姫君の悦楽14

 オルテガシティから南南東に五十キロ地点。

 都市から遠く離れたその場所にあったのは、とある鉱山だった。鉱物を運び出すためのトロッコ、そのトロッコを動かすための蒸気供給機……様々な機械が置かれ、此処が極めて先進的な方法で採掘を行っていると分かる。

 その先進的採掘法の成果は、坑道が地下十五キロの深さまで伸びている事からも明らかだ。酸素も早々届かない場所であるが、長く伸びた通気口から冷たく新鮮な空気が送り込まれる。大量の水も送り込まれ、中を常に冷却しようという意図はあった。

 尤も、それらの努力を嘲笑うように、坑道内は蒸気が漂うほどの灼熱に満ちていたが。

 中で働く鉱員達が上半身裸なのは、自然を改善しきれなかった技術の敗北と言うべきか、はたまた人間を生身でいられる程度には出来た勝利と言うべきか。立場によって見方は異なるが、働く側の人間からすれば前者の感想だろう。

 鉱員達はツルハシを振るい、地下の岩盤を黙々と掘る。誰もが真剣な面持ちなのは、此処での油断は死に直結するから。崩落すれば生き埋めになり、油断すれば熱中症や脱水症状が出て、雑に振り回したツルハシが誰かの目玉を抉るかも知れない。

 これほど危険な仕事でありながら、彼等が続ける理由はただ一つ。

 此処での採掘は金になるから。それもとびきりの、一山当てればそれこそ永遠に遊べるぐらいに。

 何しろこの鉱山で掘り出しているのは、蒸気文明を支える天然資源――――スチームコアなのだから。


「あった! 出たぞ!」


 誰か一人が叫ぶ。

 すると周りでひたすらに掘っていた男達が、一斉に(此処で作業していた鉱員は十人以上いた)その誰かの下へと向かう。

 鉱員の一人が、これを見ろとばかりに今まで掘っていた部分を指差す。

 そこにはキラキラと輝く、紅い石があった。地面から出ていたのはほんの数センチ程度の大きさだが、まだ奥に『残り』があるのが分かるぐらいには深く埋もれている。


「よくやった! スチームコアが出たぞ!」


 紅い石を見た鉱員の一人、この現場の監督役を勤めている鉱員は喜びを露わにした。掘り当てた鉱員の背中や肩を仲間達はばんばんと叩き、荒々しいながらも喜びを伝え合う。

 スチームコア採掘は、一種のギャンブルだ。

 勿論適当にあちこちを掘る訳ではない。川でスチームコアの欠片が流れてきた、崖崩れで発見された、等の情報から場所に目星を付ける。その後地質や地形、当時の天気や気候を調査。何処から流れてきたのか大凡の見当は付けるが……確実に発見出来るものではない。

 大量の人員と機材、つまり莫大な『金』を投じて失敗に終わるかも知れない。また銅鉱石や鉄鉱石など、一般的な鉱石と違ってスチームコアは『鉱脈』を持たず、その分布は散逸的。見付けても利益が出るとは限らない。ハッキリ言って、極めてギャンブル要素が大きい。民間には「スチームコアを掘り当てる」という諺もあり、意味は「当てにならない事に賭ける」。得られる富は大きいが、それぐらい難しい事業なのだ。

 この鉱員達が採掘している場所は過去に発掘例があるため、まるっきりのギャンブルではなかったが……それでも広大な大地の『何処か』にあるスチームコアを掘り当てるのは、やはり運の要素が大きい。もしもあと何ヶ月か出てこなければ、鉱員達が属している会社は倒産していただろう。

