姫君の悦楽13
「いや、あの……誰、この、人?」
エルメスがぽかんとした声で、周りの面子に尋ねる。しかし誰一人として答えなど持ち合わせておらず、黙して首を横に振るだけ。
此処は反政府組織レヴォルトの基地。ナージャが今まで寝床として使っていた、下水道奥深くにある部屋だ。ナージャが吐き出した火炎により地上と地下に道が出来上がってしまい、レヴォルトの構成員達は現在進行系でてんやわんやの状態。今は大急ぎで他の基地への引っ越し、そのための荷造り(武器やら図面やら置いていけないものが多数ある)の真っ只中である。
そんな反政府組織の面々の気持ちなど、ナージャからすれば知った事ではない。寝心地の良い場所に戻り、何故か忙しない人間達を尻目に昼寝をするだけ。
戦いの後一緒にやってきた、大男(怪物風)と共に。
「わ、分かんないよぉ……ナージャが何処で何をしていたか、全然知らないし……」
「というかアレは人間なの? どう見ても怪物の類なんだけど」
ジョシュアは困惑した声を漏らし、ナタリーが根本的な疑問を投げ掛ける。
「ボ、ボク、ニンゲンダヨォ……コワイカオ、シナイデ……」
そんな周りの空気に耐えかねて、大男は弱々しい言葉を吐いた。見た目どう見てもこちらの方が恐ろしいのだが、演技や煽りでなく本気で怖がっている事がもじもじとした動きから読み取れる。
幼児退行した今の大男にとって、ナージャ以外の大人は本当に怖いものなのだ。ましてや反政府組織の引越し作業中となれば皆の表情が強張るのも仕方ない。エルメスは色々言いたい事もあるような顔をしていたが、大きなため息を吐くだけ。『子供』に何を言っても仕方ないと察したのである。
「……とりあえず、ジョシュア。飴玉でもコイツにあげとけ。あの感じ、少なくとも当人は自分が子供だと思ってるみたいだからな。それで喜ぶだろ」
「あ、うん。そうだよね、見た目で怖がったら可哀相だもんね」
エルメスから指示を受け、ジョシュアはにこやかに微笑みながら大男に歩み寄る。飴玉を取り出すと大男は目を輝かせながらそれを見つめ、渡されたものをぱくりと食べた。
歯茎も表情筋も剥き出しにしたおぞましい顔であるが、笑うと不思議と不気味さが薄れる。エルメスに指示された結果とはいえ、ジョシュアは怪物染みた大男とすぐに打ち解けた様子だ。
「ほんと、アイツのああいうところは才能だよな。自覚して立ち回ったら、多分俺より大物になるぞ」
「自覚してないから出来る事でしょ。打算がないって、なんとなくでも分かるものよ。それより……さっき情報部から連絡が来たわ。なんでもドミニオン服飾工業の工場の一つが爆発して吹っ飛んだとか」
「あー……成程。大体分かった。いや、なんも分かんねぇけど、うん」
ナタリーから伝え聞いた報告を受け、エルメスは頭を抱えて俯く。
エルメス達には知りようもない。ナージャがそこでどんな死闘を繰り広げたか、そもそも何故戦いをする事になったのかなど。
しかし工場一つが爆発で吹き飛ぶなど、ただ事ではない。そしてそれを可能とする力も、常識の範疇にはないだろう。ナージャがドミニオン服飾工業の工場で何かをやらかしてきたと察するには、十分な情報だった。
「だとするとあの怪人も、ドミニオンの奴等が作り出したのか。この町の企業はろくでもないと思っていたが、あんな化け物を作っていたとは予想もしていなかったな」
「……そうだね」
悪態をこぼすエルメス。ナタリーも言葉では同意を示す。だが、顰めた眉間はどうにも納得がいっていない様子。
エルメスはそうした些細な変化を見逃さない。
「なんだ? 何か疑問でもあるのか?」
「え? ……ああ、いや、そうね。確かにあるけど」
「何が気になる?」
「……今の蒸気工学で作れるものの最高峰って、クレアだと思うのよ。それも量産型ではなく、経営責任者をしていた奴の」
「まぁ、そうだろうな」
「言い換えれば、そこが私達人間の技術的限界の筈。ドミニオンの奴等とクレアの奴等は技術の系統が違うにしても、あんな怪物を作れるものかしら……?」
ナタリーの疑問に対し、エルメスはしばし考え込むように自身の顎を擦る。
ややあってから、彼は自身の見解を述べ始めた。
「……収集した大企業の内部情報について、一つ、思い当たるものがある」
「思い当たるもの?」
「何処かの大企業が、特殊な細胞を手に入れたって話だ。なんでも鉱石と一緒に発見されたもので、数千万年前の地層で休眠していたとかなんとか」
