姫君の目覚め13

「……これを、一匹の生物がやった、ねぇ」


 呆れるような、感嘆するような、困惑するような。様々な感情を含ませながら、エルメスがぼやく。

 彼が目にしているのは、倒壊したビル群。

 倒れたビルにより、辺り一帯は瓦礫の山となっていた。視界を埋め尽くすほど積み上がった残骸は、ただそこにあるだけで胸の奥から不快感を込み上がらせる。かつて煌々とした光を放っていた建物は、今は土煙を舞わせるだけ。朝日に照らされて白い煙が朦々と舞う様は、世界の終末さえも思わせる。瓦礫の上にはヘルメットを被った男達が大勢いて、せっせと瓦礫を退かしていたが、山が小さくなっているようには見えない。

 倒れたビルの数は十以上、とエルメスは噂話から聞いている。都市全体から見ればほんの一画であるが、人間の感覚で言えば途方もなく巨大な領域だ。倒壊原因は現在調査中であり、まだ『公式』な発表は出ていない。

 被害の規模が小さければ、そのまま隠蔽もあり得ただろう。この都市の政治家経営者はそういった事を平然とやる連中だ。とはいえ何事にも限度がある。ここまで大規模な破壊が生じたなら、何かしらの原因を発表せねば市民が納得しない。いくら資本家による独裁政治が行われているといっても、市民の反感はないに越した事はないのだから。

 ましてや犠牲者多数となれば尚更だ。

 此処には何千という数の、夜遅くまで働いていた人々がいた筈。事実数多くの犠牲者が『救助』されていて……だが未だ全てには程遠い。果たして全員見付かるかどうかも怪しい話だ。


「この被害、反政府組織が関わってるらしいぞ」


「まさか。あんなチンピラ連中に何が出来る?」


「軍が下水道に向かったらしいが、演習か何かでやらかしたんじゃないか?」


 エルメスの周りには大勢の野次馬がいて、ひそひそと噂話を交わしている。

 いずれも真実とはまるで違うが、野次馬達にそれを知る術はない。都市政府はこの噂を利用して、反政府組織レヴォルトの犯行とするか、或いは今は亡きクレア・ブルーティアーズの犯罪行為として報告するだろう。

 そしてそれを市民に信じさせる事は、そう難しくない。

 人間というのは、真実を求めてはいない。欲しいのは『納得』だ。自分が納得出来るのであれば、万人が否定する答えにも跳びつき、信用する。此処にいる人々の多くが求めているのは「明確な悪」だ。狂った科学者か、愚かなテロリスト。悪に怒りをぶつける正義の味方になるという、覚悟も何もない手頃な『娯楽』が欲しいだけ。真実などどうでも良いのである。確固たる信念を持つ、ごく一部の者達を除いて。

 尤も、此度に関してはどんな人間でも『真実』を受け入れる事は困難だろうが。

 


「う。うぅ……」


「大丈夫よ。きっと、見付かるから……」


「……………」


 傍で泣く女性は、誰かの妻か恋人か。横目に見てからエルメスはこの場を後にする。

 彼が向かったのは無事だったビル群の、狭苦しい路地裏の一本。じめじめとして、朝なのに薄暗い道を行くと、大きなマンホールがある。

 そのマンホールを特殊な道具を用いて開け、エルメスは中へと入った。じめじめは更に酷くなり、暗さも増す。汚水が流れる下水道に入ったのだ。

 一般人なら近付くのも嫌がる領域に入ったエルメスは、マンホールの蓋をしっかり閉めた後、下水道の奥へと進んでいく。右へ左へと曲がりくねった道を進み、地下へと潜り……

 辿り着いたのは、反政府組織レヴォルトの秘密基地。

 クレア襲撃前まで使っていたその一室は、今もまだ無事だった。そこにはエルメスの仲間であるナタリーとバーニー、更にはジョシュア(と一般構成員のチャラチャラした男)がいる。ジョシュア以外は大小の違いはあれども銃で武装しており、何時でも撃てる体勢だ。

 そして彼等の傍には、都市を破壊した元凶である少女・ナージャの姿がある。

 ナージャは部屋の床の上で、猫のように身体を丸めて眠っていた。全員の銃口がナージャの頭を向いていたが、ナージャは何一つ気にした素振りもない。熟睡していて、完全に安心しきった寝顔だった。


