姫君の目覚め07

 退屈だ、とナージャは思った。

 彼女が目覚め、オルテガシティの地下深く……反政府組織レヴォルトの秘密基地を寝床にしてから、一週間の時が流れた。何千という年月さえも過ごすナージャにとっては刹那の間に過ぎず、実際三分の二ぐらいの時間は寝て過ごしている。

 では起きていた三分の一の間に何をしていたかと言えば、基本的には何かを食べていた。この時代の食べ物はとても美味しい。ナージャ自身好き嫌いが殆どないのもあって、どれも美味しく食べる事が出来た。

 しかし飽いた。

 どれだけ美味な料理でも、食べ続ければ飽きるというもの。この時代の料理は味も濃く、慣れてくるとたくさん食べたいものでもなかった。おまけにオルテガシティ訪問初日にたらふく食べたので、ナージャは状態である。今の彼女にとって食は嗜好品に過ぎず、飽きれば興味を失うのは当然だった。

 ただ、暇潰しのネタがない訳でもない。

 それが彼女を此処に連れてきた人間――――ジョシュアである。


「こんにちは! 今日も眠そうだね!」


 コンクリートに囲われた一室こと、ナージャの新たな寝床にて。ジョシュアは明るい声で話し掛けてきた。

 ナージャは言語を用いない種族であるが、知能は人間並に優れている。何度も語られた言葉が「しばらくぶりに顔を合わせた時に使うもの」だという事は理解し、またその言葉が友好の意思を込めているものなのも大凡察していた。

 尤も察しているのは「こんにちは」の部分だけで、後の「キョウモネムソウダネ」は理解していないが。


「毎日随分寝ているけど、君はそういう体質なのかい? そもそも人間……ああ、これもう何度目の話かな。何度も訊いちゃうのは悪い癖だね」


 流れる川のような勢いで、ジョシュアはぺらぺらと話す。「相手のペースを考えずに喋る」のも悪い癖なのだが、今のジョシュアはそれを失念しているようで、どんどん話し掛けてくる。

 普通の人間であればいい加減鬱陶しく感じるところだが、しかしナージャは気にしない。大勢の人間達にわいわいと話し掛けられるのは、祀られていた数千年前から慣れているのだ。

 それに、今ナージャはこの時代の人間を『観察』している。個々の人間に興味はないが、高々数千年でここまで発展した、種族としての人間には関心があった。この非力な生命体にどうして数々の高度なものを発明する力があるのか、ナージャとしては興味を引かれる。何がなんでも知りたい、というほどではないが……には丁度いいだろう。

 そしてナージャは気長だ。数千年を惰眠で消費してもどうとも思わない程度には。この人間ジョシュアが老いて死ぬまでの、百年に満たない時間の浪費を勿体ないとは思わない。成果のあるなしも興味がなく、ただのんびりと時間を潰すだけ。


「……ジョシュア。まだそいつと会話は出来ないのか」


 対して、ナージャ達の様子を後ろから見ていたエルメスは苛立っていた。カツンカツンと足で床を鳴らし、焦れったさを露わにしている。

 エルメスの苛立った声に、ジョシュアは顔を引き攣らせる。申し訳なさそうな声で、必死に弁明を始めた。


「ご、ごめんよ……こっちの話し掛けに興味はあるみたいだけど、声とかは全然出さなくて。こっちの言葉が何も分かってないみたいだから、教えるのに時間が掛かるかも」


「ちっ……赤ん坊みたいなもんか。だが赤ん坊じゃねぇんだ。自然と話せるようになるまで待つ必要もねぇ」


 エルメスはそういうと、ナージャの下に歩み寄る。ナージャはエルメスを一瞥したが、彼個人に興味はない。寝そべったまま、行動は起こさない。

 やってきたエルメスはナージャの首に、カチリと『首輪』を嵌めた。

 それを見ていたジョシュアは一瞬呆けた後、大きく目を見開く。そしてエルメスを問い詰める。


「え、エルメス!? 何をしているんだ! その首輪は……」


「話によれば、コイツはクレアとやり合ってんだ。会話が出来て人となりが分かればやるつもりもなかったが、話も出来ねぇなら『備え』は必要だろ」


「だ、だからって、これは……」


「良いかジョシュア。レヴォルトの基地は此処だけじゃない。だが此処は、他の基地に指示を出す司令室だ。万一此処が潰れたら、レヴォルトという組織自体が瓦解しかねない。それにこの基地だけで百人のメンバーがいる。俺は、そいつらの安全も守らなきゃならねぇ」


 分かるな? 目でそう語るエルメスに、ジョシュアは口を閉ざす。頭では分かっているが納得出来ない。顔にそう書いてあった。

 ……ちなみに首輪を嵌められたナージャは、その首輪を指でなぞる。

 そして満面の笑みを浮かべた。エルメスからも供物が渡されたのだと、勝手にそう理解したのだ。装飾品の供物というのは数千年前にもよく渡された。ナージャはファッションなど興味もないが、人間達が作る細々とした『人工物』には関心があるのだ。

 渡された首輪は金属製で、ナージャの首との間に指が入る程度の隙間がある。キツくないのはナージャとしても好みだ。それに動くとチャラチャラと揺れ動くのも、ちょっと面白い。

