姫君の目覚め08
ナージャは侵入者の『気配』を感じ取っていた。
大地を揺らす轟音、怒りと侮蔑に満ちた罵声、後悔と悲しみに満ちた悲鳴……彼方で繰り広げられる雑多な情報を、寝そべった体躯全体で感じ取る。
どのような戦いが繰り広げられているのか、ナージャにはなんとなく想像が出来た。恐らく片方が圧倒的に優勢で、ほぼ止まる事なく前進していると。
その想像は正しい。今、ナージャがいる下水道奥深くの基地を目指し、オルテガシティが保有する『都市軍』が前進していた。都市の支配者達の命令を受けた彼等は、下水道内にいる全ての者に蒸気銃による無差別攻撃を加えている。動けなくなった者は放置され、踏まれ、蹂躙されていく。
この戦いの最前線に立つのが、クレアだった。ナージャさえも投げ飛ばす剛腕は、普通の人間の頭蓋骨程度であれば難なく砕く。投げられた者はコンクリートの壁にめり込み、踏み付けられた身体はぐしゃりと折れ曲がる。
傍若無人を通り越し、悪鬼が如く惨劇。
「……クァァ〜」
しかしそれを感じ取っても、ナージャは動かない。動くつもりもない。
人間の生き死になど、彼女は最初から興味もないのだ。クレアが誰をどれだけ殺そうが、ナージャにとっては「虫が虫を殺している」程度の印象しかない。この悲劇を止めよう、等と考える訳もなかった。
「……行くぞ。ありったけの銃と爆弾を持っていけ!」
「え、エルメス! この子を連れていけば……」
「動かねぇ奴に頼るな馬鹿が! そもそもこの活動は俺達だけでやるつもりだったんだ! 他人を当てにするな!」
ジョシュアの意見を真っ向から否定するエルメス。しかし彼の言い分は至極真っ当であり、そして正しい。ナージャは説得されたところで、動くつもりは微塵もなかった。
寝転がるナージャの横をエルメスは掛け、部屋の一部を触る。ガコンッ、という音と共に壁から蒸気が噴き出すと、壁の一部が動き出す。
動いた壁の中には、幾つもの蒸気小銃が立て掛けられていた。
レヴォルトとこつこつと集めてきた銃の数々だ。少々年代物であるが、いずれもかつて軍で使われていた代物。幾度となく戦場で活躍してきたため性能は折り紙付きであり、整備も十分に行き届いているため今も問題なく使える。
「動ける奴は全員銃を取れ! 俺も前線に行く! ジョシュア、お前は他の奴等に連絡した後に来い。分かったな!?」
「う、うん……」
ジョシュアが返事をすると、銃を手にしたエルメスは伝言に来た男と共に部屋を出る。ジョシュアも与えられた命令を完遂しようと部屋から出ようとする。
しかしその前に立ち止まり、くるりとナージャの方を振り向いた。
ジョシュアの行動など逐一気にもしていないので、ナージャは視線すら向けない。そんな彼女の方にやってきたジョシュアは、ごそごそとズボンのポケットをごそごそと弄り……
取り出した袋入りキャンディーを三個、ナージャの前に置いた。
「これ、俺の取って置きの飴。ほんとは独り占めしようと思ってたんだけど……死んだら意味ないから、アンタにあげるよ」
「……………」
「じゃ、行ってくる! 気が向いたら、助けにきてくれよ!」
言うだけ言うと、ジョシュアは手を振ってこの場を後にする。
ナージャはジョシュアの背を見つめた。尤も、ほんの一瞬だけであるが。興味はすぐにジョシュアが置いていった飴玉の方に移った。
飴は袋に入っていたが、なんの問題もない。ナージャはこの時代で目覚めて既に一週間が経っているのだ。こういった袋の開け方は既に学んでおり、飴玉の袋も爪先で器用に切り裂く事が出来た。中から取り出した甘い塊一つを、ナージャはぽいっと口に放り込む。