「スゥー……スゥー……」


「寝息を立てて、まぁ、暢気なもんだ」


 エルメスの悪態も、ナージャには聞こえていない。ナージャからすれば、彼の声など『雑音』に過ぎないのだ。


「コイツに動きはなかったか?」


「ああ。今のようにぐっすりと眠ったままだ……前となんら変わらないな」


「そもそも、私らが監視したとして何が出来るんだか。あのクレアを何十もぶっ倒した相手に、こんなちゃちな銃を向けたってねぇ」


 ナタリーが自虐的に語ると、エルメスは口を噤んだ。その意見に対し、反論の弁を持っていないのは明白である。

 ――――ナージャが為した結果は、反政府組織レヴォルトにとっても好ましくないものだった。

 まず、レヴォルトはあくまでも資本家による独裁的支配に反発している。「一般人を改心させる」という目的はなく、むしろ市民の支持を必要としていた。市民が表立って支持すれば政府としても簡単には弾圧出来ず、交渉を有利に持っていけるからである。

 構成員の中には過激な手段で一気に革命を果たそうという考えの者もいるが、エルメスは聡明だ。そのような方法では市民の支持が得られない。市民からの反発が強くなれば政府は弾圧をやりやすくなり、此度のような大戦力を送り込まれて瞬く間に潰されてしまう。

 市民は可能な限り傷付かず、あくまでも正当に支持を集める。地道であり、時間も手間も掛かるが、結局のところ世の中を『良く』するにはこれしかないのだ。

 翻って、ではナージャは何をしたか?

 彼女は下水道を徹底的に破壊。その余波で都市の一角を破壊した。犠牲者数は数千以上に昇ると思われる。何処をどう解釈したところで、これで支持を得られる訳もない。レヴォルトの構成員達も望んでいない事だ。ましてや野放しにして、これ以上の破壊を許す訳にはいかない。

 故に眠るナージャを監視しておくのは、彼等としては当然の行いなのである。尤もナタリーが言うように、監視したところで何が出来るという訳もないが。


「しかし、未だに信じられん。この小さな子が、下水道を崩落させた挙句地上の建物を幾つも倒したとは」


「ああ。犠牲者が何人出たかも分からねぇ……コイツはヤバ過ぎる。人間じゃなくて、モンスターの類だ」


「で、でもよぅ、悪気はなかっただろうし……」


「馬鹿っ。悪気がないから余計性質たちが悪いんじゃないか」


「何百人死んだかも分からねぇのに、気にもせずぐーすか寝てやがる。分かっちゃいたが、コイツにとって俺達人間は虫ケラ同然なんだろう」


 擁護するジョシュアの意見に、ナタリーとエルメスがばさりと否定する。凶悪な存在に気を許すなと言わんばかりに。


「でも、ならどうすんだ? オイラ達に何が出来る?」


「……………」


 しかしジョシュアの問いには、誰も答えられない。

 実のところ、エルメスはナージャに対し、クレアとの戦いが終わってすぐに手を打っている。それはナージャの食べ物に毒を盛る事だ。どんなに強大な力を持とうと、生物である以上毒を喰らえば死ぬと考えた。

 だが、ナージャは死ななかった。それどころか苦しむ素振りすらも見せていない。人間とは身体や生理が違うとしても、人間なら数百人は軽く殺せる毒を摂取してもへっちゃらという異常さを披露する始末。何を食べさせても効かず、ついにエルメスは諦めた。

 何故ナージャに毒は通じなかったのか?

 その理由は彼女のエネルギー生成メカニズムにある。ナージャの身体は呼吸による酸化反応ではなく、肝細胞が生成する特殊な酵素を用いて、分子が持つ結合エネルギーを直接熱に転換する事でエネルギーを生成していた。

 通常生物体が分子の結合エネルギーから熱を生み出す際、様々な化学反応により分子を変化させ、化学エネルギーの形で取り出す。例えば一般的な呼吸反応であるグルコースと酸素は、反応させる事で水と二酸化炭素に変わる。酸素分子は莫大なエネルギーを持っているのだが、グルコースと結合して水と二酸化炭素という安定的な物質に変化する過程で、元々持ち合わせていたエネルギーの一部が。このエネルギー的な余りを捻出する行程が呼吸なのだ。

