姫君の目覚め05

 蒸気手榴弾。

 中にある水を高熱で沸騰させ、その膨張圧で破裂・金属破片を撒き散らす武器の一種だ。撒き散らされた破片に加え、灼熱の蒸気が一定範囲を加熱する事で対象を殺傷する。

 レストラン内に投入された手榴弾も同様のメカニズムで起動し、破壊を撒き散らした。破片と蒸気が拡散。その威力を物語るように轟音が響き渡る。普通の人間がまともに破片を受ければ死亡は確実、離れていても負傷は免れない。熱波を浴びれば大火傷を負い、これもまた至近距離ならば致命傷となるだろう。

 そのような攻撃の結果を、レストランの外から見ている者達がいた。

 数は十人。全員が紺色の服……軍服と呼ばれる衣服を着込んでいた。九人は三十〜四十代の男であり、鋭い眼光や纏う雰囲気の鋭さから、歴戦の強者である事が窺い知れる。身体は特別大きい訳ではないが、彫刻が如く整ったバランスの肉体は、単に大きいだけの筋肉よりも『優秀』に見える事だろう。背中には大きな、短銃の何倍もの大きさの蒸気銃を背負っていたが、誰一人として背筋を曲げず難なく背負う。

 常人どころか、鍛え上げた警邏隊員達でさえも及びそうにない。正に戦士と呼ぶに相応しい集団。それも当然であり、彼等はこの都市の治安を守る最上位組織――――軍に所属する兵士達なのだから。

 だがその兵士九人も、彼等の前に立つ一人の『女』に比べれば、まるでひよっ子のように思えるだろうが。


「よろしかったのですか、クレア大佐」


 男の一人からクレアと呼ばれた女は、その男がいる後ろを振り返る事もしない。

 身長百七十七センチと並の男よりも大柄。身体付きこそ華奢であるが、視線の高さが与える圧迫感は相当なものだ。顔付きが凛々しく、眼光の鋭さもまた威圧感を増す要素だろう。青味掛かった長い髪も、彼女の凛とした雰囲気を色濃くする。

 男達と比べて細身の身体であるが、しかし背中に二本の銃を持ちながら、揺れるどころか曲がりもしない強さを持つ。堂々たる仁王立ちを見れば、誰もが彼女の威圧感に屈する。それは『仲間』である軍服の男達も同じで、クレアに質問した男も見られた瞬間に後退りしていた。

 尤も、クレアは怒っている訳ではない。男からの問いには、落ち着いた口振りで答える。


「本作戦に、何か懸念事項がありましたか?」


「この攻撃に関してです。レストラン内には警邏隊員三名がいるとの情報があります。彼等の生存が不明の状況で、手榴弾攻撃をしてもよろしかったのですか」


「ああ、その事ですか。問題ありません。彼等の経歴及び現時点での成績に関しては把握しています。能力的にな水準でしたから、この攻撃で死亡しても治安維持に対する影響は軽微です。それに」


「それに?」


「通報によれば、レストラン内の騒動では銃声が聞こえています。にも拘らず中にいる少女は制圧出来ていない。つまり、相手は銃を装備した警邏隊員三名を凌駕する戦闘能力の持ち主です。それを警邏隊員三名と引き換えに始末出来るのなら、対価としては割安でしょう」


 怒ったり、呆れたりもせず。ただ淡々と『合理的』な説明をするだけ。

 あまりにも無感情なクレアの言葉に、尋ねた男だけでなく、控える八人の男達も息を飲む。尤も、この作戦を感情なしに語れるクレアに、男達の無言の『反抗心』が響く筈もなく。


「ですが、結果的に犬死でしたか」


 それよりもクレアは、任務の方を重視していた。

 クレアの見つめる先……手榴弾の爆発でボロボロになったレストランの扉から、人影が出てくる。

 現れたのは、ナージャだ。

 ナージャは生きていた。それどころか怪我一つ負っていない。熱と運動エネルギーを自在に変換する彼女の肉体は、手榴弾の攻撃でも傷付けるには至らなかった。精々、服を着ていない身体が細かな破片塗れになった程度である。

 ナージャは無傷だ。そう、ナージャ自身は。

 だが、ナージャは怒りに震えていた。

 。一緒にいた警邏隊員達の事など興味もない。楽しみにしていた料理がひっくり返された時、傍にいた羽虫の安否を気にする人間がいないのと同じ事だ。


「ウゥウゥウウゥゥ……!」


「ば、馬鹿な……」


「大型の蒸気手榴弾だぞ! まさか生きているとは……!」


 力強く唸るナージャを前に、兵士達の間に動揺が広がる。後退りし、誰もが慄く。

 ただ一人、クレアを除いて。


「想定されていた結果の一つです。作戦前に説明している事に何故一々驚愕するのですか。それよりも攻撃を続行しなさい」


「りょ、了解!」


 クレアの淡々とした指示により、男達は素早く蒸気銃を構えた。そして一瞬の躊躇いの後、引き金を引く。

 彼等が持つ蒸気銃は、警邏隊員が用いていたものとは別物。

 蒸気小銃と呼ばれるものだ。蒸気の力により弾丸を発射する、という仕組みは警邏隊員が使う蒸気短銃となんら変わらない。だがより大型の構造故に、より大きな弾丸を扱う事が可能だ。更に蒸気シリンダーと呼ばれる『加圧』装置により、弾丸を加速する事が可能となっている。

