姫君の目覚め10

 ナージャにクレア・ブルーティアーズの言葉は理解出来ない。

 そもそも人間の言葉をナージャはよく理解していない。簡単な単語ぐらいは覚えたが、日常会話が成り立つほどではなかった。しかしクレアの理解不能な話を遮り、有無を言わさず殴り掛かるつもりもない。

 それだけこのクレアが強い事を察していた。先程倒した、そして今も後方に控えているクズ人形量産型クレアとは訳が違うと。

 油断すれば、今度はこちらが壊されるだろう。


「聞いた事がある。クレア重工の上層部は、人体改造が大好きな変態科学者だと。まさか自分さえも人造人間にする変態とは、予想外だったがな」


 クレアの言葉に対し、反応を示したのはエルメス。クレアはエルメスの方を見ながら、その悪態に答える。


「変態とは失礼な話だ。確かに人造人間化は私が自ら望んで行った事だが、それにより数多くの知見が得られた。事実このテクノロジーの応用により、我が社では優れた義手や義足も開発・販売している。世の中には怪我や病で四肢の切断を余儀なくされた人は少なくない。我々の製品により、彼等は元の生活を取り戻す事が出来た。立派に社会貢献しているだろう?」


「調子に乗んな。後ろの人形共を作るのに、どれだけの赤ん坊を犠牲にしている。表で綺麗な事をしてても、裏がどす黒かったら意味ねぇだろ」


「心外だね。これだって彼等のためじゃないか。本来なら育児放棄され、戸籍のない労働奴隷か、或いは性的産業で使い潰されるかという立場だったんだ。それが並の兵士相手なら死ぬ事のない不死身の肉体を持ち、悪党共を成敗する仕事に就いている。給与も立場相応の額は支払っているつもりだ。一体、何処に批難される要素があるというのかね?」


 にこりとクレアは微笑む。その笑みに、エルメスだけでなく周りの人間達も後退り。

 何を言ってるか分からなかったナージャだけは下がらなかったが、彼女は本能的に理解していた。

 、と。


「あと私と同じ可愛らしい容姿も手に入れたんだ。何を悲しむ事がある? そもそも悲しいとか怖いとかの感情は除去してあるから、これを辛く思う者などいないがねぇ」


「クソ野郎が……自分の見た目に酔ってるとか、ナルシストかテメェはよ。しかも材料には男児も使われている筈なのに全員女の姿にさせるとか、気持ち悪いにも程がある」


「気持ち悪い、というのは看過出来ないなぁ。生命というのは、最初は全て女として生まれてくるものだ。雄というのは女の形を無理やり崩して作り上げた、いわば出来損ないなんだよ。より完璧な生命とは女の姿だ。だから姿


「……な、ん……!?」


 エルメスの言葉が詰まった、瞬間、クレアが自らの指先をエルメスに向けた


「グガアアアアアッ!」


 その隙をナージャは見逃さない!

 咆哮を上げながら突撃し、ナージャはクレアの腹目掛けて肩から体当たりをお見舞する。クレアの身体はこれで大きく傾き、指先は空を向いた。

 途端、そこから放たれたのは一発の弾丸。

 指先に銃が仕込まれていたのだ。音と共に自身の命が狙われていた事を察したエルメスは、今更ながら大きく後退。他のレヴォルト構成員も下がっていく。

 尤も、クレアはもうエルメスなど興味も向けていない。

 嬉々とした顔が見つめるのは、自分に攻撃を仕掛けてきたナージャだ。


「素晴らしい! 素晴らしいよ!」


「ガゥッ!」


 歓喜の声を上げるクレアに向けて、ナージャは尻尾を振るう。それは数多の兵士の身体を切り裂いた凶器であるが、クレアは避けない。

 胴体でこの攻撃を受けた後、それを抱え込むように掴むためだ。

 尻尾を掴まれたナージャであるが、彼女はこの程度で動じない。今度は逆方向に尻尾を振るい、掴んでいるクレアを無理矢理引きずり回す。

 これでも離さないクレアだったが、ナージャが尻尾ごと下水道の壁に叩き付ければ、流石に手を開いた。ただし表情は相変わらず楽しげで、目は爛々と輝いていたが。


「報告を聞いた時は驚いた! まさか私のクレアと互角以上に戦うなんて!」


 何かを叫ぶクレアだったが、ナージャは聞く耳を持たない。このまま腹をぶち抜いてやるとばかりに、足蹴を放つ。

 クレアはこの蹴りをまた正面から受け、今度は両手で足を掴んだ。そしてナージャの身体を持ち上げ、投げ飛ばす。

 ナージャの能力・運動エネルギーの変換を上回る力だ。空中でナージャは方向転換が出来ず、壁に背中から激突。コンクリートを砕きながら深々とめり込む。尤もこの程度は痛くも痒くもない。尻尾で自らの身体を押し出すようにして壁から脱出し、その勢いのまま再度クレアに肉薄する。


