姫君の目覚め02

 ナージャがその場所に辿り着いた時、時刻はすっかり夜となっていた。

 都市は地平線の先に見えたので、遠かったのは違いない。しかしそれでも普通に歩けば、いくら引きずるような歩みをしているナージャでも、遅くとも昼頃には着いていた筈だ。では何故こうも遅くなったのかと言えば、それはナージャがあちこち寄り道し、あまつさえ良い感じの木漏れ日を見付けて昼寝もしていたからである。

 ナージャの時間感覚は極めてゆっくりだ。地平線の向こう側精々十数キロ彼方であっても、何日か後に辿り着けば良いと考えるぐらいのんびりしている。むしろ目指した当日中に着くぐらいには、ナージャ的には『急いで』やってきたと言えよう。


「ウガァァー……!」


 そして急いだ甲斐ぐらいはあったと、ナージャは思った。人間の言葉をナージャは用いないので、あくまでも感情的な認識であるが。

 ナージャの目の前に聳える人間達の都市。夜を迎えたそれは、煌々と眩い光を放つ。

 それは電気の明るさであり、この都市では珍しいものではない。どの建物にも見られる、有り触れた輝きだ。しかし数千年と寝ていたナージャは人間が作り上げた電化製品などとんと知らぬ身。太陽と星、燃え盛る炎以外でこうも明るく光るものなど、初めて目の当たりにした。しかも炎のように揺らめく事もなく、都市全体を明るく染めているのに熱くもない。それだけでも驚きがある。

 更に驚かされたのは、光り輝く都市の中には大勢の人間がいた事。

 見える範囲を行き交うだけで、何十何百という数。ナージャが眠る前に世話となった村の人口を、この時点で大きく超えていた。人間というのは何時の間にこんなにも増えたのか。そして人間達がそこかしこにいる事から、この大都市を作り上げたのが人間達なのだとナージャはようやく理解した。

 人間達の身形も変わっていた。上半身は裸ではなく、何を用いて作られたか分からぬものを纏っている。それは人間達がスーツや洋服と呼んでいるもので、ナージャが眠る前に見たものより遥かに高度な技術が使われた一品となっていた。しかも皆が様々な格好をしており、種類も豊富らしい。色彩も、自然では見られない鮮やかなものが幾つも見受けられた。

 人間に大して興味などなかったナージャであるが、こうも変化した姿を見ると流石に気になる。一体、今の人間はどんな存在なのだろうか。

 気になったら調べる。気ままであるが故に、ナージャは一切躊躇わない。


「ガウゥウ〜」


 ナージャ的には意気揚々とした軽快な足取りで、ナージャは都市の奥へと進む。

 世界一の大都市・オルテガシティへと……

 ……………

 ………

 …


「ねぇ、あれって……」


「警邏隊を呼んだ方が良いんじゃ……」


「いやでも、あの見た目……」


 ざわざわと、オルテガシティの一角にざわめきが起こる。何十何百という人々が足を止め、知り合い同士のみならず、ただその場に居合わせた他人ともひそひそと言葉を交わす。

 ざわめきの中心にいたのはナージャだった。大勢の人間が彼女を取り囲むように見ている。ナージャはその視線に勿論気付いているが、しかしかつて人々から祀られていた彼女は無数の視線を浴びるのは慣れっこ。大して気にもしない。

 ただ、ざわめきの理由は分からなかったが。

 人間の視点に立てば、答えは明白である。まずナージャは可愛らしい少女の見た目をしている。身体付きも幼く、人間の一般的価値観で評価すれば間違いなく美少女だ。それも絶世の、という前置きをしてもなんら問題ないほどに。男どころか女さえも魅了するだろう。美の価値観は時代により移り変わるものだが、ナージャのそれは時代を問わないものであり、故にこの時代でも数多の男女共の気を引き寄せる。

 その美少女が今、全裸で歩いている。しかも恥ずかしがる様子もなければ、誰かに助けを求める事もない。

 数千年前はナージャも服を着ていたが、あれは村の女達が貢物として渡したものを寝ている間に着せられた結果だ。心底興味がないのでそのまま着ていただけ。服が朽ちたのであれば、裸のままでいるのは彼女的には当然の事である。

 そして裸故に、彼女の身体が有す非人間的特徴も丸見えとなっていた。

 頭から生える大きな角、背中にある一列の背ビレ、長く伸びた尻尾……いずれも人間には備わっていない器官だ。服を着ていれば人間達は仮装とでも認識しただろうが、地肌から直接生えているところを見ればそれが身体の一部だと認めざるを得ない。

