姫君の宿敵02


 反政府組織レヴォルト。その秘密基地の一つは今、構成員の殆どが姿を消していた。地下深くにある古びた施設は、人の気配がなくなればあたかも古代の遺物のように見えてくるだろう。

 人がいなくなった理由は、引っ越し。

 前日にナージャが行った火炎放射により、秘密基地の場所が政府機関にバレた可能性があるからだ。真っ昼間に、空高く炎が立ち昇れば、誰にも見られない訳もない。そして怪しげな炎が吹き上がれば、そこにいるのがなんであれ、治安部隊が調べに来るだろう。

 反政府組織なのだから政府と戦う事は是としても、無策かつ行き当りばったりで挑めば壊滅するのは必然。へっぽこで貧弱な相手ではないから、こうしてこそこそしているのだ。ひとまず別の場所に移り、体勢を立て直すのが得策である。

 とはいえ、基地の一室にいる超弩級の怪物――――ナージャを放置する訳にもいかず。


「はぁ。ナージャ、まだ起きないかなー」


「マダオキナイカナー」


 ジョシュアが一人部屋に残り、ナージャの監視を続けていた。ナージャの隣には怪物染みた姿の大男がいて、指を咥えながらジョシュアの言葉を真似る。

 ナージャが連れてきた大男は、その様相の不気味さから構成員達に気持ち悪がられていたが……ジョシュアが渡した飴玉で打ち解けた後は、無邪気な子供のようだと分かり、幾人かとは親しくなっていた。

 力が出鱈目に強いようなので(渡した玩具を握り潰された)、対等な関係というのは中々難しい。しかしジョシュアだけは普段通り、あたかも普通の人間子供のように付き合えていた。これもまた彼の人徳が為せる技と言えよう。


「まぁ、君がいれば軍隊も怖くないと思うけどね。ナージャもいるし」


「ウン。ママイルカラ、コワクナイ」


 普通ならば何時治安部隊が来るか分からない場所に一人で残るのは自殺行為だが、大男と親しいジョシュアにその心配はいらない。むしろ大勢いる方が、大男に頼り辛くなる。怪物みたいな見た目をしている彼は、ちょっと人見知りなのだ。

 何より、ナージャを監視するのに人間が何百人もいたところで、大した意味などない。一人いれば十分。

 ある意味ジョシュアは、反政府組織の誰よりも安全な状況にあると言えるだろう。


「……本当に、寝てるだけ、だよね?」


 安全だからこそ、余計な事を考える余裕もあるのだが。


「ママ、ネテナイ?」


「ああ、うん、寝てはいるよね。寝てるんだけど……なんか、幸せじゃなさそうだなって」


 首を傾げる大男に、ジョシュアは思った事をそのまま述べる。

 幸せそうじゃない。

 なんと主観的な意見なのだろう。エルメスが聞いたら「ちゃんと客観的な判断をしろ馬鹿たれ」と言われるに違いない。

 しかし事実そう見えるのだから、仕方ないとも言える。

 出会ってから今日に至るまで、ジョシュアは眠りこけるナージャを幾度となく見てきた。眠る時間も寝相も時々によって違うが、緊張感のない寝姿だったように彼は思う。大きな寝息を立て、何処までもリラックスしていた。獅子が野生でも悠々と眠るのと同じように、圧倒的強者であるナージャは睡眠になんの不安もない。

 だが、今のナージャは違う。寝息は立てているし、丸まった寝方も何時も通り。しかし今のナージャの顔は、お世辞にも楽しそうではない。強張り、攻撃的な顔をしたままだ。

 とはいえ不機嫌そうという訳でもない。例えるならば『真剣』だろうか。眠るのに真剣とはこれ如何にとジョシュアも怪訝に思うが、そう見えるのだから仕方ない。


「未だに、君の事はよく分からないなぁ」


 そしてぽそりと、本心が口から溢れ出す。

 ……ジョシュアはナージャの事など微塵も知らない。

 ナージャが今、力を高めるために寝ている事さえも。何故力を高めようとしているのかも、人間である彼には分からない。ナージャも自らの状況を話そうとはしないので、理解が出来ないのは当然の事だ。

