姫君の宿敵06

 地下を溶かしながら進む事、約三分。

 地上にいる少女に気取られぬよう慎重に動いたため、少し時間は掛かったが……ナージャはどうにか、寝床である反政府組織レヴォルトの秘密基地に辿り着いた。

 人間なら扉から入ろうと務めるだろうが、ナージャにそんな常識はない。ついでに言うと余裕もない。

 床のコンクリートを溶かし、ナージャは部屋の中へと飛び出す。


「あっちぃ!?」


「ヒゥウ!?」


 すると部屋の中から、悲鳴染みた声が上がった。

 ナージャは素早くその声の方を睨む。と、そこにいたのはジョシュアやエルメス、それと大男だった。どうやら彼等はナージャと少女が繰り広げていた戦いから無事逃げ延び、此処に避難していたらしい。

 室内にいた『人影』にナージャは一瞬警戒するも、あの少女ではないと分かり身体から力を抜く。もう逃げる必要はないと考え、体表面の温度も一気に下げた。熱源が失われ、床のコンクリートも冷え固まる。ちょっとばかり数十度程度室温が熱くなったが、人間が死ぬほどの高温ではない。

 尤も、ナージャは傍から部屋の環境など気にしていないが。見知った顔以外の、脅威となる存在がいないか周囲を確認。安全だと分かった……ところで、ナージャは身体がふらふらと揺れた。どうにか止めようとするも上手くいかず。

 ついには、バタリと倒れてしまう。


「えっ!? な、ナージャ!?」


「ウゴゥ! マ、マァ!」


「血塗れじゃねぇか……一体、どんな戦いをしたんだコイツ……!?」


 倒れたナージャにエルメス達が駆け寄り、受けた傷の大きさを見て驚く。彼等は幾度とく見てきた事で知っているのだ。ナージャがどれほど強く、強靭であるかを。何より彼等が見ている中で、ナージャが『怪我』と呼べるような傷を負った事はない。

 そのナージャが血塗れになるほどの重傷に陥れば、驚きもするだろう。しかし同時に、少し安堵したような顔を浮かべる。

 ナージャがこうして帰ってきたからには、軍隊を容易く殲滅したあの少女は倒されたのだ――――そう考えているのだろう。

 残念ながら、それはあまりにも楽観的で願望混じりのものに過ぎないが。


「む……」


 ナージャが倒れた後、室内に置かれた電話が鳴る。

 それを聞いて、エルメスとジョシュアは顔を青くした。幼児退行している大男だけが現状を理解しておらず、キョトンとしていた。

 すぐたエルメスは受話器を取り、耳に当てる。


【エルメス! エルメスか!?】


 受話器から聞こえた声は、絶叫と読んで差し支えない大声。あまりの大きさにエルメスは受話器を耳から離したが、それでも声はハッキリと聞き取れる。

 故に、この声が構成員の一人のものである事も分かった。


「……エルメスだ。どうした、何があった」


【怪物だ! 町で、女の子みたいな姿をした怪物が暴れてる! あ、あんな小さな子供みたいなのに、ビルが倒れて……な、仲間が、たくさん潰されて……生き残ったのは、もう数えられるだけで……】


「落ち着け。今は安全な場所なんだな? だったらしばらく身を隠して」


【ひ、ひぃいいい!? あ、アガサが、ひ、干からび、ぎぎゃあああああああ、あ、あご、が】


 何かを言おうとしたところで、通話がぶつりと切れる。エルメスは何度か受話器の向こう側に呼び掛けたが……返事はない。

 エルメスは受話器を置く。

 すると、即座に電話が鳴った。エルメスはまた受話器を取ると、今度は幾分落ち着いた、或いは憔悴しきった声が聞こえてきた。


【エルメス……エルメスはいるか】


「俺だ。その声は、バーニーか?」


【ああ、そうだ……】


 電話をしてきたのはバーニーだった。

 普段から淡々とした男だったが、今も落ち着いた声色で話している。しかしこれは冷静と言うよりも疲れ切ったもの。彼が経験してきた『何か』が如何ほどのものだったのか、間接的にだが物語る。

 しかしあくまでも間接的なもの。具体的に知るには、ちゃんとした言葉で聞かねば分からない。


「バーニー。そこに危険がないなら、説明をしてくれ。何が起きた? 今、そっちはどうなっている? 俺達が知っているのは、ナージャみたいなガキが、町を滅茶苦茶にしている事だけだ」


【……俺も、ただ巻き込まれただけだから、そう多く知っている訳ではない。だが、発端と思われる場面には出くわした】


 エルメスが説明を求めると、バーニーは前置きをし、僅かな沈黙を挟んだ後、淡々と話し始めた。

 ――――バーニーも、事の発端を理解している訳ではないという。

 ナタリーと共に買い物のため町を出歩いていたところ、十人近い警邏隊が集まっているところに遭遇した。警邏隊が対象とどんな会話をしていたのか、距離があったため聞き取れなかったが……恐らく捕まえようとしたのだろう。数名の警邏隊員が動いた。