口の中で溶け、広がっていく甘み。今やすっかり慣れ親しんだ人工甘味料の味を、ナージャはニコニコ微笑みながら堪能する。
その味覚を楽しみながら、ナージャは頭上にある『気配』――――人間達の争いに意識を向けた。
ナージャは相手の『力』を感じ取れる。
とはいえそれは気だの魔力だのと言った、オカルト的なものではない。彼女が掌握するのは、筋肉などの動きにより生じる熱や、動きにより生じる振動だ。熱はあまり遠いと感じられないが、振動は極めて軽微なものも捉えられる。
今回ナージャは振動で、遠くの様子を探る。バタバタと疎らな足取りで、大急ぎで進むのはエルメス率いる反政府組織レヴォルトの面々か。その行く先には駆け足で、しかしレヴォルト側と違い一定の速さを保ったまま進む一団……都市軍がいた。
「グルル……」
喉を鳴らしながら、ナージャはその場にやってきた人間達を注意深く『観察』する。
都市軍の動きは統率が取れたもの。直進する動きは速くも遅くもなく、故に遅れる者は出てこない。二手に分かれる時は迷いなく均等に、そのため極めて迅速だ。
数千年前、ナージャが知る人間達も軍を持ち、そこに所属する戦士は戦うための鍛錬を積んでいた。だが、その時代の戦争は、強い戦士が個人で戦いを繰り広げるもの。統率なんてあってないようなものであるし、そのための訓練などあまりしていなかったように思う。まさか人間が社会性の虫達を彷彿とさせる統率力で動くとは、ナージャには思いもよらなかった。
ナージャの知能であれば、同じ戦力であれば統率力が上の相手が勝つ事は分かる。そのため、ジョシュア達は割と無謀な勝負を挑んだように思えた。しかしナージャはそれでもジョシュア達の助太刀に行こうとは思わない。
一方的な戦いとなるのか、戦術で劣勢を覆すのか。
ナージャにとっては、どう転んでも面白い。故に手出しせず、観察しようと思ったのだ。
「グルゥ……」
ナージャが唸りながら観察する中、ついにジョシュア達反政府組織レヴォルトと、都市軍の部隊の一つが激突した。
地面越しに伝わってくる、銃声と罵声による振動。
出会って即座に始まる戦闘。都市軍は警告などを出す事もなく、即座にレヴォルトの構成員達に攻撃を始めた。最初から殺す気満々で、話し合うつもりもないらしい。
――――『政治』が分かる人間ならば、この時点で違和感を覚えるだろう。いくら反政府組織相手とはいえ、戦えば都市軍にも相応の被害が出る。情報統制がされているこの都市において、軍人数十人とその家族の不平を抑え込むのは造作もないが、しかし不満を抱かれないに越した事はない。万一戦闘の激化で民間人に被害が出れば、もっと面倒な事となる。
可能ならば戦闘は避けるのが好ましい。故にまずは形だけでも投降を迫り、断られたら攻撃する……どれだけ馬鹿らしくともこうした手続きをするのが合理的だ。ところが此度の都市軍はこのセオリーを無視している。
何かがおかしい。
しかしナージャは賢くはあっても、政治を理解するような感性は持ち合わせていなかった。ただそこで起きた激突を、荒々しい命のやり取りを、娯楽として嗜むのみ。
「グギュルゥ……クキャー」
始まった戦いに対し、ナージャが漏らすのも感嘆や歓声だけだ。
都市軍とレヴォルトの戦いは銃撃戦により行われる。狭苦しい足場しかない下水道の中、ほんの数十メートルの距離で撃ち合うのだ。
都市軍が構えて撃つ銃は、どれも小さなもの。響く音もパパパッと軽快で、お世辞にも高威力とは思えない。外れた弾丸はろくに跳弾すらせず、威力の低さが窺い知れる。射撃音から着弾までの時間から、弾丸の速度も遅いとナージャは感じ取った。