 撃ち出される弾丸の初速は、秒速一千八百メートル。運動エネルギーは質量×速度の二乗に比例するため、仮に弾丸の重さが短銃と同じだとしても、十倍近い威力を持つ計算だ。加えて蒸気小銃は蒸気を噴出する際の勢いを利用して弾倉を回転させ、高速かつ自動的に次弾装填を行う。つまり引き金を一回引くだけで連射も出来るという事。

 その連射性能は一分間に九百発。一秒十五発の猛烈な連射だ。

 これを九人で撃てば、一秒間で百三十五発の弾丸が放たれる計算となる。事実それに近い数の弾丸がナージャに向かう。そして警邏隊と異なり、彼等はための訓練を受けている兵士だ。ほぼ全ての弾丸が、あどけない少女の身体に撃ち込まれた。


「グゥウルルルル……」


 だが、ナージャを怯ませる事も出来ない。

 ナージャは進む。尻尾の射程内に相手を収めるために。あの爆発がが、不機嫌な時に攻撃してきた輩を許すつもりはないのだ。要するに(結果的に正しい標的なのだが)八つ当たりである。

 男達は射撃を続けながら後退していくが、ナージャの止まらない歩みの方がずっと速い。距離が狭まったところで兵士達は射撃を止めたが今更ナージャは止まるつもりもなく、凡そ二メートルまで詰めたところで長い尻尾を振るおうとした

 瞬間、彼女はくるりと右側へと振り返る。

 それだけで自分に銃口を向けていたクレアと目が合った。クレアは何時の間にかナージャの側面に移動し、攻撃の用意をしていたのである。クレアは驚きもしていないが、観察するようにじっとナージャを見つめていた。


「ふむ、より脅威である方を優先する、という事ですか。それなりには知的なようですね」


「ガァッ!」


 何やら独りごちるクレアだったが、彼女の物言いなどナージャは興味もない。むしろ『不気味』と思い、ナージャは尻尾の行く先をクレアに変更した。

 警邏隊員達では見切れもしなかった尾の一撃。兵士達にも見えておらず、誰もが唖然としたように硬直していた。

 だがクレアはこれを寸でのところで躱す。最小限の動きで尾を避けると、クレアはその尾を素早く掴むや脇に抱え込む。


「むんっ!」


 そして力強く、ナージャの尾を引いた。

 するとどうした事か。ナージャの身体は大地から浮かび上がったではないか。

 これにはナージャも驚いた。ナージャは数千年前、人間の戦士とよく手合わせをした。崇めていた彼等にとってナージャとの試合は誉れであり、年に一度祭と称して優秀な戦士と戦いを繰り広げた。人間側は武器も戦法も自由。数だって一人と限らず、二人や三人や四人や、二十人ぐらい同時に挑んできた時もあった。ナージャは祭の趣旨をよく理解していなかったが、「偶には運動するかなぁ〜」ぐらいのノリで参加していた。

 尤も大抵は寝たまま繰り出した尾の一撃で相手が気絶して終わり。ナージャにとって人間というのは、羽虫となんら変わらないのだ。長い歴史の中では時折やたらと強い、人類の域から外れた強さの人間が出てくる事もあったが……そのやたらと強い人間も、ナージャが寝そべるのを止めれば一瞬で片が付いた。

 長い歴史の中で何百何千もの人間と戦ってきたナージャは、人間というのが大体どれぐらい強いのかを知っている。その経験の中でも、ナージャを持ち上げた人間など皆無。

 ましてや放り投げ、壁に叩き付けた者などゼロである。


「――――」


 そしてクレアはここで手を緩めない。素早く銃を構えると、迷いなく引き金を引く。

 撃ち出された弾丸は三発。脳天・心臓・腹部を正確に狙ったもので、いずれも命中した。だがやはり弾丸はナージャの皮膚すら貫かず、運動エネルギーを失ってぽとりと落ちる。

 ナージャは身体が食い込んだ壁から、自力で抜け出す。怪我一つ負っていないが、ナージャの纏う雰囲気は少しずつピリピリとした、張り詰めたものへと変わる。五メートルは離れた位置にいるクレアを、鋭い眼差しで射抜く。