 直後、彼等は全員文字通り粉々に粉砕された。

 警邏隊員達を血飛沫に変えた『何か』は、少女のような姿をしていた。あくまで似ているだけで、外観は異形のそれだったが……なんにせよ人外の少女は、笑い声のような声を上げた。

 続いて、周囲にあった建物が突然崩落。何が起きたのかも分からず、けれども極めて危険だと誰もが理解出来る状況に、誰もがパニックに陥りながらも逃げ出す。

 闇雲に逃げた者も多かったが、バーニーなど一部の者達は地下鉄などへと逃げ込んだ。瓦礫などが降り注ぐ地上よりも、屋根がある地下の方が幾分マシではないかという判断。幸いにしてその判断は正しく、バーニー含めた数十人の市民はビル群の崩落からは逃れられた。

 だが、それで悲劇は終わらなかった。

 生き延びた人間達が、急に干からび始めたのだ。まるで血を抜かれたかのように。それでいて体表面が凍り付くという不気味な現象まで起きる始末。当然その場にいた人々は逃げたが、それを嘲笑うように次々と人間が干からびていく。

 バーニーも、訳も分からずがむしゃらに逃げた。瓦礫の隙間に身を隠し、親と逸れたと思われる小さな子供を守るように抱き締める事しか出来ず……運が良かったのか、隠れ場所が好ましかったのか。どうにか難を逃れる事が出来た。


【今は臨時の避難所にいて、そこから電話を掛けている。どの道そこはもう使わないから、連絡を取る事を優先した】


「ああ、それで良い……ナタリーはそこにいるか」


【いや、いない。途中で逸れてしまった】


「……そうか」


 達観した口振りの言葉が、エルメスの口から漏れ出る。

 バーニーの言う『何か』とやらは、恐らくナージャと戦った怪物少女だろう。

 ナージャが目覚めた直後に掛かってきた、ナタリーからの電話について思い返す。電話が途切れた事、その前に響いた轟音。二つの要素を合わせ、合理的に考えれば浮かぶ答えは一つだろう。『絶対』ではなくとも、限りなく確実に等しい確率で。

 仲間の喪失に心が震えないほど、エルメスは冷酷な性格ではない。唇を噛み締め、喉奥まで来ていたであろう悪態と共に息を飲む。


【……これは俺の直感だが、恐らく、被害はこんなものでは済まない】


 そう打ち震えていた時に『こんなもの』と言われれば、少なからず怒りを覚えてしまうのは致し方ない。

 咄嗟に激昂せず、バーニーを落ち着いた口振りで問い詰める事が出来たのは、エルメスが冷静で合理的な人間だったからだ。


「どういう意味だ?」


【俺が遭遇した化け物は、多分人間の血を吸い取っている。何をどうやってかは分からないが、目的は恐らく……食事だろう】


「……なんだって?」


【デカい蚊みたいなもんだ。普通に考えれば、強い奴はたくさん食う。筋肉はエネルギー消費が大きな器官だから、力が強いなら相応に食べなきゃならんからな。ビルを破壊するほどの力を持っているなら、それだけ飯も食うだろう】


「だとしても、わざわざ人間を襲う必要は……」


【逆だろ。周りの山や森は開発が進み、大昔の乱獲もあって野生動物はあまり棲んでいない。人間だけなんだ、この辺りでたくさんいる動物は】


 軍隊さえも蹴散らす、桁違いの身体能力。それを維持するためには、それこそ大規模な軍隊が消費するのと同じだけの物資が必要かも知れない。人間という存在を特別視せず、純粋に『生物資源』として見れば……一つの都市に何十万も暮らしているこの生き物は、強い生命体にとっては格好の獲物だ。

 開発により大型動物が他にいない(精々近隣で飼われている家畜ぐらいなもの)のもあって、怪物少女は生きるためにせっせと人間を食べ続けるだろう。しかしそれは、始まりに過ぎない。

 怪物染みているとはいえ、怪物少女は恐らく生き物だ。ならば生きている限り、エネルギーは消費していく。一体一日にどれだけの人間を喰らうかは分からないが……いずれは食い尽くすだろう。そもそも人間だって馬鹿ではないのだから、安全な場所を求めて逃げ出し、やがて都市から人はいなくなる。

 人間がいなくなったら、怪物少女はどうするのか? 当然、次の獲物を求める筈だ。それが何処の都市になるかは分からないが、そこでも人間を喰らう。そして人間がいなくなればまた次の都市へと移り、そこの人間もいなくなればまた新たな都市に移る。

 これを繰り返せば、世界中の都市が怪物少女に破壊される事となるだろう。


「……世界の危機、って事か?」


【さてな。今回の破壊行為が、警邏隊に捕まりそうになった事がきっかけだと言うなら……大人しく食われていれば、精々一日数十人ぐらいの犠牲で済むかも知れん。これぐらいならこの都市で一日に生まれる子供の数の方がずっと多い。死ぬよりも生まれる方が多いなら滅びる事はない。『共存』可能だな】