対するレヴォルトが撃つ銃は大型で、凄まじい威力を持つ。ガンガンガンという轟音を轟かせ、放たれた弾丸は音速の何倍もの速さで飛んでいく。相手に当たらず壁に当たれば、コンクリートで出来た頑丈なそれが砕け、欠片の雨が兵士を襲った。速度も速く、跳弾した後も十分な殺傷力を持つ。
単純な武器性能で見れば、レヴォルトの方が『強い』だろう。ナージャの感覚ではそう思えた。
無論、武器がどれだけ強くとも扱う者が未熟では意味がない。ナージャが知る古代の人類では、優れた武器と防具で身を固めた若者十人を、一人の英傑が生身で倒した事もある。これは極端な例であるが、『装備』の差というのは、『経験値』で多少なりと補えるものだ。
しかしこの点においても、レヴォルト側は見劣りするものではなかった。前線で戦う者達の動きはやや統率がないものの、銃の扱いはかなり上手い。素早く装填を行い、弾が切れれば粘らず後退。空いた陣形は後方の控えがすぐに埋めていく。
都市軍と比べ、レヴォルト側は数が極めて少ない。だが、それ故に個々の連携は強固なものだった。息のあった動きが、数の劣勢を補う。最初の動きから統率が取れていないように見えたが、戦場でのコンビネーションは別だったようだ。
これはもしかすると、『こっち』側の人間が勝つのではないか。ナージャはそんな考えを抱き始めた。
尤も、期待は長く続かなかったが。
「……ゥガゥ?」
ナージャは首を傾げる。
今まで善戦していた反政府組織レヴォルト側が、ある時を境に急に勢いを失い始めたのだ。確かに数は劣勢であるのだが、戦闘による『損失』はそこまで酷くない。なのにどうしてか、急に動きが悪くなっていた。
予期せぬ展開にナージャは理由を考えるも、全く見当も付かない。しかしそれは仕方ない事だ。ナージャには『適正』や『兵站』の概念が欠けているのだから。
ナージャは知らぬ事であるが、都市軍が使う装備は最新式の蒸気銃――――SG33カービンである。この銃は銃身の短さが特徴で、全長ほんの七十センチ程度。小型化の弊害で一般的な小銃と比べ威力と射程は劣るものの、極めて軽量で持ち運びに苦労がないのが利点だ。このため長距離を駆け回る際の負担にならない。そもそも威力が低いと言っても、百メートル先の人間の頭蓋骨を撃ち抜く程度の威力はあるのだ。確実に近距離戦に持ち込める……そう、例えば曲がりくねった下水道など……状況ならばデメリットはないも同然となる。
また銃身が短いため小回りが利き、狭い場所で振り回しても周りの仲間に当たる可能性は低い。今回のように狭苦しい下水道で扱うには、最適の装備と言えよう。
対して反政府組織レヴォルトの使う蒸気銃は、どれも大型の骨董品だ。威力と射程に関して言えば、今の都市軍が用いているカービンなど比にならない性能を持つが……至近距離で戦うのに、それらの性能は過剰である。おまけに重くて運ぶのが大変であり、巨大な銃身を振り回せば仲間に当たりやすい。撃ったばかりで熱々の銃が仲間の肌に触れれば一大事。どうやっても部隊の動きは鈍くなる。
加えて、補給でも差が出てくる。
都市軍の使う小さな銃は、弾丸も小さくて軽い。兵士が一度に携行出来る弾数は多く、故に長い間戦闘を続行出来、また後方の補給部隊は迅速に物資を運ぶ事が出来る。
しかしレヴォルトの使う大型蒸気銃は弾丸も大きく、故に同じ数を持ち運ぼうとすると極めて重い。一人の兵士が持てる弾数は限定的。挙句補給部隊が一度に運べる弾も少ない。人員に余裕があれば物量作戦で押す事も出来るが、反政府組織が都市軍よりも大きな後方部隊を持ち合わせている訳もない。
