姫君の悦楽07

 ドミニオン服飾工業本社。

 それはオルテガシティ中心部に建ち並ぶ、巨大ビル群の中でも一際大きな建造物だ。他のビルが五十メートルほどの中、百メートルを優に超える高さを有す。その規模の高さが他にない事もないが、ごく少数である事に変わりはなく、遠くからでもよく目立つ。

 そしてこの中では大勢の、上流企業であるドミニオン服飾工業の中でも特に優秀な社員が職務に励んでいる。

 この会社で製造される服はオルテガシティのみならず、世界中で販売されている。その収益は言うまでもなく莫大なもの。途方もない経済力を持ち、やろうと思えば世界政治すらも動かす。世界有数の経済大都市であるオルテガシティでも、此処ほどの影響力を持つ会社は数える程度しかない。

 ドミニオン服飾工業は、資本社会を支配する企業の一つなのだ。かのクレア重工業と同じように。

 そして会社を纏め上げる経営者もまた、クレアに匹敵する狂気を内包していた。


「ふむ。『オーバーロード』計画は順調なようだな」


 ドミニオン服飾工業CEO……マクシミリアン・エドワーズは、本社最上階にある執務室でその言葉を発する。

 マクシミリアンは七十超えの老人だ。しかしガッチリとした身体付きと、真っ直ぐに伸びた背筋、そして気迫ある顔立ちを前にすれば実年齢よりも二十は若く見えるだろう。白く真新しいスーツも、彼を若々しく飾る一要素だ。

 彼の前には一人の、年老いた老人がいる。老人と言ってもこちらも背筋はぴんと伸び、気迫のある顔立ちをしていた。黒い燕尾服を着込み、鋭い眼差しでマクシミリアンを見つめながら彼――――マクシミリアンの執事はこくりと頷く。


「はい。ドラッグによる副反応の中和は、現在でも安定を保てていると報告されています。このまま実験のフェーズ2に入る予定です」


「段階を一つ上がるのに二十年、か。先は長いが、科学者達、技術者達のお陰でようやく前進出来た。彼等には十分な報奨を払わねばな」


 報告を聞いたマクシミリアンは立ち上がり、部屋の隅――――壁のように大きな窓ガラスの下へと向かう。

 窓の下から覗けるのは、発展したオルテガシティの町並み。多くの人々が行き交い、生活を営んでいる。歓楽街へと向かう者、食事に向かう者、物乞いや売春をする者、犯罪を行う者、それを処罰する者……目的も立場も地位も、一人として同じものはない。

 唯一共通しているのが、全ての人が『服』を着ている事。


「人間と、他の生物を分ける要素とはなんだと思う?」


 ぽつりと、マクシミリアンは問う。

 執事は答えない。長年マクシミリアンに仕えてきた彼は、彼がこの後何かを語る気であると察していた。

 執事の予想通り、マクシミリアンは答えを待たず、一人話し出す。


「知能と答える奴は間抜けだ。人間並と思えるほどの賢さを持つ獣は稀にだが存在するし、獣以下のどうしようもない知能の人間もいる。そもそも知能なんてものは、客観的指標を持たない。あくまでも主観に過ぎず、故に判別なんて出来る訳がないと、それが分からぬ知能で人間を語るなど二重に滑稽だ。では言葉か? 最新の研究では、鳥さえも独自の言語を持つというではないか。だからこれも違う」


