろう。


「キキャキャキャキャ!」


 しかし怪物少女は人間に非ず。

 銃弾の雨を浴びても、彼女はけらけらと心底楽しそうに笑うだけ。弾丸は貫くどころか、彼女の体表面で全て弾かれる。

 そもそも怪物少女の表皮は、厳密には『皮膚』ではない。

 表面には極めて細く、それでいて透明な体毛が、さながら衣服のように怪物少女の全身を覆っていた。この体毛は髪と少々構造が異なり、を持つ。このため身体で受けた物理的衝撃を熱へと変える事が出来る。熱エネルギーは血流と共に循環して他の体毛から放出。身体に熱がこもる事もない。

 細胞の熱変換量には上限があるため、それを上回る打撃を与えればダメージは通る。しかし銃弾程度の威力では、全く足りない。一千発どころか一万発撃ち込んでも、怪物少女の眉を顰める事さえ出来ないだろう。

 怪物少女が銃弾で怯みもしていない事は、攻撃している人間達にも見えている。だが銃弾が効かない事は、先に戦った部隊からの報告で既に明らか。この銃弾は牽制、または『気休め』の攻撃だ。

 次いで撃ち込まれた、戦車砲もまた効かない事が判明している。


「キャキャキャー!」


 とはいえ怪物少女の髪が飛んできた砲弾を、そして投げ返してくるとは、流石に考えもしてこなかっただろうが。投げ返された砲弾は正確に撃った戦車へと戻り、最も分厚い正面装甲を貫通。中で爆発を起こし、搭乗員諸共戦車を粉砕する。

 戦車の攻撃も嘲笑うような行動に、怪物少女の強さを理解していた筈の人間達に動揺が走る。そもそも人間の動体視力では、音速の五倍を超えるような速さの物体を見る事など出来ない。『耐える』ならば(戦車の装甲以上の硬さという時点で十分非常識だが)まだ理解の範疇でも、それを躱したり、ましてや捕まえるなんて事は最早想像さえもしていなかった。驚くのも無理もないだろう。

 しかし怪物少女にとっては容易い事だ。何しろ弾を見る必要さえもないのだから。

 彼女の周囲には、極めて細い体毛が無数に漂っている。この体毛はセンサーとしての役割に特化させたもので、大気密度の僅かな変化さえも逃さずに捉える事が可能だ。またあまりにも細いため視認どころか触れた事にさえ気付けない。怪物少女以外には、ある事さえも分からない探知網である。

 飛んできた砲弾は、このセンサー体毛を刺激していた。怪物少女は体毛から伝わる信号で砲弾の位置と速度を知り、「多分此処に飛んでくる」と思う場所に髪を伸ばせば良い。後は弾の方から髪に飛び込んでくる。


「キャーキャー! キャッキャッ!」


 尤も、仮に掴めなかったところで、戦車砲でも怪物少女に傷は付かないが。

 自分が投げた砲弾の動きと結果を見て、怪物少女が子供のようにはしゃいでいる間、他の戦車砲が撃たれていた。怪物少女はこれらの攻撃を無視しており、故に至近距離に着弾、一部は直撃している。

 戦車砲の威力は絶大だ。建物の壁を一撃で粉砕する事も可能であり、人間が数メートルのもの近距離で受ければ衝撃波によって身体が比喩でなく消し飛ぶ。されど怪物少女は、直撃しても微動だにしなかった。あまつさえ楽しむように笑うばかり。

 銃弾と砲弾の雨を、子供のように楽しむ存在。正に『怪物』であるが、しかし人間達は絶望には至らない。ここまでは想定内だからだ。

 人間達の切り札は、空にある。


「キャキャ! キャキャ――――キルゥ?」


 笑っていた怪物少女だが、ふと違和感を覚えた。

 頭上から、何かが来ようとしている。

 優れた感覚を持つ体毛は、遥か数千メートル上空の異変を察知。とはいえあくまでも違和感程度であり、何が起きたのか、起きようとしているのかは分かっていない。故に怪物少女は、大して良くもない視力ではあるが、無意識に頭上を見上げた。

 やはりその目には、何かが見える事はない。

 怪物少女は気付かない。都市の明かりに星が敗れ、暗く閉ざされた夜空の高度五千メートルの位置……そこを飛ぶ無数の爆撃機の存在に。

 爆撃機達から投じられたのは、大きな爆弾。

 これは通常の爆弾ではない。戦車砲さえ効かない怪物少女に、通常の爆薬は効果がないと、優れた知能を持つ人間達は想定していた。

 用いられたのは新兵器。その名を防壁貫通弾と呼ぶ。

 敵対都市の地下シェルターを穿ち、中に逃げ込んだ兵士や要人をするための兵器だ。先端は最新の蒸気工学により生み出された特殊合金を用いており、金属の防壁だろうがなんだろうが貫く。後方には蒸気推進機関が存在し、爆撃機から投下されるのと同時に蒸気を噴出。加速しながら地上へと落ちていく。

