紅髪の姫君
彼岸花
第一章 姫君の目覚め
姫君の目覚め01
ドンドン、ドンドン、ドンドン。
低く重厚な打楽器の音が、辺りに響いていた。打楽器は上半身裸で腰蓑を付けた男達数十人が、大きな円陣を組んで汗だくになりながら叩いている。打楽器は獣の皮と木で作られた、極めて原始的なもの。その音色は野性的な荒々しさと、自然の柔らかさが同居した、独特なものだ。演奏する男達は誰もが筋肉隆々で、傷だらけの肌が普段から過酷な鍛錬を積んでいる事を物語っていた。彼等の周りには松明が何本も立てられ、燃え盛る炎のお陰で真夜中の密林内にも関わらずこの一帯は極めて明るい。
男達の中心には幅十メートル近い石台があった。石台は偏平な台形をしていて、上底部分は綺麗に磨かれている。つやつやとした表面が、炎の明かりを反射して煌めく。
その台座の上に、一人の『少女』がいた。
少女と言ったが、人間ではない。何故なら少女の背中には一列の背びれ(長さは最も大きなもので十センチほど)が生え、指先には分厚く硬質な爪が生えているのだ。更に臀部からは長さ二メートルもの、百五十センチになるかならないかの身体よりも長い尾がある。頭部からは二本の角が、後ろ向きに生えていた。どれも人間にはない特徴だ。
とはいえその身体は、やはり少女的である。齢十五になるかどうかの幼く可憐な顔立ち、華奢で平坦な身体付きは間違いなく人間の少女のそれだ。紅い髪と紅い瞳は宝石の如く美しく、放つ煌めきが少女の魅力を引き立てる。
着ているのは黒い服。麻で作られたそれは、男達が着ている腰蓑よりも上質な製法を用いられていた。首には骨で作られたネックレスを掛け、手首には銅鉱石を嵌め込んだ腕輪を幾つも付けている。身形から彼女が高貴な、或いは崇められる『立場』である事が窺い知れるだろう。
そして少女は石台の上で横になり、猫のように身体を丸めていた。目を閉じ、男達の五月蝿い打楽器演奏など気にも留めていない。尻尾をぶらぶらと揺れ動かし、自由を満喫している。
「ングァー」
更には大きな欠伸。彼女は極めてリラックスしていた。
「おお……我らのナージャ。偉大なるナージャ! 眠るナージャ! 明日も我らに繁栄を! 沈まぬ太陽となりたまえ!」
やがて男達の一人、最も屈強で、リーダー格らしき大男が叫ぶ。
すると周りの森から続々と、演奏に参加していなかった男達が現れた。総勢二十人。元からいた十人と合わせて、三十もの大男がこの場に集まる。彼等は少女――――ナージャと呼ばれた存在が乗る石の台座に集まると、全員でその大岩を掴む。大きさ通り極めて重たい石は、しかし何十と集まった屈強な男達の筋力により持ち上げられた。
男達は息を合わせて石台を運んでいく。
向かう先には、大きな洞穴があった。男達は石台と共にナージャを洞窟内へ入れると、男達だけで外へと出る。そして洞窟の前で男達は並び、大地にひれ伏し、深々と頭を垂れた。
眼前で平伏の姿を見せる男達だが、ナージャはやはり気にもしない。目を閉じ、そのまま眠りに付く。男達はわーわーと騒いでいたが、ナージャは文句の一つも言わない。
何故ならナージャにとって、これは日常であるから。
朝になったら石の台座ごと洞窟から運び出され、昼間は台座の上でごろごろとする。運ばれてきた食べ物を気ままに食べ、満足したら眠り、夜になったら寝床であるこの洞窟に運び込まれる。これの繰り返しだ。時折彼等の『頼み事』を聞く以外、だらだらと惰眠を貪る毎日。ナージャにとっては実に幸せな日々だった。
明日もそうなると、ナージャは漫然と思っていた。もう何千年も同じ事をしてきたのだから、そう思うのが当然だった。
――――だが、明日は来なかった。
「……なんだ?」
「何か、叫びが」
男達に動揺の声が飛び交った、次の瞬間。
一人の男の首を、鋭い矢が貫いた。
「ぐがっ!? ぁ……」
「て、敵襲! 敵襲だ!」
「ぎゃあっ!?」
それを合図に、周りから大勢の男達……隣村の兵士が現れた。彼等もまた上半身裸であったが、手に持っていたのは青銅製の武具。槍や剣と呼ばれる『新兵器』を持った彼等は、ナージャを崇めていた男達を次々と斬り殺す。
勿論男達は反撃を試みるが、如何に屈強とはいえ生身。普段用いている武器である石器などは、ナージャを洞窟に運ぶための『儀式』では使わないため家に置いてきてしまった。拳一つで新兵器を持つ集団に敵う訳もなく、呆気なく返り討ちに遭う。
ナージャは、そうした惨状に気付いていた。
しかし無視した。ナージャには人間の区別など付かない。戦う男達がどの陣営なのかなど、興味すらなかった。美味しい食べ物と引き換えに頼まれれば(ナージャに男達の言葉は意味が分からないので察した範囲内で)『願い』を叶えただろうが、奇襲を受けた男達にそんな暇はない。頼まれていないのに助けるほど、ナージャは彼等を大切だとは思っていなかった。
