姫君の目覚め09

 ナージャは感じ取る。クレアが今、何処にいるのかを。

 自分の真上だ。この都市の下水道は複雑に入り組み、何層もの構造を持つが……偶々クレアはナージャの真上に来ていたらしい。

 では、最短でクレアの下へ向かうにはどうすれば良いか? 答えは極めて簡単である。

 一直線に進めば良い。


「グゥ……ガアアアァアッ!」


 咆哮と共に、ナージャは垂直に跳んだ!

 頭上には分厚いコンクリートの天井がある。だがナージャの動きを阻むものではない。彼女は頭から天井に突っ込み、自ら埋もれた。更に両腕を振るい、コンクールを殴り砕いていく。出てきた破片はぐるぐると身体を回転させ、後ろへと排出していった。

 進行速度は秒速二メートルほど。走るよりも遅いが、しかしこの移動ならば真の最短距離で進める。クレアが移動中に動いたなら進む向きを変え、正確に追尾した。

 クレアの気配はどんどん強くなる。今は止まっている事を気配で感じ取ったナージャは、そのクレアの正面辺りを目指して突き進み……


「ガァッ!」


 ものの一分も経たずに到着するや、爆弾でも仕込んでいたかのようにコンクリートの床を粉砕。一切隠れるつもりのない堂々たる勢いで水道内に現れた

 瞬間、強力な蹴りがナージャの顔面を打つ!

 クレアだ。ナージャが一直線に目指した相手は、ナージャの到来を予測。地面からの出現という奇襲に驚きもせず、蹴りによる迎撃を行ったのである。

 蹴りの勢いでナージャは吹き飛ばされる中、ぎょろりとその目で周囲を見渡す。

 場所は大きな、幅五メートルはある下水道内。中央には汚れた水が流れ、両側にコンクール製の足場がある。軍人達は足場に即席のバリケードを築き、クレアがその奥に控えている格好だ。

 そして軍人達が見ている先には、見慣れた人間の姿があった。

 エルメス達だ。バーニーやナタリーの姿もある。彼等はその手に蒸気銃を持ち、下水道の曲がり角を遮蔽物にして戦っている。しかし負傷者が多いようで、遮蔽物の奥には何人もの人間が寝かされていた。動いていない者もいる。

 ジョシュアはその寝かされている人間達の傍で、傷口に包帯を巻くなどの手伝いをしていた。尤も、ナージャが此処に来た時の爆発音に驚き、手が止まっているようだが。


「な、なんだぁ!?」


「爆弾か!?」


 ナージャが壁に叩き付けられた轟音を聞き、軍人達もエルメス達も戸惑う。

 冷静なのはクレアと、クレアに蹴られたナージャだけだ。


「ギャウッ!」


 壁に叩き付けられたナージャであるが、即座に両手で壁を押す。その動きだけでナージャは、さながら弾丸の如く速さで飛び出す事が出来た。

 クレアはこの突進を跳躍して躱すも、軍人達の方は間に合わず。ナージャが足場に激突した衝撃で、バリケードの内側にいた軍人達が十数人も吹き飛び、流れる下水へと落ちる。

 これまでの戦いや行軍、そしてナージャ突撃時の衝撃により軍人達の身体は傷だらけだ。そんな身体で汚染された下水に落ちたのだから、入り込んだ数多の雑菌によりほぼ確実に酷い病を患うだろう。適切な治療を受けねば、或いは受けたところで命の保証はない。しかし、これでも今生きているだけまだマシな方だ。


「ひ、ひぃ!? なにがぴゅ」


 落ちずに済んだ数人の軍人は、ナージャが荒ぶる感情のまま振るった尾に薙ぎ払われたのだから。殺すつもりはなくとも、一切手加減のない一撃。最早ふっ飛ばされる事はない……ナージャの尾はバターを切る熱いナイフのように、人間の身体を切断する。

 既に反政府組織レヴォルト側の抵抗以上の被害を軍に与えたナージャだが、有象無象の生死など端から興味もない。ナージャが戦おうとしているのは、目の前にいるただ一人の人間――――クレアだけ。