 投げ飛ばされた。

 本来ならばあり得ない事だ。何故ならナージャの身体は運動エネルギーを熱へと変換する事で、持ち上げる力さえも容赦なく無効化出来るからである。とはいえクレアは魔法染みた不思議な力を使った訳ではあるまい。ナージャ自身、自分を投げ飛ばす物理的方法を知っている。

 それは、熱・運動変換能力の変換効率を上回る事。

 こそが、ナージャの守りを打ち破る数少ない方法だ。ナージャ自身も自分の『弱点』を把握しているが……これまで人間に、それを突かれた事はない。人間が十人か百人集まったところで、ナージャの能力は破れないのだから。

 この『人間』は何かが違う。

 最早後ろの兵士九人虫けら共など、ナージャの意識にも上らない。ナージャの視線が向くのはクレアのみ。クレアの方も仲間である男達には期待していないようで、ナージャだけを見据えている。クレアの纏う雰囲気はどんどん張り詰め、触れれば何もかも切り裂くような鋭利さを宿す。

 これを目にしたナージャは、僅かに口角を上げた


「とおりゃああっ!」


 時に、軽薄な叫び声が聞こえた。

 あまりにも場違いな雄叫び。ナージャは思わず気が抜けてしまう。クレアの方も声に反応したが、ナージャから意識を逸らせなかったようで身体は動かない。

 そうこうしていると、ころんと、何かがナージャとクレアの間に転がってくる。人間であれば『スプレー缶』と分かる一品に、しかし何も知らないナージャは首を傾げるのみ。

 スプレー缶が破裂して大量の白煙を撒き散らしても、ナージャは特段慌てふためく事はなかった。


「くっ……これは、煙幕か……」


 対してクレアは顔を顰める。警戒心をより一層強めるが、展開された煙幕は極めて濃密。数十センチ隣にいる者の顔も見えやしない。

 それはナージャも同じである。向かい合っていたクレアとの距離は五メートル以上あり、もう身体の輪郭すら見えない。近付かなければ相手を捕捉出来ないが、見えないので何処に行けば良いかも分からず。段々と『面倒臭さ』を覚え、戦意が失せていく。

 もしもそうした心境の変化がなかったなら、腕を掴んできた手の持ち主を、ナージャは比喩でなく叩き潰していたであろう。


「今なら逃げられる! こっちだ!」


 煙幕の所為で顔は見えないが、掴んできた相手は若い男のようだった。しかもあどけなさが抜けない、ちょっと頼りない雰囲気の。

 ナージャにはこの男が何を言っているか分からないが、腕を引っ張る事から何処かに連れて行こうとしているらしい。ナージャからしてみればこんな手の持ち主に従う義理はなく、またクレアと違って(ナージャが知る数千年前の人間達と比べても)へっぽこな力ではナージャを動かす事など出来ない。

 ただ、男の身体から何やら甘い匂いが漂っていた。

 先程レストランで食べた料理とは、毛色が違う香り。いや、そもそもこれはなんの匂いなのか? 肉とも魚とも野菜とも違う、妙な匂いだ。香草とも雰囲気が異なる。食べ物の匂いとは限らないが、しかし、もし食べ物ならば一体どんな味なのだろうか。

 ナージャはこの時代の食べ物が、とても美味しいものだと学んでいる。故に、男の身体が纏う匂いも美味しいものかもと考えた。この男と一緒に行けば、匂いの元である食べ物が食べられるかも知れない。

 そもそもクレアと戦う理由がナージャにはない。レストランを吹き飛ばした手榴弾の持ち主が誰かなど、彼女は知らないのだから。八つ当たりをしようとした時偶々そこにいて、思ったより強かったので少し遊んでやろうかと考えただけ。

 他に興味惹かれる事があれば、そちらを優先する。


「ウガー」


 ナージャは引っ張られるがまま、この場を離れる事にした。

 男は「一、二、三」と歩数を数えながら進み、煙幕の中を迷いなく進む。数メートルと歩くと、男は急にしゃがみ込み、

 男は地面にある蓋……人間達がマンホールと呼ぶものを開け、中に入ったのだ。その先に続くのは下水道である。

 普通の人間ならば、下水道の不潔さと危険性を知るがために侵入を躊躇うところ。しかしナージャは下水道がどんな場所なのかを知らない。付け加えると数千年間洞窟の中でぐーすか眠り、裸で森の中を駆け回る事も厭わない彼女は、衛生の概念が希薄である。

 連れられるがままに、ナージャは下水道の中へと入り込む。蓋を閉じてしまえば、もうナージャがそこを通る前と景色は変わらない。

 やがて煙幕が晴れた時にナージャの姿は地上になく、取り残されたクレアの舌打ちが、誰に聞かれる事もなく鳴るのだった。

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