瞬く間に、ナージャを崇めていた男達は全滅。軍勢は洞窟を一瞥した後、この場を後にする。今し方殺した男達が暮らしていた村へと攻め入るために。
ナージャはそれも無視した。興味もなかった。だから彼女はそのまま眠りに付く。
それが、長い長い眠りの始まり。
隣村の兵士に村が滅ぼされて、ナージャを洞窟の外に連れ出そうとする者はいなくなった。朝を迎えても誰一人としてナージャの前に現れなかったが、ナージャは「偶にはそういう事もあるだろう」と暢気に思い、気にしなかった。
次の日も、その次の日も、誰も現れなかった。けれどもナージャは気に留めない。人間など興味もない彼女は、突然人間が現れなくなった事を不自然だと思う事もない。何より自分一人で洞窟内にいる状況を、寂しいと思うような心を持ち合わせていないのである。
それよりも、惰眠を貪る事の方が彼女は好きだった。
故に眠る。何時までも、何処までも。ある『時代』に起きた地震で洞窟の入り口が崩落し、外との出入りが出来なくなっても眠り続ける。むしろ周囲が真っ暗になった事で、元々寝坊助な彼女の睡魔を一層促した。そして何百何千の『一日』が過ぎても、彼女の身体は衰えず。麻の服が朽ち、骨と鉱石が風化しても、ナージャの姿は何一つ変わらない。
その眠りは再び大きな地震が起き、洞窟の入り口がまた出来上がるまで続いた。
「……ンン……………クァァァ……」
洞窟の中に差し込む朝日を浴び、ナージャは久方ぶりに目覚めた。四肢と尻尾をぴんっと伸ばし、長い眠りで凝り固まった身体を解す。
眠るのが大好きなナージャであるが、今回はとてもたっぷりと睡眠を取った。『何時も』だと無理やり外に出された時に仕方なく起きていたが、偶には自分から起きようかと考え、動き出す。
のそのそ歩いて洞窟の外へと出て、ナージャは辺りを見渡す。
周囲の景色は、見覚えのないものに変わっていた。並び立つ樹木に知らない種類が混ざり、見覚えのない崖が出来ている。洞窟の前は村人達の伐採により、自分が寝ていた幅十メートルの台座が置ける程度には開けていた筈なのに、今では無数に並ぶ木がそこを埋め尽くしていた。更に気温も、昔よりも低温で随分乾燥している。
何故眠りに入った頃とこんなにも変わっているのか? 理由は簡単。その眠りが何千年と続いたから。植生と気候が変化してもおかしくないほどの歳月が流れ、結果変わっていただけの話。
ナージャも景色と気候の変化を不思議だと思う事はない。そんなのは、彼女のこれまでの生涯で幾度となく見てきた光景だ。だからこういう時、どうすれば良いかは知っている。
まずは、高いところから景色を一望するのだ。
「……ガゥー」
見えるところにあった崖に爪を立て、ナージャはすいすいと登る。崖の上に辿り着いたら次は一際大きな木を登り、てっぺんから顔を出す。
どんな景色が見えるのか。ナージャは少しだけ楽しみに思っていた。そしてその期待は、彼女が思っていた以上の『変化』により叶えられた。
まず、森が小さくなっていた。眠りに入る前まで、森は地平線の先どころか、そのまた先にある山々さえも覆い尽くすほどに茂っていた事をナージャは記憶している。ところが今の森は、木の上に登ったナージャの視界内に収まる程度の広さでしかなかった。山々は禿げ上がり、白茶けた表土が剥き出しとなっている。
高々数千年でここまで森が消えるのは、ナージャにとっても初めての事。しかしその異様な変化以上に驚きを与えたのは、彼方にそびえる巨大な『何か』。
自然のものではない。きっちりと揃えられた四角形をし、高さ五十メートルはあろうかという高さで聳える『石』など、ナージャも見た事がない。それが一つだけでも異様なのに、何百と立ち並んでいる有り様。更に聳える巨石の中心には、百メートル近い高さの、先端が尖った大きな石もあった。
あれは一体何なのか。ナージャは興味を持った。幸いにして眠っていた身体は十分な体力を持ち、遠くの景色まで向かうのに支障はない。
元より彼女は自由の身。思うがままに行動する。これまでも、これからも。
「ンカゥーッ!」
可愛らしく鳴きながら、人間なら骨折では済まない高さから飛び降りたナージャ。しかし彼女の足は、ずどんと勇ましい音を立てて衝撃を受け止めて見せる。そしてマイペースでのんびりとした……ずるずると引きずるような歩みで、石だらけの場所へと向かうのだった。
ナージャは知らない。
自分が今向かっている場所が、かつて自分達を崇めていた種族・人間の『村』が発展して生まれた、都市と呼ばれるものである事を。人間は高々数千年の時間でその力を大きく増した。鋼鉄が大地に立ち、特別な石が莫大な熱を生み、そして蒸気により動く機械を作り出した。今や世界は人間の思うがままに変えられている。
されど、人間も知らない。
大自然が生み出した一人の少女が、数千年の歴史を超える力を持つなど――――
第一章 姫君の目覚め
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