 その破壊力たるや、試験では厚さ二十八メートルのコンクリート防壁さえも問題なく貫通するほど。理論上は四十メートルの壁さえも粉砕出来る。


「! キィヤ……!」


 周りに展開した体毛が防壁貫通弾の存在を感知すると、怪物少女は僅かに顔を顰めた。この攻撃は今までのような『チャチ』なものではないと理解したのだ。

 理解した上で、怪物少女は動かず。

 無数に投下された防壁貫通弾が、怪物少女の周りに落下した。防壁貫通弾は着弾時に運動エネルギーが熱へと変化、これにより内部にある水分が気化・膨張する。この圧力により地面が膨れ、盛大に弾け飛ぶ。炸裂により生じたクレーターは半径二十メートル近くあり、余波だけで何百という数の人命を奪える破壊を振り撒く。直撃せずともこれだけの威力を生むのだ。

 そして無数に落とした事で、一発は怪物少女の脳天を直撃する。

 直撃すらば、戦車さえも跡形も残らない破壊力。避ける事はおろか防ぐ事もしなかった怪物少女の姿は、舞い上がった粉塵に飲まれて消える。普通ならばここで攻撃を止めるところだろうが……此度の人間達に容赦はない。

 防壁貫通弾を落とした爆撃機が通り過ぎると、また複数の爆撃機がやってきた。それらも次々と爆弾を投下していく。落とした爆弾は通常の戦闘で用いられるもの。防壁貫通弾と比べれば物理的破壊力に劣るが、しかし化学反応を利用する事で高熱を発する……燃料気化爆弾だ。

 発せられる熱は三千度に達し、これは生物体はおろか、金属さえも溶解・気化させるほど。更に一瞬で周りの酸素を消費し尽くすため、万一熱や衝撃に耐えても酸欠で窒息死する。そして酸素の消費と高熱による急激な圧力変化により、生物体内部を破裂・破砕してしまう効果もあった。

 逃げる事も隠れる事も許さない、殺戮のための兵器。非人道的であるが故に、その殺傷力は通常兵器の中では飛び抜けて高い。

 銃弾と戦車砲を上回る威力と、熱学的に優れた化学的攻撃――――この二つの組み合わせに耐えられる生物などいる筈がない。この場に集った人間達の誰もがそう信じ、或いは『人類の叡智』に祈っていた。

 呆気なく踏み躙られると、露ほども思わずに。


「キャハッ!」


 朦々と舞い上がる爆煙と炎、それらが発する轟音に紛れて『笑い声』が聞こえてくる。

 砲撃や銃撃の音もあって、その声を聞いた人間はいない。だが彼等の中にある本能は、『現実』を感じ取っていた。

 嫌な予感がする。

 獣であれば、本能の警鐘に従って逃げ出しただろう。それで本当に逃げられるかどうかは別にしても、だ。だが人間達は逃げない。発達した人間の知性は、本能を抑え込む事が出来てしまうから。ましてや此処にいる彼等は軍人だ。それぞれの動機や本心はなんであれ、戦い、都市を守る事が仕事。職務を放棄する訳にはいかない。

 それが、此処にいる者達の命運を決定付けた。

 雨のように降らしていた爆撃が止まる。戦車の砲撃と蒸気銃の乱射も止んだ。攻撃の効果を確かめるため、炎と煙を止めなければならないからだ。

 とはいえこれだけやれば、跡形も残っていない筈。警戒を解く命令が出ていないため未だ兵士も戦車も臨戦態勢だが、兵士達の多くは ― 込み上がる違和感を無視して ― 笑った


「かひゅ」


 が、その笑顔はこの小さくてか細い声一つで消された。

 声を上げたのは、一人の歩兵。

 部隊を指揮する隊長でもなければ、数多の戦場で功績を上げた英雄でもない、ただの一般兵士。彼は先の声を漏らすや、パクパクと口を喘がせ、そのまま棒立ちに。周りには同じ部隊に属する仲間がいて、肘で突くなどして様子を伺うが、彼は返事も返さない。

 やがて彼の身体に異変が起きる。

 身体が、みるみる干からびていったのだ。それもものの数秒で、血の一滴も残っていないミイラのように変貌してしまう。更には皮膚が凍り付く。それは僅か数秒の出来事で、あまりにも早く事が終わったために、間近で見ていた兵士達でさえ反応すら出来ずに呆けていた。