「この速さ! パワー! 反応速度! 全てが私を凌駕している! 私がこの肉体を、優に超えている!」


 喜びを顔に出したクレアは、突撃するナージャに自身も体当たりを放つ。体躯はクレアの方が圧倒的に大きい。特殊合金で出来た身体は、重さの面でもナージャより上だ。

 しかしナージャの速度はクレアを圧倒的に上回る。運動エネルギーはナージャの方がずっと大きく、体当たりで迎え討ったクレアの身体をそのままふっ飛ばしてやった。

 下水道の壁にめり込むクレア。身動きが取れない状態であり、抜け出さねば追撃を受けてしまう。されど彼女は脱出するよりも前に指先をナージャに向ける。狙いは頭。

 直後にパパパッと軽快な音が鳴り響く。

 エルメスに放とうとした銃撃だ。この銃撃は都市軍の兵士達が装備していた、カービンと同程度の威力を持ったもの。普通の人間相手なら、一発で難なく頭蓋骨を貫通して中身をぐちゃぐちゃに破壊するだろう。だがこんな『豆鉄砲』を何百と集めたところで、ナージャの身体には掠り傷も負わせられない。


「そして何より驚いたのは、君が普通に食事を行っていた事! 我々人造人間は消化器官を持たない! 強固な肉体を作るには、弱点は可能な限り少なくしなければならないからね! 栄養補給は脊髄から直接投入する栄養液を用いなければならない! ところが君は食事に没頭していた!」


 弾丸の雨を気にも留めず、ナージャは前進する。クレアは接近するナージャに対し、大きく両腕を広げて迎えた。

 ナージャはその『挑発』を受ける。

 最大速度での突進。ナージャが仕掛けたそれをクレアは躱さず、正面から受け止めようとする。確かに激突したほんの一瞬踏ん張りはしたが、ナージャが更にもう一度大地を蹴って加速すれば、あっさりと押し切れる。

 ナージャに押され、クレアは更に深く壁にめり込み――――ついに壁を貫通。分厚いコンクリートで阻まれていた、隣の区画に押しやられてしまう。しかしナージャはこれで攻勢を終わりにしない。身体を大きく振るうように動かし、クレアを更に突き飛ばす。蹴られた小石のように飛ばされたクレアは、またしても壁に叩き付けられた。

 ここまでの戦いで、クレアは一方的に押され続けている。力を温存している素振りもない。しかしクレアの笑みは消えない。むしろナージャがその強さを見せ付けるほどに、より喜びの感情を強くさせているようだ。


「即ち君は生物! 非機械的非金属的非蒸気的存在だ! にも拘らず私をこうも翻弄するとは!」


 壁にめり込んだクレアが脱出するには、両手両足を使わねばならない。その体勢は戦闘中において、四肢が塞がるのと同義。

 ナージャはもう一度駆ける。更なる打撃を、より重たい一撃を与えるために。射程距離に入る間際、ナージャは大きく腕を振りかぶった。打撃のみならず、鋭い爪でズタズタに引き裂く算段だ。

 しかし爪の一撃が届く前に、クレアの反撃が繰り出される。

 首や手足の付根から、大量の蒸気が噴出したのだ。人造人間であるクレアの動力は、他の機械と同じく蒸気。通常は冷えた後に再利用するそれを、敢えてそのまま噴出した。

 吹き出した蒸気は八百度に達する超高温。おまけに高圧だ。並の人間ならば一瞬で蒸し焼きにされてしまう。とはいえナージャにとっては大した脅威ではない。熱と運動エネルギーを操る彼女からすれば、むしろ大きなパワーを与えられたようなものだ。

 ただ、外気に触れて冷えた結果生じる小さな水の粒の集まり……湯気は厄介。白く濃密なそれは、ナージャの視界を遮る。

 いくらナージャといえども見えなくては攻撃に反応出来ず、クレアが繰り出した蹴りを顔面に受けてしまう。


「ガッ……グガァッ!」


「うぉっ!?」


 しかしそれで怯みもしない。むしろ頭を大きく振るい、クレアの足を払い除ける。これにはクレアも驚いたのか、『素』の野太い声が出ていた。

 だがクレアが驚きを滲ませたのは、ほんの一瞬。大きく頭を振ったナージャの首目掛け、肘の一撃を放つ。

 肘打ちはクレアの狙い通りナージャの首に命中。されどこれもナージャには通じない。ナージャは身体を大きくしならせ、今度は打ち込まれた肘を力強く押し返す。この反動でクレアの身体は大きく傾いた。

 すかさずナージャはクレアの服を掴み、後ろに向けて投げ飛ばす!

