姫君の悦楽10
ドミニオン服飾工業のCEOであるマクシミリアン達は、事故発生の知らせを聞いてすぐに工場へと向かった。
執事が蒸気自動車を走らせる。法定速度は守らない。この都市における法とは資本家達の都合であり、マクシミリアンは道交法ぐらい一言で変えられる程度の
加えて工場の爆発事故という惨事の『お陰』で、工業地区へと向かう車は殆どいない。どれだけ金を持とうと事故で死ねば無意味だが、此度に限ればその心配はまずないと言えよう。
かくしてマクシミリアンとその執事は工場跡地に辿り着き――――そこで繰り広げられる、ナージャ達の戦いを目にした。
「ガァアアアッ!」
咆哮と共に放つナージャの蹴り。破壊的な威力を秘めた一撃を、大男は巨大な胸部で受ける。分厚い胸筋に覆われた身体が僅かに仰け反るも、倒れたり突き飛ばされたりするには至らず。
「イヤァアッ!」
ナージャと違い子供染みた悲鳴を上げて、大男はナージャに向けて殴り掛かった。
情けない掛け声であるが、しかしその腕の太さは人間一人分を優に超えたもの。そこから繰り出される一撃の威力は、直撃したナージャの身体を通り抜け、足下の地面にクレーターを作り上げた。
クレーターの直径はほんの二メートル程度。即ち爆弾が炸裂したかのような衝撃とも言えよう。人間がこれを受けたならば、肉片は四方に飛び散り跡形も残るまい。戦車の装甲すらも、彼の拳の前では紙切れ同然だ。
「ゴグルゥアア!」
ナージャにとっては、頭がくらくらするほどの威力にもならなかったが。即座に反撃として尾を振るう。
ナージャの尾は大男の顔面を打つ。一番大きな力を生み出せる部位による打撃は、大男の頭を大きく仰け反らせた。数歩後退りさせ、ナージャとの距離を開ける。
この隙を突くようにナージャは跳んだ。頭から、大男の胸目掛けて。
胸部にナージャの突進を受けて、大男の身体がごろんと後ろ倒しになる。どうにか体勢を整えようとするが、しかしナージャはその前に大男の足を掴んだ。
次いで、敢えて大地に擦り付けるような動きで引きずり、放り投げる。
「ヒグィウイィ! イヤダイヤダイヤァアアダアアアアア!」
悲鳴を上げながら、大男は何メートルも彼方に飛ばされて墜落。だが即座に起き上がると、ナージャ目掛けて走り出す。
ナージャはこれを受けて立つ。身体を傾け、猛烈な勢いで迫る大男に向けて自分も走り出した。
両者は互いに道を譲らず、故に双方相手と正面から激突する。三・五メートルの巨躯と、一・五メートルの小柄な身体がぶつかり合う様は、異様と言うよりシュールの類。
これだけの体格差でぶつかりながらも、少女は僅かに後退しただけ。とはいえ体勢は大きく崩れてしまう。
「クルナァアアア!」
拒絶の言葉と共に放たれた大男の拳が、隙だらけとなったナージャの腹を打つ。
「グ、キ、キャーッ! キャキャキャキャ!」
その威力でふっ飛ばされると、ナージャは高らかに笑った。もっとその力を見せてみろと言わんばかりに。笑い声は飛んでいった先にあった瓦礫の山に突っ込み、爆発と見紛うほどの粉塵を巻き上げるまで続く。
そしてナージャと同じ気持ちの者がもう一人、人間側にもいた。
「素晴らしい……素晴らしいぞオーバーロード! 正に王に相応しい力だ!」
マクシミリアンである。
大男を『オーバーロード』と呼ぶ彼は、七十超えという自身の年齢を忘れたように大いにはしゃいでいた。執事は驚きで目を丸くしながら、否定するように首を横に振る。
「これは……あれは、クレアを殺害した、謎の少女では……何故此処に……」
「理由などどうでも良い! 重要なのは! あの少女とオーバーロードが互角なところだ!」
マクシミリアンは叫ぶ。自身の存在が、自分など指先一つで殺せるであろう怪物達に気付かれても構わないとばかりに。
何故ならこれは、マクシミリアンが望んでいた光景だったから。
――――マクシミリアンは全てを持っている。