 しかし大きな塊を一個でも掘り当てれば、当分は遊んで暮らせるだけの金が手に入る。会社も数年は事業を続けられる筈だ。誰にとってもこの発見は喜ばしい。

 だというのに。


「それにしても、このスチームコアってのは本当に……不気味だよな」


 ちらりと、鉱員の一人が『不安』を滲ませた口調で独りごちた。

 喜びの場に冷水を浴びせ掛けるような物言い。けれどもこの場にいる誰もが、それを窘めたり嘲笑ったりはしない。

 誰もが、同じ事を感じていたからだ。

 ……煌々と輝く、紅い煌めき。

 欠片として見ればとても美しい石、それがスチームコアである。加工すれば宝石としても売れるであろう。しかし鉱員達は知っている。スチームコアは出土する時、必ずある程度の、三十〜五十キロ程度の大きさの塊である事を。時には割れている事もあるが、それは岩盤の亀裂だとかなんだとかに巻き込まれた結果だ。近くに必ず『片割れ』がいる。

 そうして一塊のスチームコアにしてみれば、ある形が見えてくるのだ。

 まるで、形が。

 大抵が大の字に寝そべるような、大往生したかのような姿をしている。また大きさはどれも二メートルを超えず、一・五〜一・七メートル程度が一般的だ。これもまた人間に近いサイズ感である。何故ここまで人間に似た形となるのか、未だ解明されていない。

 原理も不明となれば、不気味に思うのは人の心理として極めて自然なものだ。とはいえ鉱員達は蒸気工学の発展した時代の住人。怪しげな草を焚いてトランスしていた原住民と違い、その思考は基本的に科学的である。


「昔は人魂石と言われていたらしいっすよ。生き埋めになった人間の魂が封じ込められてるとかなんとか」


「こんな形の石を見たら、そりゃ思うよなぁ」


「案外本当に魂の石かもな。なんかこの石から細胞が取れたんだろ? 何かの動物の死骸が変化したのかも知れないぞ。化石みたいに」


「そーなのかねぇ。つか、化石ってどうやって出来るんだ? あれ、骨となんか違うのか?」


「知らね。まぁ、説明されたところで俺達の頭じゃどーせ分かんねぇだろうがな」


「言えてる」


 ガハハと自分達の頭の悪さをネタにして、彼等は笑った。スチームコア採掘は金を多くもらえる仕事であるのと同時に、極めて危険な仕事でもある。世のため必要なものであるが、子が採掘人を目指すと言えば、大抵の親はそれを引き止めるぐらいに。何より安定とは程遠い。一攫千金のチャンスはあっても、普通は明日にも無職になるかもしれない仕事をやりたがる者などいない。

 故に此処で働く彼等の多くは、他に仕事がなかった無教養な者達だ。ツルハシを振るい、穴を掘るぐらいの仕事しかオルテガシティから与えられなかったとも言える。賃金は良いのだから、『悪い仕事』ではないのだが。


「休憩は終わりだ! スチームコアを掘り出すぞ」


「「うーっす」」


 監督役の鉱員が率いるように作業再開を告げ、男達はまたツルハシを掴む。

 スチームコアは大きければ大きいほど高値だ。勿論バラバラにしても総量は変化しないが、大きな一塊になると『最大出力』が上がる性質を持つからである。今の人類の技術ではバラバラになったスチームコアを溶かして纏めるといった事も出来ないため、大規模な工業用機械や発電所に用いる『高出力用』のものは需要がある。粉々のバラバラでも会社が存続するだけの金は手に入るだろうが、どうせ売るならやはり高値が良い。

 よってスチームコアの掘り出し作業は慎重に進められる。勿論地下深くの悪環境で細々とした削り出しまではしない。道具を運び込むのも一苦労であるし、ストレスで手許が狂う可能性は出来るだけ排除すべきだ。

 此処でやる作業は、見えた部分の周りを大きく削り、岩と共に掘り出す事まで。その一塊の岩をトロッコに乗せて地上まで運び、緻密な作業は新鮮な空気と快適な気温の中で行うのだ。とはいえ一塊を切り出す時点で、ツルハシの扱いを間違えばスチームコアを破損する事は十分あり得る。