 突如現れた非人間的美少女。古来であれば神として崇められるか、魔物として征伐されるかのいずれかだったろう。しかし科学が発展し、世界に不思議はないと思い始めた『現代』の人間には、このような非常識をどう扱うべきなのか分からない。困惑は魅了と恐怖を呼び起こし、ナージャという少女に何百という衆目を集めさせた。


「ガゥァ……」


 尤も、人間の反応など気にも留めないナージャは視線など気にも留めない。刹那的思考が興味を持ったのは、自分が歩く町並みの面白おかしさの方。

 石造りの建物ことビルは、整然と並び真っ直ぐな道を作る。数千年前の人間が作っていた村は、良い感じの場所に家を建てるというもので、向きなんてバラバラだ。道なんて人々が踏み固めたものでしかなく、季節が巡ると消えてしまう事も多々ある始末。

 まさかこんなにも文明が発展していたとは。ちょっと長めの昼寝のつもりだったナージャにとって、これは予想外の変化だった。驚きと好奇心が、彼女の足をどんどん都市の奥へと進ませる。

 数々のビルを眺めていて、ナージャは気付く。ビルの壁面には、あちこちから『パイプ』が伸びていると。パイプなんてものは古代文明にはなかったので、細長い管ぐらいの認識だが。

 パイプの先(地上から十メートルほどの位置にある)からは、時折湯気が吹き出していた。壁面から大量の水が滴るのは、その蒸気が原因か。水滴は重力に引かれるがまま落ち、地面に空いた排水溝無数の穴に流れていく。排水溝はあちこちにあり、道が水浸しになるのを防いでいる。尤も、何故そもそもパイプから湯気が出ているのか、という根本的な疑問の答えはさっぱり分からないが。

 不思議なのは建物だけではない。大きな籠野外エレベーターが上に登ったり、或いは巨大な壁大型シャッターが独りでに動いたりしている。棒が上下する場所鉄道踏切などもあった。用途は、ナージャにはいずれもよく分からないが。

 分からない事だらけだ。ナージャは、その感覚を嫌だとは思わない。寝てばかりの彼女であるが、それは寝るのが好きだからであって、未知や活動を嫌がっている訳ではないのである。むしろ初めての出来事には、るんるんと心を踊らせる強い好奇心を持つ。

 もっと色々見てみたい。沸き立つ気持ちのままナージャは駆け足になる。自由に、思うがままに、誰も使っていない道の真ん中へと跳び出す。

 しかし人間の社会において、そのような動きは厳禁だ。

 何故なら道のど真ん中は、生身の人間ではなく自動車が通るための場所なのだから。


「きゃあああぁーっ!?」


 ナージャを見ながら女性の一人が悲鳴を上げた。周りの野次馬もざわめく。

 彼等が悲鳴を上げた理由。それはナージャに向けて、一台の自動車が突っ込んできていたからだ。

 自動車は車体の後方にあるパイプから、多量のを吹いている。車体内部に大型の蒸気機関が積まれた代物で、最高速度は時速百五十キロにもなる高速車両だ。無論人通りの多い一般道でこの速さは出せない。安全に配慮して速度は時速五十〜六十キロに制限されているが……これはあくまでも法律によって。運転者が守らなければこんな数字と法に意味はない。

 自動車を操る操る若者は、正にそんな無法者だった。それでいて愚か者でもあった。まさか『人』が道路に跳び出すとは思わなかったらしい。目を丸くしているが、ブレーキを踏み込む足を動かす暇もない。

 自動車はそのまま、避けるどころか自動車の方すら見ていなかったナージャと衝突。

 


「――――はへ?」


 運転者である若者はまた呆ける。何が起きたか、分からないがために。

 野次馬達も唖然とする。何故か少女が飛ばず、車の方が飛んでいるのだから。

 ナージャだけが冷静だ。ただし機嫌は悪い。なんだか分からない物体に激突されて、上機嫌とはならない。楽しい気分を邪魔されたとなれば尚更だ。

 ちょっとイラッと来たので、ナージャは尻尾を軽く振るう。

 すると車はもう一段高く飛び上がり、近くの建物にぐしゃりと突っ込む事となった。またしても人々の悲鳴が上がる……先程とは全く違う意味で。


「キャキャクキャキャー」


 なんだアレ。図体の大きさの割に弱っちぃなぁ――――大凡こんな意味合いの笑い声を出し、機嫌を直したナージャは再度歩き出した。

 次に目に止まったのは、頭上に設置された太いパイプ。パイプは四方八方に伸びていて、まるで巨大な蜘蛛の巣のようだ。

 それは『蒸気網』と呼ばれるこの都市のライフラインである。

 この都市にある道具の数々は、自動車と同じく蒸気で動いている。例えば加熱調理器具も蒸気による蒸し器が主体だ。他にも掃除機や洗濯機も蒸気の力で動く。しかし蒸気で運動エネルギーを生み出せば、その分蒸気の温度は下がる。百度を下回ればいずれ水となり、もう力を生んではくれない。