全てとは、つまり金である。資本主義社会を体現するオルテガシティでは、金さえあればなんでも買える。美味いものを満腹になるまで食えるし、付いた贅肉は楽で効果的な運を熟知したインストラクターを雇えば解決だ。健康的な身体に付き纏う溢れるほどの精力をぶつけられる女も選り取り見取り。自分好みの映像作品や劇を作らせる事も他愛ない。
しかしどれだけの金を持とうと、手に入らないものもある。
その最たるものが、寿命だ。勿論病魔を最高の医療で手術するなど、金で伸ばす事は出来る。だが、身体はどんどん衰えていく。やがては手術も出来ないほど脆弱になり、そして朽ちる。そうなればマクシミリアンの全財産を投げ売っても、一秒として寿命を伸ばす事は出来ない。
例え尽きずとも、身体は老いによりどんどん脆くなる。食欲も性欲も、全てが枯れていく。生に楽しさを見出だせなくなり、最後は執着せずに、死ぬ。それはマクシミリアンの望む人生の『在り方』ではない。
彼は考えた。どうすれば、老いを克服出来るのかと。
例えばクレアのような、人形の身体になるというのは一つのやり方だろう。しかしマクシミリアンにとってそれは愚策だ。人形の身体では食べ物の味も分からず、女も抱けない。科学が進歩すれば改善するかも知れないが、少なくとも当分は期待出来ない事柄だ。加えて人形の身体になっても、脳や脊髄は古いまま。それでも(クレア曰く)百五十年程度の寿命はあるらしいが……有限には違いない。
マクシミリアンが求めているのは永遠の老いの克服。即ち不老不死。
それを叶える術として、彼は肉体を若返らせる方法を望んでいた。
仕事の傍らその模索をしていた二十年前、とある細胞が発見された。それはある種の鉱石と共に存在しており、研究から数百万年の歳月を生きてきたと判明する。正に人智を超えた細胞だった。
そして更に詳細に調べたところ、細胞から特別な……細胞の劣化を著しく抑える成分が発見された。長くとも一ヶ月程度しか生きられない実験用のハエが、この成分をほんの僅かでも摂取すると一年も生きられたのだ。植物や軟体動物にも有効であり、実験した限りあらゆる生物に効能を発揮した――――異形化を引き起こす、副作用と引き換えに。
この細胞が作り出す特殊な成分(不老成分と彼等は呼んでいる)を人間の身体を投与すれば、求めていた不老不死を得られるのではないか。仮に不死でなくとも、数百万年の寿命が得られれば次の方法を探すには十分な時間を得られる。そう考えたマクシミリアンは研究に多大な投資を行い、実用化を進めた。
これが『オーバーロード計画』――――人類を超越するためのプロジェクトだ。
そしてこの研究を進める過程で、人体実験も行った。
何分未知の細胞から得た、未知の成分だ。不老成分を人間に投与したら、とんでもない拒絶反応で死にました……というのも考えられなくもない。というより実験動物の中でも殆どの個体が死んでおり、生き延びて長寿となったのはごく一部。いくら不老不死が魅力とはいえ、分の悪い賭けで死んでは元も子もない。百パーセントは無理でも、可能な限り安全性を高めなければ使えない。勿論人間に対する安全性を調べるには、最終的には人間への投与が必要だ。
研究を完成させるには、人体実験が不可欠。
研究がある程度進んだここ数年で、スラム街の若者を何百と使った。彼等には依存性のある薬物を使用し、神経系に異常が出た状態の者を『実験台』にしたのだ。薬漬けにした理由は、薬で釣れる方が色々言う事を聞かせやすいというのもあるが……細胞から抽出した不老成分の副作用を和らげるためというのが最大の理由。不老成分を使った場合、殆どの生物が肉体の変質に伴う激痛で瞬く間に死んでしまう。痛みで苦しむ患者にモルヒネを使うように、依存性薬物の『非合法』なまでの鎮痛効果で実験体を生かそうとしたのである。
尤も、それでも殆どの者が死んだ。何人も、何十人も投与したが、誰もが死んでいく。人間の複雑で高度な身体は、異形化に伴う血圧増加や筋肥大に特に弱かった。
唯一死ななかったのは、あの大男だけ。
「見ろ! アイツは、あの男は! 今にも死にそうな浮浪者だった! ああ覚えているとも! それが今やあんなにも屈強な肉体になっている! 素晴らしい! 正に、人智を超えた存在ではないか! あれが不老不死の生物だと言うなら頷ける! そうだろう!?」