 彼等が『攻撃』を認識出来たのは、更に数人の兵士が瞬く間に干からびてからだった。


「キャキャキャーッ! キャハッ!」


 尤も、彼等に取れた行動は敵討ちなどではなく……爆炎を吹き飛ばし再び姿を現した怪物少女から逃げる事だったが。

 怪物少女は無傷。防壁貫通弾も燃料気化爆弾も、怪物少女が纏う体毛を破れなかった事をこれ以上ないほど証明していた。

 彼女達の体毛には熱と運動エネルギーを自在に変換する力がある。この程度の威力では、怪物少女の守りを貫くには程遠い。強いて言うなら燃料気化爆弾の気圧変化は少し不快だったが、所詮その程度のものだ。普通の人間ならば肺も消化器官も破裂する『環境変化』も、体毛で口周りを保護すればなんら問題はない。

 燃料気化爆弾の効果で酸素も失われていたが、怪物少女は呼吸も殆どしていないため問題にならない。吸収した熱を活力に変換出来るのだから、わざわざ酸素と有機物を燃焼させる必要もないのだ。地熱の温かみがある場所であれば、休眠する事だって容易い。

 人類の叡智など、彼女にとっては虫けらの威嚇と大差ないのだ。

 そして怪物少女は、この身の程知らずな種族を見逃す気はない。自分達こそが支配者だと、驕っている奴ほど堪らなく壊したくなる。

 かつて、この星で最も栄えた種族を下した時のように。


「キャーッ! キャハハ!」


 怪物少女は吸血用の髪を四方八方へと伸ばす!

 人間の視力では認識出来ない、極細の捕食器官が兵士達に迫る。どれだけ警戒していようと見えないものは躱せない。仮に本能的危機感で存在感を察知したところで、時速数千キロで迫る何百何千と張り巡らされた髪の包囲網は抜けられない。


「ひぎゃっ!?」


「おが、か、か……!」


 兵士達は次々と餌食になり、凍りながら干からびていく。走って逃げたところで、時速四千キロで伸びる髪を振り切れるものではない。隣にいた仲間が死ぬ度、人間達は阿鼻叫喚になりながら無駄な抵抗を続ける。

 その姿があまりにも無様で、だからこそ面白い。怪物少女は上機嫌に人間達を次々と襲い、感情と腹を満たしていく。

 だが人間達も無抵抗ではない。戦車は後退しながら、正確に狙いを付けてから砲弾を撃ってきた。

 直撃してもダメージにはならないが、飛び散る粉塵は少々鬱陶しい。先程までは砲弾を返すなどが……既に飽きた。もう付き合うつもりはない。


「キャゥ」


 髪を伸ばし、軽く薙ぎ払う。

 それだけで並んでいた戦車達は、纏めて切り裂かれた。飛び散る火花が燃料に飛び移り、巨大な爆発を引き起こす。

 薙ぎ払った際、巻き添えで人間数十人も真っ二つにした。戦車の爆発で跡形もなく消し飛んだ人間も少なくない。だが怪物少女は端からそんな犠牲は気にもしていなかった。人間なんて、目の前にいるだけでも何百もいるのだ。何十人かを食べ損ねたところで、虫を踏み潰した程度の認識でしかない。

 ただ、そんな人間達の抵抗も、空から落ちてくる攻撃だけは少々鬱陶しく思えた。一回目は興味があったので受けてあげたが、二度も受けるつもりはない。


「キキキャキャキャキャキャ!」


 怪物少女は笑いながら、足のように使っていた髪の纏まりのうち二つを大きく動かす。

 髪は頭上三メートルの位置で振るわれ、落ちてきた燃料気化爆弾と防壁貫通弾に叩き込まれた。超音速で落ちてきた二種の爆弾は、目標に接触する事も出来ずに爆散してしまう。

 そして舞い上がった爆炎が、空と怪物少女の間を漂った。

 今、空を飛んでいる爆撃機達に怪物少女の姿は見えていない。しかし爆発自体は起きたため、直撃したと錯覚しているだろう。怪物少女はそれを理解した上で、手近な場所にあった岩を髪で掴む。

 然程目が良くないがために、空飛ぶ爆撃機の姿は捉えられない。

 だがそれは視覚的な話だ。目に頼らない方法を用いれば、相手の位置を捉える事は可能である。怪物少女の場合であれば、優れた感覚器である体毛から空気の流れを追う。爆撃機ほどの速さと大きさで空を飛べば、極めて『薄い』反応だが地上でも気圧変化などを起こす。

 この変化を大きく、数百メートルの範囲で広げたセンサー網で受け止める。すると何が分かるか? 気圧変化の時間と位置の移り変わりから、相手の移動速度と高度を推定出来るのだ。

 決して正確な測定ではない。だが全く分からないのと、大雑把でも位置と動きが見えているのとでは、攻撃の精度は全く違う。


「キャァァァ……キアッ!」


 怪物少女は髪を伸ばす。自分の周りにある、無数の瓦礫を拾い上げるために。

 そして掴んだ瓦礫を、力いっぱい空目掛けて投げる!