 蒸気網と呼ばれるパイプは、各家庭や建物で日夜使われる蒸気を供給するための道だ。極めて断熱性の高い材質で出来ており、数百度まで加熱された蒸気は、比較的安価な型のパイプでも数十キロ先まで液化せずに通る。これにより街中に蒸気の力が届く。

 比喩でなく、都市機能が十分に働いているのは、このパイプ達のお陰と言えよう。

 ……ナージャから見れば、奇妙でぶっとい蜘蛛の巣でしかなかったが。


「ギャゥッ!」


 興味を持ったので即行動。ナージャはパイプに向けて飛び掛かった。

 蒸気網が張り巡らされているのは、地上から五メートルほどの地点。普通の人間なら梯子でも持ち出さなければ届かない位置だ。しかしナージャの脚力は、彼女の身体をその高さまで打ち上げる事を可能とした。

 まさか少女が頭上の蒸気網にしがみつくとは思わず、行き交う人々の間に驚きの声が漏れ出る。尤も、それ以上の驚きが間もなく訪れるが。

 ナージャの掴んだパイプが、彼女の重みに耐えられず曲がり、折れたのだ。

 パイプ自体はかなり伸縮性に優れていたが、その強度が想定していたのは暴風雨などによる横揺れ。小柄とはいえ人間一人が掴み、そのまま自由落下で落ちていくような衝撃は考慮していなかった。

 折れたパイプの中からは、数百度の蒸気が噴き出す。それも何十キロ彼方まで飛んでいくような、超高圧の代物だ。


「あっづ!?」


「ひぃいいいっ!?」


 撒き散らされる蒸気を目にして、人々は大慌てで逃げ出す。熱さに呻く者がいたように、溢れ出し拡散した蒸気は空気に触れて多少冷えてはいたものの、未だ人間を蒸し焼きにするぐらいの熱量は有していた。死者こそ出していないが、火傷した者は数え切れないだろう。


「クキャー?」


 だが、ナージャはその蒸気のど真ん中で平然としている。

 冷めた蒸気は湯気となり、白い煙のように辺りを満たす。周りが何も見えなくなったため、ナージャは動けなくなっていた。

 ナージャと一般市民にとって好ましい事に、蒸気の流出は長く続かない。『損傷』が起きた際に働く弁が動き、蒸気の流れを遮断したのである。供給が止まれば湯気となる蒸気はなくなり、その湯気も冷えて水滴となり排水溝へと落ちていく。


「……ウガゥー♪」


 中々面白い体験が出来た。ナージャは怪我人多数を出したこの大事故を、子供の如く純真さで楽しんでいた。

 次はどんな面白いものがあるだろうか。ナージャの好奇心は一層掻き立てられる。

 周囲にいた人間達はすっかり阿鼻叫喚であるが、ナージャからすればどうでも良い事だ。泥遊びをしている最中、使っていた水が近くにいたアリの行列を押し流し、結果としてアリ達が半狂乱に陥ったとして……それを気に掛ける子供がいるだろうか?

 まずいない。ナージャにとって人間など、大きなアリ程度の存在だ。むしろ逃げ惑う姿を面白がって『ちょっかい』を出さない分、人間の幼子よりは余程優しいだろう。


「ンンガァ〜ウゥ〜♪」


 次はどんな面白いものが見られるだろうか。心を弾ませながら、ナージャは再び歩き出す。

 この頃になると、ナージャを中心とした都市の一部がざわめくようになった。逃げた人々が起きた出来事を騒ぐように伝え、噂に尾ひれが付いて広がり始めたからである。

 無論その騒ぎの原因はナージャの行動なのだが、ナージャにその自覚はなく、仮に教えられたところでナージャは気にも留めない。むしろ賑やかだなぁと、ちょっと楽しくなってくるぐらいだ。

 楽しくなったナージャの歩みはどんどん軽快になる。上がってきたテンションを物語るように振り回した尾が建物の壁を砕いたり、おもむろに掴んだパイプを千切ったり。好き勝手な行動で都市を混乱に陥れる。

 尤も、その行動は一旦中断する事になるが。


「ング?」


 ナージャが立ち止まり、振り向いた先にあったのはとある建物に構えられた店。

 何やら美味しそうな匂いを漂わせる、人間達からレストランと呼ばれる店の一つがそおに建っていた。

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