マクシミリアンは大はしゃぎしながら、執事の方へと振り向く。満面の笑みは、明らかに同意を求めていた。
主人からの問い。執事であれば頷くなり嗜めるなり、何かしらの答えを返すべきであろう。しかし執事は棒立ちしたまま、信じられないと言わんばかりの顔になるだけ。
その顔が語っていた。「あれが人智を超えた存在? 醜い化け物になっただけじゃないか」と。
事実、大男……実験台にされた元スラム街住人である彼の今の姿は、決して昔の彼と同じものではない。何一つ似た要素がない、全くの別人だ。
この不気味な結果の原因は何か? 考えるまでもない。実験で与えた不老成分の影響だ。ナージャとの戦いが引き金となったかは分からないが、そうでなければ人間が『異形』と化す訳がない。
確かに目的を考えれば、異形である事はどうでも良いかも知れない。要は死ななければ良いのだから。それに不老成分が異形化を引き起こす事は既に分かっていた。多少見た目が変わる事は承諾済みである。
しかし叫ぶ言葉、振り回す拳に理性がないという大問題は無視出来ない。薬で頭がおかしくなったのか、それとも不老成分が影響しているのか。前者ならば投薬量や使い方、新薬開発で克服する可能性もあるが、後者ならばどうやっても避けられない欠点だ。
手放しに喜べる成果ではない。しかしマクシミリアンは、その気にすべき事柄を失念しているかのような喜ぶ。不老不死の魅力に取り憑かれているのだ。
尤も、当の不老不死の男は、マクシミリアンのようにはしゃぎもしないが。
「イヤダイヤダイヤダイヤダアァアッ!」
半狂乱になりながら、繰り出す拳の一撃。外れた一発が大地を打てば小さくない地震が引き起こされる。
だが、ナージャはこの威力に怯まない。それどころか直撃コースの拳も避けず、顔面で受ける。
「フガァッ!」
挙句顔を前へと突き出し、大男の拳を押し出した!
顔面ごと拳を押された大男は大きく仰け反った。その隙を突いてナージャは大男の足を両手で掴む。大男が反応するよりも早く力を込め、ナージャは彼を持ち上げた。
そしてぐるんぐるんと大回転。勢いをつけたところで、空高く放り投げる。
「ヒ、ヒィィィ!?」
悲鳴を上げる大男。空高く浮かぶ彼をナージャは下から見上げつつ、大きく口を開けた。奥深くで、紅蓮の炎が渦巻く。
ナージャは知っている。どんなに力があっても、翼がなければ空ではろくに動けない。前に出会った
この大男も同じだ。
「シュゴオオオオオオオオオオオオ!」
逃げ場のない大男に向けて、ナージャは紅蓮の炎を吐き付けた。
ナージャが狙った通り、大男は空中では殆ど動けず。特殊合金さえも溶かす炎は彼を呆気なく飲み込む。更に炎の勢いにより自由落下の勢いは相殺され、地面に落ちる事さえも叶わない状態にされる。
「ギィヤアアアアアアアアアアア!?」
熱さの余りか、大男は絶叫を上げた。あまりの痛々しさに、多くの人々はその不気味な外見も忘れて痛ましく思うだろう。一瞬で気化すれば苦しみなどなかったのにと、哀れみさえも覚えるかも知れない。
生憎、ナージャにそんな人間的情緒はない。強く逞しい人間との戦いであれば、むしろ手を抜くのが無粋というもの。
加減するところか、更に炎の威力を高める!
紅蓮の炎は空高く昇り、昼間にも拘らずハッキリと姿形が見える。それほどまでの激しい発光であり、ナージャの吐き出す炎が如何に高温であるかを物語っていた。工場跡地という開けた空間故に熱は籠もらないというのに、ナージャの周辺ではコンクリートが赤熱。どろりと溶け始める。
最早、生身の人間では接近するだけで命に関わる。直に浴びれば一瞬で大気と混ざり合うだろう。
だが、大男は消えない。
「ギィイイヒィイイィイイイ!?」
泣き叫ぶ声は人間から正常な判断力を奪う。見たくない、見ちゃいけない。そんな想いを沸き立たせる。しかしナージャからすれば雑音に過ぎず、彼女は自分の炎で消えない人間をじっと観察する事が出来た。
何故、この大男は燃え尽きないのか?