「……調理、もまた否でしょう。とある離島の猿は、食べ物を海水に浸けてから食すと言います。元の味を変えるという意味では、これもまた調理の一環です」


「その通り。では何が人間と獣を分けるのか。何を以て人間と呼ぶのか。即ち人間とは何か」


 大仰なテーマを掲げるマクシミリアン。執事は答えず、マクシミリアンの答えを持つ。

 極めて上機嫌な笑みを浮かべて、マクシミリアンは自身の考えを述べる。


「私は、服こそがそれであると考える」


 それはあまり、一般的ではない考えだろう。

 しかしマクシミリアンは、自身の考えの正しさを疑っていない。力強い語り口がそれを物語っていた。


「人間は服を着た事で、様々な環境に適応出来るようになった。寒さも熱さも布一枚で耐え抜き、そして病害虫すらも寄せ付けない」


「……虫の中には落ち葉を纏う種もいますが、あれらは暑かろうと寒かろうと着替えはしません。あれらにとって、蓑は服ではなく、住処なのでしょう」


「その通り! 服を着るのは人間だけだ。服こそが、人間を人間たらしめる! そしてその服を作るのが繊維! 即ち繊維こそが人間独自の力だ」


 大きく息を吸い、吐き出す。少々高まり過ぎた情熱を冷ますように。

 ここでマクシミリアンが不敵に笑えたのは、自身の感情をコントロールする術を持つからだ。


「繊維を制する者が、人の世界を制する」


 ただし語る言葉には、欲望が溢れ出していたが。


「オーバーロードの奴を拘束出来るのも、我が社の繊維だけ。だからこそ他の連中を寄せ付けず、一方的に研究が出来る」


「他の方々も、究極の肉体に興味があるようですね。様々なアプローチがあると聞きます」


「ああ。しかし他の連中……特にクレアのやり方では駄目だ。人形の身体では、ろくなものが喰えない。飯も、女も。やはり人間には肉体が必要だ」


 くくく、と笑うマクシミリアン。不敵で不気味な笑みが、その内面を物語る。


「オーバーロード計画が成功した暁には、最早オルテガシティなんぞ敵ではない。無敵の軍団が! 世界が! 我々のものとなる!」


「ですが油断は出来ません。あのクレア殿を殺害した、正体不明の生命体がいます」


「……ああ。確かにその通りだ。あれの目的は不明であるし、実力はクレアさえ討ち滅ぼすほど。そして恐らく奴は……」


 言葉を途中で区切り、マクシミリアンは首を横に振る。これ以上は言う必要がないとばかりに。


「油断すべき存在ではない。しかし恐れ過ぎる必要もないだろう。何しろ」


 我々の秘密の研究基地が、そう簡単に見付かるとは思えないからね。

 マクシミリアンはそう語ろうとした。自信と確信を以て。

 しかしその言葉は遮られる。

 外から聞こえてきた、どーんっ、という大きな爆発音によって。


「ん? なんだ……」


 音に気付いたマクシミリアンは、窓から外の様子を窺う。

 彼の目に映ったのは、黒煙。

 まるで雲のように大きな煙だ。なんらかの事故が起きたのだろうか? 蒸気工学の発展により様々な機械が発明されたが、扱われるエネルギー量の多さが増せば事故も大規模化する。特に蒸気機関の燃料として使われるスチームコアは、途方もない高エネルギー物質だ。それを大量に用いるようになった現代、事故の規模は過去に例がないほど大きくなっている。

 自分の会社の工場が事故に巻き込まれていないか、或いは自社工場で事故が起きたのか。様々な可能性を考え、マクシミリアンは対応策を幾つも頭の中で用意しておく。


「た、大変です!」


 やがて一人の部下が、部屋を訪れた。普段ならば礼節がなってないと窘めるところだが、今は何かしらの『問題』が起きている。きっと、その報告に来たのだろう。


「落ち着け。何があった?」


 重要なのは事態の把握。狂的であれども優れた経営者であるマクシミリアンは、まず把握すべき事柄について問う。

 部下は乱れた呼吸を整えるように何度か深呼吸してから、自分が持っていた『懸案』について話す。


「だ、第三工場が、爆発した、と、連絡が……」


 ハッキリとした言葉で。

 そしてマクシミリアンは、固まった。さながら彫刻のように。

 第三工場。マクシミリアンはその工場についてよく知っている。何しろ今し方話していた『オーバーロード計画』が、秘密裏に進められている場所なのだから。

 その工場で爆発が起きた。


「……………なんでぇ?」


 思わず漏れ出る、本音の言葉。しかしどんなに彼が呆けようとも、現実が変わる訳もなく。

 ドミニオン服飾工業本社が、過去に例がないほどの大騒動となるのは、この直後の事であった。







「……ケプンッ」


 真っ黒焦げ ― 実際は煤で汚れただけである ― になったナージャは、口から黒いガスを吐いた。

 気化した石油が充満した空間で炎を吐くという、極めて危険な行動の結果は大爆発。ナージャのいた第三工場は跡形もなく吹き飛んだ。

 当然彼女が着ていた真紅のワンピースも、欠片一つ残さず消し飛んでいる。折角のお洒落もお仕舞だ。別段ファッションに興味はないが、面白い質感の布がなくなってしまいナージャは少なからずショックを受ける。


「ウゥゥ……ガゥッ!」


 そのショックな気持ちを和らげようと、半ば八つ当たり気味に尻尾で大地を叩いた。自業自得なのだが、ナージャにそんな発想はない。どしーんっ、と漫画染みた轟音が響き渡る。

 するとどうした事だろうか。

 ナージャから百メートルほど離れた位置で、ぼふんっと黒煙が噴き上がったのは。


「……? グルゥ?」


 噴き上がった黒煙に気付き、ナージャはもう一度尻尾を地面に叩き込む。

 また黒煙が噴き上がった。高さ五メートル近く。出てくる瞬間を見たので、大凡の場所も把握する。

 ナージャは黒煙が吹き出した方へと歩み寄る。

 するとそこには、大きな扉があった。

 そう、扉だ。しかし奇妙な事に、何故か扉はになっている。

 ナージャも現代の人間社会で生活してから大分経つ。未だ正しい開け方を覚えていないが、扉が何かの『区切り』である事は理解していた。

 ならばこの扉の先には、何かあるのだろうか?