「……何それ。映画か何かの宣伝文?」
「俺も最初はそう思ったさ。おまけに何処の企業だとか、何処の地域のどの鉱石から出たとか、具体的なものが何一つありゃしねぇ。だから与太話と思って調べてなかったが……」
「まさか、あの怪物がその細胞から生まれたって言いたい訳?」
映画じゃあるまいし。ナタリーのそんな気持ちは、顔と言葉遣いから窺える。
だが声に出して言いはしない。
馬鹿馬鹿しいとしながらも、ナタリーも完全には否定出来ないのだ。ナージャというとびきりの規格外生命体と出会ったがために。むしろ前例があるにも拘らずあり得ないと否定する方が、余程非論理的というものだろう。
そして思考を巡らせれば、一つの可能性も思い付く。
「案外、その細胞ってのはナージャのものかもな」
「あの子が数千万年前から生きていたって言いたい訳? 流石に、それはないじゃない?」
「ははっ。だよなぁ」
冗談だ、とばかりに笑うエルメス。しかしその目は鋭く、注意深く観察するよう。
彼の視線が捉える大男の姿。外観が化け物的なのは言うまでもないが……目を引くのは頭と臀部。
頭からは二本の角が生えている。
臀部からは短いながらも尻尾がある。
いずれも、ナージャにもある身体的特徴だ。ナージャの方が余程立派で整った形をしているが、同じものを持ち合わせているのは違いない。
果たしてこれは偶然の一致か? 或いはなんらかの因果関係があるのか?
……エルメスが思考を巡らせている中、ナージャはぐーすかと眠っている。この大男が何者であるか、自分の細胞が使われたかなんてどうでも良いのだ。強いから気に入っただけであり、自分に屈した以上殺すつもりもない。
何よりたくさん遊んだので今日は疲れた。そもそも何故外に出たのか、すっかり忘れてしまうほどに。ナージャ自身何かを忘れているような気もしたが、今の気分がとても良いのでやはり気にしなかった。彼女は基本刹那的な生き方をする存在なのである。
今日はこのままぐっすり眠ろう。明日も明後日も、眠かったら眠り続けよう。そのまま何百年が経とうと構わない。そう考えながら、微睡む意識は深淵へと消えていく――――
直前の事だった。ぞわりと、背筋が震えるような感覚があったのは。
「!」
「ヒゥ!? マ、ママァ……?」
突如起き上がったナージャに、大男は身を縮こまらせながら呼び掛ける。周りにいたエルメス達反政府組織の構成員も、ナージャの動きに警戒心を向ける。
しかしナージャはその問いや視線に反応を示さない。
今はそれどころではない。なんだか分からないが、猛烈に嫌な予感がするのだ。それも恐ろしく強大な気配を伴っている。
単に強いだけなら、例え自分より強い力だとしてもナージャはわくわくしただろう。気が向けば、どの程度の強さか確かめてやると意気揚々と外出したかも知れない。だがこの『嫌な予感』は不快感を掻き立てる。その力だけは許しておけない。その力だけは楽しむ事も出来ないと、本能が訴え掛けてくるのだ。
一体この感覚はなんなのか。ナージャにも分からない。一つ確実なのは、このままでは好ましくないという事。
「……………」
故にナージャは、眠る。
普段のような惰眠ではない。身体を休めながらも意識は巡らせる。
思い描くはかつての肉体。全盛期の自分が持っていた力。今までは戦うほどに思い出し、力を取り戻していったが……この相手にそれは通じそうにない。大好きな惰眠の時間を削らねばならないのは極めて不愉快であるが、ここで手を抜けば二度と惰眠を貪れないという確信がある。刹那的な生き方をするナージャであるが、将来の不利益を理解すれば我慢も出来た。
かつてないほど本気で、ナージャは戦いに備える。しかし問題は、眠りの中で思い出すこのやり方では全盛期の力を取り戻すのにかなり時間が掛かる事。相手がわざわざナージャの準備が終わるまで待ってくれるとは限らない。おまけに力を感じた以上、『そいつ』が本格的に動き出すまでさして時間は掛からないであろう。
果たして間に合うのか、間に合わないのか。
実のところ、ナージャにとってそんな事はどうでも良い。ただ今の自分に出来る最善を尽くし、来たるべき戦いに備えるだけ。
そしてのこのこ現れたそいつを、全力で、完膚なきまでに叩き潰すたけだ……
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