姫君の目覚め04

 警邏けいら隊。それは此処オルテガシティの治安を守る組織の一つだ。

 彼等の役割は、主にオルテガシティで起きた事件の捜査及び犯罪者の逮捕。事件がない時は都市を巡回し、犯罪の抑止を担う。今回ナージャの下にやってきたのも、巡回中にレストランでの騒動が通報され、犯人逮捕のため駆け付けた者達だった。

 やってきた人数は三人。いずれも身長百七十センチになる大柄な男で、黒く整った制服に身を包んでいる。腰には長い棒一本と……掌ぐらいの大きさで複雑な構造をした、ナージャでは上手く表現出来ない形状の道具を装備していた。相当鍛えているのか肩幅も広く、華奢なナージャと比べれば倍以上の大きさを誇る。


「動くな。貴様にはこのレストランの備品を破壊した、器物損壊罪の疑いがある。本部で話を聞きたい……大人しくしていれば、痛くはしないぞ」


 警邏隊の一人が、改めてナージャに警告を飛ばす。手には棒を握り、鋭い眼差しでナージャを睨む。

 それに対しナージャは、何も反応しなかった。

 振り向きもしなかった。人間の言葉など意味すら分からないし、それよりも今は此処にある美味しい食事の方が重要だからだ。警邏隊を無視して、テーブルの上にあった黄金色スープを飲み干す。穀物の甘い味が口いっぱいに広がり、ナージャは満面の笑みを浮かべながらげっぷまで出す。

 しかも機嫌が良くなった彼女は尻尾を振り回し、近くにあった椅子を蹴散らしてしまう。椅子はごろごろと床を転がり、その拍子に浅いながらも傷が付く。

 警告を無視した挙句に堂々と器物損壊。警邏隊からすればこれ以上ない侮辱であり、都市の治安に真っ向から喧嘩を売っている。


「隊長。こういう奴は一発ガツンとやらなきゃ駄目ですぜ」


「いや、しかし相手は……」


「今の時代は男女平等。悪い子には、平等にげんこつをお見舞するべきでさぁ」


 痺れを切らしたのか、警邏隊の一人がナージャに歩み寄ってきた。今回やってきた三人の中で最も大柄で、筋肉質な身体を持っている。

 彼の持つ太く逞しい手が、がしりとナージャの肩を掴んだ。流石に身体を掴まれればナージャとしても意識して、ちらりとその手に視線を向ける。ただしそれだけ。虫が止まった程度にしか思わず、構わずテーブルの上にある野菜を食べ始めた。


「さぁ来い。レストランで他の客に出されたものを奪って食うのも犯ざ、い……」


 そのナージャを無理矢理振り向かせようとする警邏隊員。だが、その忠告は最後まで続かない。

 動かない。

 彼がどれだけ力を込めても、ナージャはぴくりとも動かないのだ。


「ぅ、こ、この、抵抗する気、か……!?」


「お、おい、どうした? 何をやってる?」


 身体の筋肉が膨れ上がるほどに力を込める仲間の姿に、二人の警邏隊員も違和感を覚えた。しかしナージャを掴んだ者はその問いに答えず、必死に、何度も何度もナージャを振り向かせようとする。

 それでもナージャは動かない。動く訳がない。

 先程ナージャが思った通り、で、どうして振り向くというのか。ナージャにとってこの男の力など、その程度のものでしかない。

 とはいえ不快さは感じていた。それも至高の食事という、とても幸せな時間に割り込む形で。最初は食事に夢中だったので無視したが……段々警邏隊の男が鬱陶しくなってきたナージャは、ちらりと男の手を見た後に軽く尻尾を振るう。


「ぼびゃ」


 その一撃で、男の口からは間の抜けた声が出た。

 出てしまった。。全身を伝わる衝撃によりあちこちの骨にヒビが入り、体内圧力の変化で鼓膜が破れる。

 当然それほどの一撃を受けて立っていられる筈もなく、警邏隊の男は吹き飛ばされ……レストランの壁に激突。声も出せずに叩き付けられ、今度は胸と腰の骨が砕けた。

 男は死ななかったが、それはナージャが人間の身を案じて手加減したからではない。男が人間としては筋肉質で丈夫な身体を持ち、健康的な食生活だったが故に頑強な骨があり、ナージャの攻撃の当たりどころが良かったからだ。

 そしてナージャは、確かに手加減などしていないが、この男を殺す気もなかった。

 食事の周りを羽虫が飛び回っていたら、人間はどうするか? まずは軽く手を振るって追い払おうとするだろう。手に当たった相手がそれで死ぬかどうかなど、考えもせずに。

 ナージャの人間に対する意識は、それと変わらない。邪魔だったから追い払っただけ。その過程で個々の人間が生きていようが死んでいようが、彼女にとってはどうでも良い事なのだ。