 投げられた石は空高く、爆撃機が飛ぶ高さまで上昇する。狙いが雑なため、高速で飛ぶ爆撃機に対し早々当たるものではない。仮に正確に動きが見えていたとしても、時速一千キロ以上で飛ぶ物体に当てるというのは至難の業だ。怪物少女にとっても、それは簡単な事ではない。

 だが、何十と飛んでいけば……一個ぐらいは当たるものもある。それを絶え間なく繰り返し、何百何千と投げれば、当たる事こそが必然だ。

 爆撃機は蒸気推進により、時速一千キロ以上の速さで飛んでいる。言い換えれば、これはただそこに浮かんでいるだけの、動いていない物体に時速一千キロで激突するようなものだ。

 それでも小さな石ころであれば、金属の装甲で簡単に弾き返す事も出来ただろう。しかし怪物少女が投げた石は、いずれも人間の頭ぐらいには大きなもの。衝突時の衝撃は、銃弾の比ではない。

 翼が折れて航行不能になればまだマシな方。機体の正面から破損した場合、制御不能に陥り……燃料への引火から爆散する。こうなってはパイロットは助からない。

 そして航空機の撃墜は、人間達により深い絶望を与える。

 空からの爆撃――――それは人間にとって、明白に自然を凌駕したもの。銃を持った猟師が獣に殺される事はあっても、空飛ぶ爆撃機を撃ち落とせる鳥はいない。爆撃は自然を一方的に蹂躙出来る、人類にとっての『安全地帯』だった。

 だが、その領域は侵された。

 もう安全な場所など何処にも残っていない。もう人間に逃げ場などない。人間に対抗する術もない。

 人類は、この怪物少女に勝てないのだ。


「ひ、ひ、ひぃいいいぃっ!」


 兵士達が悲鳴を上げ、銃も捨てて逃げていく。町を守る? 大切な人を守る? それら全てが下らない。勝てない存在に対し使命など役に立たず、鳥に追われる虫けらのように、奇跡を願って逃げるしかないのだ。

 無論、怪物少女がそれを許す筈もないのだが――――

 ……………

 ………

 …


「ゲップゥゥー」


 大きなゲップを吐き出し、怪物少女は満足気に笑う。

 彼女の周りには、何百という数の人間が転がっていた。大半は干からび、血の一滴も残っていない。凍り付いた顔には絶望の表情が浮かび、この戦いに参加した事そのものを後悔しているようだ。

 あちこちで戦車も燃え、爆撃機も落ちている。ビルは一棟残らず倒れて瓦礫と化し、あらゆるライフラインが潰えた。

 『人類』に対し、完全な勝利をしたといっても過言ではない。勝ちの余韻に浸り、ケタケタと笑う。

 ……しかし怪物少女は、やがて不満そうに眉を顰めた。

 理由は『空腹感』。何百も人間を食べたというのに、エネルギーが全く足りないのだ。


「キャフゥー……」


 腹を摩りながら、怪物少女は考える。

 人間はこの星の、今の時代の覇者だ。それはこの巨大な都市からも明らかである。

 されど個々の個体は極めて脆弱で、内部に溜め込んでいるエネルギーは微々たるものだ。食べても食べても、腹が満たされるようには感じられない。

 別段これでも生きていくのに支障はないのだが……を生むには莫大なエネルギーと資源が必要だ。こんな貧弱な生物では、一回繁殖するだけでどれだけ喰わねばならないのか見当も付かない。

 だったら繁殖しなければ、と言いたいが、これは本能の衝動。本質的にケダモノである怪物少女には、我慢なんて言葉はない。食欲・睡眠欲と同じく、性欲も我慢などしないのだ。

 しかし、面倒臭い。

 虐殺は大好きな怪物少女であるが、面倒事は嫌いである。気儘に殺すのは楽しくても、目標や使命となると途端に面倒だ。どうにか楽は出来ないものかと悩んでしまう。

 ……かくして辿り着いた結論は、あの『強敵』を喰らうというもの。あれを一体でも食べる事が出来れば、莫大なエネルギーが得られるだろう。

 そしてあれは、必ず戻ってくる。

 


「……キャハッ! キャキャキャーッ!」


 悩みから解放された怪物少女は、再び暴れ始める。本能のままに、衝動のままに、思うがままに。

 自分こそがこの星の真の支配者であると、彼女は寸分も疑っていないのだから……

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