 ただし見方を変えれば、人間の社会で起きている『異変』をナージャも知る事が出来ないのだが。


「よう、ジョシュア。見張りは順調か」


 ナージャが眠るこの部屋に訪れた、エルメスの言葉をナージャは理解出来ないのだから。


「エルメス! 勿論順調だよ、というかナージャは寝たままだし」


「そうか。まぁ、動きがないなら良い」


「エルメスはどうして此処に? 危ないから基本的には自分含め誰も来ないって言ってたじゃないか」


 不思議そうに、ジョシュアはエルメスに問う。

 何時治安部隊が来るかも分からない基地に、人員を頻繁に出入りさせる事は自殺行為だ。鉢合わせれば、例え治安部隊の目的が反政府組織の壊滅でなくとも、逮捕や『銃撃戦』になる可能性がある。ましてやエルメスは反政府組織レヴォルトのトップ。もしも彼が襲われたなら、組織として助けに向かわねばならない。危険地帯にのこのことやってくる事は、組織全体として見れば愚行に等しい。

 エルメスは賢い人間だ。理由もなく『愚行』をする筈がない。ジョシュアの問いは、彼への信頼もあって出てきたもの。事実エルメスもなんとなくで来た訳ではなく、すぐにその理由を、何時も通りの力強い口調で答える。


「ああ、ちょっと町の様子を見ていてな。こっちに来たのはついでだ」


「町の様子? 何かあったの?」


「……実は昨晩、奇妙な連続殺人が起きてな」


 そう言うとエルメスは、自分が集めた話について語り出す。

 曰く、昨晩のオルテガシティで殺人事件が十五件も起きた。

 まずこの時点で異様だ。オルテガシティは大きな都市であり、行き過ぎた経済主義で歪みも大きいが、治安部隊の定期的な巡回などにより治安は悪くない。殺人事件は一日五件もあれば多い方で、十件も起きれば大事件である。勿論あくまでも平均の話であり、大きく逸脱した日がないとは言わないが……

 そして二つ目の異様さは、この十五件中十二件の殺され方。

 死体はどれも、しかものである。凍り付いていたのは殺害後(死亡時刻を誤魔化すなどの目的で)冷凍庫にしまっていた可能性があるが、血が抜かれていたのは訳が分からない。しかも単に大量失血した状態ではなく、干からびているという異常な状態だ。なんらかの道具で、積極的に血抜きをしたとしか思えない。

 十二件の事件で同じ死に方をしていた事から、捜査に当たった警邏隊はこれを連続殺人事件と認定。一晩で十二人も殺した凶暴性から、都市軍などの治安維持部隊も不審者捜索の名目で都市を巡回している。


「そんな状況だから、警邏隊や軍の人手はそっちに割かれている。俺達は後回しのようだ」


「そうなんだ……だからエルメスも此処に来れたと」


「まぁ、目的は町の視察で、こっちに来たのはただの寄り道だが」


 そう言いながら、エルメスがちらりと視線を向けたのはナージャ。

 寝ているナージャをじぃっと見つめるエルメスを前に、ジョシュアは首を傾げる。


「エルメス、どうしたの? ナージャの顔に何か付いてる?」


「……念のために聞くが、コイツは昨日からずっと寝てるのか?」


「え? まぁ、多分。一応エルメスに言われた通り、寝る時はドアの前に寄り掛かっていたから、外には出てないと思う……トイレとかは流石に席を外しているけど。どうしてそんな事聞くの?」


「都市で起きた殺人事件。遺体が凍っていて、血が抜かれているなんてあまりにも異様だ。まさかと思うが、コイツが何かしたんじゃないかってな」


 エルメスは幾度となく見てきた。ナージャが持つ桁違いの力を。

 その気になれば数メートルの厚さがあるコンクリートを一瞬で溶解させる炎を吐き、振るう剛腕は大都市をも沈める。一見人間と変わらぬ柔らかな皮膚は弾丸どころか爆弾も通さず、自分の吐く炎に焼かれもしない。

 何もかもが規格外の実力だ。現代の人類では再現も出来ない、驚異的な身体能力の数々。だからこそ都市で起きた非常識な殺人への関与が疑われる――――


「いや、エルメス。流石にそれは無理あると思うよ。だってナージャの出鱈目ぷりって、どれも殴るとか蹴るとか火を吐くとかじゃん」


 と言いたいところだが、ジョシュアの淡々とした意見であっさり否定された。

 ナージャの力はどれも非常識であるが、同時に極めて物理的でもある。殴る蹴るで相手を粉砕し、口から吐き出す炎にしても単純な熱量の多さで全てを焼き尽くすだけ。原理は兎も角、やり方は酷くシンプルである。

 そんなナージャが、凍らせた状態で血を抜く、等という『手間』の掛かる殺し方をするだろうか?