 人間ならば異様な扉に『怪しさ』を感じるところだろうが、ナージャにそんなものはない。ただ純粋な好奇心で中身が知りたくなる。


「ガゥッ」


 尻尾を叩き込めば、簡単に扉は砕けた。奥には地下へと続く階段がある。

 暗く狭い階段は人間の恐怖心を煽る。しかし強大な肉体を持つナージャに、そのような感情は不要だ。恐れも怯みもせず、好奇心の赴くままに地下へと下りる事にした。

 ぺたぺたと、階段を踏み締める裸足の音だけがしばし響く。

 階段は長く、何十メートルもの地下へと続いていた。代り映えしない景色に飽きてナージャは壁を破壊してもみたが、どうやら壁の向こうには何もないらしく、土しか出てこない。流石のナージャもこの状況では大人しく『従う』しかなく、淡々と階段を進んだ。

 やがて、足音以外の音が聞こえてくる。

 唸るような機械の音だった。それに加え熱量も増している。ナージャにとってはなんの苦でもないが、人間であれば薄っすらと汗ばんでくるだろう。更に奥に進めば熱量も増し、やがて人間なら意識が朦朧とする熱さになった。

 その頃になってようやく新たな扉が現れる。

 分厚く重たい、金属製の扉だ。無数の蒸気パイプが走っている。これは認証式の扉であり、特定の『鍵』を使わなければ開かない仕組みだ。強引に破ろうとしても扉の重さが何トンもあり、蒸気の力を使わねばぴくりとも動かない。厳重な警備体制と言えよう。


「ンガァッ」


 ナージャにとっては、これもまた扉その一でしかないが。蹴りを放てば呆気なく扉は砕け散る。

 それと同時に、中に閉じ込められていた熱風が外へと溢れ出した。

 人間が受ければあっという間に茹で上がるであろう高温を、涼しく受け流しながらナージャは奥へと進む。するとそこには広大な、けれども無数の機械で埋め尽くされた空間が広がっていた。

 機械は高さ十メートルはあるだろうか。曲がりくねった奇妙な形をしており、何か歯車のようなものがぐるぐると回っていた。そしてこれも蒸気で動くものであり、あちこちの排気口から排ガスならぬ排蒸気を出している。この蒸気の熱量が室内を熱くしているのだろう。空気による冷却で液化した水が溜まり、床はびちゃびちゃになっている。

 ナージャはへっちゃらであるが、人間には耐え難い熱さだ。床に溜まった水も、室温の影響で熱湯同然の熱さ。裸足で踏めば火傷は免れない。滴り落ちる水滴も沸騰寸前の温度なのだから、危険極まりない。

 ところが室内を見渡せば、人間らしき姿がちらほらと見られる。

 らしき、と表現したのは、それらが真っ白な防護服で頭から足先まですっぽりと覆っているから。ナージャの目には白い『異形』にしか見えない。恐怖心などは持ち合わせていないが、気持ち悪いとは感じた。

 ましてや、わらわらと大勢動く様は、人間的感性で例えれば虫の行進のようなものである。


「ウゥゥウゥー……」


 ナージャは思わず物陰に隠れてしまう。お陰で、足早に進む人間達との鉢合わせは回避出来た。


「地上部が吹っ飛んだってマジか」


「侵入者がいたらしいが、そいつの仕業かね?」


「『オーバーロード』の退避は?」


「あれはB班の作業だ。俺達はさっさと逃げるぞ」


 防護服に身を包んだ人間達は、会話しながらぞろぞろと過ぎ去っていく。ナージャが通ったのとは別の扉から、室外へと出ていった。

 もしもナージャが潜入したスパイや反政府組織の構成員であるなら、先の会話を極めて重要に考えるだろう。

 しかしナージャはスパイどころか人間ですらない、物見遊山でやってきただけの『ケダモノ』だ。そもそも人間の言葉を理解していないので、彼等の発言など雑音程度にしか思っていない。

 ましてや、気味の悪い連中の後を追おうとは思わない。

 故にナージャは、防護服姿の人間達がやってきた方――――施設の奥に向けて進んだ。奥に行くほど機械の熱がこもるのか熱くなるも、ナージャにとっては変化などないに等しい。職員達も殆どが避難をしていたようで、誰かに見付かる事もなし。

 そうこうしていると、奇妙な廊下に辿り着く。

 無数のパイプで出来ているような道だ。パイプ内からごうごうと音が響くところから、どうやら何かが通っているらしい。それも大量に。


「ガゥン? ウゥー……」


 ナージャは後を追うように、パイプ達の行く先へと進む。四方八方の全てがパイプとなり、水滴が一瞬で蒸気へと変わるほど濃密な熱量の中を抜け――――

 その先で広がる大部屋に辿り着く。何十メートルもの広さを誇る大空洞で、今までとは明らかに異なる『雰囲気』を有す。

 そしてその中心には、が置かれていた……

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