戦争とは、装備の質や戦力だけで決まるものではない。より環境に適した装備を、より絶え間なく送る事が重要なのだ。
レヴォルト側は戦闘力こそ訓練と連携により鍛え上げたが、兵器の多様性と兵站面は解決出来ていない。都市軍はその弱点を突く形となった事で、やや時間は掛かったものの、有利な形勢を生み出せたのである。
「……ガウゥー」
その結果に、ナージャは落胆した声を漏らす。尤も、世話になった人間達の敗北を悔やんでいるのではなく、予想通りの展開で飽きてしまったのだ。
こうなっては、最早鑑賞する価値もない。
「ガガー」
飽いたナージャは人間達の争いから、飴玉へと意識を向けた。合成甘味料の単純な甘みは慣れると退屈なものだが、数千年前には食べられなかった甘味なのは変わらず。ジョシュアの『形見』となるかも知れないそれを、ナージャは躊躇いなく食べようと口目掛けて放り込んだ
直後の事である。
ぐらりと、大地が揺れたのは。
揺れは大きかったものの、この程度でナージャを戸惑わせる事は出来ない。彼女は住処である洞窟の入り口が塞がるほどの地震が起きても、特段気にもせずに眠り続けるほどの
正確に口を狙っていた飴玉は、揺れる身体の動きを追随しない。ナージャの身体が傾いた拍子に、こつんと口の端に当たり、ころころと床を転がっていく。
――――別段、だからといって気にする事もない。ナージャは落ちた飴を拾い上げ、今度はぱくりと丁寧に口まで運ぶ。
舌いっぱいに広がる甘さ。何時もならニコニコしてしまうところだが、ナージャの表情は変わらない。それどころか激しい怒りの感情が現れ、じわじわと肌が赤熱する形でも怒りが現れる。
「……………」
飴玉を噛み砕き、飲み込んだ後、ナージャは頭上を見上げる。
揺れはまだ続いている。
故に揺れを起こしている者の正体も分かった。それは一人の『人間』だ。その者はレヴォルト側の面々が撃った弾丸を左右への素早いステップで躱し、コンクリートをぶち抜く拳や蹴りで人間もぶち抜く。この攻撃時の衝撃が、ナージャの身体を揺らしたのだ。
振動だけで相手の正体を正確に知るのは難しい。だが、ナージャはこの揺れの『強さ』と動きを知っている。
クレアだ。
中々前線が突破出来ない事に痺れを切らしたのか、自ら前に出て暴れ始めたらしい。 お陰で反政府組織は壊滅状態だが、ナージャにとってはどうでも良い事。彼女が気にするのはただ一点のみ。
脳裏を過る、一週間前の記憶。
思えばレストランで食事をしていた際も、大きな爆発により食事を邪魔された。あの時は何が起きたかナージャには分からなかったが……今、確信に至った。クレア達があの爆発を生んだのだと。
それだけならナージャはさして気にもしない。ナージャは刹那的思考の持ち主であり、今、邪魔する訳でないなら過去は気にしないのだ。
だが、クレアは『今』の振動でナージャの食事を、結果的に邪魔した。拾って普通に食べたとはいえ、楽しい食べ方にケチを付けられた。それはナージャの怒りを爆発させる。人間同士が殺し合いをしようとナージャは興味もないが……自分の邪魔をする輩は滅ぼさねばならない。
それはナージャの本能。穏やかな何千という年月の中で眠らせていた、ナージャの種が持つ本質的な性質。
ナージャが笑う。怒りが、本来の性質を呼び起こしたがために。
「グゥウウガアアアアアアアアアアッ!」
下水道全体が揺れるほどの雄叫び。
これがナージャの活動開始を示すなど、この時代の人間達には知り得ない事だった。
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