 クレアは為す術もなく飛ばされ、反対側の壁に激突する。砕けた壁が人型に凹み、その威力の大きさを物語る。


「素晴らしい! 生物でありながらこれほどの力を持つとは! その仕組みを解明出来れば、私は更なる高みに到れる!」


 それでもクレアは喜ぶ。

 一方的に攻め立てている。時折喰らう反撃は大して痛くもない。状況だけ見れば負ける要素は微塵もない。

 だが、ナージャは油断しない。むしろ一層警戒心を強めていく。

 尤も、それはこれだけ痛め付けても笑い続けるクレアを訝しく思っているから、ではない。コイツがまだ奥の手を残していると理解しているからだ。そしてその奥の手は、もう既に見えている。

 つい先程何十とやってきて、未だ待機状態の量産型クレア達。

 これらが最後まで動かないと思うほど、ナージャは戦いにおいては暢気でないのだ。


「ふぅぅぅー……いやはや少しばかり興奮し過ぎてしまった。年甲斐もないとはこの事だね」


 キョロキョロと周りを見渡すクレア。そして『彼女』は、下水道の奥深くからこちらを見る人影に気付く。

 反政府組織レヴォルトの構成員達だった。エルメスやジョシュアの姿もある。安全圏まで退避してはいるが、戦いの経緯を見届けようとしているようだった。

 クレアは、そんな彼等に話し掛ける。


「何故、私が此処に来たか分かるかね? その少女を確保するためさ。この少女を研究すれば、いよいよ究極の人造人間の身体が得られるかも知れない。しかし君達の一人が彼女を連れ去ってしまった。確保には相応の兵力が必要なのは地上での一件で分かっていたから、ついでに反政府組織にも退場していただこうと思ってね。こんな形での参上となったのさ」


「……どうやって此処が分かった。内通者でもいたのか」


「いいや、前々から此処は君達の基地がある場所と推測されていたんだよ。他にも候補があったから虱潰しに探してね。ここは七ヶ所目だ。本気で探せば、すぐにでも潰せたという事だねぇ」


「嘗めやがって……!」


「しかし現実に君達は壊滅状態だろう? ま、そこのメンバーが彼女を連れ込まなければ、まだまだ放置されていただろうがね」


 クレアが視線を向けた相手はジョシュア。

 ジョシュアも、クレアが何を言いたいか分かる。顔を青ざめ、目に涙を浮かべていた。身体も小刻みに震わせている。


「お、俺、そんなつもりじゃ……」


「つもりかどうか、というのは大した違いじゃないのさ。事実かどうかが大切だろう?」


「……ああ、そうだな。事実かどうかが大事だ。その上で言わせてもらうが、コイツの判断は何も間違っちゃいねぇ」


 ジョシュアの前に、エルメスが立つ。彼はすかさず立てた親指を下向きにし、『地獄に落ちろ』の意思を伝える。


「今まで相手もしてくれなかった子が振り向いてくれたんだ。こんなの嬉しくって、ますますイタズラしちゃうに決まってるだろ?」


 更には『犯行予告』までクレアに突き付けた。

 一切臆さず語るエルメスに、クレアは肩を竦める。馬鹿だねぇと言わんばかりに。


「全く、下劣な発想に恐れ入るよ。いや、こういうのもインスピレーションの元になるかも知れないから、あまり馬鹿にするものでもないか……とはいえ、私も研究者であるのと同時に経営者なものでね。何時までも遊んでいられないんだ。そろそろ『本気』を出させてもらうとしよう」


 クレアはそう言うと、パチンと指を鳴らす。

 それが合図だったのだろうか。

 周りで待機していた量産型クレア達が、一斉に動き出した。ぐるりとナージャを包囲し、獣のような構えを見せる。

 圧倒的大群が自分に攻撃の姿勢を見せた。常人ならばこの絶望的状況に意識を失いかねないところだが……ナージャは特段思う事などない。クレア達が戦いに加わるのは予想出来た事。最初から分かっている話に恐怖するほど、ナージャの思考は非合理的ではない。

 同時に、ここからが本番である事も分かっていた。


「君は圧倒的な『個』としての力を持つ。さて、人間の強みである『群れ』と『知能』の力を相手にして、何処まで奮闘出来るかな?」


 クレアの煽る言葉の意味は分からずとも、感情の機微はナージャも理解出来るのだから。

 故に量産型クレア達が動き出すよりも前にナージャが動き、

 間髪入れずに、何十という数の『人造人間』がナージャに襲い掛かるのだった。

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