姫君の宿敵03
エルメスとジョシュア、それと大男の三人は都市を歩く。
より正確には、前を歩くナージャの後を追っていた。ナージャは三人の事など気にもせず、黙々と都市を歩く。時刻は夜を迎えているが、都市の様相を見るのに支障はない。
何しろ此処は大都会オルテガシティ。高さ五十メートル近いビルが乱立し、大地を覆い尽くす世界有数の巨大都市だ。道は均等に並んだ街灯に照らされ、頭上は巨大ビル群の明かりが埋め尽くす。この都市の威光が及ぶ領域にて、見えないものなどありはしない。
当然、ナージャが進む方からやってくる数多の人々の姿も丸見えだ。
「ひぃいいいい!」
「た、助けてぇ!」
彼等は悲鳴を上げながら、ナージャの方に押し寄せてきた。ふざけている様子はない。誰もが必死の形相であり、我先に逃げようとしている。
「邪魔だガキぃ!」
中にはナージャを突き飛ばそうと、勢いよくナージャ目掛けて両腕を振ってくる者もいた。
普段であれば、そんな羽虫が止まった程度の事にナージャは逐一反応などしない。だが、今の彼女は闘争心に満ち満ちている。
自分への『攻撃』をむざむざ許すほど、甘くはない。
「ガゥ」
「ぶげぅ」
突き飛ばそうとした男は、逆にナージャが振った腕により薙ぎ払われた。迎撃、と言っても羽虫を払った程度のものだが……ボギンッと音が鳴り、男の身体は『腰』の部分でくにゃりと曲がる。
そのまま数人の無関係な通行人を巻き込んで、男はナージャに道を譲る形となった。突然の惨事に周りは更なる混乱に満ち、あちこちで新たな悲鳴が上がった。
「……ご愁傷さまな事で」
「し、死んではないと思うよ。まだ……」
「死んだ方がマシな怪我だろうよ。半身不随確定じゃねぇか」
ただ一撃で生み出した惨劇に、エルメスは顔を顰める。
ただし、顰めるだけだ。
エルメスとしても、人間を虫けらのように傷付けるナージャに思うところはある。だが人間の力ではナージャを止める事など到底出来ない。むしろ下手に行く手を阻めば、逆に殺されると感じていた。
何より、ナージャの行く先に意識が向く。
――――爆音と光が轟く。
何キロも彼方で起きているそれは、しかし遠く離れたエルメス達の身体をも揺さぶる。そこで起きている事態……否、『戦い』の激しさをこれでもかと言うほど主張していた。一般人どころか反政府組織の面々であるエルメス達でさえも、何が起きているか分からないのに恐怖心が湧き出すほどに。だからこそ市民は誰もが必死に逃げているのだ。
だが、ナージャは向かう。
ナージャもそこで何が起きているかなんて知らない。されど本能が喚く。この戦いの場所に迎え、そこにいる『敵』を倒せと。
人間ならば自らの本能の衝動に、少なからず疑問や違和感を覚えるかも知れない。本能を抑え、理性的に振る舞う事こそが美点だと(出来ているかどうかはともあれ)人間は考えているのだから。されどナージャにそんな価値観はない。本能のまま、突き進むのみ。
やがて逃げる市民の姿が消えた頃――――急に景色が開けた。空を隠すようにそびえていた建物の姿が消えた事で、夜空が見えたのである。
しかしそれは、此処が都市部と外の境界線だからではない。
空を隠すほどに巨大なビルが、軒並み崩れているから空が見えたのだ。
「な、な、なんだよこれぇ……!?」
ジョシュアが悲鳴染みた声を上げ、エルメスは言葉を失ったように口を間抜けにもぽかんと開けていた。大男も崩壊した都市の姿に思うところがあるのか、不安げに辺りを見回す。
ナージャだけが、心乱されずに周囲を観察する。
ビルは跡形もなく崩れ、周囲は瓦礫の山となっていた。道路は完全に埋もれており、積み上がった瓦礫だけで高さ数メートルは『地面』が盛り上がっている。
そして瓦礫の隙間からは土と埃の臭いに混ざり、微かにだが血の臭いも混ざっている。相当数の人間がぐしゃぐしゃに潰れていなければ、これほどの濃さの臭いは漂ってこないだろう。尤も、ナージャとしては人間がどれだけ死のうと興味もないが。
しかし今、こちらに向かって逃げてくる人間達には少し興味を持つ。
それは迷彩服を着込み、手には銃を持った者達……都市軍に属する軍人達だった。
「っ!」
反射的に、というべき早さでエルメスはジョシュアを連れて大きな瓦礫の影へと隠れる。
ただ瓦礫の裏に隠れただけなので、軍人達が本気でエルメス達を探せば、反政府組織のリーダーを見付け出す事が出来ただろう。大男というあからさまに怪しい存在まで傍にいるのだから、見付けるのは難しくない。
だが、軍人達はエルメス達が隠れている場所を通り過ぎる。
「退避ぃー! 退避しろぉー!」
「ひぃいぃいい!」
隊長と思われる男の声に続き、若い男達の悲鳴が聞こえてくる。悲鳴の数は一つ二つではない。何十という数の男達が、ぐずる子供よりも激しく泣きながら叫んでいる。駆ける足は覚束ないもので、今にも転んでしまいそうな必死さだ。
後退してくるのは軍人だけではない。
履帯の回る音を鳴らしながら、金属の塊が後退してくる。都市部を走る蒸気自動車のように躯体後方から蒸気を排出しながら、上部に載せられた砲台が揺れるほどの激しさで走っていた。
ナージャにとっては初めて目にするものだが、人間達はこれがなんであるかを知っている。
戦車だ。
「戦車まで出ていたのか……」
「で、でも、後退しているよ!? これって……」