「まあ……コイツはそういう風にはやらねぇよなぁ」


 エルメスとしても本気で疑っていた訳ではなく、すぐに自分の意見を翻す。

 加えてエルメス達は知っている。

 ナージャは人間を虫けら程度にしか思っていない。だから配慮をしたり、守ろうとしたりはしないが……代わりに踏み潰そうともしてこない。殆ど興味がなく、巻き添えは躊躇わずとも、好んで殺そうとはしない。

 凍らせ、血を抜く殺し方は、明らかに『巻き添え』ではない。積極的に、何かしらの『意思』を持った殺し方だ。この点からもナージャが都市で起きている殺人事件に関与していない事は明らかである。


「しかし……なら誰がやったんだろうな」


「……やっぱ人間じゃない? ナージャみたいな凄い存在がいるのは確かだけど、世の中の不思議な事が全部ナージャ達の仕業とは限らないだろう?」


「いやまぁ、そうなんだがな」


 ジョシュアからの正論に、エルメスが頬を掻きながら頷く。

 ジョシュアは普段、エルメスを言い負かしたいとは思っていない。だからこそエルメスが妙に非論理的な、反論の余地のある話をするのが気になる。普段の彼ならば、いくら仲間相手とはいえそんな隙を晒すとはとても思えない。

 何か、理由があるのだろうか。

 疑問をジョシュアがぶつけようとした、その時だ。

 ナージャが、目を開いたのは。


「……………ゥ、ウゥウウゥ……!」


 目覚めるのと同時に発するのは、敵意を剥き出しにした唸り声。これを聞いたジョシュアは跳ね、エルメス(と大男)は素早くナージャの方を見る。

 皆の視線を集める中で、ナージャはゆっくりと起き上がった。

 続いて彼女の全身から湯気が立ち昇る。それは体表面の温度が、水が沸騰する百度を上回った事の証。放熱のため血液の一部を水蒸気として放出したのだ。

 尻尾をぶんぶんと振り回し、地面に叩き付ける。一撃打ち込めば、それだけで大地が揺れるほどの振動を引き起こす。二度、三度と打てば最早大地震と変わらない。

 そして眼光に浮かぶのは、明確なる敵意。


「……グウゥウウウウウ……!」


 激しい闘争心と怒りを露わにしながら、ナージャは歩き出した。


「なっ、また移動を……今度は何処に」


 行くつもりなんだ。エルメスが悪態混じりにそう声を出そうとしたが、掻き消すような物音が響く。

 音の発生源は室内に置かれた電話だった。

 普段ならば掛ける事もしない電話。何故なら電話線は都市企業により敷設されたものであり、故にほぼ全ての通話内容が盗聴出来る。だから反政府組織レヴォルトでは基本的に電話を使わず、外の会合や手紙で意見交換をしてきた。

 ならばこの電話は、レヴォルトの構成員からのものではないのか?

 否である。この電話の番号は、レヴォルトの構成員しか知らない筈だ。そして此処は、安全のためこれより放棄される基地。何より此処には

 どちらかを目当てにした電話の可能性が高い。しかも盗聴されても構わないぐらいには、緊急性が高いものと考えるのが自然。


「もしもし?」


 エルメスは即座に電話を取る。


【エルメス!】


 電話の主はナタリーだと、エルメスは声で分かった。


【エルメス逃げて! 此処は、ううん、この町はもう駄目! 早く外に!】


 なんの用だ、と訊く暇もなくナタリーは叫ぶ。その声は、何時もの気丈な彼女らしいものではない。悲鳴を通り越し、半泣きのような声だった。

 クレアと戦った時でさえも、ナタリーはこんな声を出していない。一体、何が彼女をここまで恐怖させているのか?

 エルメスには、問う事も出来ない。


【ひっ! か、か、怪物が】


 ナタリーが漏らしたその短い一言に続き、轟くのはおぞましい声。

 そして悲鳴と破壊音が響き、電話の音は永遠に途絶えるのだから。

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