 ジョシュアとエルメスのやり取りの横で、ナージャは首輪を大層気に入っていた。満足を示すように微笑む。険悪な雰囲気が立ち込めていたジョシュアとエルメスも、ナージャの無邪気さによって毒気を抜かれた様子だった。


「……やれやれ。ま、こっちだって無闇にアレを使う気はねぇ。なんやかんや大人しいし、意外と構成員に人気だからな。下手に手を出したら俺が下ろされる」


「あはは……みんなお菓子とか山ほど持ってくるもんね」


 ぼやくエルメスに、ジョシュアが笑い返す。

 彼等が話しているように、ナージャはレヴォルトの構成員達に受け入れられていた。

 レヴォルトの構成員は全三百名程度。加入と離脱者(逮捕や死亡を含む)は長い目で見れば釣り合っていて、この数を前後している。そして下水道に作られた此処レヴォルト司令基地には、エルメスが言ったように百人の構成員がいた。

 構成員達には既にナージャの存在は伝えられている。最初の反応は様々だ。好意的なもの、恐怖するもの、敵対的なもの……考え方はほぼ均等に分かれていた。

 が、今では過半数が好意的、残りも大半はちょっと心が揺れ動いている有り様。

 何しろナージャは、見た目だけなら可愛い少女なのである。その顔を見た初々しい青年達の心を鷲掴みにし、少数派である女性構成員は『女』の仲間というだけで心の壁を溶かす有り様。一部嫉妬混じりの嫌悪を抱く者もいたが……何時でも何処でも無邪気なナージャに毒気を抜かれた。

 勿論人間というのは多様なもので、反感がゼロになる事はない。しかし圧倒的な少数派には違いなかった。言い換えれば大多数がナージャに好感を寄せている。

 エルメスは構成員の支持により、組織のトップに立っている身だ。それとて全員ではなく、野心的に彼の立場を狙う者も多いのが実情。『民主的』な組織であるが故に、エルメスは構成員の気持ちを無下には出来ない。

 そしてそれ故に、エルメスは仲間達の事をよく見ている。いや、よく見ているからこそ、反政府組織のトップに立てたのだ。


「しかし一番入れ込んでいるのはバーニーだな。知ってるか? アイツ、みんなが寝静まった頃になるとやってきて、コイツの事すっげー撫で回しているぞ」


「えっ、マジですか!?」


「マジだよマジ。まぁ、アイツ昔から小さい子に優しいというか、子供に対して過保護だしなぁ」


「ええぇ、なんとも意外な……」


「絶対親馬鹿になるタイプだよあれは。ナタリーもお菓子を上げて餌付けしているみたいで楽しいとか言ってたし」


 本人達がいないのを良い事に、割と言いたい放題なジョシュアとエルメス。ちなみにどれも真実である事をナージャは知っているが、二人の会話が理解出来ないので同意も何もしない。

 ともあれナージャは反政府組織の人間に受け入れられ、そこそこ良い待遇を受けていた。ナージャとしては不快でない以上、此処から出ていく理由もない。食事には飽きても、居心地の良さが彼女を留まらせていた。

 ナージャとしてはこのまま何も起こらずに、何年でも、何十年でも経てば良いと思っている。彼女はそうして無為に時を過ごすのが好きであり、これまでそうやって生きてきたのだから。

 ――――しかし、人間の社会はナージャから見るとあまりにも早く移り変わる。

 文明の発展だけではない。情勢の変化さえも急激だ。人間からすればようやくと言えるような時間の経過も、ナージャからするとまだ眠り始めたばかりなのにという感覚である。

 そしてナージャにどれだけの力があろうとも、時間の主導権を握るのは何時だって『速い』方。こればかりは如何にナージャでも人間には勝てない。


「え、エルメス! 大変だ!」


 ナージャが眠る部屋に入ってきたのは、若い男。

 レヴォルトの構成員の一人だ。立場としては下っ端Aに過ぎないが、レヴォルトの構成員は誰もがエルメスと対等に話す。故にエルメスは彼の言葉遣いなど一々指摘しない。

 そんな些末な事よりも、構成員が伝えたがっている『大変』な何かの方が重要だ。


「どうした? 何があった?」


「せ、政府の奴等が、軍がこの基地の場所を嗅ぎ付けた!」


 エルメスが問えば、構成員の男はハッキリと答えた。ジョシュアは慄き、エルメスの表情が強張る。

 しかしエルメスはすぐに指示を出さない。

 この男の話には、まだ続きがあるからだ。


「そうか。どれだけの規模で、今どんな状態だ?」


「え、えっと、かなりの大部隊で、もう軍人が押し寄せてる。今は見張りが足止めしてるんだが……」


「だが?」


「く、クレアが……クレアが来たんだ! 長くは持たない!」


 半狂乱の叫びを上げ、男は最も重要な情報を告げた。

 クレア。以前ナージャと戦った者。

 ナージャを投げ飛ばすほどの力を持った存在の名を聞き、エルメスは即座にナージャの方を見遣る。ジョシュアから報告されていた、クレアと『互角』に戦った力に僅かな期待感を滲ませながら。

 尤も、その顔はすぐに諦観と失望に染まる。

 何故ならナージャは身体を丸めた眠りの体勢のまま、動き出そうとすらもしていないから。目は開けているものの、それ以上の行動は一切起こさない。

 何しろ人間達の言葉が分からないナージャに、『クレア』が来たと言われても、分かる訳がないのだから……

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