「グガアアアアアアアッ!」


「……………」


 吼えながら突撃するナージャに、クレアは無言で構えを取る。

 両者は激突し、肉体による闘争を始めた。轟音が辺りに響き、人間達は戦いの手を止めて安全圏まで逃げていく。軍と反政府組織の戦いは中断となったが、ナージャとクレアの戦いは止まらない。

 ……そしてその様をエルメス達は遠目に眺める。ジョシュアは喜ぶように声を弾ませた。


「エルメス! 彼女が来てくれた! 助けに来てくれたんだ!」


「あ、ああ。そうだな、思惑はどうあれそれは違いない……だが……」


「おい、これは……」


 はしゃぐジョシュアに対し、エルメスとバーニーは動揺を声に滲ませる。

 それは素人目でも一方的に見える戦いだった。


「……………」


 クレアは無言のまま拳でナージャの顔面を殴る。ナージャの顔面に当たると、その衝撃波により足場であるコンクリートの一部が砕けた。即ち、それはクレアの拳がちょっとした爆弾程度の威力がある事を示す。

 人間ならば、頭部が粉々に砕けるだろう。しかしナージャの顔は砕けず、それどころかナージャは痛みで顔を顰めもせずに直進。

 お返しとばかりにナージャはクレアの腹に頭突きをお見舞いした。ナージャの攻撃はクレアを怯ませ、その身体をくの字に曲げさせる。衝撃により身体もほんの少し浮いた

 続いて、ナージャが放ったのは尻尾の一撃。

 身体を一回転させるのと共に振るった尾が、クレアの顎を打つ。それだけでクレアの身体は空中で何回転もしてしまう。

 その回転の中でも、クレアは所持していた蒸気小銃を構えたが――――引き金を引く前に、ナージャが彼女の足を掴んだ。


「ッガアァ!」


 ナージャはクレアの足を掴んだまま、力強く振り回す! クレアはその手に持った蒸気銃でナージャの頭を撃つが、銃弾程度の威力ではナージャの皮膚に傷も付かない。

 ナージャは止まらず、クレアを勢いよく壁目掛けて投げ付けた。メキメキと身体から音が鳴るほどの勢いで投げ飛ばされたクレアは、身動きすらも出来ず壁に激突。コンクリートを陥没させて深々と埋もれた。これでも表情一つ変えずにクレアは壁から這い出そうとするも、ナージャが肉薄する方が格段に早い。ナージャはクレアの頭を掴み、壁に擦り付ける。

 コンクリートの壁がごりごりと抉れるほどのパワー。これにはクレアの顔も同じく抉れ、中身が露出した。

 が。


「人形型改造人間クレア……あれを相手に、こうも一方的に戦うなんて、化け物って言葉でも足りんぞ」


 クレアにろくな反撃も許さず甚振るナージャに、エルメスは僅かに声を震わせる。

 ――――権力を独占した富豪達は、金に物を言わせてあらゆる禁忌を行った。

 そのうちの一つが人体を改造する技術……人造人間だ。強力な私兵を欲していた富豪達は、倫理観のない科学者達に莫大な投資を行い、この技術を会得した。勿論研究には大量のサンプルが必要であり、製造にも材料となる人体が必要である。しかし金さえあればなんでも許されるのがこの都市。身寄りのない孤児や、成り上がろうとした毒親が売った子など、数多の子供達が材料として取引された。今ではこの人造人間が軍需産業で普通に販売されているほど、大量に『製造』されていた。

 その最新製品が、クレア。

 製造方法は、最初から人形として成長させるというもの。人間の身体で育った者を人造人間にしても、無意識に力を人間だった頃の水準に抑えてしまう。反応速度や判断力、痛みへの反応も人間のそれ。だがまだ人間として育ちきっていない、生まれたての赤子であれば……人間ではない身体にも完璧に馴染む。その身体に見合う能力を、ただ日常生活を送るだけで会得出来る。狂気の発想と理屈で作られた、非人道的な『兵器』だ。

 製造コストは莫大であるが、完成品である彼女の性能はそれに見合うほどに絶大。蒸気機関が持つ人間以上のパワーを完璧に扱う存在だ。クレアの戦闘能力は四十人の兵士を同時に相手取る事も可能とされている。しかも身体は特殊な金属で出来ているため、銃弾程度では掠り傷しか負わない。