「共存なぁ。家畜の間違いじゃねぇか?」


【家畜もある意味人間と共存しているだろ。人間に喰われる事で、人間に守ってもらい、繁栄する事が出来た……人間的には、勘弁してほしい生き方だがな】


 バーニーの言う通りだと、同意するようにエルメスは頷く。

 しかし決意だけで変えられるほど、現実は甘くない。


「軍隊を返り討ちにするような化け物だからな……対抗手段もないか」


【そもそも奴が一体だけの種族とは限らん。もしも複数体、それも十体二十体でなく何百と現れたなら……】


 最悪を想定すれば、やはり人類の滅亡までもが視野に入る。

 そして人類の手で怪物少女を打倒する事は、恐らくは不可能か、途方もない犠牲と引き換えになるだろう。いずれにせよ人類文明は甚大な被害を受け、維持も存続も危うくなる筈だ。

 全ては想像である。しかしあの怪物少女は物証も論理も無視して『滅び』を確信させる存在だった。

 もしも、この予感現実を変えられるモノがいるとすれば――――


「……………」


 ちらりと、エルメスがナージャの方に視線を向ける。

 軍隊だろうと生物兵器だろうと、勝利してきた正真正銘の怪物――――ナージャ。

 全身から血を流しながら、しかし静かに、深々と眠る彼女の姿を、人間達はただ見つめる事しか出来ない。

 戦いの傷を癒やした時、ナージャはどうするのか。逃げ出してしまうのなら、やはり人間が怪物少女と戦わねばなるまい。されど目覚めて、再び戦うのであれば……

 エルメス達人間は決意を固める。尤も、滅びは人間達の決意や準備などお構いなしに訪れるのだが。


【うぉっ!?】


「? どうし、うわっ!?」


「うひゃあっ!?」


 受話器越しのバーニーが驚いたような声を上げ、次いでエルメスとジョシュアも驚きを露わにした。

 彼等に襲い掛かってきたのは、地震。

 しかし自然界で起きるようなものではない。不規則で、強弱が激しく変わるようなもの。揺れ方も左右ではなく上下方向だ。

 揺れはどんどん強くなり、ついにバーニーとの通話が切れてしまう。電話線が切れたのか、それとも……


「……なんにせよ、近くで暴れている訳だ。ナージャをここまで痛め付けた化け物が」


「え、エルメス。どうしたら……」


「決まってる」


 動揺するジョシュアに答えを示すように、エルメスは迷いない足取りである場所を目指す。

 それはこの小部屋に隠してある銃の置き場。

 エルメスは適当な銃を手に取る。大型で、人間ぐらいなら簡単に殺せる……けれどもナージャにとっては羽虫ほどにも感じない武器。引っ越しの際持ち出す予定だったそれを持つや、エルメスは弾の有無などをチェックして撃てるかどうかを軽く確認。


「俺達は反政府組織の前に、この町の人間だ。町が危険に晒されたなら、まずは俺達が動くべきじゃないか?」


 そしてジョシュアに戦う意思を示す。

 ジョシュアは大きく目を見開き、言葉を失ったように口をパクパクと喘がせる。ジョシュアは見てきるのだ。ナージャと怪物少女の戦いが、如何に苛烈なものであったかを。人間がどんな武器を持ち出したところで、勝てる訳がない。

 エルメスの行為は、勝ち目のない相手に戦いを挑む事であり、自殺行為も同然だ。如何にエルメスの言葉が正論であろうとも、即座に同意出来るものではない。

 しかし、そう、正論ではある。

 戦いを挑んだところで、自殺行為でしかない。だが降伏したところで、怪物少女の腹を満たすだけ。これで人間という種が存続出来るならばまだしも、怪物少女が果たしてそこまで『配慮』するか分かったものではない。数だって一体とは限らないのだ。

 何より、一目でも怪物少女を見た者は本能的に直感する。あの『生物』には、説得も和解も不可能であると。

 論理的本能的に考えれば、抵抗以外の方針は愚行と言える。例え呆気なく殺されるとしても、抵抗すれば何か、奇跡が起きるかも知れない。

 ジョシュアが覚悟を決めるのに、さして時間は掛からなかった。


「……そうだね。うん、オイラもそう思う。オイラも戦うよ!」


「ああ、心強いな。おい、お前はどうする?」


「ゥ……ボ、ボク、ママノトコロニ、イル……コワイノ、イタイノ、ヤダカラ……」


 大男はナージャの傍に座り込む。大男の身体付きから、エルメスは戦力として期待していたが……しかし『子供』を動員する気にもならない。

 大男に留守を任せ、エルメス達は部屋から出ていく。

 残された大男は座り込むと、じっとナージャを見つめた。

 何時起きるかも分からない、だが既に出血が止まっている、人間を凌駕する『怪物』の姿をじっと……

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