エルメスが独りごちた言葉に、ジョシュアが戸惑いながら問う。
そう、戦車もまた後退している。走る速さからして、それこそ全力で。周りには仲間である歩兵達がいたが、危うく彼等を轢きそうになるほど必死だ。
戦車は名前の通り、戦うための車だ。演習でなく彼等が駆り出されたからには、相当に大きな戦闘があった筈。
そしてこの状況は戦車がいても勝てなかったという事。
相手は一体何者なのか? 現実的に考えれば、別の都市からの侵攻だろう。都市軍という存在は、オルテガシティだけのものではない。他の都市にも存在し、時には経済圏拡大やライバル企業排除の名目で侵攻してくる。それらの都市軍も様々な兵器を持ち、オルテガシティが保有するクレアシリーズのような人造人間もいる。
しかしいくらクレアシリーズでも、戦車とまともに戦うのは分が悪い。オリジナルのクレアであれば、戦車の一両ニ両は倒せるかも知れないが……後退してくる戦車の数は十や二十ではない。
加えて言えば――――戦車が空を飛び、逃げている戦車の上に落ちてくるなんて事態は、クレアであってもそう簡単には起こせないだろう。
「うわあああっ!?」
「ひいぃい!」
頑強な戦車であっても、同じく頑強な戦車が上から落ちてくれば耐えられない。激突時の衝撃で歪み、大量の蒸気を閉じ込めていた容器が破裂したのか。白煙と共に戦車の装甲が吹き飛ぶ。
その残骸の中には逃げる軍人に当たる物もあった。戦車が纏うのは砲弾すら受け止める金属の装甲。それが吹き飛ぶとなれば、相応の威力を有している。当たった人間の身体が真っ二つになればマシな方で、大きな破片を受けた者は原型を留めない姿へと変わってしまう。
当たっても無事だったのは、同じ戦車と、強靭な肉体を持つナージャぐらいなもの。そしてナージャは軍人達など意識もしてないが、戦車はそうもいかない。
逃げる戦車の一つが、人間の身体を押し退けるほどの轟音を響かせた。
砲撃だ。当たれば人間など粉微塵に吹き飛ぶ一撃であり、分厚い装甲を持つ戦車であっても当たりどころによっては貫く。ナージャも、轟かせた音の行く先に視線を向ける程度の反応は示す。
それほどの破壊力を秘めた一撃は、轟音の直後にゴキンッという弾かれたような音を鳴らした。
次いで、ナージャの近くを高速で何かが飛んでいく。
ナージャの目には見えていた。巨大な金属の塊……『砲弾』が自分の傍を飛んでいったと。それも戦車が撃ち出した時よりも速く。
戦車の装甲は、基本的に自分が撃った砲撃程度であれば耐えられるように出来ている。言い換えれば、自分の放ったものを上回る威力の一撃ならば装甲を貫く事は可能と言える。
理屈通り、高速で飛んできた砲弾は戦車の装甲を貫通。砲撃した戦車は爆発を起こし、周りにいた軍人諸共吹き飛んだ。
「せ、戦車が……!」
「なんなんだこれは……!?」
戸惑い、困惑するエルメス達。だがその驚きは、すぐに上書きされる。
逃げていた軍人達の身体が、いきなり『切断』されたのだから。
「あ、ひぁ?」
「かひゅ」
切られ方は様々。頭と胴体が離れ離れになったり、縦に真っ二つにされたり……共通しているのは、誰もが何故切断されたのかも分かっていない事。自分の身体がどうなったかも分からないうちに、誰もが動かなくなる。
そして切られた身体は、急速に干からびていく。
炎天下の石の上に置かれた魚よりも早く、切断された人間の身体から水分が失われていったのだ。しかも切断された面から出血がない。断面は凍り付いていたのである。
異様な現象であるが、それを認識する人間はいなかった。
何故なら、切断されたのは人間だけでなく――――軍人達が逃げていった方に残る、巨大なビル群もなのだから。
「ひ、ひぎゃあああああああ!?」
逃げた軍人の悲鳴が響く。されどその声は崩れた瓦礫に飲まれて消える。戦車も石の濁流には勝てず、一両残らず姿を消してしまう。
倒れたビルは一つだけではない。二つ三つ纏めて倒壊し、轟音を響かせる。爆弾によるテロであっても、これほど大規模な破壊は極めて難しいだろう。
そしてナージャの正面に広がる景色から考えるに、倒れたビルは今や十や二十では足りない。この一晩で、都市の一部が灰燼と帰したのだ。
このまま破壊が続けば、朝が来るまでに世界最大級の都市・オルテガシティは跡形もなく崩れ落ちるかも知れない。
「……マジかよ」
難を逃れたエルメスが漏らした言葉は、自分が生きている事への喜びではなく、驚嘆の一言。
彼は理解したのだ。自分達が訪れた場所の傍に、軍隊や都市を壊滅させるほどの怪物がいるのだと。反政府組織レヴォルトが破壊を願いながらも、強固に守られていた秩序……これをいとも容易く粉砕してしまう化け物がいるのだと。
無論、ナージャも理解している。
何しろその化け物の気配を追って、彼女は此処までやってきたのだから。
「……グルルルルル……」
唸り声を上げつつ、ナージャは身体に力を滾らせていく。
ナージャが見つめる先……ビルの崩落により朦々と漂う煙の中に、一つ影が現れる。影は臆した様子もなく煙から出て、堂々とその姿を現す。
それを目にした人間達は驚きを露わにする。
現れたのはたった一人の、『異形』の少女だったのだから――――
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