 単騎で局地戦の状況を変え得る、桁違いの戦闘マシーンと言えよう。いくら銃で武装しているとはいえ、レヴォルト程度の反政府組織であればたった一体で全滅させる事も可能だ。


「ガゥアアッ! ギャアッ!」


 その戦闘マシーンを、ナージャは今一方的に嬲っていた。

 顔面を抉るのも飽きたとばかりに、ナージャはクレアを地面に叩き付ける。コンクリートが砕け、めり込んだその身体を、ナージャはすかさず踏み付けた。

 踏まれたクレアの身体はぐしゃぐしゃと音を立てる。蒸気の源である水が溢れ、動力だった湯気が噴出。それでもクレアは立ち上がろうと、震える腕で身体を起こそうとしたが……嘲笑うようにナージャはまた踏み付けた。衝撃で、クレアの腕は二つともぽきりと折れてしまう。

 その踏み付け体勢を維持したまま、ナージャはクレアの頭を鷲掴みに。なんの躊躇いもなくナージャが身体を起こせば――――クレアの首が胴体から離れる。金属製コードとパイプで加工された脊髄が身体から分離すれば、クレアの機能は完全に停止した。

 最後にナージャは頭を落とし、踏み潰す。数少ないクレアの『中身』が辺りに飛び散った。


「グゥウウウウ……カカカカッ」


 (食事を邪魔した)憎きクレアを倒したと実感し、ナージャは笑う。ナージャとしては邪魔者を蹴散らし、気分が良いからこそ笑っているだけだが……これを目にした人間達からすれば、人間の首をもいで喜ぶ狂人の姿でしかない。

 先程までナージャの登場を素直に喜んでいたジョシュアでさえ、顔を引き攣らせていた。ましてや最初から警戒していたエルメスに至っては、今や敵意を露わにした表情を浮かべている。


「あれは……いくらなんでも、危険だ……コントロール出来ないなら尚更……やるしかない!」


 そう言って彼が取り出したのは、小さなボタン。

 それがナージャに付けた首輪をするための装置だと、傍にいたジョシュアは気付く。気付いたが、エルメスの躊躇いない動きを止める事など出来ない。

 エルメスが押したボタンは問題なく機能。電波を飛ばし、ナージャが付けている首輪の装置を動かす。首輪の中には蒸気機関の動力であるスチームコアが二つ格納されており、電波を受けると中に格納されている小さな電子機械が一つのスチームコアを潰す。圧力の高まりによりスチームコアは熱を放出し、この熱によって首輪内の水が蒸気へと変化。より大きな力となって別の機械を動かし、より大きなスチームコアを圧迫して潰す。

 潰された二個目のスチームコアから放たれる、莫大な熱量。それに伴い膨張する蒸気。首輪型の爆弾は、この一連の流れを一ミリ秒で完了させる。

 ナージャが気付く間もなく、首輪が爆発した。人間相手ならば首どころか、頭が粉々に吹き飛ぶ威力。いくらクレアを撃破する実力者でも、この一撃には耐えられまい。

 ……と考えていたエルメスであるが、結局のところこれは熱と運動エネルギーであり、ナージャにとってはどうとでも出来る力に過ぎない。


「……………ウウゥゥ」


 吹き荒れた蒸気が晴れた時、そこに現れたのは傷一つないナージャの姿だった。


「……マジかよ」


「ど、どうするんだよエルメス! あんな爆破したら、あの子怒ってるかも……!」


 爆破の元凶がエルメスだと知っているジョシュアは、大いに慌てた。クレアさえ一方的に討ち滅ぼすナージャに襲われたら、一溜まりもない。敵対される可能性のある状況に狼狽えるのは当然の反応と言えよう。

 しかしナージャは、エルメス達に視線すら向けなかった。

 理由は三つある。一つは首輪の爆発が、ナージャにろくな傷も与えられなかったから。人間の頭を吹き飛ばす爆発も、ナージャからすれば皮一枚破れない攻撃でしかない。それこそ羽虫が何かしてきた程度で、気に留めるほどのものではないのだ。