 無論、人間にとっては受け入れ難い考え方であるが。


「じょ、ジョージ!?」


「貴様、よくもジョージを!」


 仲間の一人(ジョージというらしい)が瀕死に追いやられ、もう一人の警邏隊が警棒を振りかざす。

 警棒はナージャの頭を直撃。頑丈な金属で出来たそれは、鍛え上げた身体の人間が本気で用いれば十分な殺傷力を持つが……ナージャの頭部には傷一つ付かない。それどころか殴った棒の根本がひしゃげ、使い物にならなくなってしまう。

 殴った警邏隊員の顔は青ざめ、じりじりと後退り。しかしナージャはその恐怖に染まった反応を見ても、特段何かを感じる事はない。

 彼女の行動を決めるのは、何をされたかという事実の方だ。そして此度の行動を決めるのは、殴られたという事実。


「……………」


 無言のまま、ナージャは殴ってきた男に尻尾を伸ばす。男が気付いた時にはもう尻尾は彼の足に巻き付き、自分より大柄な人物を軽々と持ち上げた。

 そして無造作に投げ飛ばす。

 尻尾で叩いた時ほどの威力は込めていない。だが何メートルもの高さに飛び上がった男は天井に背中を打ち、自由落下で床に叩き付けられる。こちらも死んではいないが、呻くばかりで立ち上がらなくなった。


「う、動くなぁ!」


 残された一人は、ついに腰に備えていた不思議な形の道具を構えた。

 ナージャは知らない。それが蒸気短銃と呼ばれる、近年開発された武器である事など。

 蒸気銃は弾丸に水を含み、この水が気化……即ち蒸気となる事で生じる、膨張圧で弾丸を撃ち出す。『前時代』で使われていた火薬式と比べ、小型化が困難というデメリットがあったが……技術革新により掌サイズまで小型化出来た。それが蒸気短銃である。

 蒸気短銃の利点は携行しやすく、装備者の負担にならない事。欠点は威力が低い事だが、人間の頭蓋骨に穴を開けるぐらいは可能だ。十分な殺傷力を持っている。軽いため片手でも狙いを付けるのが容易で、相応に訓練した者であれば、数メートル程度の近距離ならまず外さない。加えて作られたのが近年と言っても、それは銃の歴史の中での話。警邏隊の男が構えている蒸気短銃は開発されて十年が経つ代物で、安定性の高さから公共組織に好んで使われている。整備不良などで弾丸が出ない、等という間抜けな事態はまず起こらない。

 狙った相手を確実に殺せる武器。そんなものを向けられれば、普通の人間なら両手を上げて降参するところだ。

 だが、蒸気銃を知らないナージャがそのような行動を取る訳もない。むしろ男の敵意が消えておらず、何かしらの攻撃をするつもりだと察し、『制裁』を加えようとする。ゆっくりと、長く伸びた尾を動かした


「こ、この化け物!」


 瞬間、ついに蒸気短銃の引き金が引かれた。

 射出された弾丸の初速は秒速五百メートル。音よりも速く飛んでいくそれは、人間の目には到底見えない。

 ナージャの目にも見えない。故に弾丸は寸分の狂いなく、ナージャの額目掛けて進む。

 普通の人間がこの弾丸を頭に受ければ、弾丸は頭蓋骨を貫通。それたけでなく、弾が通った道から数ミリの領域に展開された衝撃波で、頭の中身をぐちゃぐちゃにされるだろう。基本的には致命傷であり、助かったところで重篤な後遺症が残る。

 ではナージャの場合、どうなったかと言えば。

 

 骨で止まるどころか跳弾する事もない。ただ、急に勢いを失ったかのように弾が落ちたのだ。硬いものに当たったような音もなかった。不可思議にして不気味な現象であるが、警邏隊員にその異常事態を認識する余裕はない。

 今は、銃が効かない化け物と対峙している事実を受け入れるので精いっぱいだ。


「ひ、ひぃいいいぃいいっ!?」


 狂ったように銃を撃つ警邏隊員。狙いこそナージャであるが、手許が震えているため正確とは言い難い。万一跳弾すれば仲間や自分に当たるかも知れないが、そんな事は既に頭に残っていない様子だ。

 それも仕方ないだろう。銃弾を身体に受けて傷一つ付かない非常識な化け物に比べれば、跳弾等という『現実的』な恐怖など些末なものに過ぎないのだから。


「……フンッ」


 何発もの銃弾を身体で受けたナージャは、つまらなさを表す鼻息を吐いた。実際ナージャは多少歯応えのある攻撃を期待していたのだが、あまりにしょうもない攻撃だったものだから呆れてしまう。