観察してみれば答えは極めて簡単だった。実際には男はちゃんと燃え、溶け、気化していて、今にも消し炭になろうとしている。
ただ、その前に『再生』しているのだ。
身体の表面から次々と新しい細胞が生まれている。更に細胞と細胞の間には泡のような構造体があり、これが熱を遮断。次の細胞が生まれるまでの時間を稼いでいた。
要するに燃え尽きるよりも早く増殖して耐えているという事。種が分かれば呆れるほど力技であり――――単純思考なナージャにとっては極めて分かりやすくて好感が持てる強さだ。
勿論これは言葉で言うほど単純な技ではない。細胞の再生にはエネルギーと栄養が必要である。栄養は筋肉など身体の他の部位から無理やり持ってくるとしても、エネルギーは一体どうやって捻出しているのか? 普通の生物が用いている解糖系・酸素呼吸ではどう考えてもこれほどの『出力』は出せない。
科学者であれば、頭を抱えて現実逃避するか、無我夢中になって思考するかのどちらかだろう。しかしナージャにとっては、そんなのは興味もない事。
少なくとも、再生する過程で大男の姿が変容する事に比べれば。
「ガバ、ガ、ヒ、ギ、ィ……!」
しばらく悲鳴を上げていた男だったが、その声の質が変わる。苦しみに満ちている事は変わらないが、情けなさや悲壮が刻々と薄れていく。
ついには、炎の中で機敏に体勢を変える。両手両足を縮め込み、所謂『体育座り』のような恰好になったのだ。
その体勢の効果は、炎から脱出する事。身体を縮こまらせる事で炎を浴びる面積が減り、更に炎の圧による押し上げる力さえも弱めたのである。ナージャは行動の意図に気付くも手の打ちようがななく、大男はずどんと音を立てて地面に墜落。
ナージャは顎を閉じ、炎を止める。そうすれば、炎に飲まれていた大男の新たな姿がハッキリと見えるようになった。
いや、もう大男という言葉は相応しくあるまい。
頭の先から足の先まで、焼け爛れた黒い皮膚が全身を覆っている。顔は輪郭を失い、溶けたスライムのように肩や首と一体化していた。眼球は溶けてしまったのか、まるで水晶のようにぬらりとしたものに変化している。歯茎も剥き出しで、唇を失った事実と相まって昆虫のような無機質さを醸し出していた。
身体きは筋肉がある逞しいもの……表現すればそうなるが、最早逞しいの域ではない。胸筋は女性の乳房のように厚く、腹筋は鋼のようにガチガチに張っている。手足の筋肉も生皮を剥いで剥き出しにしたかのように、筋の一本一本が見えるほどに発達していた。
止めに、頭からは角が二本、臀部からは尻尾が一本生えている。
怪物だった。今までの姿形が『まとも』に思えるほどの異形。元々角と尻尾を持つナージャからすればむしろ親しみのある姿だが……いくら二本足で立ち、頭と腕を持とうとも、これを人間と認める者はいないだろう。
「は、はは、は……?」
笑っていたマクシミリアンでさえも、その笑いが途絶える。歓喜に染まっていた表情が強張り、顔も青くしていく。執事に至ってはじりじりと後退りしていた。
対して元大男は、落ち着いた佇まいだ。今までずっと泣き叫んでいたのが、今は一言も発しない。静かに、淡々と、その場に立つだけ。
ナージャは鋭い眼差しで大男を睨み付けつつ、にやりと笑う。まだ強さを隠し持っていたのかと、そろそろ本気を出したかと、闘争心に火が付く。獰猛で好戦的な笑みが自然と浮かんできた。
尤も、その表情はすぐに変わる。怪訝なものへと。
大男が自分の方を見ていない。その丸くぬらりとした瞳が、何処か遠くに向けられていると気付いたからだ。
一体何を見ている? ナージャとしても気になるが、目の前の大男から目を逸らすのは危険だ……そう考えて、大男の見ているものを確認する事が出来ない。
大男は違った。
彼はナージャがいない方に向けて走り出した。ナージャ以外の何かに向かっていったのだ。一体何処へ? 逃げるつもりか? 横を通り抜けた彼を、背後からナージャは見遣る。
そうすれば、大男が何処に向かっているかはすぐに分かった。人間ならば納得も出来るだろう。
そこにいたのは、彼をこんな姿に変えた元凶・マクシミリアンなのだからーーーー
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