 此処にいるのは熟練のベテラン鉱員ばかりなので、そんなヘマをする者は早々いない。


「うわあああああっ!?」


 それでも傍にいる仲間がいきなり大声で悲鳴を上げれば、手許も狂うだろうが。


「うぉっ!? ど、どうした!?」


「何があった!?」


 危うく一攫千金が(ゼロにはならないとしても)水泡に帰すところだったが、鉱員達の第一声は罵声ではなく状況把握。ベテランだからこそ、彼等は此処が地下十五キロ地点だという事を忘れていない。小さな異変でも大きな危機の前触れという可能性がある。

 故にまずは状況把握。危険な、今すぐにでも逃げなければならない事なのかを知ろうとする。

 それは悲鳴を上げた、鉱員達の中では比較的若い男(それでも四十代だが)も分かっている事。だが彼はガタガタ震えるばかり。なんとか声を出そうとしていたが、何度も息を飲んでいて中々言葉にならない。表情は恐怖一色に染まり、顔色もすっかり青ざめていた。


「う、腕、が……」


 やがて出てきたのは、いまいち要領の得ない答え。

 腕に怪我でもしたのか? それともスチームコアの『腕』部分をへし折ったのか? 他の鉱員達は疑問に思いながら、怯える男の下に集まる。

 それだけで答えは明確になり、そして誰もが怯えた男と同じ怯えきった顔を浮かべた。

 腕があった。

 比喩ではない。のだ。だらんとその手が垂れている。スチームコアを掘り出すために削った、岩盤の中から。

 腕はか細く、爪が長く伸びていた。肌は白いというより青く、またきめ細かくて艶がある。死体のようにも思えるし、生きているようにも思える質感だ。腕だけで性別を判断するのは難しい事だが、華奢な雰囲気と相まって若い女の腕のように見える。

 ぞわぞわとした悪寒を、誰もが感じた。

 生き埋めになった人の遺体か? あり得ない。此処は地下十五キロ地点の採掘場。上に積み重なった土の重みにより、地面は文字通り岩のような硬さとなっている。熟練工が鍛え上げた良質のツルハシを使わねば一センチと掘れないこんな場所に、どうやって死体を遺棄すると言うのか。仮に埋めたところで、圧力により人間などミンチどころでない潰れ方をする筈だ。こんな、性別が分かるぐらい綺麗な状態である訳がない。そして今までせっせと掘っていたこの場所が、かつて誰かに掘られた跡地だとは考えられない。

 しかし現に腕は生えている。イタズラと呼ぶにはあまりにも手が込んだ、異様で不気味な代物。

 ましてや、その指先がぴくりと動いたなら。


「に、逃げ」


 誰かが叫ぼうとした。本能的で感情的な衝動。それを、叫ぼうとはしていた。

 だがその言葉は最後まで続かない。

 何故なら声を発した男は、次の瞬間にはミイラのように干からびた姿になってしまったのだから。肌は血色を失った黒ずんだものへと変わり、眼球が萎んだからか目は節穴に。

 ……よく見れば身体の表面に氷が付着していたが、その事に気付く者は誰もいない。


「ひっ、ひぃいぃいいっ!?」


 突然仲間の一人が哀れな姿へと変わり、驚いたからか。一人の鉱員が悲鳴と共に逃げ出そうとする。

 しかし後ろを振り向いた瞬間、彼もまた最初の犠牲者と同じ姿に変わってしまった。彼は驚いたような表情を浮かべる事もない。自分が『襲われた』事さえ気付いていないほど、一瞬で全てが終わったのだ。

 二人の鉱員が犠牲になると流石に誰もが危機感を覚えて走り出すが……一人また一人、なんて『すっとろい』事は起きず、瞬きする間もなくこの場にいた十人以上の鉱員が全員同時に干からびた。

 あちこちに転がる亡骸。干からび、凍り付いたその惨状は、見た者に悲鳴を上げさせるだろう。だがもう、此処に生きた人間はいない。干からびた人間はどうあっても助からないのだから。


「ゲッ、プウゥウ」


 いないのに、大きく、満足げなげっぷを誰かが吐き出す。

 そしてガラガラと岩を砕きながら、誰かが『外』へと這い出すのだった――――

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