 しかしナージャはこの行程を無視する。特別な酵素は、体内に取り込んだ物質の結合エネルギーを片っ端からぶった切り、破壊していく過程でエネルギーを取り出すのだ。この方法の利点は、特定の化学反応を用いないで済む事。即ち多少大きな分子であれば、大抵なんでもエネルギー源にしてしまうのだ。

 この体質のお陰で、ナージャは飢餓にも強い。身体中の物質が全てエネルギー源として使える上に、いざとなれば土でもなんでも食べられるのだから。事実エルメスが与えた毒も、しっかりナージャの活力に変換されている。流石に数千年と眠ればアミノ酸や脂質が不足するので、そういうものを補うために普通の消化機能も持ち合わせているが……使うのは必要最小限だ。そして体内に取り込むのは一部のアミノ酸と脂質、微量元素だけで十分。複雑な化学物質やタンパク質を大量に取り込む必要はなく、取り込んでも大半はぶった切られて無害化してしまう。

 どれほど複雑で高度な毒であっても、ナージャは殺せないのだ。

 ナージャという存在は、人間達の手に余る。だからこそ、どうにも出来ない。


「敵対するぐらいなら、友達になった方が絶対良いと思うんだ。そうすれば、戦わずに済むだろ?」


「……エルメスさん。俺もジョシュアと同じ意見だ。友達になれるかは兎も角、コイツの力は政府を打倒する役に立つ。どうにも出来ないからこそ、上手く使えれば俺達の勝利が近付く。だろ?」


 甘い考えを述べるジョシュアに、男の構成員が別視点で賛同を述べる。

 倒せないなら、積極的に懐柔する。

 それもまた考えの一つだ。積極的に関与する事のリスクは大きく、また効果が出る可能性は低い。しかしながら、では何が出来るかと言えば……何も出来ない。

 手をこまねいて身を委ねるか。兎に角何かをしてみるべきか。

 後者が必ずかも前者より良い結果を生むとは限らず、より悲惨な事になる可能性は十分にある。故にどちらが正解であるかは時と場合によって変わり、個々人によって選択も変わるが――――エルメス達は反政府組織のメンバーだ。自分達の行動で活動している。

 相手が政府から化け物染みた少女に変わろうと、根っこの質は変わらない。


「……まぁ、そうだな。確かに、ただ見ているだけってのは性に合わない。どうかして、俺達で管理しなきゃなんねぇな」


「全く、とんだ爆弾を抱え込んじまったねぇ……見た目こんな可愛いのに」


 ナタリーの(本音混じりの)軽口に、エルメスも肩を竦めて同意する。


「なら、名前を決めようよ! やっぱ名前で呼ばない奴とは仲良く出来ないと思うし」


 そんなエルメスやナタリーの気苦労を、ジョシュアはまるで汲み取らないが。


「ジョシュア、お前なぁ……それは名前がある奴の感性だろうが。コイツにそんなもんがあると思うか?」


「だが、確かに名前がないと不便だ。出来れば考えたくもないが、『二体目』がいないとも限らない」


 あまりにも脳天気なジョシュアの提案。エルメスは冷めた眼差しを向けながら窘めるも、バーニーから現実的な指摘がある。確かにこれから長い付き合いになるのなら、識別は容易な方が良く、複数個体現れるなどの問題が起きた際にも混乱が少なくなるよう工夫はすべきだ。

 手に負えない相手からと言って、手を抜いた挙句に「駄目でした」はあまりにも情けない。エルメスとしても、断固名前を付けたくない、という訳ではないのだ。合理的理由があるなら拒む理由はなかった。

 そして組織にとって重要な事柄を決めるのは、組織のトップであるエルメスの役割。

 エルメスはしばし考え込む。ちらりと見たナージャの寝顔は、悩みも罪悪感もない腑抜けたもの。人間社会を混乱に陥れながら、自分には関係ないと言わんばかり。

 その『挑発的』な有り様を見て閃いたのだろうか。


「……ナージャ。昔この地域に暮らしていたとある原住民が使っていた言葉で、『姫君』を意味するものだ。ワガママ小娘には丁度良いだろうさ」


 奇しくも彼女に与えられた名前は、数千年前にナージャを祭っていた人間達が与えたのと同じものだった。

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