 無論、警邏隊の使う蒸気短銃は不良品でもなければ玩具でもない。弾丸が効かないのは、ナージャ自身の体質が関係していた。

 ナージャの身体には特殊な『多糖類』が満ちている。この多糖類は血液や細胞質内に存在しており、普段はエネルギーの蓄積などの役割を持つ。だが、運動時になるとまた別の働きを発揮する。

 それは熱エネルギーを運動エネルギーに変換する事。

 この仕組みにより、ナージャは身体で生み出された熱をパワーとして扱える。即ち、単純な筋肉が生み出した力に、熱エネルギーを『加算』出来るという事だ。全身の力を尻尾や手足に集めているようなもので、瞬間的に強大な力を放てる。華奢な見た目で自分より大きな人間を薙ぎ払ったり、投げ飛ばしたり出来たのもこの仕組みのお陰だ。

 更に、運動エネルギーを熱エネルギーに変換する事も可能だ。これを用いれば身体に受けた打撃、そう、例えば弾丸の衝撃を全て熱に変えてしまう事で無力化も出来る。そして変換して蓄積した熱は、当然別の運動エネルギーとして扱う事も可能。

 ナージャは自身の身体が持つ、この特別な秘密を知らない。知らなくてもなんら問題はない。ATPの分解過程を知らずとも人間が筋肉を動かせるように、彼女にとってその力は呼吸や運動と同じように扱えるものだからだ。そして今の自分の身体の状態がどうなっているかも、感覚的に理解する事が出来た。

 今のナージャの身体には、銃弾により与えられた『熱』が溜まっている。銃弾一発当たりの運動エネルギーは微々たるもので、それが数発になっても大した力はないが……お返しとしては十分。


「ゴキャウッ!」


「ぎゃっ!?」


 渾身の力を込めてナージャが吼えると、警邏隊員は小さな悲鳴を上げてバタンと倒れた。

 ……見れば、警邏隊員は白目を向いている。死んではいないが、失神していた。


「クキャキャキャ!」


 その様子を見てナージャはケタケタと笑う。思った通りの反応だと言わんばかりに。

 事実、期待していた通りだ。

 お返しは、とびきりの大声で気絶させる事。ナージャには人間のようなプライドだとか、たかが人間風情がと高圧的に見下す心は持ち合わせていない。敵意剥き出しで攻撃され、なのにあまりに身の程知らずな威力だったから、ちょっと脅してやっただけである。

 銃で撃ったものが一番軽症で、ただ肩を掴んだたけの者が瀕死の状態。傍から見れば混乱を招く惨状は、ナージャにとっては当然の結果だった。

 ともあれ邪魔者はいなくなった。まだまだ料理はたくさんある。今はこの至高の料理を満喫しようと、ナージャは次の食べ物を選ぼうと辺りを見回す。次の狙いを山盛りサラダにしたナージャは、それがある皿へと向かい、両手で野菜を頬張る。


「ングフフゥ〜ンマー」


 口の周りを野菜の汁などでベチャベチャに汚しながら、ナージャは幸せを声に出す。

 それからナージャは、そのまま食事を再開した。警邏隊員は未だそこに寝転がっている状態だが、ナージャは気にしない。食事の邪魔さえしなければ、彼等の存在自体は構わないのだ。思考が単純であるが故に、彼女は寛大でもある。

 数千年ぶりの食事は何分も続く。どれだけ食べても止まらない食欲に、レストラン内の料理が枯渇するのも目前に迫った。

 丁度そんな時の事だ。

 ゴドンッ、と硬いものが落ちるような音が聞こえてきたのは。


「ウガ?」


 聞き慣れない音にナージャは興味を抱き、音の方へと振り向く。

 それはナージャの足下で、何時の間にか直径十センチほどの丸いものが転がっていた。石と言うには磨かれていて、けれども宝石と呼ぶにはくすんだ色合いをしている。足で触れた感触からして、なんらかの金属のようだ。

 はて、こんなもの最初からあっただろうか? 疑問に思うナージャだったが、すぐに興味を失った。美味しい食べ物と、くすんだ色の金属。どちらを優先すべきかなど考えるまでもない。

 ナージャは本能に忠実だった。しかしその金属の正体を知る人間ならば、転がる金属の塊を見て血の気が引くだろう。

 手榴弾だという知識があったなら。

 けれどもそれを叫ぶ者はいない。この場にいる人間全員がナージャの手により、死んではいなくとも意識がないのだから。ナージャに至っては手榴弾なんて知りもしない。

 それを投げ込んだ者の思惑通り手榴弾はナージャの足下で炸裂し、強力な爆風をレストラン内に満たすのだった。

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