 二つ目の理由は、そもそもナージャの中では今の爆発とエルメスが紐付いていない。ナージャの頭は悪くないが、首輪に対する科学的知識はない。何故爆発したのか分からないため、エルメスが何かした、という発想がないのである。色々考えれば可能性の一つとして浮かびはしただろうが、第一の理由で気にもしてないため思考にすら至らない。

 尤も、仮に考え付いたとしても、後回しにしたたろう。

 何故なら三つ目の理由――――無数の大きな気配が、こちらに近付いてきているのだから。


「……グルルルルゥゥ……」


 唸り、下水道の先を睨むナージャ。ナージャが何かを気にしていると気付いた人間達も、ナージャと同じ方を見つめる。


「ひっ……!」


「う、嘘、だろ……!?」


 真っ先に声を漏らしたのは、人間達の方。

 下水道の暗闇の中を進み、姿を見せたのはクレア。

 今し方ナージャがバラバラに破壊したクレアが、下水道の奥から現れたのだ。これにはナージャも驚き、目を見開く。しかし異常事態はこれだけで終わらない。

 更に下水道の奥から、もう一人のクレアが現れた。

 更にもう一体、またもう一体、またまたもう一体……続々と集まるクレア。あっという間に下水道の足場を埋め尽くす。ナージャに見える範囲だけでも、ざっと二十人はいるだろう。誰もが同じ軍服を着ており、顔も同じとあっては見分けが付かない。

 ナージャは知らない事であるが――――クレアとは、それはとある会社が作り出したの名だ。その正式な製造方法は流石に一般には知られていないが……反政府組織程度の裏社会であれば取得可能な、然程重要視されていない技術。高性能な人造人間を作り出すノウハウは他にあり、故に赤子さえ用意出来るなら量産は容易いのである。

 たった一機で戦局を変える化け物兵器が二十機。普通ならば見ただけで失神したくなる(実際エルメスやジョシュアの仲間の中には気を失った者がいた)光景である。

 だが、ナージャは終結したクレア達など気に留めない。

 ナージャにとって人造人間クレアでさえも、有象無象に過ぎないのだ。二十も集まれば少しばかり厄介だが、あくまでも少しでしかない。クレアと直に戦ったからこそ、ナージャはクレアの事を危険には思わない。

 問題は、更に奥にいる奴。

 これは強いとナージャは感じた。恐らく、今の自分と同じぐらいには。


「いやはや、素晴らしい。有象無象の人間と異なり、この私の気配を察知するとは」


 そして相手もまた、ナージャの警戒態勢に気付く。

 人造人間であるクレア達が一斉に下水が流れている方へと移動。ドブ水の中に浸かってまで道を開ける。

 そうして現れたのは、またしてもクレアだった。

 だが、他のクレア達とは雰囲気が違う。二十以上現れたクレア達はいずれも無表情であるが、此度現れたクレアは微かに笑みを浮かべていた。歩く姿も人形的な理路整然としたものではなく、小躍りするようなスキップ混じり。着ているのは黒いトレンチコートだ。

 尤も、ナージャが意識するのはそんな表面的なものではなく、その身体が秘めた力の方。一体コイツは何者なのか、正体を見極めようとじっと見つめる。

 人間達からしても、トレンチコートを着たクレアに違和感を覚えた。その疑問は、反政府組織の代表であるエルメスがぶつける。


「てめぇ……一体何モンだ。ただのクレアじゃないな」


「おっと、これは失礼。初対面の相手に自己紹介を忘れるとは、いやはや歳は取りたくないねぇ」


 エルメスに敵意を向けられても、クレアはまるで気にしていないとばかりに明るく答える。


「はじめまして皆々様。この私と出会えた事を光栄にお思いください」


 そして語り始める、気取った自己紹介。トレンチコートの裾を掴み、あかたもドレスでもあるかのように持ち上げながら会釈を一つ。

 可憐な動きを見せたところで、彼女は微笑みながら自らの名を答えた。


「私の名はクレア・ブルーティアーズ。クレアシリーズの開発者であり、クレア重工の現会長。そして数多いる『人造人間』の、最高傑作です」

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